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第四章 酔生夢死 その5

「ご注進っ、ご注進っ、一大事ですぞっ、王林将軍っ!」


 割れんばかりの叫び声で屋敷の門に飛び込んできたのは、結婚式にも参列した王林の部下の一人であった。鎧姿のまま全速力で走って来たせいか、息も絶え絶えで顔から汗が雨粒の如く滴り落ちている。


「な、何事ですかっ!」


 ついに来たか。

 伝令の内容を察していながら、月花は素知らぬ顔で屋敷から飛び出し、衛兵に応対する。


「……お、奥方様でいらっしゃいましたか……。し、将軍に御取次ぎをっ、むっ、謀反でございます。皇太子様が、謁見の間で陛下に退位を迫っておられます」


 予想していた通りの報告が途切れ途切れに語られた。


「わ、分かりました。私の方から主人に、謁見の間に向かうよう、伝えておきましょう」

「か、感謝、致しますっ、そ、それでは私は、他にも援軍を呼んで参りますのでっ」


 伝令兵はそう言い残すと休憩も取らずに、再び疾風のように駆け出して行った。その脚は疲労のためにふら付いているが、止まる様子は全く無かった。

 再び、屋敷に静けさが戻る。

 もう、革命は始まっているのね。

 羅雪達の無事を祈りながら屋敷に足を向ける。

 私に出来ることはもうない。今も将軍は眠り続けている。このまま革命が終われば、将軍の命は助かる。老いた皇帝は廃されて新しい時代が始まり、そこに将軍も居て下さる。

 そう思っていた月花は、戻ろうとした先に人影があることに気付いた。屋敷の玄関から出てくる人の姿。両脚をふら付かせながら、なんとか二足歩行をしていると言った様子だ。まるで産まれたばかりの小鹿のように弱々しい歩き方である。


「……し、将軍」


 そう呼びかけた時、王林の顔が持ち上がった。そこには激怒の表情が宿っていた。


「今の話、聞いたぞっ、革命だとな」


 怒りにぎらついた双眸は殺意に満ちており、月花は見据えられただけで失禁してしまいそうなほどに恐怖を覚える。透明な手で心の臓を掴まれているような、そんな寒気すら感じた。

 彼が戦場で鋼鉄の蟷螂と恐れられたその理由を、真正面から叩きつけられるようだ。

 王林は全てを悟っていた。


「…………月花よ、薬を盛ったな。お蔭で身体に力が入らん。……だがそれで良かった。儂の身体が十全であれば、怒りに駆られてそなたを斬り殺していたかもしれん」


 脅しではない。事実だろう。直感的に理解できてしまう。


「……申し訳、ございません」


 もはや弁解の余地もないが、それでも謝らずにはいられなかった。


「……やはり、そなたは陛下の暗殺を企む一派であったか? は、見事な手際だ。まんまと、してやられたわ。儂の負けじゃ」


 己の敗北を認めていながら王林は足を止めようとしない。薬の影響を気力でねじ伏せながら歩き続け、とうとう屋敷の門まで進んでいた。


「し、将軍、そのような身体でどこへっ」

「決まっているっ、陛下の御許へだっ。儂は陛下をお守りせなばっ、それが、儂の役目だっ」

「お、おやめくださいっ! 今、あの場に向かえば、将軍も……」


 月花は王林の腰元に飛びついて、その動きを止めようとした。


「儂に薬を盛ったそなたが、儂の身を案じると言うのか? ははっ、これは傑作だっ」

「わ、私は、将軍に、生きていて欲しいと思ったから、……ただ、それだけでございます」

「……離せ、月花。……そなたに命の心配をされるほど、儂は老いぼれてはおらんぞ。陛下のお傍こそが我が居場所、我が戦場っ」


 王林の足が月花の胸を強く蹴った。薬の影響を感じさせないほどに力強く、一瞬、月花は呼吸できなくなった。地面を無様に転がり、胸を押さえて激しく咳き込む。思わず、涙が滲み出たが、それでも月花は諦めない。

 屋敷の門の前に走り寄り、王林の眼前に立ち塞がった。無力と分かっていても両腕を翼のように広げて、その先へ進ませないように、絶対の覚悟を抱えながら。


「今の陛下はっ、かつてのあなたが憧れ、慕っていた英雄ではございませんっ! 権力に執着した結果、己の敵も味方も分からなくなり、乱心しておりますっ! もう、この国は終わりなのです。それでも、尚、陛下と紅をお守りするというのですかっ!」


 月花の必死の呼びかけ、だが王林は躊躇いなく即答する。


「ああ、そうだっ、そなたのような小娘が、以前の陛下を知るはずもない。常に自ら先陣を切る、頼もしい陛下の後姿。……儂のような身分の低い者にも分け隔てなく接して、過分な恩賞やこの天来具まで与えて下さった。……そんなお人を、どうして裏切れようかぁっ」


 泣き叫ぶように言い放った王林は、腰に下げていた剣を抜いた。ギラリッと刀身が日光を反射して殺意を纏う。

 王林が光刃を突き出しながら、一歩、月花に迫る。切先が月花の喉元に寸分の狂いもなく近づいていく。後僅かに、王林が腕を突き出せば、間違いなく月花を貫くであろう。

 現前で綺羅星の如く輝く刃の切先に、月花は言いようのない恐怖を覚えたが、それでも大地を踏み締めた。勇気を振り絞り、足の裏から値を生やしてその場に立ち続ける。膝が笑っている。だがそれでも、直立し続ける。


「退け」

「退きません。この門を潜りたいのならば、どうか、私を斬り殺して下さい」


 短い問答。

 沈黙する王林。

 そこに僅かな好機を感じ取った月花は、静かに語りかける。


「……将軍が私を娘と呼んでくれたこと、心より感謝しています。家族を失った私にとって、将軍は本当の父親のようでした。……そして、昨晩、私を逃がそうとしてくれたこと、感謝の念に堪えません。……将軍が私を娘と思っていてくれたのだと分かって、とても嬉しかった」


 自然と涙が零れ出ていた。

 涙滴が目尻から流れて頬を伝い、顎から滴る。

 王林と過ごした日々がまるで走馬灯のように脳裏を駆け回っていた。


「……将軍。これからも私はあなたを父と慕いたい。そして、あなたも私のことを娘と思って欲しい。そうして、二人で、親子として共に過ごしては頂けませんか?」


 泣きながらも自分の本音を言い切った月花は、左右に広げていた両腕を前へと持っていく。王林の手を取ろうと伸ばす。王林が剣を捨てて、月花の手を握ってくれることを願いながら。

 もう一度、親子としてやり直したい。ただ、その一心で。


「……ああ。それは、実に穏やかで良き日々であるな」


 白昼夢のような瞬きの間だけ、王林の表情が柔和に彩られた。酔い潰れて昔の出来事を語った、いつかの夜と同じ鷹揚な微笑みだ。僅かな間、二人はかつての父子の関係に戻ったようであった。しかしそれは、夢幻のような束の間の出来事となる。

 王林の心は、一瞬とは言え月花の申し出に躊躇いをみせていた。それは間違いなかった。だがそれでも、王林が二十年もの間、鍛造し続けた忠誠心が勝ったのである。絹が裂かれるよりも容易く、王林の顔つきは戦士のそれへと変貌する。戦意で固められた鉄面皮に。


「……月花よ、確かに儂は、そなたを娘、のように思っている。……だが、所詮、代わりは代わり。本物ではない。……儂は、代替品の娘よりも、本物の子を選ぶぞ」

「……ほ、本物の、子、とは?」


 月花には王林の言葉の意味が分からず、混乱する。

 王林の妻子は死んでいるはず。王林自身がそう言ったのだ。月花よりも優先する『本物の子供』などどこにもいない。

 そのはずなのに、王林の双眸の焦点は確かで、乱心した様子は見られない。王林は真っ直ぐに月花を見つめて、問いに答えた。


「……この国だ。……紅という国は、儂と陛下、そして今は亡き、乱世を共に駆け抜けた戦友らとの子なのだ。……子を守ろうとする親心に、理屈はないであろう」


 ……嗚呼。そうか。それなら、私が勝てるはずない。

 水が喉に流れ込むようにすんなりと、驚くほど簡単に呑み込めてしまった。


「……だから、存分に儂を恨め、月花。……儂は、そなたよりも、……この国を、選ぶ」


 王林は静かに詫びると、右手に握った光刃を振りかざす。その顔貌には先程の穏やかな表情の面影すら見えない。戦士の仮面を貼り付けて、月花のことをただの敵として睨んでいる。あらゆる敵を屠った、鋼鉄の蟷螂としての顔。

 ……将軍のことを見くびっていた私の負けだ。この人は驚くほどに実直で、頑固で、それでいて父親だ。ただ、私の父ではなく、この紅という国の厳父だったというだけのこと。

 そのことを悟った月花に、抵抗する気力は残っていなかった。

 月花は王林の剣を抱き留めるように両腕を広げて、無言で自らの死を受け入れた。


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