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第三章 月の真言 その3

 翌日。再び桃李園の花見という理由づけで、華鉄は華炎と顔を合わせていた。桃と李の木々が見守る中、親子が対面する。この場にいるのは、二人を除けば華炎の護衛として影のように付き従う王林のみであった。穏やかな春の陽射しと陽気が三者の間に揺蕩っている。


「して、月花は如何であったか?」


 華炎は華鉄との間に置かれた酒壺の中身を柄杓で取り出し、旨そうに啜りながら切り出す。

 四年の月日を置いて育てた酒の味加減が気になって仕方ないのだろう。毒だったのか、はたまた美味だったか。気にしていない素振りを見せつつも、評価を心待ちにしていることが息子の華鉄には手に取るように分かる。

 華鉄は咳払いを一つしてから、昨晩、月花に伝えた策略の一手目を進めることする。


「……私は、あの月花とか言う女に、あと少しで殺されるところでした」

「な、なんとっ、それは誠なのかっ」


 華炎の手から柄杓が落ちて、中身の酒が地面に敷かれた絨毯にぶちまけられた。華炎の目は驚きに見開かれているが、そこに華鉄の安否を気遣うような色は見当たらなかった。

 同時に、花見の席を見守るように直立している王林の肩も僅かに揺れる。これは注意深く観察しないと分からないくらい微かな揺れだったが、明らかに月花の名前に反応していた。


「はい。あの女め、かんざしの先端を鋭利に尖らせて、この私の首を狙ったのです。危ういところで回避しましたが、咄嗟に反応できなければ死んでいたはずです」


 華鉄はそう言ってから、華炎の拳がわなわなと震えているのを眺めてほくそ笑む。

 華炎はすでに己の手で猜疑心を育てている。疑心暗鬼になり、誰も彼もが暗殺者に見えているのだから、華鉄が謀るのは容易い。元々植えられている疑いの種に、不安という水を灌ぐ。


「むむぅっ、やはり、まだ余の命を脅かす不届き者がいたか、……許せぬっ」

「はいっ、その通りでございます。あの女には、我ら華一族を愚弄した罪を思い知らせてやらなければなりませんっ。四肢を断ち、残った身体には水責めを負わせ、私の蠱牙で従えた蜘蛛の餌食にせねば気が収まりませぬっ!」


 華鉄は過剰なくらいに怒りを露わにすると、拳を天に突き上げてみせた。

 そんな華鉄の演技にのせられて華炎の鼻息が猛牛の如く荒くなり、全身を覆う雰囲気が熱を帯び始めていた。憤怒の空気がその場を支配するそんな中、突如として冷や水のような一声が斬り込まれた。


「お待ちくださいっ」


 そんな声と共に突如、割って入ったのは王林だった。これまで華炎の影のように振る舞い、決して口を挟まずにいた男がこの時ばかりは華鉄の言葉を遮った。

 よしよし食い付いた。

 華鉄は怒りの形相を崩さぬように気を付けつつ、内心でほくそ笑んだ。

 しかし、月花という少女を王林が保護していたとは意外だった。羅雪からの話を聞いても半信半疑であったが、昨晩に月花の口から改めて語られれば信じないわけにはいかない。だが、あの堅物の王林が少女一人に目を掛けるなど、余程のことがあったに違いない。

 王林は人情に厚く義理堅い男ではあるが、乱世の中で戦火に巻き込まれた孤児を何人も見て来ただろうし、哀れな子供達を救おうと考えるほど理想に燃えた男ではないはず。

 何か、ある。華鉄の嗅覚に何かが臭った。それ故に、月花を釣り餌としたのだが、うまく引っ掛かってくれた。


「何事だっ、王林。そなたが具申するなど珍しい」


 と、華炎が不機嫌になる。


「お許しください、陛下。しかし、どうか言わせてください。あの娘、月花は、かつて私の屋敷で給仕をしていた女です。元々は東夷の出身で、紅の生まれではございません。それ故に陛下の暗殺を企てるとは考えにくいのです」

「…………そうか、思い出したぞ。月花は、貴様が拾った孤児だったな」

「はい、ですので、月花が陛下のお命を狙う動機がありませぬ。……故に、こう考えるべきでしょう、何者かに操られている、と」


 ふむ、月花を庇う理由としては妥当なところか。

 華鉄は王林の鉄面皮の下から僅かな焦りが見え隠れしているのを感じ取った。


「陛下、先日の蜘蛛使いの男の件、そして今回の月花の件、全くの無関係ではないのかもしれません。全て裏で糸を引く人間がいるのかも。……蜘蛛を操る天来具があるのですから、人間の行動を操作する天来具があったとしても不思議ではありませぬ」


 華炎は瞼を閉じて、王林の言葉に静かに耳を傾けていた。数々の忠臣を己の疑心暗鬼から遠ざけて来た華炎にも、王林の意見を聞くだけの理性はまだ残っていたようだ。


「……ふむ、一理ある。東夷の女に、余を殺す計画を考える頭があるとは思えんな。なるほど、百官の中に黒幕がいたとしてもおかしくない」

「その通りです。黒幕を炙り出すためにも、月花は生かして、しばらく泳がせておくのは如何でしょう」


 月花の命を助けるための詭弁にしては筋が通った理屈である。

 華鉄は、会話の流れが自分の理想とする方向に流れていることに満足し、この王林の提案に乗ることにした。


「なるほど、それは良い考えです。月花など所詮ただの女、殺すのはいつでも出来ますから。もし黒幕がいたのなら、陛下の暗殺に失敗した月花が生きていれば不安に思うでしょう。自分の情報を漏らしたのではないかと怯え、月花の口を封じようとするかもしれません。その時、尻尾を出すはずです」

「ほう、鉄も賛同するか、ならば、王林の提案を取り入れよう。……しかし、この黒幕とやら、仮に天来具を所持しているとなれば手強い人物だ。果たして正体を現すだろうか」


 華鉄が王林に追随したことで、華炎は架空の黒幕の存在を信じ切っているようだ。まるでこの会話すら聞かれていると思ったのか、声を潜め始める。


「一つ、妙案がございます。そもそも月花は、後宮という父上の目も届きにくい聖域で暮らしています。これでは黒幕が接触したかどうか、我々が知ることは難しいでしょう。……いっそのこと、月花を後宮から追い出してみては?」

「ほう? しかし、宮女を追い出すのならばそれなりの理由が必要だぞ」


 華炎の言う通り、一度後宮入りした宮女を追放するような事態はあり得ないと言っていい。理由として、宮女は宮中の様々な情報を知っているため、市井に暴露されては皇族の面子が丸潰れ、権威が失墜する可能性もあるからだ。基本的に皇帝の崩御がない限り、宮女は後宮という檻から出ることは出来ない。

 しかし、例外も少なからずある。


「……父上。月花を恩賞として家臣に賜っては如何でしょう。これならば世間的には何の不思議もございませんし、黒幕も後宮から出た月花に接触を図るかもしれません」

「…………ふむ。悪くない案だ」

「無論、月花を下賜する臣下は、王林将軍とするべきです。まだ天下が定まる前から父上に仕えており実績は十分ですので、他の家臣から不思議に思われることはないでしょう。また、月花の見張りとしても、これ以上、相応しい人物は折りません。将軍との面識もありますし、うまくいけば月花の方から黒幕を打ち明けるかも。更に、将軍には妻子がおりません」


 そう言った瞬間、王林の肩が僅かに動いた。その所作から、兜の下の表情は変わっていないが、内心では驚いていると華鉄は読んだ。


「ほほう。まさに、良案だ」


 すっかり乗り気になった華炎が何度も頷き、手を打っている。そしてぐるりと華鉄に背を向けると、直立不動の体勢で護衛の任をしている王林に向き直った。


「今の話、聞いていたな?」

「……はい、この任、喜んで引き受けさせていただきます。元はと言えば、私が月花を拾ったことが原因。この度の騒動は私の責務です。私が始末をつけなければなりません。月花と接触を図ろうとする黒幕がいれば、必ず見つけ出してひっ捕らえまする」


 王林はすぐに跪いて、鋼鉄のような無表情のまま承諾する。

 その様子を見た華鉄は、思わず綻びそうになる口元を戒めて、真横一文字に引き締める。


「うむ、そなたが目付ならば安心じゃな。黒幕とやらが露わになる日も近いであろう。ようやく余の憂いが取り除かれる。紅に巣食う害虫を根絶やしにしてくれようぞ、はっはっは」


 桃李園に華炎の呵々大笑が響き渡ると、その喜びを祝福するように周囲の木々から白と桃色の花弁がひらひらと舞い降りた。柔らかなそよ風に吹かれた花吹雪が三者の頭上に降り注ぐ。

 しかし、このめでたい景色の中心にいる王林がただ一人、浮かない表情をしていることに、華鉄だけは気付いていた。

 将軍には悪いが、これで俺の謀の仕込みは終わった。万事上手く運んでいる。この酒は将軍の俺にとっての祝い酒だ。

 そう心の中でほくそ笑んだ華鉄は、酒を飲もうと柄杓に視線を落とす。すると、柄杓の器の中に桃の花びらが一片浮かんでいた。先程の花吹雪の一枚が入ってしまったのだろう。

 これは風流な吉兆だ。森羅万象までもが俺の成功を喜んでいるようではないか。

 華鉄は花びらの浮かぶ酒を喉の奥に流し込むと、その味を心行くまで堪能した。



 王林の婚姻話を、華炎が百官の前で発表してから数日が経った。今や、皇城内だけではなく城下の興安の街までもが祝いの色に染まっていた。元々、王林の武勇伝は華炎の英雄譚に負けず劣らず巷では人気があり、歌劇や詩人の格好の題材となっていた。それ故に、婚姻の噂が流れた途端、大通りに軒を連ねる家々では軒先に提灯を吊って祝福の意を示し、街を歩く人々の恰好もまるで自分が結婚するかのように小奇麗になった。昨今は、華炎の乱心の噂が蔓延っていただけに、婚姻という吉事の話題には街の誰もが歓迎して大いに喜んでいた。

 しかし、ここにたった一人、王林の婚姻の話題に顔をしかめる人物がいた。

 無論、羅雪である。

 婚姻話が世を騒がしてからというもの、羅雪は眉を険しく逆立てながら皇城内をウロウロと歩き回る日々を過ごしていた。一刻も早く華鉄と話し合うため探し続けていたのだが、相手は腐っても皇太子であり、こちらから会いたいと思っても簡単に会えるものではなかった。

 そんな悶々とした日を数えて続けて早四日目、ようやく見つけた華鉄は相も変わらず桃李園で花見に興じていた。華鉄と酒を酌み交わしているのは、華炎ではなく官吏達であった。

 華鉄は羅雪の気も知らずに、文官達と談笑しながら楽しそうに酒を飲んでいる。

 その背後に足音を殺して忍び寄る。


「おおっ、羅雪ではないかっ。丁度良いところに。王林の結婚祝いに何を贈るべきか、皆と相談していたところだっ、そなたの知恵も貸してくれ」


 酒の酔いが回っているのか、ほんのりと赤面した華鉄が羅雪に向かって言い放つ。そののほほんとした声の調子から、羅雪の内心など気にも留めていないことがよく分かった。

 周囲の文官達もすっかり出来上がっている。

 羅雪は喉元をせり上がる怒気をぐっと飲み込んで、平静に答えた。


「……では、まずは私と共に市場に参りましょう。どんな品が売っているか、直接確認した方がよろしいでしょう。そして、急がねば良い品は売れてしまいますぞ」


 羅雪は出来るだけやんわりとした口調でこの場を穏便に収めようとしたが、額に浮かぶ青筋だけは隠し切れなかった。


「むむ、 確かにそうだっ。皇太子ともあろう者ならば、他者にも引けを取らない贈り物を用意せねばなるまいっ。さあさあ、皆の衆、今回の花見は終わりだ。実に愉しかったぞ、また集まろうではないかっ」


 華鉄の気楽な声が桃李園の木々を揺らしたことで、ようやくその場がお開きとなる。

 官吏達は華鉄に対してやや馴れ馴れしく礼を述べた後に、三々五々に解散していく。誰もがその足取りは危うく、酔い潰れた者が友人に担がれるようにして帰っていく姿もあった。最後の文官の背中を見送ると、やっと桃李園に華鉄と羅雪だけが残った。


「さて、早速市場に繰り出すとしようかっ。王林将軍はどういった贈り物を喜ぶだろう?」


 そう言って一歩を繰り出そうとした華鉄の肩を、羅雪がぐいっと乱暴に掴む。


「そうじゃないだろっ。ちゃんと説明してもらうぞ、どうして王林将軍と月花が婚姻するなんて話になったんだっ!」


 羅雪はこれまで保っていた忠実な臣下の仮面を脱ぎ、華鉄にだけ見せる本性を露わにした。


「む。そなた、俺への態度が随分ぞんざいになったな。媚びへつらわれるのは嫌だが、これでも俺はこの国の皇太子なのだから、少しは礼儀というものをだな……」

「気を遣わずに素の自分を見せろってお前が言ったんじゃないかっ。いや、今はそんなことはどうでもいい。婚姻の件についてさっさと説明しろっ」


 また口の上手い華鉄に誤魔化されそうになったところを、話題の方向を軌道修正する。


「安心しろ。この婚姻話は、月花本人からの了解を得たうえでの俺の策だ」


 華鉄が酔いを醒まそうとするように大きく伸びをしながら、ついでを済ませるように手の内を明らかにし始めた。

 月花による暗殺未遂から、その後の華炎との会談、そして王林に下賜する下りまで。

 ある程度予想はしていたが、実際に華鉄本人の口からこれが策略であることを聞けて、羅雪は僅かに安堵する。


「……やはりお前の考えだったのか。だが、月花に黒幕と繋がりがあるなんて余計な疑惑を掛けてまで、王林と婚姻させる理由はなんだ? そもそも、月花が殺されでもしたら……」

「そもそもこの策は、親父殿の元から月花を逃がすためでもある。王林は律儀な男だからな。何の理由があったのか知らんが、月花を拾った王林が、自分の手で月花を殺そうとはしないだろう。故に月花は絶対安全というわけだ」


 自信満々にそう言うが、羅雪は華鉄ほど王林という男を知らない。果たして本当に信じ切っても良いのだろうか。


「王林は月花を庇おうとするはず。一方で、親父殿は黒幕の情報を掴めない王林を訝しむはずだ。やがて両者の間に対立が生まれる。親父殿は将軍を遠ざけようとする。しかも今の親父殿は心を病んでいる。もしかすると難癖をつけて将軍を処罰しようとするかもしれん。あるいは、それを察知した将軍が先手を打って親父殿を殺すかも。……そこまで事態が荒れなかったとしても、あの二人の心が離れれば我らの付け入る隙が生まれるだろう」


 華鉄の説明を受けた羅雪はようやく得心が行く。回りくどいとも思われた道筋だが、華鉄の自信満々かつ理路整然とした話しぶりに納得感を与えられてしまう。

 華鉄の人間性には気に食わない部分もあるが、皇太子としての風格と悪知恵の働くところに関しては賞賛に値する。


「……なるほど、お前の策略は理解した。確かにあの二人が仲違いすれば俺達も動きやすい」

「うむ、分かれば良し。親父殿と将軍が不仲になった時に、我らは立ち上がるぞ」

「ただ、もう一つ聞かせてくれ。確かに作戦については納得した。俺もその時が来たら存分に働いてみせる。……だが、まだ納得できないのは、お前の動機だ」


 率直な問いを投げかけると、僅かに華鉄の眉がピクリと跳ねる。華鉄の表情はすぐに平静を取り戻したため、錯覚かと思わせるほどの一瞬の変化。

 羅雪には、何となく寂しそうな子供の顔に見えた。

 なぜそう見えたのか、自分でも分からない。

 ただ、不思議とそう思った。

 華鉄は固く口を結んだまま返答しない。


「お前は皇太子だ。わざわざ自分の手を汚さなくとも、皇帝が寿命で死ねば自然とその後を継ぐことになる。一生安泰な生活が保障されているのに、なぜ皇帝を殺そうなどと考える? お前をそこまで駆り立てているものは一体何だ?」


 それは、羅雪が抱え続けていた疑問という名の恐怖である。

 後宮に入るために皇族と親しくなろうと考え、その目論見通り華鉄と友人関係を築くことが出来た。しかし、この華鉄には秘めた野望があり、それを頑なに見せようとしない。利用しようと思って近づいたら、いつの間にかこちらが利用されていたのではないかと不安を覚える。

 穏やかな表情で周囲の木々を愛でている華鉄が、この上なく恐ろしい。


「……簡単に言えば保身のためだ。このまま親父殿が悪行の限りを尽くしてから大往生し、その後を俺が継いだとしても、俺の権威は長くは持たぬだろう」


 春の風の如き爽やかな物言いで告げる。


「なぜだ? お前は正統な皇太子だろう? 皇帝を継いだとして何の問題がある?」

「いや、臣下の一人がこう言えば、俺の権威など終わる。『華炎は悪政を敷いた。このまま華の一族に権力を持たせては危険である。故にその力を削ぎ、我ら百官が政を行うのだ』とな。俺に味方する者は、宮中にも市井にもいない。俺はお飾りとして生かし続けられるだろうさ」


 確かにその通りだ。華炎により忠臣が悉く排除された今の政局で、華炎亡き後、華鉄を補佐しようとする臣下が現れるはずがない。今の百官らは華炎に媚びを売って権力を得た者達だ。自らの権力をより確実なものとするため、次の皇帝となった華鉄を傀儡に仕立てるだろう。


「だから、親父殿が死ぬ前に俺が立ち上がらなければならないのさ。悪行を尽くした暴君を打ち倒したならば、俺の威光は世に轟き、正統なる皇帝として認められる。そうなれば百官共もおいそれと俺に盾つこうとはするまい。そうやって、この天下を我が物とするのだ」


 そう言って、突き出された華鉄の右手が、ゆっくりと握られた。目に見えぬ天下という概念を手に入れようとするかのように、虚空を掴んでいた。

 その仕草と言葉に偽りは見当たらない。

 しかし、華鉄の言う目的とは、それだけが全てではないように羅雪には思えた。

 先程、華鉄が微かに見せた、寂しそうな表情こそが本音なのではないか。父親に構って欲しい子供のような表情こそが。

 ……ああ、ようやく分かった。

 まだ羅雪が父親の商船への乗船を認められる前の幼い頃。出港した父親の帰りを今か今かと、毎日のように港で待っていた。あの時、水面に映った羅雪の表情と、今の華鉄の顔がそっくりだったのだ。

 それはきっと、華鉄自身も気付いていない真意だ。かつて偉大であった父親を越えたいという、貴族だろうが平民だろうが誰も抱く、ごくありふれた願望。

 父親に己を認めさせる、ただそのためだけに天下を奪おうとしているのだ。何という壮大な親子喧嘩であろうか、流石皇族、やることなすこと全てが大仰である。

 だがそのことを指摘したとしても、華鉄は自覚を持てないだろう。己の保身のために動いているのだと信じて疑っていないのだから。ならば、華鉄の好きなようにさせればいい。羅雪の目的はただ一つ、月花を解放することだ。

 少なくとも華鉄は人間の常識を外れた怪物の類ではない。やろうとしている事の規模こそ気宇壮大ではあるが、その動機は理解の範疇であった。


「……お前の目的は理解した。悪かったな、疑って。……この革命を成功させるため、俺も全力を尽くそう」

「うむ、お前の働きには期待してるぞ。……お前は、俺にとって唯一の臣下なのだから」


 綺麗に整列した白い歯を見せつけるように笑った華鉄は、怪物が化けた美男子のような怪しげな雰囲気を放っていた。先程、父親に構ってもらえず寂しげな空気を漂わせていた少年と同一人物とはとても思えない。歴史を動かす者だけが持ちうる、圧倒的なオーラを放つ。

 華鉄を利用しようと考えたことは、果たして正しかったのか、致命的な過ちだったのか、どちらとも言い切ることはできない。

 ただ、途轍もない傑物と契約を交わしてしまったことは、間違いない事実だ。

 歴史に名を残そうなどと考えたことはなかった。そんな大それた野望などそもそも持っていなかった。だが、この革命が果たされれば、悪名にせよ英名にせよ、華鉄と共に蓬莱史に刻まれるだろう。

 それでも構わない。そうしなければ、月花を取り戻せないならば。

 二人を見守っていた桃李園の木々がまるで怯えるように風に揺れ、白と桃で彩られた枝葉がいつまでも騒めいていた。


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