前書き
蓬莱大陸史上、最も繁栄した時代はいつかと問われれば、歴史家の誰もが『玄帝国』の時代であったと答えるだろう。
玄は世界の東西を結ぶ広大な交易路を整備したことで、ヒト・モノ・カネの繋がりを生み出して莫大な富と豊富な人材を得るに至り、途方もない繁栄を謳歌したとされる。また、交易路の存在は東西の文化や技術の交流をも創出し、人類全体の発展にまで寄与したことも考慮すると、玄の偉大さはそれ以上語るまでもないだろう。
玄の初代皇帝・華鉄は、現代では最も人気のある歴史上の人物の一人とされているが、当時からすでに名君として名高かった。家臣の出自に囚われず、優れた献策があればすぐに取り入れ、先進的な政策を次々と行ったことから、臣下や民衆から厚く支持されていた。
とは言え、玄の繁栄は必ずしも華鉄の敏腕だけが理由ではないことが、近年の蓬莱史の研究から分かって来た。
玄の繁栄の土台を作ったのは、その前王朝である『紅帝国』であったとする新説が現在では主張されている。
紅は、群雄割拠する乱世を治めて、実に二百年ぶりに蓬莱大陸を統一した王朝として知られている。天下統一を果たした紅の皇帝・華炎は当初こそ乱世を平定した英雄として臣下や民衆から賞嘆されていた。だが途方もない権力を手に入れたことで欲に溺れ、次第に悪政を敷き始めるようになる。
ついには紅の建国から二十年後、息子である華鉄に謀反を起こされて生涯を終える。華炎亡き後、華鉄が国号を玄と改めたことにより、紅は完全に滅亡する。
この一連の政変は「紅玄革命」と呼ばれており、読者の多くが中等教育の歴史の授業で耳にしたはずだ。
紅玄革命について、実のところ判明していない部分も多い。
そもそもなぜ華炎の実子であり、皇太子であった華鉄が革命を起こしたのか、その動機は蓬莱大陸史上最大のミステリーとも言われている。
授業で習った紅玄革命の印象からも、紅は悪役で玄が正義の味方という固定観念を持っている読者も多いはずだ。そんな紅が後の繁栄の礎になったなどと信じられないかもしれないが、それは本書を読み進めていく上で納得できるはずだ。
また、蓬莱大陸史に造詣が深い読者ならば、華鉄の家臣であり、紅玄革命の最大の功労者である羅雪が我が国出身の商人であり、本名を雪介と言うこともご存知かもしれない。
雪介こと羅雪は蓬莱大陸及び我が国に残された歴史書にその名を残しているため、彼が実在したことは確かである。しかし、我が国と蓬莱大陸の国交がほぼ断絶していた当時、如何なる経緯で玄へと渡って華鉄の革命に加わったのかについては、歴史学者の間でも諸説別れている。
本書は、紅玄革命に関する数ある説の中で、昔から特に根強い人気のある一説を基にした小説である。この説は、歴史家からは信ぴょう性が低いとされ、どちらかというと民間伝承に近いものであるが、現代まで語り継がれているということに筆者としては歴史ロマンを抱かずにはいられず、本書の題材とした。
本書には羅雪に関する説以外にも、歴史書に裏付けのない民話や伝承がいくつか盛り込まれている。正史から大きく外れるような物語にはしていないつもりではあるが、歴史書よりも説話を優先してしまったことは否めない。
そして、先にお断りしておこう。
紅玄革命を語る上で欠かせない「天来具」の本書での描写については、異質とされている説を採用しているためファンタジー色が強めである。
例えば、羅雪が用いた名槍「白蛇」は、伝承によると生きた蛇のように柄がグニャグニャと動き、使い手の真後ろにいる敵をも貫くほどに大きく湾曲したとされる。無論、これは物理的にあり得ないことなので、恐らくは羅雪が槍の名手であったことを誇張して表現しているのだろう。
こうした天来具の描写は、実は正当な歴史書である「紅書」「玄書」にも記述があるのだが、現実的にあり得ない内容であるため、大部分が創作や脚色と考えられている。
だが本書においては小説としての面白さを優先させるため、あえて記述されている言葉通りに解釈している。
そのため本書には非現実的な描写が多々あることをどうかご容赦頂きたい。
しかしである。
現在までに、蓬莱大陸の各所で紅・玄時代の遺構が数十か所発掘されており、天来具と思しき出土品も数点見つかっている。出土した天来具は蓬莱大陸や我が国の国宝に指定され、博物館などに保管されているが、一般の来客はもちろんのこと、著名な歴史家や考古学者でさえ触れることが許されていない。それ故に十分な科学的検証が出来ておらず、本当に歴史書に記された天来具そのものであるか、懐疑的な学者も多い。
保管体制の厳重さの理由は、貴重な歴史的資料である天来具を完全に近い状態で後世に残すため、ということらしいが、それにしては少々過剰過ぎるようにも思えるのだ。
もしかすると、天来具が本当に物理法則を超越した能力を持つために、何人たりとも触れることを許されていないのだとしたら……。
そう考えると、次項から紡がれる物語も、決して絵空事とは言えないのではあるまいか。




