家族との再会
買い物をすませた頃には、もう夕方になっていた。
先に志縁の心遣いで使者を出していたため、翠珠が戻った時には、両親そろって待ち構えている。
「これは海様。ようこそおいでくださいました」
「皇太后様のご命令で、翠珠殿をお送りした。明朝、迎えに来る。外出はめったに許されないことだからな、皇太后様に感謝するがよい」
「心から感謝いたします」
両親の声が揃い、志縁の前で深々と頭を下げる。父の腰の低さはあいかわらずだ。
「海様、どうぞ今宵は我が家にお泊りください。今から、ご自宅にお帰りになるのは大変でしょう」
「――いや、俺は別に」
「明日の朝、また娘を迎えに来てくださるのでしょう? それもお手間でしょう」
腰が低いわりにぐいぐいと行く。むしろ、志縁の方が逆に引き気味なのは翠珠の気のせいだろうか。
「わかった。一晩世話になる」
「それがようございますとも。ささ、中へどうぞ。翠珠、お前の部屋は、昔のままにしてあるからね」
母にうながされ、翠珠は屋敷に足を踏み入れた。
(三年前とほとんど変わってない……)
壁には、幼い頃の翠珠がうっかりつけてしまった傷も残っている。
李家は、かなり裕福な商家である。本店に並べているのは流行の小物や装身具が中心だが、家族の住まうこの屋敷では、骨董や、珍しい宝飾品など、皇宮に献上されてもおかしくはない品も商っている。
その他、酒、塩、砂糖等、李家が商わない品はないと言われるほどだ。
積極的に貴族にも近づこうとしていて、翠珠が後宮に働きに出ることができたのは、父と親しくしている貴族が口利きをしてくれたからだ。だいぶ金銭をばらまいてごり押ししたらしい。
「これ、海様を客間にご案内しなさい。粗相のないようにな。私は志縁様のお荷物を責任もってお運びしよう」
父の命令で、使用人が奥に志縁を案内していく。その後姿を見送り、改めて周囲に目を向けた。
(代わってないと思ったけど、昔より成金趣味は激しくなってるわね……!)
李家は、父の代になって大きく成長した。
成金という者も多いが、それは否定できない。
龍の姿を掘った金の彫刻。翼の生えた馬の姿を彫り込んだ玉の彫刻。
飾られているのは、ごてごてとしたいかにも成金趣味な彫刻だ。
(皇太后様のお側で、ちょっといいものを見すぎたかも)
直接口をきく機会はほとんどないとはいえ、この国最高の地位についている女性の側で働いている。牡丹宮に置かれている家具や彫刻、絵画などはいずれも上質のもの。
見栄えばかり気にしている父とは、そもそも見る目が違うのだ。下っ端宮女だと思っていたけれど、いいものに触れるというのは人を育てるものらしい。
翠珠は懐かしい自室に入り、寝台に腰を下ろす。
(お父様と、どうやって話をしたらいいだろう)
まずは、父を訝しがらせず、遊睡草を入手しなくてはならない。
これ以上父をつけ上がらせないよう、皇太后の名は出さないと決めているから、話の持って行き方が難しい。
海志縁の名は父も知っていたらしく、盛大にもてなすと決めたようだ。
夕食の席には、祭りの時でないと見ないようなごちそうが並んでいた。
「ささ、よろしければ一献。上等な酒が手に入ったのでいかがかな?」
「いや、明日、翠珠殿を守って戻らないといけないからな。遠慮しておこう」
「……翠珠を?」
父が驚いたような表情になる。翠珠も驚いた。
いや、志縁が護衛としてついてきているのはもちろんわかっていたけれど、まさか父の前でそこまで役目を重視しているような発言が出るのは思っていなかったのだ。
「翠珠は、お勤めをきちんと果たしておりますか? 後宮に一度入ってしまうと、なかなか文のやりとりもできないものですから……」
翠珠の母は、父とは十歳以上離れている。
美貌を見込んで父が妻として迎えたというだけあって、成人する年齢の娘がいるとは思えないほどの若々しさだ。
「もちろん。翠珠殿は、刺繍の腕を見込まれ、皇太后様の衣を日々縫っている。俺も先日見せてもらったが、実に素晴らしかった」
「さよう……ですか」
翠珠は誉められたというのに、父は落胆した表情になる。
もちろん、父としては翠珠が皇帝に見初められるとか、そういったことを期待していたのだろう。
「――それで、李殿を見込んで頼みがあるのですよ。皇太后様から、市場を見てくるようにとご命令を頂いたので、翠珠殿の同行をお願いしたのは、今日、李殿にお会いしたかったからというのもあるのです」
翠珠から話をするつもりだったのに、志縁が口をきいてくれるらしい。父にどうやって頼もうかと思っていたから、翠珠は安堵した。
志縁が改まった様子になったものだから、父の顔にも緊張の色が浮かぶ。今まで杯を持ってくつろいだ様子だったのに、急に居住まいを正した。
「私に、頼みとは……?」
「とある貴族のご婦人が、長い間頭痛に苦しめられているらしい。皇太后様のお側に仕えている侍女の血縁の者なのだが、かれこれひと月以上、悩まされているとか。薬を作りたくとも、遊睡草が手に入らず困っているそうだ」
貴族のご婦人という言葉に、父の目が光るのを翠珠は見た。
(おいしい商売になると思ってる……!)
だから、皇太后のためとは言いたくなかったのだ。名前も知らない貴族の婦人ならば、父の方からしかけることはできないだろう。
「俺はその侍女から相談を受けたのだが、たまたま翠珠殿から、李殿は太国とも遼国とも交易があると聞いてな。どうか、遊睡草を入手してほしい」
「それは……難しいですな」
父は渋い表情になった。やはり、遊睡草を入手するのは難しいらしい。
「なんとかならない? 皇太后様にお仕えする方が、私と海様を使いに出したのよ。それほど必要なのよ、きっと」
「……そうだな」
うーんと父は考え込む。
実家に来ればどうにかなるというのは浅はかな考えだっただろうか。
翠珠が固唾をのんで見守っていると、父はしぶしぶため息をついた。
「難しいですが、海様の頼みとあらば、どうにかいたしましょう――そのかわり」
そのかわりという言葉に身構えたのは翠珠だった。
何か、無理難題をふっかけようというのだろうか。もし、その時には父をひっぱたいてやろうと右手を握りしめる。
「後宮で翠珠が困ったことに巻き込まれたら、海様に助けていただけますか? 後宮に入り、高貴な方に見初められるのが娘の一番の幸せと思っていたが……」
父の口から、そんな言葉がこぼれるとは思っていなかった。
てっきり、自分の立身出世のために翠珠を後宮に押し込んだものだと思っていたのに。
「即位して三年、皇帝陛下は後宮を訪れるのは皇太后様を訪問する時だけだと聞いております。もう、娘が見初められることはないでしょう。我が家には伝手がございません――ですから、どうか、娘を守ってやってください」
そんな風に志縁の前で頭を下げられて、翠珠はますます困惑した。そこまでしなくてもいいのに。
「お父様、私、後宮ではちゃんとやってるわよ? 海様にもご迷惑だからやめてよね」
「――だがな。後ろ盾となってくださる方もいないだろう」
「あのね、お父様。ちゃんとやっていれば、大丈夫なの。私の仕事は衣装を作ることよ?」
皇帝陛下の寵愛とやらを得たとなるとまた話は変わってくるのだろうが、今のところそんな気配はないし、皇帝陛下からは今後は全力で逃げるつもりだ。
まあ、翠珠が陛下と会うことなんてないだろうが。
「もちろん、お任せください。俺にとっても恩人ということになりますからね」
にっこりとして志縁がそう返し、父との約束を取り付けることに成功したのだった。