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孤独な背中

 動くなと言われても。

 気がついた時には、文浩の背中に庇われていた。周囲を囲むのは、剣を持った男達。


「いいな、お前はそこから動くな」


 翠珠を壁に押しつけておいて、文浩は剣を抜く。


(……こいつら、ただの強盗じゃない)


 強盗や追剥など、この世界にも悪人は存在する。

 翠珠の父も、遠方に隊商を送る時には、常にしっかりと護衛をつけていた。荷を奪われるだけならまだよいが、従業員の命がなくなってはとんでもない、と。

 けれど、まさか、都でこんな目に遭うとは思ってもいなかった。


「お前達は何者だ――と、問うだけ無駄か」


 文浩の問いに、男達は鼻で笑って返してきた。

 彼に注意するよう口にしかけて、翠珠はその口を閉じた。こちらに向けられている彼の背からも伝わってくる。

 彼は、目の前にいる敵の力量をしっかりと見定めている。


 ――ならば。


 翠珠も、余計なことは口にしない方がいい。今、翠珠にできるのは、彼の邪魔にならないようにすることだけ。

 こちらに向けられた背中は、とても頼もしく感じられた。両腕で自分の身体を抱きしめるようにして、翠珠は唇を引き結ぶ。


(……陛下の邪魔だけはしてはいけない)


 怖い――前世でも、今回の人生でも。こうやって刃物を持った男達に囲まれるなんて経験したことはなかった。

 一歩後退すれば、背中が石壁に当たる。これ以上、下がることはできない。


「目を閉じてろ。お前には耐えがたい光景になるぞ」

「は、はい……!」


 彼に返す声が、震えていなかったことに安堵した。


(大丈夫、私は、大丈夫……)


 目の前にいるのは五人ほどか。彼らの動きは、統制がとれていた。

 一人が打ち込んできたかと思うと、次にもう一人が打ち込んでくる。一斉に囲まれ、あちこちから攻撃をくらっている文浩の方が不利なように見えていた。


 ――最初のうちは。


 だが、文浩は落ち着き払っていた。

 最初の敵は、一度腹を蹴り飛ばしておいて、次にかかってきた男を肩から腰にかけて斬り下げる。次の男の剣は、剣の鞘で受け止めておき、返す刀で三人目。

 一度飛びのいた二人目の方を牽制しておきながら、四人目を斬ったかと思えば、今度は彼の方から打って出る。


 最初に蹴り飛ばした一人目は、体勢を整えたところを切り倒された。

 これで、残りは二人。

 目を閉じていろ――彼にはそう命じられたけれど、目を閉じることなんてできなかった。

 目の前で血が飛び散る光景を見るのは初めてだった。でも、目をそむけてはいけないと思ったのだ。

 これは、この世界の掟。隙を見たら、襲われる。

 翠珠の歩く道に、これから先何度も同じような光景が訪れるだろう。


(……間違いなく、陛下を狙っているのよね)


 だが、文浩が外に出るというのは、ごく限られた人間しか知らないはずだ。

 それなのに、なぜ、こうして待っていることができたのだろう。

 翠珠の目の前で敵と切り結んでいる文浩の姿は、こんな状況なのに美しかった。圧倒的な強さ。誰も、彼の前に立ちふさがることはできない。

 血の臭いが翠珠のいる場所まで届き、衣の袖を口に押し込む。悲鳴を上げてしまわないように――。

 妃になるという事実の重みを、改めて目の当たりにしたような気がした。そう、この光景から逃げてはいけないのだ。

 これから先も、文浩と共に歩いていくつもりならば。同じように命を狙われることもあるだろう。


(私は――私は、立派な妃になれる?)


 望んでついた立場ではない。

 今だって、心のどこかには文浩を恨みに思う気持ちがあるのも否定はできない。


 ――でも。


 残る二人は、慎重に文浩の様子をうかがっている。胸にひりひりとするような痛みを覚えながら、翠珠は見守ることしかできなかった。


「や――やぁぁぁぁぁっ! 倒れろ!」


 自分自身に気合を入れているかのように、男のうち一人が声を上げながら文浩に切りかかってくる。

 その足を払った文浩は、よろめいた男に勢いよく剣を突き立てた。そして残る一人。身をひるがえして逃げ出そうとしたところを、背後から腿を横に切り払う。

 足を傷つけられ、男はその場に倒れこんだ。身体を丸め、痛む足をかばおうとしているようだ。


「――誰に頼まれた?」


 その男の方に上半身をかがめ、文浩は問う。


(……ただの強盗じゃないってこと?)


 それでようやく気がついた。

 そう、これだけの動きができるのならば、背後に誰もいないはずはないのだ。文浩を排除しようとする勢力が――どこかにあるに違いない。

 けれど、相手は文浩の問いに答えることは拒否した。


「……お許しください」


 翠珠のいるところに聞こえてきたのは、その一言だけ。

 その言葉が何を示すのか把握できないうちに、地面に倒れていた男の身体が激しく痙攣する。


「なっ……何? 何があったの?」

「自害だ。口内に毒を仕込んでいたんだな」

「……そんな」


 文浩が傷一つ負っていないというのを確認する間もなく、翠珠はその場にぺたりと座り込んだ。足から完全に力が抜けてしまっている。


「……今のは、志縁様を狙ってのものですよね?」


 こんな時でも、頭のどこかは冷静らしい。

 本名でもなく、陛下でもなく、偽りの名で彼のことを呼んでいる。

 こちらを振り返った彼もまた、そのことに気付いたようだった。少しだけ、目元が柔らかくなる。


「おそらくな。俺を面白くないと思う者は多い――弟達のうちの誰かについている者か、それとも他国の者か」


 文浩の弟達は、王の位を賜り、国内あちこちに散らばっている。


「……なんで、こんなことに」


 この言葉を繰り返すのは、もう何度目になるのだろう。自分の思ってもいないところで、どんどん事態は進んでいる。


(違う。この人の周囲には、敵しかいないんだ。例外はきっと、皇太后様くらい……)


 皇帝としての彼にも。志縁としての彼にも。

 たくさんの敵がいるのに、味方はほとんどいない。皇帝という地位は、孤独だ。誰にも弱みを見せることはできないのに、年若い彼を侮る家臣も多い。

 志縁にしたってそうだ。赤い鬘をかぶり、異国の血が混ざっている――それは深く追及されることを防ぐ効果もあるけれど、それと同時に『海志縁』という人物に深くかかわろうとする者を遠ざけるものでもあった。

 そのことに改めて気がついて、翠珠は胸が痛むのを覚えた。


(……もし、私が妃になった意味があるのなら)


 彼の背中を、そっと支えることなのかもしれない。

 ゲーム本編で語られた昔の文浩。彼にとって、愛したのはヒロインだけ。それ以前に、彼に嫁いだ女性達は、何の意味も持たないと――そう思っていたけれど。

 もし、翠珠がこの世界に生まれてきて、自分が望まないまま妃の地位を与えられたのは。

 この孤独な背中に寄り添うためなのかもしれない。


「――悪かったな。まさか、ここで襲われるとは思ってもいなかった。人を呼び、生きている者は連行してもらおう」

「わかりました。志縁様にお怪我がなくてよかったです――本当に、よかった」


 だから、なんでもないふりをして翠珠は笑ってみせる。

 翠珠が妃の地位に追いやられた意味があるのなら――少しでも彼の支えになりたい。

 胸に手を当て、仕草でもなんでもないと見せる余裕さえ生まれてきた。

 そう、悪いことばかりではなかったのだ。いいことだってあった。久しぶりに、皇帝ではない彼の表情を見ることができた。

 今日あったいいことを、しっかり覚えておけばそれでいい。


(……立派な妃になれるとは思わないけれど)


 もし、許されるのなら。

 翠珠が後宮から去った後、名前くらいは記憶の片隅にとどめてほしい。


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