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父の策略

 皇太后に呼び出された父が、皇太后の前に翠珠と面会する許可を得たらしい。志縁と話をした二日後、翠珠はドキドキとしながら、面会の部屋に向かっていた。

 差し入れがあるのはありがたいけれど、どうして急に会おうという気になったのだろう。

 そんな疑問を覚えながら、面会のための部屋に入った時には、父はもう壁を背にして座っていた。翠珠を見るなり、父は満面の笑みを浮かべた。


「――でかした!」

「……何が?」

「あ、いや……お前のおかげでな、貴族に叙せらせることになったのだ。無償で米を提供したその心を称えてということらしい」

「はっ!? 何してるのよ、お父様!」


 思わず翠珠は叫んだ。無償で米を提供するとは何事だ。

 赤字にならないように、わざわざ春永にも話をつけたというのに、なんで無償で提供しているのだろう。

 顔を引きつらせている翠珠の様子には気づいていないようで、父はご満悦の表情で続けた。


「母さんの実家は、貴族だったからな。結婚の時には、いろいろ言われたものだが、これでようやく顔を合わせやすくなったというものだ」

「……あぁ、そうなの。そう言えば、お母様は貴族の出だったわね……」


 なんてことをしてくれたのだと頭が痛い。そう言えば、商家の女主が完全に板についていたので忘れていたが、母は貴族の出だった。


「ああ。お前のおかげだ。お前の提案に素直にのってよかったと思うよ」


 最後に会った時より、いくぶん太っただろうか。父は、出てきたお腹を揺すって笑い声をあげる。

 米を買えばいいという翠珠の提案を受け入れてくれたのはありがたいが、まさか無償で提供するとは思ってもいなかった。


「……まさか、そんなことをするとは思ってなかったわよ! せっかく春永にも話をつけたのに!」


 父に対する翠珠の声がつい尖る。


(……たしかに、安く売るより、皇宮に無償で提供した方が覚えはよくなるだろうけど……!)


 商人である父が、商売を捨てると思わなかったのは、翠珠の失敗だ。


(あ、でも……)


 心を落ち着けようとしながら、翠珠は茶の支度をする。

 父が貴族に叙せられたというのなら、志縁との縁談を拒む理由はひとつ消えた。もちろん、新興貴族と海家とでは格差があるが、商人の娘というよりは聞こえがいい。


(志縁様は、守ると――そう言ってくれたけれど)


 少なくとも、翠珠を守る手間というのは少なくなる。だとしたら、ここは素直に喜ぶべきではないだろうか。

 父の前にそっと茶の器を差し出す。


「やあ、これは気が利くな――うん、これなら安心だ」


 今日の父の様子がおかしいのは、気のせいじゃないと思う。どうして、今日はこんなにそわそわしているのだろう。


「それで、だな。これから、お前と一緒に皇太后様にお目通りをすることになっているのだ」

「そういうことは先に言って、お父様!」


 父との面会だから、服装だってさほど気を張ったものではない。皇太后との目通りならば、もう少しまともな衣を身に着けておくのだった。


「待って、ちょっと着替えてくる――」

「いや、その必要はない」

「……え?」


 面会室の扉が開かれ、皇太后の近くにいたのを見たことのある侍女達がどやどやと入ってくる。


「ちょ、お父様、これ、どういうこと?」

「……すべて、お任せしておきなさい」

「お任せしておきなさいって言われても!」


 父はするりと立ち上がり、そのまま退室してしまう。

 こちらを見る侍女達の目が険しくて、翠珠は顔をひきつらせた。


「李翠珠、動かないで」

「は、はい……!」


 きつい口調で言われ、翠珠は背筋を正す。衣がはがされ、下着だけにさせられたかと思ったら、絹地の衣を着せ付けられた。


「座って」

「は、はい!」


 またもや命令されてその場に座る。ぎゅうぎゅうと髪が引っ張られ、結い上げられた。差し込まれるのは、肩まで届きそうなほどに長い飾りがゆらゆらと揺れる簪だ。たしか、歩揺と言っただろうか。

 白粉をはたかれ、唇に紅が引かれる。


(……どうなっているのよ)


 化粧された自分の顔が、どうなっているのかわからないのは不安だ。だが、誰も翠珠に鏡を見せてくれるつもりはないらしい。


「立って」

「……はい」


 皇太后の衣を預かってきた翠珠にはわかる。これは、牡丹宮で翠珠が手掛けてきたのと同じくらい上質な衣だ。周囲にいる侍女達は貴族の出であるはずだけれど、彼女達の誰よりもこの衣は手がかかっている。


「李翠珠――皇太后様がお呼びよ。行きなさい」

「……はい」


 皇太后の前に出るのに、こんな衣を改められるとは思わなかった。

 なんだか、嫌な予感がする。

 父が貴族になったというだけで、ここまでされるのだろうか。

 以前から侍女達には見下されていたと思うけれど、ここまでつんつんされたのは初めてだ。

 翠珠が部屋の外に出ると、そこには父と皇太后の侍女である易夫人が待っていた。翠珠の姿を見て、父がほっとしたような顔になる。


(……なんで、そんな顔をするのよ)


 この先、何が待っているのかわからないのが怖い。

 易夫人に案内されるままにしずしずと廊下を歩く。肩にかかる衣が、妙にずっしりとして感じられる。


 皇太后の部屋の前に来たところで、以前習った礼儀作法の通りに膝をついて頭を下げた。


「李元璋、李翠珠よ。よくぞ参った。さて、もう少しこちらに近づくがよい」

「ありがとうございます」


 皇太后の命令なので、すぐ側まで近づく。隣にいる父を横目で見やると、ものすごく緊張しているようだ。一歩一歩、踏み出す父の足が震えている。

 皇太后の側まで近づくと、椅子に座るよううながされた。


「李元璋、この度の申し出、感謝する。無償で提供してもらった米のおかげで、一息つくことができた」

「あ、ありがたきお言葉でございます」

「だが、そなたは大損であろう」

「備蓄分は無償で提供させていただきましたが、すでに太国との取引は、李家で押さえております。速やかに輸入した分で、大きな損にはなりません。ご安心くださいませ」


 最初は上ずっていた父の声も、皇太后と話をしているうちに落ち着いたようだ。いつもの調子を取り戻し、すらすらと言葉を続けている。


「そなたの国を思う気持ちに心を打たれたのでな、私からも、褒美を取らせよう。たいした額ではないが、金五百枚」

「ご、五百枚っ!」


 翠珠の口から、裏返った声が出る。

 五百両だなんて、とんでもない大金だ。普通に米を売るより、高い額ではないだろうか――とここで気づく。


(父さん、そういう計算してたわけ……!)


 父を見誤っていた。そのことを改めて痛感する。

 単なる俗物だと思っていたのに、それ以上だったようだ。

 米を売りに出せば、たしかに儲けにはなる。だが、皇宮に献上したらどうだ。 

 民のために無償で献上すると言えば、皇帝や皇太后に好印象を与えることになる。皇族の信頼を得る方を優先したのだ。


(御用商人になったところで、欲が出た……?)


 今回はたまたま皇太后から五百枚という褒美が出て、黒字になったけれど、たぶん、それよりは皇族の信頼を得る方を優先したのだ。

(……お父様に対する認識を改めた方がいいのかも)


 皇太后の信頼を得れば、長い目で見ればそちらの方が得策だ。翠珠によって、宮中にできた伝手を大いに活用したということか。


「麦の不作を予見したそなたの提案だというのでな、そなたにも褒美を取らせようと思う」

「いえ、父が貴族の位を賜っただけで十分でございます」


 慌てて首を横に振る。


「そなたは欲がないのう……」


 感心したような目で、皇太后は翠珠を見る。


「――そこで、だ。そなたには薔薇宮に入ってもらうことにした」

「……え?」

「これ、翠珠。皇太后様の前で無礼だぞ」

「で、ですが、宮を賜るというのは――」


 今いる牡丹宮の他、後宮には蓮花宮、桃花宮、菊花宮、芙蓉宮、芍薬宮、梅花宮、桔梗宮、薔薇宮と合計九つの宮がある。

 そこに住まうことを許されるのは、皇帝の妃、もしくはかつて皇帝の妃だった者だけ。つまり、翠珠を妃にしようというのか。


「こ、困ります――! わ、私には」

「翠珠、控えなさい!」

「ですが! 海志縁様からの求婚を受けて!」


 反対しようとする翠珠を父がたしなめるが、海志縁の名を聞いた皇太后は笑い声を上げた。


「――よい。話はついているのだから。あとで、海志縁から事情を説明してもらえばよいだろう」


 皇太后にここまで言われてしまっては、翠珠が反論できるはずもない。そのまま、薔薇宮へと送られることになってしまった。


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