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志縁の悩み

 休憩時間の楽しみといえば、お菓子を囲んでのおしゃべりか、庭園を散歩するくらいだ。だが、最近翠珠は、一人庭園に出ることが増えた。というのも、父は米を買い集めると言ってくれたものの、どうなったかを知る術はないからだ。


(もし、予想が外れたら、次はどうしよう……)


 最悪の場合を想定し、物理的に逃げ出すための場所をずっと探し続けている。だが、ここは皇帝が生活する場所だ。厳重に警戒されていて、許可を得ずに出入りはできない。

 父は、皇太后の許可を得て、門を通過するための札もいただいているから、荷物の検査を受ければ入ってこられるが、翠珠が外に出るのは難しい。


(お父様は、高貴な身分の方に見初められるのをまだ諦めていないみたいだし……)


 頭の中ではぐるぐるとさまざまな考えが回っているけれど、皆の前でそれを見せるわけにもいかない。

 だから、自然と歩きながら考えることになる。春永には最近付き合いが悪いと言われてしまったから、今度父にお菓子を持ってきてもらわねば。

 先日春永と話しをした池の側をふらふらとしていたら、志縁が立っていた。池をのぞきこんで、何か考えているようだ。


「……あら、海様。こんにちは」

「ああ、君か。元気にしているか」

「おかげさまで。海様は元気なさそうですね。それなら、これをあげます」


 懐から取り出したのは、飴の入った器だ。

 父に頼んで持ってきてもらった菓子は大半が仲間の胃袋に消えたけれど、飴だけはまだ手元に残っていたのだ。


「これをあげますってなんだ」


 笑いながらも、志縁は翠珠の手から飴を取り上げる。翠珠も一個取り上げ、彼が口に入れる前に口内に放り込んだ。

 甘みが、口いっぱいに広がるのは、幸せな気分だ。思わず笑みがこぼれる。


「うん、うまい」


 前、一緒に出掛けた時に、彼は甘いものが好きなのではないかと思っていたが、その予想は当たっていたようだ。

 飴を口の中で転がしている志縁は、表情を少し柔らかくした。


(……なにか、居心地が悪いな)


 志縁と話す機会が増えるにつれて、もぞもぞと落ち着かない気分になることが多いような気がするのだ。


「海様はどうしたんですか?」

「ちょっとした悩み事だ」

「ちょっとした悩み事って? 私でよければ聞きましょうか」

「――んー、君に話して、解決するかどうか」

「意外と失礼ですよね、海様は!」


 ぷんとして、翠珠は両手を腰に当てる。


「私じゃ頼りにならないというのなら、それはそれでいいんです。でも、海様、ここで一人考え込んでいたってことは悩みを相談できる人がいないんでしょう」

「悩みを、相談、か……」

「わかりますよ、友達がいないんですよね!」

「なっ」


 友達がいないという翠珠の言葉に、彼は毒気を奪われたようだ。目を見開き、まじまじと翠珠恩顔を見ている。


「違う、友人がいないわけじゃ――」

「でも、海様が他の武官の方と一緒にいるのは見たことがないですよ。馬医師とお話をしているのを一度見たきりです」


 その言葉に、志縁は黙ってしまった。

 他の武官達は、他の誰かと連れ立って歩いているところを見るのだが、いつも志縁は一人だ。


「だから、私に話したらいいんですよ。そりゃ、私も海様の友人とはいえないと思いますけど――」


 翠珠と志縁では、性別も家柄も違う。薬草を入手するという目的がなかったら、知り合うことさえなかった関係だ。


「でも、私は秘密は守りますよ。だって、海様だって秘密を守ってくれてるでしょう。私が後宮から出たいと思っていることを、誰にも話していませんよね」


 後宮から出たいという翠珠の願いがかなえられなかったのは、彼の発言がきっかけではあるけれど、彼には悪気がなかったのだからしかたない。

 もし、翠珠がそう思っていることを易夫人に知られたら、呼び出されてお説教されていたところだ。


「……そうだな。実は、縁談がきているんだ」

「あら。おめでとうございます」


 縁談という言葉に、なんだか胸がずしんとした。だが、それには気づいていないことにして、翠珠は微笑む。

 今まで、縁談の一つもなかった方が、不自然といえば不自然なのかもしれない。皇太后の護衛として、皇宮内に入る許可を得ている人間だ。

 貴族としても身分が高いことは推測できるし、悪い噂はきかない。

 貴族達はいくつかの派閥に分かれている中、どこの派閥に属しているのかはよくわからないけれど、将来有望株なのは、仲間達の噂話からも確実だ。


「おめでとうございます、か。本当にそう思うか?」

「だって、海様の年齢で、そういう話がないのって不自然じゃないです?」


 十代後半ともなれば、縁談の一つや二つあって当然だ。

 翠珠だって、後宮にいる限りはそんな話が出るはずもないが、出て実家に戻ればいくつも縁談が持ち込まれるはずだ。煙たがられている反面、李家とつながりを持ちたいと思っている者の数は多い。


「……それはそうなんだがな、気乗りしない」

「気乗りしない理由は? 家と家のつながりだから?」

「それもある。あともう一つは、その家と結びつくことが必ずしも俺にとっていい状況ではないというか」


 志縁は貴族だから、縁談を結ぶのも翠珠以上に考えなければならないということか。


「難しいですねぇ……気持ちの問題なら、『あなたを好きになれそうもないので』って言うしかないんでしょうけれど」

「それもまた率直すぎる意見だな」


 翠珠の発言に、少しだけ気持ちを持ち直したように志縁が笑う。ふとその笑みに見とれかけて、翠珠は目をそらした。


(……なんでもないんだったら)


 自分の胸が、早鐘を打っているのもわかっている。

 世間では、この気持ちにどう名前をつけるのかも理解している。

 けれど、一度目の生でも二度目の生でも――こういった感情に正面から向き合ったことなどなかったから、どう対応したらいいものかわからなくなる。


「でなかったら、相手が断るしかない状況にもっていくか、ですよね。よく父がやるんですけど」


 一代で今の地位を築いた父だ。時には、汚い手を使うこともある。父本人から聞いたことはないけれど、使用人達がひそひそとやっているのを聞いたことはあった。


「どんな手を?」

「一番よくやるのが、相手の弱みを掴むことですよね。それで、やんわりと脅す」

「やんわり」

「でなかったら、相手に他の条件を提示する。志縁様の場合でしたら、他の結婚相手を紹介するとか――縁談という手段を使ってでも結びたい縁があるのなら、縁談という形によらずそれを提供するとか。お相手の女性に兄か弟がいるのなら、義兄弟の杯を交わすというのもありですよね」

「なるほど」                                 

 たぶん、父がやる時には脅す方が多いのだろうな、という気もするけれど、それを志縁の前でわざわざ口にすることもない。


(……もう行かなくちゃ)



「では、私はこれで失礼します」


 頭を下げた翠珠が行こうとするのを、志縁は腕を掴んで引き留めた。

 腕を掴まれてしまったら、どうしようもない。立ち止まった翠珠は首を傾げた。


「どうかしました?」

「あ、いや――すまない」


 若干頬を赤くした志縁が、腕を放してくれる。きゅっと目の前で腕を縮めるようにしたら、彼はますます困惑したような顔になった。


(……やだな、こういうの落ち着かないな……)


 心臓がドキドキしているのは、気のせいだろうか。いや、気のせいじゃない――けれど。

 心の奥からは、きちんと警告してくる声も聞こえる。「身分が違うということをわきまえなさい」と。

 しょせん、成金商人の娘なのだ。

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