ようじょと初めてのワイン会 in フレンチレストラン!【前編】
「さ、佐藤さん来られないのですか!? なんでですか!?」
寧子は大学の正門前というのも忘れて、スマホへ叫んだ。
道行く人々が何事かと視線を寄せた。
男はクロエが”シャー!”と威嚇し、沙都子は顔を真っ赤に染めてぺこぺこと頭を下げている。
しかし当の寧子の関心はもっぱらスマホの向こうにいる佐藤にしかない。
『わ、悪い! 急に教授に呼び出されてさ……』
「いや、だって、約束はこっちが先でしたですよね!?」
『そ、そりゃわかってるけど……ほ、ほら! 前にスパークリングワインの製造現場見せたじゃん? 今日は抜栓をするから、そんな機会滅多にないっていうか……しかもアメリカから有名な醸造の先生が来て、講演をしてくれて、貴重な機会だろって教授に言われたっていうか……』
瓶内二次発酵を経て、ボトルにたまった滓を一気に抜く抜栓という作業。確かに興味は注がれるし、醸造学科に所属している佐藤にとっては貴重な体験だとは思う。しかもアメリカから有名な先生が来て、講演をするらしい。
寧子も一生懸命ワイン会を企画したが、ただの飲みと学術的に貴重な体験を天秤はかけるまでもない。
「はぁ……もうわかったです。ごめんです、大きな声出して」
『ほんとごめん! 料理代は明日必ず払いに行くから! 次ワイン会があったら絶対に参加するから!』
「次こそはお願いしますですね」
『おう! 勿論! じゃ、また!』
佐藤は慌てた様子で通話を終える。
「佐藤君、来られないの……?」
「そうみたいなのです。デゴルジュマンの見学と、アメリカの有名な先生の講演があるらしいのです」
「そっか……仕方ないね……」
沙都子の凄く残念そうな気持ちが声からもありありと伝わってきた。
「ドタキャン、佐藤陽太くん、最低ネ! ぶーぶー!」
クロエも御不満な様子で唇を尖らせる。
(全く……せっかく沙都子ちゃんのために呼ぼうと思ったですのに……佐藤さんは空気が読めない、ラノベ主人公なのです)
ドタキャンされたことよりも、そっちの方が残念な寧子さん。
寧子達は18時に現地集合ということで一旦、大学前で分かれたのだった。
●●●
幾ら”ビストロ グリ モワル”の店員さんたちが温かくて親しみやすくても、立派なフレンチレストランということに変わりはない。
そういう思いで寧子は、子供服売り場で必死になって厳選した、赤ワインのような色をしたワンピースを身に着ける。
こっくりとした赤の色は沙都子曰く――”ボルドー”というらしい。
普段はアクセサリーは邪魔で付けない主義だが、さすがに今日はと、銀色に輝くイルカの形をしたイヤリングも付けている。
たまたま駅前のショッピングモールで一目惚れをして買ったものの、付ける機会を忘れて引き出しの奥で眠らせていたものだった。
以前付けた時は、いつもラフな格好を好む寧子には似合わなかったが、今日はお洒落なワンピースなので何となくアクセントになっているようにみえる。
「こ、こんなのでいいですかね……?」
ようじょな自分とはアンバランスな、それこそ誰かの結婚式に招待された子供のような。
だけどこれが寧子の精一杯だし、これ以上のクオリティーを求めようにも、幼児体形な寧子にぴったりな衣装なんてそうそう見つかる筈もない。
きっと優しいグリ モワルの皆さんだったら、これぐらいで許してくれるはず。精一杯な寧子の頑張りを認めてくれるはず。
「い、良くですっ!」
寧子は大衆衣料品店のワゴンセールにて、1000円で購入した大人っぽい黒のポーチへ財布やスマホを詰め込んだ。
やや黄色味がかった白のカーディガンを肩からかけてアパートを出れば、年が明けて間もない一月の冷たい空気が骨身に染みる。
しかし寧子の母親曰く――季節がどうであろうと、お洒落を優先すべし! といっていたと思い出す。
寧子は親戚の結婚式以来全く履いていなかったハイヒールに足元を翻弄され、寒さにがたがた震えつつ、いつもより倍に遅いペースで坂を下りグリ モワルのある飲食店街を目指してゆく。
週末一日前の木曜日。
それなりに人通りはあるもの、まるでヨーロッパの街並みのような飲食店街は穏やかな空気であった。
既にビストロ グリ モワルの前で待っていたクロエと沙都子は簡単に見つけられたのだった。
「お、お待たせしたのです!」
「WOW! フルアーマーネコちゃんネ! これはヤバいネ……なんかムズムズするネぇ~!」
クロエはいつもフワフワした女の子らしい格好しているので特に気にはならなかったが、
「寧子ちゃん、素敵なワンピースだね。耳のイヤリングも凄く似合っているよ」
そういう沙都子は大学を出た時と全く同じ、いつものタートルネックセーターとロングスカートだった。
上から灰色のダッフルコートを羽織っていて、どこからどうみても、いつものままだった。
「あ、あの、沙都子ちゃん、その……いつも通りですね?」
「え? あ、うん。そうだけど……?」
沙都子は不思議そうに首を傾げた。
寧子よりも遥かに大人っぽくて、しかもワインとかそういうことに詳しそうな沙都子が普通。
これはどういうことかと思いつつ、グリ モワルの温かみのある木の扉を押し開けた。
「「いらっしゃいませ」」
笑顔だがスマートに迎えてくれたのは、多分双子で綺麗な姉妹のウェイターさん。
「よ、予約している石黒です!」
「四名で承っていますが、三名様でしたか?」
黒髪の方――智さんはすかさず聞いて来た。
「すみませんです。一人キャンセルになってしまったのです。お金はきちんと人数分お支払いしますですから、三名でお願いしますです」
「かしこまりました。ではお料理は如何いたしましょう?」
「あー、えっーと……」
佐藤の分は三人で大皿料理みたいにシェアするか? それともその分、一皿をボリュームアップしてもらうか?
そもそもそんなお願いを聞いてもらえるのか?
そんなことを考えている寧子の後ろで扉が開き、冷たい空気が肩を撫でる。
栗色の髪をしたもう一人のウェイターさんが「いらっしゃいませ!」と元気に声を上げる。
「予約は無いが二名でお願い……おや?」
聞き覚えのある凛とした声が響き、振り返ると、そこには、
「あ! 寧子ちゃん達だ! あけおめ~」
「羊子さん! 梶原さんも! お久しぶりなのです!!」
フランクに挨拶をしてくれたのはこの界隈で手広くお酒の販売や飲食業を営んでいる株式視会社OSIROのとっても若い社長さんの”御城 羊子さん”。そしてその隣にいたのは、同社の営業本部長兼店舗統括マネージャーの”梶原芽衣さんだった。
二人とも仕事終わりなのか、スーツの上からトレンチコートを羽織っていて、凄く大人っぽくて格好いい。
「どうしたのそんな気合の入った格好して? もしかして合コン?」
「社長、いきなりそんな失礼なことを聞くものではありません。少しは考えてからものを言いなさい」
「ご、ごめん……」
「突然不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございませんでした、石黒さん」
「あ、いえ! 気にしてませんですから!」
どっちが社長なのか分からない。前に会った時も、寧子はそう思っていたのだった。
ふと、この状況に至って、まるで漫画のように寧子頭上に”ピコーン”と電球が灯りをともしたような気がした。
「お二人ともこれから晩御飯ですか?」
「はい」
「実はこれからワイン会をするんですけど、一人キャンセルがでちゃいまして……」
「なるほど。ご一緒はいかがかと?」
さすが仕事ができそうな梶原さんは察しが良かった。
「へぇ! 寧子ちゃんのワイン会か! 是非参加させてよ!」
羊子さんは脊椎反射のように了承してくれた。
「私も同席したいのですがお料理が足りませんね」
「あ、そういえば……」
勢いで提案したもののその問題をすっかり忘れていた寧子さん。
どうしようと考えていると、
「キャンセル分のお食事は社長が召し上がってください。私はアラカルトで構いません」
「一名追加大丈夫ですよー! お料理問題ありませーん!」
と、声を上げてきたのは栗色をした髪のウェイターさんだった。
「そうですか。急なことを申し上げた上に、対応して頂いて誠にありがとうございます。影山さんと佐々木さんには感謝をお伝えください。望さんも素早く対応してくださり感謝いたします」
梶原さんは丁寧に90度のお辞儀をして、栗毛のウェイターさん――望さんはにこにこ笑顔で「どうしたしまして!」と元気に答える。
さすが良いレストランは対応も素晴らしい。
ここは本当に素敵なところだと寧子は改めて思う。
「ご案内いたします」
智さんに先導されて寧子達はホールへ促されるが、
「少しお待ちを!」
梶原さんは凛とした声を上げて半歩下がった。
「ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません。こちらは弊社――株式会社OSIRO代表取締役社長の御城洋子でございます」
「やほー! よろしくー。君は初めてだよね?」
洋子さんはクロエに握手を求めた。
「WOW! しゃっちょさんネー! 権力者ネー! ワタシはネコちゃんのアモーレ、田崎 クロエネ! よろしくネ!」
クロエもにっこり笑顔を浮かべて握手に応じた。
「へぇ、寧子ちゃんにこんなに素敵なアモーレがいただなんて知らなかった!」
「OH! ヨーさんもそう思うネ? ありがとネ!」
「ちょ、ちょっとクロエ変なこと言わないです! アモーレじゃなくて、フレンドです! 朋友です!」
必死に抗弁する寧子を見て、洋子はクスクスと笑っていた。
そうして洋子さんが握手を止めると、すかさず名刺を両手でしっかりと持った梶原さんがクロエの前に立つ。
「ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません。私、株式会社OSIROにて営業と店舗運営を担当しております梶原芽衣と申します。どうぞよろしくお願いいたします!」
「クロエネ! 苦しゅうないネ! おまんじゅうの下に入ったゴールドを持ってくるネ!」
「クロエ! 何、バカなこと言ってるですか!!」
「はは! なかなか面白いことを仰る。田崎さんのジョーク、見習わせていただきます」
優しい梶原さんはさらっとクロエのジョークを受け流す。
そうして今度は沙都子の前に立った。
「ご挨拶が遅れて大変申し訳ございませんでした。私――(長いので以下略)」
「ど、どうも初めまして! も、森、沙都子です! 寧子ちゃんの友達です!」
沙都子は顔を真っ赤に染めてペコリとお辞儀する。
大人っぽく見える沙都子も、本当に大人な梶原さんの前では少し子供っぽくみえたのだった。
「そうですか、貴方が噂の森さんでしたか! 社長とラフィさんからかねがね伺っております。大変勉強熱心で、今年ワインエキスパート試験を受けられるのですよね?」
「は、はい! まだまだ若輩者で勉強中ですけど! が、頑張ります!」
「頑張ってください。二次試験の際は弊社従業員向けの対策セミナーへの参加をご案内いたしますので、是非ご参加ください」
「本当ですか!? 是非!!」
「じゃ、自己紹介はこんなところで……主催者さん、お食事とワインを楽しみに参りましょうか?」
洋子さんが綺麗に挨拶大会を締めくくってくれたのだった。
「はいです! みなさん、行きましょうなのです!」
「ご案内いたします」
ホールに続くガラス戸をウェイターの智さんが開く。
いよいよ寧子にとって人生初のワイン会が始まる!




