夜のハンバーガーチェーン店で
なにか視線を感じた。
そろそろ店員がおれを怪しみ始めたのだろうか?
いや、後ろの席の妊婦がこどもをつれている。子供連れの女は鋭いカンが働く。妊婦は特にだ。
おれはある1件から妊婦に関わるのをやめている。
とにかくおれの何かしらのカンが働いた。
おれはカバンから手帳を取り出した。おれが不意に動きだしたので、妊婦は身体をこわばらせた。そんな妊婦をみて、こどもがぐずりはじめる。
おれは胸ポケットからボールペンを取り出した。こういう小細工が人を信用させる。人の意識に働きかける小細工。
例えば、おれのネクタイの結び目の綺麗な三角形を見ろ。スーツもDCブランドのものだ。コートもシンプルな形だが、スーツの上から美しいシルエットを作っているのに気づくだろうか?
人々は気づかない。ただ無意識に刻み込まれる。人は美しいものと同化したがる。そして人は無意識で判断する。この男は大丈夫そうだと。
だが、流石に寂れた商店街にひっそり残ったハンバーガーチェーン店の窓際の席で、通りを長時間眺めている人間は、何かしらの印象を人に与える。
妊婦は判断に迷いがない。そしておれのことに関していえば、妊婦の判断はいつも正しい。
そこでおれは小細工をする。なにげなくカバンから使い慣れた手帳をだし、慣れた手つきで胸ポケットからボールペンを取り出す。モタモタしていてはだめだ。おれはいかにも重要なアイデアを書き留めるフリをして、手帳にペンを走らせる。
妊婦はそんなおれを見て、あら自分の判断は間違えだったのかしら、と思う。
小細工という意識の力が、無意識の直感をねじ伏せたんだ。
妊婦の関心はこどもに移り、食事に移り、それが終わると席をたち店をでた。そして、おれのことは二度と思い出さないだろう。おれもそう願ってるし、そうなるように事を進めなくてはいけない。
12月の冷えた夜は、人々を追い立てるように小さな雨を降らしはじめた。
パジャマに上着を羽織った老人が通りをゆっくりと歩いていた。
おれは老人は狙わない。老人は好きなのか?と誰かが尋ねるなら、おれはもちろん嫌いだ、と答える。
醜くて傲慢な小さい人間を好きなやつがいるのかと。
じゃあ、なぜ老人を狙わないんだ?と誰かがしつこく聞く。
それはたぶん、おれは憎しみから動いてるわけではないからだろう。
おれは人間が憎いわけではない。プロは仕事に私情をはさまないし、そもそも楽しむためにやってるわけじゃない。いや、おれはこの仕事に楽しみを感じているし、強迫観念もあることも認めよう。だがそれが目的じゃないんだ。
例えばこういう言い方をしよう。神から与えられた仕事を、喜んでこなすのがいい人間だと。
わかっていただけただろうか?
新鮮な血はエクトプラズムを発する。特に若い女の血、こどもの血。
それは霧のように純粋で、虹のように計算高く、空気中に現れる。
おれはポケットナイフを使う。刃の長さは法に触れないものだ。道具にこだわりはないが、洗いやすく、使いやすいものは限られる。
そういえば、おれはずっと外国製のポンチョ型のカッパを使っている。返り血でスーツを汚さないためだ。
いつも綺麗に洗うのだが、街で雨の日にそれを着ていると、中年女がおれの腕を掴み、そのカッパ呪われてるわよ、と言った。
幽霊や霊魂を信じるか、と聞かれたら、おれは信じると答えるだろう。
おれの近くにはよく変わった人間が寄ってくる。
この前知り合ったタクシーの運転手は、ベルトのバックルを見せてきて、人骨でできてるんだ、と言っていた。それは象牙のようだったが、それよりも荒い色をしていた。こういうのは、洗練された伝統技術で、ひとつ何千マンもするんだぜ。そんなに儲かるなら、タクシーなんてやらなくてもいいじゃないか?俺が言うと、材料も高く売れるからな、と言ってタクシーの運転手は笑っていた。
おれは水滴のついたウインドウを見ながら、トボトボと歩く若い女の後ろ姿を夢想する。
この女こそが、おれを新しい高みに連れて行ってくれるのだろうか?
それとも印籠をおれに突きつけるのだろうか?
おれの脳みそは、歯ぎしりして血の混じったよだれを垂らす。
心臓は行進のコードを叩き続け、おれは女と一緒に夜の闇の中に吸い込まれてゆくだろう。
店内に控えめな蛍の光が流れ始めた。
どうやら今日のおれの仕事はここまでのようだ。言うまでもなく、ほっとして疲れていた。
若い男の従業員は人の良さそうな顔で、その日最後の接客をしてくれた。
いい人間そうにみえたが、おれに一体他の人間のなにがわかるのだろうか。