一角獣編エピローグ グレイス編 『朝から密着』
「グレイスさん、申し訳ないですが、俺は好きな人とじゃないとそういうことはできません」
「コーイチ様には他に好きな人がいるのですか?」
「そういう人はいませんけど」
「では、どのように処理しているんです?」
「処理……?」
「はい、殿方は定期的にお下の方を処理しなければならないでしょう? その相手はいないのですか?」
「なッ……!?」
あまりの衝撃発言に、『何言ってんですか』の一言すら詰まってしまった。
「弟にはそういう女性が三人ほどいるみたいですが、コーイチ様は好きな女性としかことに及ばないとなると、どのようにしてるのかと思いまして」
「そ、そんなこと……!」
言えるわけがない。
つーか弟には三人、そういう女性がいるだって? なんて、ふてぇ野郎なんだ! いや、でもそれってこっちの世界じゃ普通のことなのか? だとしたら、おかしいのは俺か?
いかん、常識のギャップに目眩がしてくる。こっちにきて数ヶ月が経つが、まだまだ驚かされることばかりだ。
「もしそのような相手がおられないなら、私にお手伝いさせていただけませんか?」
グレイスが、ずいと身体を寄せてくる。いい香りがした。銀色の目が濡れ、哀願するように見つめてくる。とても艶めかしい。
俺は思わず生ツバを飲んだ。そんな目で見つめられると、欲望が高まってくる。
正直言って、俺だってグレイスとしてみたい! あの大きい胸に触れてみたい! 顔を埋めてみたい! 俺だって男だ! あんな巨乳美人を目の前にして性的に興奮しないわけがない!
が、ここはグッと堪える。やっちゃだめだ。欲望のままにやってしまったら、いずれグレイスを傷つけることになる。だから、ここはグッと我慢するのだ。それが真の男ってやつだ。多分。
「だ、駄目です! そんなのはよくないです! 処理の方は一人でできますから! 何の問題もないですから!」
「わかりました」
グレイスは怒ったような、それでいて悲しむような顔をして言った。
やれやれ、ようやく納得してもらったか、と思った次の瞬間、
「でも、これはいいんですよね?」
グレイスの両腕が伸び、俺の首に巻き付いた。そのまま俺に抱きついてきた。
「ちょ、グレイスさん……!?」
グレイスの身体が俺の身体にピタリと貼り付き、モゾモゾ動き、気が付くと、グレイスは俺の膝の上におさまっていた。瞬く間もないほどの一瞬できごとだった。
グレイスの両腕は相変わらず俺を強くホールドする。豊満な胸が俺の顔面を包み込む。少し息苦しいが、甘い体臭と柔らかな感触のせいであまり気にならない。頭の中で、かつて全裸のグレイスに迫られた記憶がフラッシュバックした。あのときの透き通るような白い全身がありありと脳裏に浮かぶ。
正直言っちゃえば、とっても嬉しいし、超幸せ。
だってこんなに柔らかいんだよ? こんなにいい匂いなんだよ? 嫌なわけないじゃないか。心地良すぎる。まるで天国にいるみたいだ。いや、まさしくここは桃源郷。女体という名の神秘の花園。男の浪漫満ちるエル・ドラド。ああ、こんなに気持ちがいいのなら、もう死んじゃっても……、
っていかんいかん。しっかりしろ多加賀幸一! おんなボケしてる場合じゃないぞ! 好きな女ならともかく、その場の流れで手を出すなんて最低だぞ! 今はそれでよくてもいつか相手を傷つけることになるんだぞ! 自制しろ!
俺はわずかに残った理性を総動員し、自らの堕ちかけた意識に言い聞かせた。
その甲斐あって、なんとか持ちこたえることができた。
「ぐ、グレイスさん、そんなことされても困ります」
「嘘ばっかり」
「いやいや、嘘じゃないですよ」
「じゃあその手はなんです?」
「その手……? あっ!!!」
言われて気がついた。俺の両手はグレイスの柔らかなお尻に、指が食い込むほどガッチリと掴んでいた。
「うわああぁぁぁッッ!?」
俺は自分のやってしまっていたことに、今までの人生で一番驚き、驚きのあまり飛び上がってしまった。
おかげで俺とグレイスは分離することができ、グレイスは地面に投げ出されてしまった。
「す、すみませんッ!!!」
すぐさま俺はジャンピング土下座した。
「ジュリエッタさんはよくて、どうして私はダメなんですか?」
ちょっと顔をあげると、グレイスは悲しげに俯いていた。
「いえいえ、グレイスさんがダメだなんて滅相もない! というかジュリエッタともそんなことしてませんから!」
「でも抱き合ってたじゃないですか」
「抱き合ったというより、ジュリエッタがもたれかかってきただけで変なことはしてませんから!」
「じゃあ、さっきのことぐらいで困らないで下さい!」
「いやいや、それは困りますよ!」
「何故ですか? 私のしたこととジュリエッタさんのしたこと、それほど違いがあるとも思えませんが?」
「いえ、大違いです! ジュリエッタのときより、グレイスさんの方が……、その、なんて言うか……、いやらしい気持ちになった……、と申しますか……」
喋りながら、自分がすっごく恥ずかしいことを言ってることに気づき、後は切れ切れに話すのがやっとだった。
「そう、そうでしたか……」
グレイスは微笑んだ。いつもより口角が上がっている。
「それならいいのです。今日のところはそれで満足します。あまりしつこく迫ってコーイチ様を困らせるのも本意ではありませんし、何より嫌われたくありませんから」
なにかよくわからないが、どうやら満足してくれたらしい。
グレイスは俺の手を取った。
「コーイチ様、お慕いしております。今は愛してくれとは言いません。ただあなた様を想う私という一人の女がいることを心の片隅に留めておいて下さい。それだけで充分です」
言い終わるとグレイスは俺の手に頬ずりした。彼女の頬は暖かく、スベスベしていた。
愛してくれるのはありがたいが、少々重い気がしないでもない。俺が恋愛に疎いから、そう感じるだけなんだろうか?
そもそも、なんでこんなに俺のことが好きなんだろう? 正直よくわからない。
客観的に見て、自分が特別いい男だとは思わない。少なくともジュリエッタ、グレイス、ケイの美女三人から言い寄られるレベルじゃないと思う。
だから、俺は思い切って聞いてみた。
「なんで、そんなに俺のことを好きでいてくれるんですか?」
グレイスは即答した。
「人が人を好きになるのに、理由がいるのですか?」
頭じゃ理解できないが、心でならなんとなく理解できそうな気がする、そんな言葉だった。
………………………
……………
……
昼が近い、ということなので、とりあえず邸に戻ることになった。
帰り道、あんなに密着した後なので、俺はなんとも恥ずかしくて、グレイスに話しかけ辛く、顔もまともに見れなかった。
なのにグレイスの方は平然としている。さっきはあれだけ大胆だったのに、今では以前と同じように深窓の令嬢だ。抱きつき、胸を押し付けてきたことがまるで白昼夢だったかのような変わりようだ。
女性ってこういうもんなんだろうか……?
帰り道、話しかけるグレイスの言葉を聞きながら俺は、答えの出ない自問を何度も何度も繰り返していた。




