一角獣編エピローグ グレイス編 『朝から勘違い』
翌日、久々に我が家へと帰る……つもりだったのだが、なんと俺は風邪をひいてしまった。なんたる不覚。
昨夜、ジュリエッタと夜空の下で語り合った後、俺は愚かにもその場で眠り込んでしまったのだ。
目覚めたときには、関節も筋肉も、全身がガチガチに冷え固まってしまっていて、頭はガンガン、鼻はズルズル、喉はイガイガ、咳がゲホゲホ、とまぁ最低最悪の状態だったわけだ。
そんな状態をグレイスに見咎められ、俺は急遽滞在を延ばすことになった。
滞在延長初日は昏々と眠っていたが、その甲斐あったのか、二日目からはもうほとんどしんどくはなかった。
が、まだ熱があるということなので、熱が下がるまではケーディック邸に厄介になることになった。
滞在延長三日目の朝、目が覚めると、椅子に座り、机に突っ伏して眠っているケイがいた。
俺が風邪をひいてからというもの、俺はずっとケイにかしずかれてきた。その疲れが出たのだろう。
俺のためにケイの健康が損なわれちゃよくない。それは申し訳ない。もう俺は一人で平気だから、ケイには充分休んでもらいたい。
そういうわけで、俺はベッドから出てケイを起こそうとした。
「ケイ、起きて」
俺はそっとケイの肩をゆすり、囁いた。
だが、起きない。寝息は深く、よく見ると目の周りにはくまが濃い。
一見して、俺より病人に見える。俺の風邪が伝染ってしまったか? だとしたら最悪だ。
俺はケイの額にそっと手を触れた。熱くはない。どうやら熱はないらしい。ホッと一安心。
風邪でないとしても、看病疲れは目に見えている。休ませなければいけない。それも椅子じゃなくてちゃんとしたベッドで。
俺はケイを抱きかかえた。抱きかかえられても、彼女は起きなかった。よっぽど疲れているらしい。
あどけない寝顔だ。まるで子供のような……、いや、実際に子供に違いない。身体は小さいし、軽いし、間違いなく俺より年下だろう。
そんなあどけない少女の顔にできたくまは痛々しく、またそんなあどけない少女に昼夜の看病をさせたかと思うと、胸が痛く、情けない気持ちでいっぱいになった。
とりあえず、ケイを俺のベッドに寝かせた。
気持ちよさそうに眠っている。かわいい寝顔だ。だが、見れば見るほど、こんな小さな少女に看病させた罪悪感が募ってくる。
「看病してくれてありがとう。そして、ごめんな」
俺は眠ったままのケイに謝った。
ケイの看病のおかげで、俺の体調は完調とはいかないまでも、日常生活に支障はないほど回復していた。
俺はケイを起こさないようにそっと部屋を出た。トイレに向かい、トイレを済ませた後は顔を洗い、そのあと台所で水をもらった。
朝のルーティンを済ませ、部屋を戻る途中、廊下でグレイスとばったり出会った。
「おはようございます、コーイチ様」
「おはようございます、グレイスさん」
グレイスはアサガオのような薄紫色のフレアワンピースを着ていた。袖にワンポイントで金糸の刺繍がしてある。刺繍はあくまで目立たずさりげない。シンプルゆえに、グレイスの気品を際立たせている。
グレイスは両手でお盆を持ち、その上にはコップとたっぷり水の入った水差し、そして薬包が一つあった。それらは俺のために持ってきてくれたのだろう。
「おかげんはいかがですか?」
「まだ少し身体がダルいですけど、もう熱もないみたいなんで大丈夫です」
「そうですか? お顔色がいま少しよろしくないように見えますが」
「えっ、そう見えます?」
「はい。ですから、部屋に戻ってお休みになったほうがよろしいでしょう」
「ですけど、あんまり長くお邪魔しちゃったら――」
「いえいえ、そのようなことお気になさらないでください。コーイチ様はケーディック家の恩人なのですから」
グレイスは淑やかに微笑んだ。
「はぁ……、じゃあお言葉に甘えて」
というわけで、俺とグレイスは俺の部屋へと向かった。
部屋に入ると、俺のベッドでケイが健やかな寝息を立てて眠っていた。
俺は一瞬、ちょっとだけ驚いた。というのも、俺はすっかりそのことを忘れてしまっていたからだ。
「ああ、そうだった――」
俺はグレイスに事情を説明しようと、背後の彼女に振り返った。
そこには、やや色あせ、表情を失ったグレイスがいた。
両手がかすかに震え、水差しの中身が波打っている。
それを見て、俺はすぐに悟った。
アカン、これ、ものすごく勘違いされている! と。
男の部屋に入ったら、ベッドに女が寝ていた。これで男女のあれこれを想像しない人間がいるだろうか?
だが、それは事実じゃない。誤解だ。誤解はすぐに正さなければならない。
「いや、グレイスさん、これは違うんですよ! どうも彼女、看病疲れが出ちゃったみたいで、机に突っ伏して居眠りしちゃってたから、こりゃ良くないなぁって思ってこっちに寝かせたんですよ!」
「そ、そうですよねっ……、私ったら……」
グレイスの顔がみるみる紅潮してゆく。
「ははははは……、紛らわしくってすみません……」
「いえ、何もコーイチ様が謝ることじゃありませんから」
「ははは、確かに……。それはそうと、グレイスさん」
「はい?」
「一応、ケイを医者に診せてあげてもらえませんか? こっちに移す時に抱えても、全く起きる素振りをみせなかったから、ちょっと不安で」
「多分心配いりませんわ。ケイは一度眠ったらなかなか起きないんです。けど、一応は診てもらいましょう」
言って、グレイスは手に持ったお盆を机に置き、部屋を出ていった。
数分後に、グレイスは医者とともに戻ってきた。
随分早い医者の到着に驚いたが、グレイスに聞くと、風邪をひいた俺のためにケーディック邸に寝泊まりしてくれているのだそうだ。俺はそのことも合わせて、これまでの礼を言った。
「コーイチ様はケーディック家の恩人ですから」
グレイスは微笑んで言った。
あまり恩人と何度も言われるのも照れくさい。まぁ、悪い気もしないんだけど。
医者の診立てによると、特に異常はないということだった。俺たちは一安心した。
医者が部屋から出ていくと、俺はグレイスが持ってきてくれた水と薬を飲んだ。その後、ケイをゆっくり休ませるために、グレイスと二人で部屋をでた。
「コーイチ様、朝食のあと、少し時間をつくってもらえませんか?」
「ええ、かまいませんよ」
「ありがとうございます。それではまた朝食後に」
俺たちは一旦別れて、とりあえず俺は朝食を取り、歯を磨き、朝の快便を済ませた後にグレイスの部屋を訪れた。