一角獣編エピローグ ジュリエッタパート 『夜の邂逅』
真夜中、尿意に目が覚めた。
部屋の風景が自室じゃないことにほんの一瞬だけ驚いた。俺は寝ぼけてしまっていた。
そうだ、ここはケーディック邸だった。昼に双角獣に角を返して、意識を失った後、ここに運び込まれてそのままエランと一緒に眠ったんだった。
隣にはエランが健やかな寝息をたててぐっすりと眠っている。
俺はエランを起こさないようにそっとベッドをぬけ、部屋を出た。
部屋を出てすぐ、早足にトイレを目指した。
この世界のトイレは家屋の中にないことがほとんどだ。多くの場合、トイレは家屋とは別の建物として併設されている。それはこの邸も同じだ。
必然、部屋からトイレは遠い。足早にならざるを得ない。
トイレで用を済ませ、トイレを出ると涼し気な風が気持ちよかった。
雲一つない夜空に皿のような月が煌々と光を放っている。とても明るい夜だ。
「綺麗だ……」
思わず、月に見とれた。
ふと、遠くに視線を移すと、中庭のベンチに人影があった。
こんな深夜に一体誰だ……?
この邸の誰かだろうか? それとも泥棒か?
後者の可能性を念頭に置き、俺はベンチの人影に気づかれないよう、そっと近づいた。
近づくにつれ、人影が鮮明になる。が、丁度逆光でいまいち判然としない。
かなり近づいた。声を出せば聞こえる距離だ。
しかし人影はこちらに気づいていない。
もう少し近付こうと、一歩踏み出したその時、人影がサッと振り向いた。
「あら、コーイチじゃない」
人影が言った。
金髪。つり上がった大きな灰色の瞳。容姿に見覚えもあれば声に聞き覚えもある。
人影はジュリエッタだった。ジュリエッタは純白のネグリジェに、黒、もしくは濃紺と思われる大きなストールを羽織っていた。
不意に、ジュリエッタは表情を強張らせた。
「コーイチ、こっちに来なさい」
命令形だ。それには有無を言わせない迫力があった。あまり機嫌が良くないらしい。俺は彼女の言うことに即従った。
ジュリエッタがベンチに腰を下ろし、俺はその隣に腰を下ろした。
「こんな夜更けにどうしたの?」
声にも不機嫌があらわれている。
「夜中に起きて行くところと言ったら一つしかないよ」
「グレイス様のところ?」
「いやいや、こんな夜更けに訪ねたら迷惑だろ」
「グレイス様の方は待ってるかもしれないのに?」
「えっ、なんで? 何か俺に用があるのかな? グレイスから何か聞いてる?」
「プッ、フフフ……」
ジュリエッタは忍び笑いを堪えきれないといったふうに、クスクスと笑いだした。
機嫌が悪かったり、と思えば笑いだしたり、なんとも忙しいヤツだ。
「な、なんだよ急に……」
「あなたって純真無垢なの? それとも単にバカなの?」
「どういう意味だよ?」
「だってそうじゃない。私の言ってる意味、全然わかってないじゃない」
俺は今までの短い会話を思い返した。が、やっぱりわからない。あんな短い会話の中で、そんな深い内容があるのだろうか?
「ほら、やっぱりわかってない」
俺は肩をすくめた。
「うん、さっぱりわからん。どういう意味か教えてくれ」
「えっ、私が? 私は貴族の女よ? そんなはしたないこと言えないわ」
「……はしたないことなのか……?」
「私が言うのは抵抗があるわね。そんなことより、コーイチ、あなた、あのとき私に何でもするって約束したわよね?」
「えぇっ!?」
「あら、忘れたなんて言わせないわ。双角獣との戦いの最中、約束したじゃない」
「そ、そんなこと言ったっけ?」
お礼をする、的なことは言ったと思うが、何でもすると言った覚えはない。
「言ったわよ! 助けてくれたお礼に何でもするって言ったわ!」
ジュリエッタの目が普段よりさらにつり上がり、ギラッと怒りに光った。めちゃくちゃ怒っている。
ここまで怒るということは、どうやら俺がマジで忘れてしまっているらしい。
「わかった、わかったわかった! ちょっと忘れちゃっただけで、別に約束を破るつもりはないよ! だから、俺にできることなら何でも言ってくれ!」
「そう……」
ジュリエッタの目は怒りの色を和らげ、代わりに複雑な色を見せ始めた。しばらく彼女は押し黙ったまま、俺をジッと見ていた。
なんとも言えない緊張感があった。俺はただ黙って彼女を見つめ返すしかなかった。




