【幕間】『火剣の勇者』にまつわる噂【上】
幕間は主人公以外の視点から描いていこうと、なんとなく思い立って書きました。
今回は三人称です。
『火剣の勇者』なるものの噂が、突如スプロケットの街に広まった。
『火剣の勇者』は、スプロケットではそれなりに名の知れた貴族ハインラインの嫡女ジュリエッタと、街外れにある演劇場で一対一の決闘を行い、ジュリエッタの一発で呆気なく敗北した。
しかし、その直後、魔物の大群の襲撃に大混乱に陥った演劇場を救うべく、敗北したはずの『火剣の勇者』は、まるで何事もなかったかのように立ち上り、その『火剣』をもって魔物を次から次へと斬り伏せ、たちまちのうちに殲滅してしまったという。
命を救われた決闘の観客たちはその日から、感謝と尊敬の念を込めて、命の恩人を『火剣の勇者』と呼ぶようになったとさ。
『噂』の最初期は、この程度のものだった。ここまでは概ね事実なのだが、『噂』には怪しい尾ひれが付きやすく、『噂』はまた『噂』を呼ぶ。
『噂』というのは巷間に広まり、一種のブームとなると、都市伝説じみてきて、どんどん真偽の程が怪しくなってくる。
『火剣の勇者』誕生から、わずか数週間ほどで、『噂』の尾は孔雀の尾のような広がりを見せてしまった。
一部を記す。
○魔物の群れをたった一人で殲滅させるほどの実力を持つ『火剣の勇者』が、ジュリエッタに決闘で負けたのはわざとだとか。ハインラインという名族の尊厳を慮った故のことだそうな。魔物の襲撃時にすぐに立ち上がって『火剣』を振るえたのも、負けたフリをしていたと考えれば辻褄が合う。『火剣の勇者』は腕っぷしが強いだけでなく、優しさも兼ね備えた大徳人なのだろうな。
○演劇場での決闘以前に、『火剣の勇者』とジュリエッタは一度やりあったことがあるらしい。ジュリエッタが奴隷をイジメているところに遭遇した『火剣の勇者』は、見かねて注意をした。逆上したジュリエッタは『火剣の勇者』に挑みかかるも返り討ち。街中で恥をかかされたジュリエッタは恥を雪ぐため正式に決闘を挑んだ。それが演劇場での決闘に繋がったというわけだそうな。
○どうもジュリエッタは奴隷イジメの一軒から『火剣の勇者』に一目惚れしてたらしい。しかし悲しいかな、『火剣の勇者』はどうも平民らしく、身分違いの恋。報われぬ宿命。男女の身分が逆であれば、まだなんとかなったが、こればかりはどうしようもない。貴族の、それも名門の女子とあっては、みだりに平民の男に話しかけてもいけない。触れるなどとはもっての外だ。貴族が身分を捨て格下の相手と駆け落ち、なんて話はよくあるが、ジュリエッタは将来を嘱望されたハインラインの嫡女。簡単に家を捨てる訳にはいかない。好いた相手と触れることも話すことすらも許されない、そんな哀れな境遇のジュリエッタが思いついた、最愛の人と会い、言葉を交わす唯一の手段、それが決闘だった、というわけか。
○どうも恋をしていたのは『火剣の勇者』も同様らしい。しかし彼もまた身分の違いを自覚していて、また、決闘の真意を理解していたのだろう。その上であえて一撃で敗れることを選んだに違いない。ジュリエッタの一撃をあえて受けることで、己の中にある恋慕の情、未練を断ち切り、また同時にジュリエッタの、貴族としての平穏無事な幸せを願ったのだろう。
○『火剣の勇者』は、名門貴族の令嬢が一目惚れするほどのものだから、それはもう大層な美丈夫らしい。背が高く、筋骨たくましく、そのくせ、顔は細面で彫刻のように均整が取れているそうな。女なら目を奪われずにはいられないそうな。
○いやいや、『火剣の勇者』は美丈夫というよりは巖のような偉丈夫で、美しいというよりは逞しいといった風だと聞いた。ジュリエッタは見た目ではなく、その中身、つまり心に惚れたんだと聞いたぞ。
○『火剣の勇者』は小柄な年端もいかない少年だと聞いた。それがどうして魔族を殲滅し、『火剣』と謳われるほどの剣技を備えているのかが不思議だが、ジュリエッタはその剣の腕にこそ惚れ込んだと聞いた。
○なんでも『火剣の勇者』に恋しているのはジュリエッタだけではないらしい。なんと領主の長女、グレイスも『火剣の勇者』に心を奪われているとか。聞いたところによると、弟のアコードが双角獣に襲われているところを『火剣の勇者』が助けたそうな。
○『火剣の勇者』は、なんと聖獣の一角獣と会話ができるらしい。あの、人を見ればすぐに姿をくらましてしまう一角獣と、まるで友達のように間近で何やら話しをしているのを見たヤツがいるんだと。
○『火剣の勇者』はヴェイロンの化身らしい。おとぎ話に出てくる龍の化身というのもおかしな話だが、『火剣』もヴェイロンさながらに黒い炎に変じることもあるそうな。
○『火剣の勇者』の強さの秘密は左腕にあるらしい。なんでも、その左腕ときたら、まるで化物みたいに大きく、凄まじい力を発揮するんだそうな。
○最近、『火剣の勇者』はちょくちょく酒場に現れるらしい。そこで、『指輪』について話しかけてくるんだそうだ。どうも『火剣の勇者』は、『指輪』を探してスプロケットまでやってきたらしい。
以上は主流となる噂のほんの一部に過ぎない。傍流となる細かな噂、またゴシップじみた取り留めのない話などは、泡沫のように現れては消えてゆく他愛のないものなので割愛する。
さて、噂の当人であるコーイチは、噂についてどう思っていたかというと、最初のうちは、街中のありとあらゆる人が自分について、虚実入り交じった話をすることについて気味悪がっていたが、噂が虚の側面を強調するようになり、コーイチの実像からかけ離れてしまうと、もはやそれはコーイチではない別人の話になってくる。そうなってくると、コーイチはもう噂など気にもとめなくなった。噂も現実味を失うと、ただの他人の話に過ぎない。
だが、根も葉もない噂であったとしても、元々はコーイチから発生したものである以上、いつどこで再びコーイチと結びつかないとも限らない。『嘘から出た真』という言葉もある。
これから描かれる幕間劇は、そんな『嘘から出た真』によって引き起こされた、ほんの些細な事件の一部始終である。




