エランと添い寝。疲れた勇者には休息が必要なのだ。
目が覚めると見知った天井、見知った顔があった。部屋はケーディック邸の俺が寝泊まりしていた部屋。見知った顔はエランだった。暗い部屋、蝋燭の灯りに、彼女の影が揺れていた。
「コーイチ様……!」
エランは瞳を潤ませ、感極まり、呟くように俺の名を呼び、俺の胸に飛び込んできた。いつの間にか着させられていた白いシャツの胸元に、エランは顔を埋めた。たった数日とはいえ、不安で寂しい思いをさせてしまったらしい。
俺はエランの頭を撫でてやった。少しでもエランの不安や寂しさを取り除いてあげたかったし、ささやかな罪滅ぼしのつもりでもあった。
「コーイチ様、良かった、ご無事で……」
エランは俺の胸に顔を埋め、鼻をすすりながら言う。泣くほど俺のことを思ってくれるなんて、なんて優しい娘なんだろう。優しさがズキュンと俺の胸を打ち、五臓六腑に染み渡る。俺の方も感極まってしまって、エランを強く抱きしめた。
「心配かけてごめんな」
「いいんです、コーイチ様が無事でさえいてくれれば」
「『様』はいらないよ。コーイチでいい」
「あ、すみません。ついうっかり……。何せ久しぶりでしたから」
そうは言うが、エランは平穏無事な平素から俺に『様』を付ける。俺とエランの間柄で『様』付けはくすぐったいので、呼び捨てで構わないのだが、何度言っても直らない。直らないものを無理矢理直そうとするのも良くないことなのかもしれない。もういっそのこと『様』付けに慣れた方が早いか。
「ひょっとして『様』を付けた方が呼びやすい?」
「正直に申せば、『様』付けの方が格段にお呼びしやすいです」
エランは照れたように、はにかんで言った。
「そっか。なら、『様』付けでいいよ」
「え、本当ですか!?」
「ああ、呼びやすいように呼んでくれ」
物凄く嬉しそうだ。頬を少し染めたりしちゃってる。ということは、今までの『様外し矯正』は、結構な苦痛だったのかもしれない。良かれと思ってやってたけど、とんだ失敗だったな。ちょっぴり反省。
「ところでコーイチ様、その左腕はどうされたのですか?」
エランを抱きしめていた左腕を、エランはジッと見つめて言った。今は開放状態じゃないにせよ、不気味な腕には変わりないはずなのに、彼女は別段、怯えている様子はない。それどころか、興味津々といった風だ。
「あ、すみません! 私、ひょっとして失礼なことを――」
「ああ、いやいや、違う違う。別に失礼なんかじゃないさ。これはね……」
エランはこの世界で出来た初めての友達だし、一緒に暮らして結構長い。もはや家族も同然だから、隠し事は要らないだろう。俺は今回の事の顛末を全て彼女に話した。今回の件は、俺にとってまさに武勇伝だから、とても楽しく話せた。話す内にノッてきて、誇張表現と脚色を多分に取り入れてしまい、ちょっとした英雄譚になってしまった。半ば創作と化した俺の話を、エランは楽しそうに聞いてくれた。エランが聞き上手だから、俺はついつい饒舌になり、話が余計に壮大になってしまう。
たっぷり時間をかけて、話はようやくクライマックスの最終決戦へと進んだ。そこで、一つの疑問を思い出した。そういえば、エランとジュリエッタ、さらにミラは、どうしてあの時あの場にいたんだろうか? これを疑問のままにしておいては、続きを話す気になれない。
「そういえばあの時、どうして山にいたんだ?」
「実は今朝早くジュリエッタ様が来られて、一緒にコーイチ様に会いに行こうと誘われたんです。私もコーイチ様に早くお会いしたかったので、お誘いに応じることにしました。ジュリエッタ様に連れられて、まずはこの邸にやってきました。そこでジュリエッタ様はグレイス様に強談され、コーイチ様の居場所を聞き出されました。グレイス様にミラさんを付けてもらって、山へ道案内してもらってコーイチ様の元へ伺ったのです。グレイス様からは『角を返しに行った』としか聞いていませんでしたから、まさかあんなことになっているとは思いませんでした」
なるほど、そうだったのか。それにしても絶妙なタイミングだったが、それは俺幸運がなせる業なのかな? 運が良いことを業というのもおかしな話だけど。
「俺も、まさかあんなことになるとは思ってなかったよ。エランたちが来てくれなかったらヤバかった。ありがとうな」
俺はエランの頭をもう一度撫でた。今現在の俺に出来る最大の感謝の証だ。こんなものでも、エランは微笑んで頷いてくれた。
「しかし、ジュリエッタは俺に何の用があったんだろう? 何か聞いてないか?」
「えっ」
エランが目をパチクリさせた。まるで『信じられない』と言った風に。
その反応はつまり、ジュリエッタの一方的な『用件』ではなく、双方の事前協議に基づいた『約束』があり、それを俺が忘れてしまっていることを『信じられない』と非難している風に見えた。
「えっ、もしかして俺、約束か何かしてたのかな? ヤバッ、全然思い出せない……」
約束の内容どころか、約束したことすら思い出せない。約束をした記憶が全く無い。だけど、数時間かけて山までわざわざ会いに来るほどだから、恐らく大切な約束か何かだったのだろう。
「ジュリエッタから何か聞いてないか? 双角獣にぶっ飛ばされた時、頭の中身もぶっ飛んじゃったみたいなんだ」
「コーイチ様って鈍いんですね」
クスッとイタズラっぽく笑って、エランは言った。
『鈍い』……? 『鈍い』ってなんだ? 『鈍い』ということは、常人が気付くべきところに気付かないことを指す言葉だろ? ということは、今までのエランとの会話の中に、ジュリエッタの用件を仄めかすようなキーワードがあったということか!? それに気付けていないから、俺は『鈍い』ということなのか!? 考えろ、考えるのだ俺! 『灰色の脳細胞』とは謳われていない俺だが、決して鈍くもないはず! 記憶を辿り、思考を巡らせればきっと答えが……!
出なかった。まるで、そんな記憶なんて最初から無かったようにスッポリ頭の中から抜け落ちてしまっている。万事休す。思い出すことは不可能だ。こうなったら最終手段を使わざるを得ない。
「エラン、ジュリエッタが俺に会いに来た理由、こっそり教えてくれないか? 頑張って考えてみたんだけど、もうさっぱりでさ」
俺が言うと、エランは少し呆れたように、小さくため息をついた。
「ダメです。こればかりは教えられません。コーイチ様がご自分で考えないと、そうじゃないと、ジュリエッタ様が可哀想ですから」
エランは苦笑交じりに言う。
そんなエランの顔が、やや疲れているように見えた。よくよく見てみると、目は充血し、歳不相応な濃いクマが浮いている。
「ひょっとして、寝不足か?」
「あ、はい、その、実はコーイチ様のことが心配で、あまり眠れなくて……」
恥ずかしがるようなことでもないのに、エランは恥ずかしそうに俯いた。
こんな小さな娘に苦労をかけさせたことを思うと、キリキリと胸がしめつけられるように痛む。
「そっか。心配かけてごめんな……。そうだ、今から一緒に寝ようか」
言って、俺は胸に抱いていたエランを隣に寝かせた。
「一緒に寝ていいんですか?」
「全然構わないよ。眠い時には寝るのが一番だ」
俺とエランは並んでベッドに横になった。自宅のベッドのサイズでは絶対にできない。ケーディック邸のベッドだから可能なことだ。大人一人と子供一人が並んで寝ても十二分にスペースがある。金持ちのベッドは余裕が違う。
エランに負けず劣らず、俺も眠い。まだ疲れが残っている。すぐにも寝付けそうだ。俺はエランに背を向けた。別にエランの方に向くのが恥ずかしいというわけじゃなくて、いつもの向きで寝ると、自然とエランに背を向ける形になるだけだ。位置的な問題だ。
俺の背中にエランがそっと寄り添った。エランの手が、俺の服の端を掴んでいた。それ以外彼女は俺のどこにも触れていないはずなのに、背中に彼女の体温が暖かく感じられた。背中に温もりを感じるのも、意外といいものだということを、俺は初めて知った。
「おやすみなさい、コーイチ様」
「おやすみ、エラン」
就寝の挨拶を交わすなり、俺はすぐ眠ってしまった。
読んでくれてありがとう!