左腕の真価。
あっという間にヤツに近づけた。俺が近づく間、ヤツは何の抵抗も示さなかった。それが却って不気味だったが、だからといってヤツを攻撃しない手はない。大量の『氷壁』を目の前に、途方に暮れ、戦意喪失しているだけなのかもしれないのだから。
ヤツの首元へ『黒炎剣』を突き入れた。
瞬間、ヤツの姿が消えた、ように見えた。消えたと錯覚させるほどの俊敏さで、ヤツは高く跳び上がった。とても高い。十メートルは跳び上がっているんじゃないだろうか。最高点に達した時、ヤツの四本の足から、凄まじい勢いで炎が噴き出した。
何かヤバい!
予感がして、俺はとっさに『氷壁』に身を隠した。
ヤツが着地した瞬間、接地した足から炎が強烈な波となって押し寄せた。まさに爆発というような凄まじさ。到底薄い『氷壁』じゃ防ぎきれない。今度こそ、俺は死を覚悟した。迫りくる熱波の熱さに耐えきれず、俺は左手で顔を覆った。次の瞬間、凄まじい衝撃が俺を襲った。
………
………………
………………………………
ハッとなって気がつけば、遠くで双角獣と誰かが戦っている。だが、目がぼやけてよく見えない。身体もほとんど動かせない。正直言って、たとえ身体が動かせたとしても動きたくなかった。疲れ切っていたし、あちこちが酷く痛んだ。
「コーイチ、しっかりして下さい、コーイチ」
一角獣の声が頭に響いた。
「あ、ああ……」
「コーイチ、決して大きな声を出してはいけません。今は姿を隠しつつ、大急ぎであなたを魔法で治療しています」
「ああ……」
返事をするので精一杯だ。疲労困憊。満身創痍。
一角獣の治療の効果だろう、やがて、徐々にではあるが、身体に活力が戻ってきた。だんだんと目の焦点が合ってくる。目がはっきりと見えるようになると、一角獣の傍に、よく知った少女がいることに気が付いた。
「エラン……!?」
エランだった。どうしてここにいるのだろう? そして、何故返事をしないのだろう? 彼女は真剣な表情で目をつむり、俺と一角獣に手をかざしている。その額に汗の玉が流れた。
「コーイチ、エランに話しかけないで。彼女は今、あなたを夫から隠すのに必死で『イリュージョン』の魔法に集中しているのです」
一角獣はエランのことを知っているらしい。エランと直接話しをしたのか、それとも俺の記憶を読んだのか。
「でも、なんでここに?」
「それについては、生き残ってからゆっくりと話して下さい。今はそんなことを話している場合ではありません。ジュリエッタとミラも、それほど長く保つとは思えません。今はあなたの回復が優先です」
「ジュリエッタとミラもいるのか……」
「二人は夫を足止めしてくれています。ですが、力の差は歴然です。今の夫に対抗できるのはコーイチ、あなただけなのです」
「無茶言うなよ。ついさっきボコボコにされたヤツが、どうやってあんな化物に対向するんだ? ケイと二人がかりでも駄目だったのに……、そういえばケイは? ケイはどうした?」
「あなたの隣にいます」
俺は首だけを動かして隣を見た。まだ首を動かすだけでもかなりしんどかった。
俺の隣には、変わり果てた姿のケイが横たわっていた。衣服のほとんどが焼け焦げて、身体のいたるところに火傷を負っていた。一部は見るも無残なほど皮膚が爛れていた。意識は無いのだろう、目は固く閉ざされている。荒々しい呼吸が小さな胸を大きく、激しく上下させている。重傷だ。あまりの凄惨さに、俺はケイを直視できなかった。
「今、並行して治療を進めています。このまま治療を続ければ、彼女の命は助かります。ですが、コーイチが夫を止められなければ、治療は無意味となります」
「残酷なことを言うんだな。俺に何が出来るって言うんだ? あんたも見てただろ、俺がぶっ飛ばされるところをさ。あれをもう一回繰り返せって言うのか?」
「いえ、今度は勝てます」
「何を根拠にそんな――」
「あなたのその左腕です」
「左腕……?」
「ヴェイロンの左腕です。最初聞いた時は冗談だと思ったのですが、どうやらそれは本物のようですね。少なくとも実力の方は確かなようです。何せ夫の炎を受けても、傷一つ負っていないのですから」
「えっ」
試しに左腕を動かしてみる。身体が全体的にしんどいはずなのに、左腕だけは軽々と動く。見てみると、一角獣の言うように、確かに無傷だ。グレイスからもらった手袋は跡形もなく消し飛んでしまったというのに。
「その腕には恐ろしく強大な力が宿っています。今度はその力を存分にお使い下さい。そうすれば夫を止められるはずです。夫は先程のあなたへの一撃で多くの力を使ってしまいました。今のあなたなら、まず勝てます」
「その言葉、信じてみるよ」
俺はゆっくりと立ち上がった。左腕を除く全身に筋肉痛のような痛みがあった。まだまだ完治とはいかないらしい。だが、治療が終わるのを待っているわけにはいかない事情が、目の前で展開されていた。
「コーイチ、はやる気持ちはわかりますが、もう今しばらくお待ち下さい」
「いや、それはできない。何故なら――」
わずか五十メートルほど先で、双角獣と戦っていたジュリエッタが、足を取られてよろめいた。疲労困憊なのだろう。転倒こそ免れたが、大きな隙が生まれた。そこへ、角を突き出した双角獣が容赦なく襲いかかる。
考えるよりも早く、俺の身体は動いていた。自分でも信じられない速度で加速する。火事場の馬鹿力ってヤツだ。
一瞬にして迫ったヤツの角へと左手を伸ばす。同時に力を開放する。人間サイズだった左腕が、怪物のように巨大で、悪魔のような歪な形へと変貌する。力が湧いてくる。破壊に特化した危険な力が、際限なく溢れてくる感覚。
これがヴェイロンの腕の力……!
迫りくる角を左腕で掴み、双角獣の動きを止めた。いとも簡単にそれが出来てしまった。さらには、まだまだ余力がある。
掴んだ角を振り上げ、双角獣を高々と持ち上げた。そして、頭上でグルグルと二回振り回し、力任せにぶん投げた。勢いよく、百メートルくらいぶっ飛んだ双角獣は受け身も取れずに尻から地面に落ちた。だが、すぐに立ち上がった。たとえ受け身は取れずとも、それほど効いてはいないらしい。
俺の胸には躍るような高揚感と、凍てつくような恐怖感が混在していた。『黒炎龍の義腕』は、今まで経験したことのない圧倒的な力を俺にもたらしてくれた。だが、あまりにも強力過ぎる。その上扱いが難しい。何も俺はあそこまでぶっ飛ばそうとは思っていなかった。ちょっと力を入れたら、あんなところまで投げてしまった。この腕は、俺にとってはちょっとした核兵器だ。使い方を誤れば、大変な事態を引き起こしかねない。
だが、今はまだこの腕に頼るしかない。ヤツはまだまだ健在だ。
「ぶるるるるる……!」
双角獣が立ち上がり、嘶いた。間違いなくキレている。ヤバい予感がする。
俺は傍らのジュリエッタに言った。
「下がってて、後は俺がやる」
「あら、お礼の一言くらいあっていいんじゃないの?」
「それは、生きてたら後でたっぷりさせてもらうさ」
「コーイチ、死んじゃダメよ。エランのためにも、私のためにも」
「ああ、わかってる」
俺はヤツとの決着をつけるため、ゆっくりと距離を縮める。一歩一歩、慎重に。




