グレイスに報告。
廊下の突き当りから、ケイが顔を出してこっちを覗っていた。彼女は小走りにこっちに走り寄ってきた。
「上手くいった?」
ケイが言った。相変わらず無表情だが、声はやや心配の色を帯びている。
「ああ、なんとかね。ちょっぴり怒らせてしまったみたいだけどね」
言って、俺は包みから双角獣の角を取り出し、ケイに見せた。
「これが双角獣の角……」
ケイは目を大きく輝かせ、食い入るように角を見つめた。普段表情の少ない彼女が表情を変えるということは、双角獣の角はよほど貴重品なのだろう。その、普段とはまるで違う、幼い少女のような表情がとても可愛らしい。普段とのギャップが大きいせいか、ついつい彼女に見とれてしまう。
ケイが、さっと視線を角から俺へと移した。バッチリ目が合った。
「私の顔がどうかした?」
もう、ケイはいつもの無表情だ。
「いや、別に何もないよ。ちょっとボーッとしちゃってただけ」
ケイの顔に見とれてた、とは、正直には言えない。そんな恥ずかしいこと言えないし、見とれてたことがバレるのもイヤだから、俺はとっさに誤魔化した。
「そ、そんなことより、アコードの容態は一刻を争う。一秒でも速く角を返した方が良いと思う。早速、山に向かおう」
「それはできない。もう日が暮れてしまった。今から行っても山に入れない。前にも言ったけど、夜山はとても危険。夜には危険な猛獣もいるし、普段は登り慣れた道も、視界の無い夜になると途端に険路になる。出発は翌未明が最良」
「そうだったな。じゃあ、明日に備えて一旦休むか」
夜山は危険だと言われていたことを、ついつい忘れてしまっていた。
まぁ、俺の大事な人の命がかかっているなら、危険を承知で無理を押すところではあるけど、今回は、さっき露骨に俺を見下していたアコードだから、それほど必死にもなれない。ここは素直にケイの言うことを聞いておこう。
「じゃあ、付いてきて」
言って、歩き出すケイの後ろを付いていく。
一旦休めると思うと気が緩んだのか、なんだか眠くなってきた。盛大なあくびを連発しながら、ケーディック邸の廊下をゆく。
ケイが足を止めた。そこはグレイスの部屋だった。
「コーイチ、顔に締まりがない。もっと気を引き締めて」
言われて、一旦は気を引き締めるも、すぐに眠気がやってくる。眠気ばかりは、寝ないことにはどうしようもない。
「えっ、あれ? ここってグレイスさんの部屋だよな?」
「そう」
「いや、『そう』じゃなくて! 今からグレイスさんに会うのか?」
「そう。主はあなたがここにいることを知らない。だから、主に目通りして邸に泊まる許可を貰わなければならない」
「なるほどね。あっ、でもいいのかな? 俺、かなり身体汚れてる気がするんだけど、こんなのでグレイスさんに会っても大丈夫?」
「大丈夫、あなたが最初にここに来た時と、あまり変わらない」
それは、双角獣と死闘を繰り広げた後の俺と、普段の俺は、同程度に汚い、ということなのだろうか。つまり、俺は普段から汚い、ということか。ナチュラルにディスられた気がする。あー、どーせ俺は薄汚い男ですよ。と、内心スネる。
「そっか、それならよかったよ……」
ケイは、俺のヘコみには気付かない様子だった。彼女は部屋のドアをノックした。
「ケイです。ただいま戻りました。コーイチ様も一緒です」
「どうぞお入りになって」
すぐに返事が返ってきた。
「失礼します」
ケイがドアを開け、俺たちはグレイスの部屋に入った。
グレイスさんは立って俺たちを出迎えてくれた。燭台のいくつもの灯りが、部屋をオレンジに染めていた。さっきのアコードの部屋より明るく、時折、かすかに揺れる灯が、より一層彼女の美しさを引き立たせた。
足が不自由なのに、わざわざ立って出迎えるところに、グレイスの律儀さが見える。
「こんばんは、コーイチ様。どうぞお掛けになって下さい」
グレイスは微笑んで言った。灯に照らされ、陰影がくっきりとしたその顔がとても艶やかだったから、俺はついつい、あの時のイケナイ姿と、あの時の出来事を、脳裏に蘇らせてしまった。
今にして思うと、グレイスを試すためとは言え、よく『服を脱げ』なんて馬鹿なこと言えたもんだ。今思い出しても頬が熱くなるほど恥ずかしい。
俺はそんな羞恥心を隠しつつ、グレイスのベッド脇にある椅子に座った。
「コーイチ様、お頼みした件はどうでしょうか?」
グレイスの声に期待感はほとんど無い。そりゃそうだ。彼女の期待に添える結果を俺が出したなら、俺がわざわざここに来るまでもなく、アコードの様子でそれを知ることができる。アコードは相変わらず呪いにやられているから、結果は推して知るべし、だ。つまり、社交辞令というわけだ。
だけど、グレイスの期待に添う結果を出してはいないものの、それなりの成果があったし、解決の目処も付いている。でなければグレイスに会ったりしない。もし、悪い報告しかできないのなら、俺は直接会わず、ケイに伝言を頼むだろう。最愛の弟を失った美女の悲しみに暮れる顔を見るのは、きっと物凄く辛いことだろう。そんな重いの、俺には耐えられない。
「色々とありました。順を追ってお話します。あの日、この邸を早朝に出て、午後には山に着きました。休憩を取りつつ、山中を捜索したのですが、日中は何も見つかりませんでした。夜の捜索は危険なので、翌日早朝からの捜索に備えて、その日はすぐに眠ることにしました。早く寝すぎたせいか、夜が明ける前に目が覚めてしまった俺は、夜風に当たろうと山荘の外に出ました。その時、双角獣に襲われました」
「一角獣ではなく、双角獣がいたのですか?」
グレイスは驚いて言った。
「ええ、双角獣に襲われた俺は怪我をして、谷底へと落とされてしまいました。そこを一角獣に助けられました」
「一角獣が、あなたを助けのですか!?」
グレイスは大きな声で言った。よっぽど驚いたらしい。だが、驚くのはまだ早い。
「グレイスさんの言った通り、一角獣は『魔法使い』でした。一角獣は俺に回復魔法をかけてくれました。もっと驚きなのは一角獣は魔法が使えるだけじゃなく、なんと言葉を話すことができるんです」
「えぇっ!? ほ、ほんとですか!?」
「マジです。さらに、一角獣が言うには、アコードさんに呪いを掛けたのは、一角獣じゃなくて、双角獣だそうなのです。詳しく話を聞くと、アコードさんが双角獣を襲い、その角を奪った。その際に、アコードさんは呪いを掛けられてしまった」
「そ、そんな……」
「角を返せば、呪いを解くように双角獣を説得すると、一角獣は約束してくれました。一角獣の回復魔法による治療が終わった後、俺は真相を確かめるためにケイと山を下り、グレイスさん、あなたには内緒でアコードさんに会いました」
「何故、私には内緒だったのですか?」
「一角獣の話が真実だったとしたら、あなたとアコードさんの二人が嘘を吐いている可能性がありました。二人とも嘘をついているかもしれないし、どちらか一人かもしれませんでした。もし、あなたが嘘を吐いているなら、嘘の内容で俺に依頼をしてきたことになります。もしそうなら、そんな人が多少問い詰められたところで、嘘を認めて本当のことを話してくれるとは思いませんでした。疑ってすみませんでした」
あなたを疑っていた、そう言われて気分の良い人は多分いないだろう。だから俺は、素直に謝った。
「いえいえ、コーイチ様が謝るようなことではありません。話が食い違っていれば疑うのは当然です。それで、謝るということは、私の疑いは晴れた、ということですね?」
「ええ、アコードさんが全てを話してくれました。一角獣の言った通りでした」
「弟が私に嘘を吐くなんて……、一体どうして……」
グレイスは心底、悲しそうな顔をして俯いた。
庇護欲をそそる仕草に、俺はついつい気が緩んでしまう。目の前の可愛い女性を抱きしめたい衝動に駆られる。あの白い肌は、触れると一体どんな感触なのだろうかと考えてしまう。胸から尻にかけての滑らかな曲線美を指でなぞってみたい……。おっと、いけないいけない。そんな浮ついた気持ちでいてどうする? お前は欲求不満なのか? いや、欲求不満には違いないけどさ。こっちに来てからは、そっちの処理は全くできていない。ネットもパソコンもスマホもないんだ、ガスの抜きようもない。そもそも家にはエランがいるから、もうどうしようもない。だからこそ、少しでも可愛いかったり、セクシーな女性がいると、つい欲望が頭をもたげてしまう。
でもまあ、猿じゃあないんだから、そこは制御しなくちゃいけない。とにかく、今はマジメな話をしている最中なんだから、もっと話に集中するべきだ。
俺は両手で、自分の両頬をパンパンと二度打った。よし、これで気合充分。性欲よ、一先ずどこかへ消えてくれ。
「あ、あの、どうなされました……?」
グレイスは、俺の奇行にちょっぴり驚いていた。
「いえ、なんでもありません」
俺は笑って誤魔化した。流石に、『あなたに欲情して邪な想像を膨らましていました』なんて、正直に言えるわけがない。
「アコードさんが嘘を吐いたのは、グレイスさんのためであり、周囲の人々を巻き込みたくなかったからだそうです」
「私のため?」
「そうです。双角獣の角を得て、それを使ってあなたの足を治そうと考えていたようです。一角獣だと偽ったのは、数年に一度しか姿を見せない一角獣を、わざわざ探す愚を犯さない、と考えたようです。誰も探しに行かなければ、怒り狂った双角獣に襲われることもない、と」
「足のことなんて気にしなくていいのに……」
グレイスはポツリと、独り言をこぼした。俺は聞こえなかったふりをした。
「ここに双角獣の角があります」
俺は包みを開いて、グレイスに見せた。グレイスは好奇にわずかばかり目を輝かせて、ジッと角を見つめた。やはり誰もが、この角に対して並ならない興味があるらしい。よく見れば、薄っすら涙すら浮かんでいた。きっとそれは好奇じゃなく、また別の感情だろう。
「明日早朝、これを返しに行きます。そうすれば、きっとあなたの弟さんの呪いは解かれます」
「ああ、なんとお礼を言ってよいか……」
そう言って、グレイスは深々と頭を下げた。
「私、お礼は何でもいたします! 何なりと仰って下さい!」
顔を上げたグレイスの双眸は強く輝き、頬を紅潮させていた。
ん? 今なんでもって……、そんなこと言われると、ついつい邪な考えが頭をよぎる。目の前の美女に、あんなことや、こんなことをさせてみたい、なんてゲスな妄想がついつい膨らむ。
俺、かなり欲求不満だなぁ。ここまでくると、恥ずかしいより笑えてくる。頭の中がお猿さんになってしまっている。俺は自分で自分に嘲笑する。
頭を切り替え、『ゲスなこと』以外何がほしいかと考えてみるも、今は特に何も思いつかない。最初から見返りを期待してやったわけじゃないし。かと言ってタダ働きもイヤなので、まぁ、いずれお金か何かを貰おうと思うけど、今はまだ早い。アコードは、まだ助かっていない。
「それはアコードさんの呪いが解かれてから考えましょう」
「あっ、そうですね、すみません、先走ってしまって」
グレイスは何故か、恥ずかしそうにはにかんだ。
「いえいえ、気持ちはよくわかります」
グレイスは唐突に俺の左腕に視線を落とした。
「あの、ひょっとして左腕を怪我されているのですか? もしそうでしたら、治療させて下さい。私も多少は回復魔法の心得がありますから」
「えっ、あっ、いや、これは、その……、怪我したというより、怪我をしてた……、と、とりあえず、今はなんともありませんから大丈夫ですっ!」
こんな化物な左腕を見せるわけにはいかない。自分でも引いちゃうほど奇妙奇っ怪奇天烈摩訶不思議な腕だから、他人が見ればドン引きすること間違いなし。
「そ、そうですか。でも、それでは何故布でぐるぐる巻きにされているのですか?」
「うっ……」
そこを突かれると痛い。とっさには、上手い言い訳も思いつかない。こうなりゃ適当に、多少強引でも誤魔化すしかない。
とは思っても、ノープランじゃ言葉も出ない。言葉に詰まった俺を、不思議そうな目で見つめるグレイス。
と、その時、
「グレイス様、実はコーイチ様が主にお目通りしたかったのには、もう一つ理由があるのです。コーイチ様はグレイス様に、この邸の宿泊許可をいただきに来たのです。というのも、コーイチ様は昨夜から一睡もしておらず、一日中山野を駆け回り、さらには双角獣とも戦ったため、酷くお疲れです。コーイチ様は見ての通りの内気なお方。高貴な淑女である主に『泊まらせてくれ』とは中々言い出せなかったようですから、差し出がましくも、コーイチ様に代わって私から述べさせていただきました。差し出がましついでに、私からも宿泊許可、お願い申し上げます。お泊りしていただいた方が、明日早朝の出発、及び、万事円滑に運ぶかと存じます」
ケイが助け舟を出してくれた。
「もちろん、喜んでお泊めいたします。ケイ、コーイチ様のお世話一切をあなたに一任します。早速計らって。コーイチ様、あなた様のご苦労、お疲れのこと、気が回らずに申し訳ありません。気配りのない女と、さぞ気を悪くされたことでしょう」
グレイスはペコリと頭を下げた。
「い、いえいえ、謝らないで下さい! 全然そんなこと思ってませんから! むしろ泊めていただけることに感謝してますから!」
俺は慌てて首と両手を振った。そもそも、グレイスが俺の疲れに気付かないのは仕方がない。だって俺は、それほど疲れていない。一角獣の回復魔法のおかげで、双角獣以前の疲れはなくなっていたし、そこからは山を降りて、馬車に揺られた程度だ。確かに、多少の眠気はあるにしても、ケイの言ったことは明らかに誇張されている。
「そう言っていただけるとありがたいです。ケーディック家は『火剣の勇者』を粗略に扱ったと、下々に噂されると家門の汚れにもなりかねませんから」
グレイスは冗談交じりにクスリと笑った。
「それにしてもケイ、いつも口数の少ないあなたがあんなに喋るなんて思わなかったわ。コーイチ様を思う気持ちがなせる業なのかしら?」
グレイスのからかいに、ケイは頬をちょっぴり染め、ほんの少しだけ俯いた。クールなケイのことだから、この程度のからかいは意にも介さないのかと思ったけど、年相応に純朴なところもあるらしい。
「怒らないで、ケイ。ほんの冗談です。さて、ケイ、コーイチ様を早速お部屋に案内してあげて」
「はい。コーイチ様、こちらへ」
「ああ。じゃあ、また、グレイスさん」
俺は席を立ち、グレイスに会釈をした。
「ゆっくり、身体をお休めになって下さい」
「ええ、お言葉に甘えて」
グレイスに見送られ、ケイの後に続く、俺はグレイスの部屋を後にした。
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