アコードの部屋。
ケーディック邸に着いたとき、既に日は暮れていた。
ここからは隠密行動だ。
とは言っても、『サム・フィッシャー』や、『ソリッド・スネーク』ほど忍ぶ必要はない。別に衛兵が警戒を巡らせているわけでもない。警備の人数が少数出ているが、別にそれと鉢合わせたって何の問題もない。彼らは俺達を警戒しているわけじゃない。常勤の泥棒対策だから、ケイと一緒にいる俺を怪しんだりしない。ただ、グレイスに俺とアコードが会うことだけがバレなければ、それでいいのだ。
正面玄関から堂々と、それでいて静かにそっと邸内に入り、そっと歩き、そっとアコードの部屋へと近づいていった。邸の廊下には既に蝋燭が灯っていた。蝋燭の灯りは知れたもので、足元や壁の位置がわかるくらいの明るさだ。
アコードの部屋は邸の最奥にあった。
両開きの扉の前に、警備員が二人立っていた。二人ともだらけきっていた。主人の部屋の警備は、まぁ暇なのだろう。主人は命を狙われているわけでもないし、主人の部屋は邸の最深部に位置するので、もし侵入者がいたとしても、誰にも見咎められずにここまで辿り着ける可能性は極めて低い。そんな緊張感も何もあったもんじゃない状況だから、だらけてしまうのはしょうがない。二人とも手に持った背丈と同じくらいの長さもある棒を、杖代わりにしている。座り込んだり、壁に寄りかかっていないだけまだマシなのかもしれない。
二人は俺たちに気付くと、ハッとなって背筋を正した。さっきよりかは幾分、顔も引き締まった。その様子が、授業中に、先生に居眠りを指摘された学生のようでおかしかった。
だけど、ケイにとってはちっとも面白くなかったらしい。その無表情な表情を氷のように、一層冷たく硬くして、彼らの前に立った。
「この方はアコード様のお客様。内密の話しだから、二人は下がって」
ケイの、いつもながらの抑揚の少ない言葉は、いつもより冷気を孕んでいた。
「そ、そのような話は聞いておりませんが」
ケイの威圧感に気圧されたのか、答えた男は、ややたじろいだ。もう一人の男は緊張した面持ちでことの成り行きを横目で見守っている。
「緊急の要件。私ですら内容について一切知らされていない。ことは一刻を争うほど重大。早く下がって」
ケイが男を睨みつけた。それはほんの一瞬の威嚇だったが、効果は絶大だった。周囲の気温が下がったのかと錯覚するほど冷たいその目は、傍目から見ていても恐ろしい。
男は顔をひきつらせた。
「は、ははッ! お、おい、行くぞっ」
二人の男は小走りにこの場を去った。
「ここがアコード様の部屋。私は部屋に入る資格がない。ここからはコーイチ一人だけ。コーイチ、一つだけ忠告する。中に入ったら気を付けて」
「そ、それってどういう意味だ?」
「危険があるかもしれない、ということ」
面談の約束どころか、面識すらない奴が突然部屋に押し入るのだから、危険があるのはしょうがない。グレイスにバレずに、忍んでアコードに会うと決めたときから、それは計算のうちに入っていた。けど、土壇場でケイの口からそれを聞かされると、少し気が重くなってしまう。
「ま、なんとかなるさ、なんていったって俺は、世界で一番運が良いんだから」
「そうは見えないけど」
ケイはジッと俺の左腕を見た。目は口ほどに物を言う。ケイの言いたいことはよく分かる。
「言いたいことは、よーくわかる。でも、そういうことになってるらしいんだ。さて、じゃあ行ってくるよ」
「気を付けて。中に入ったらもう私にはどうにもできない。後はコーイチの才覚で切り抜けて」
「ま、何かあったとしても殺されたりはしないだろ。こっちは喧嘩しにきたわけでも、害意があるわけでもないんだから。ちょっと無礼なだけさ。じゃ、行ってくる」
ケイがコクリと頷くのを見てから、俺は部屋のドアレバーを回した。ゆっくりとドアを押した。ドアに鍵はかかっていなかった。俺はそっと中に入った。
「失礼しま~す……」
静かに、それでいて、部屋の主にしっかり聞こえるように言った。しかし返事はなかった。
部屋の中はかなり暗い。俺のアパートより遥かに広いだろう部屋の全貌は、開けたままにしてある背後のドアから入ってくる、廊下の蝋燭の灯り程度では把握できない。
瀕死の人間に相応し過ぎるほど暗く、陰気な部屋だ。心なしか、冷気すら感じられる。
「俺はコーイチといいます。アコードさんにお話があって来たのですが……」
そっと、部屋の奥へと進んでゆく。
アコードは部屋にいるはずだ。いないのなら、部屋の前にいた男が、そのことを伝えるはずだ。
突然、背後のドアが閉まった。廊下からの灯りが断たれ、部屋は一瞬にして何も見えない暗闇になった。ガチャリ、と鍵のかかるような音がした。
俺は息を呑んだ。この展開、ホラーゲームでよくあるヤツだ。ゲームで経験したことをリアルで体験しても全く嬉しくも面白くもない。感動なんて以ての外だ。ゲームはゲームでもホラーゲームは勘弁願いたい。これで恐怖感や動揺やパニックを煽るBGMが鳴ればホラーゲームの完璧な再現になるのだが、さすがにBGMは鳴らなかった。が、それが逆にリアルで、俺はもうマジビビりだ。
ビビりながらも、何とか頭を働かせ、状況を整理する。現実はホラーゲームじゃないのだから、勝手にドアは閉まらない。自動ドアという線はないだろう。こっちに来てから、そんな科学的なものは見たことない。
つまり、誰かがドアを閉めたわけだ。じゃあ誰だ? ケイか? アコードか? それともまた別の誰かが……?
「ケイ、君か? それともアコードさん?」
暗闇に問いかけてみる。だが返答はない。あまりにも静か過ぎる暗闇の中で、俺の声がむなしく響いただけだった。
その時だった。何かが俺の足を襲った。
足払いだ。俺はバランスを崩し、前のめりになり、床に手を付いて倒れた。直後、何かが俺の背にのしかかった。ほとんど同時に、何かは、俺の髪を掴んで、俺の頭を無理矢理上に向かせた。
こうなっては、もう俺にはどうにもできない。暗闇の中、虚を突かれたとはいえ、流れるような技で俺を一瞬のうちに倒したのはアッパレとしか言いようがない。鮮やかなCQCだ。
殺されないと分かっているから、恐怖はあまり感じない。殺すつもりなら、わざわざ俺を床に倒す必要はない。やろうと思えば一瞬で殺せたはずだ。ただヒリつくような緊迫感が漂っている。
「アンタがアコードか? 瀕死と聞いていたわりには、ずいぶん動けるみたいだな」
相手は領主の息子。つまりは次期領主であり若殿様。その上、こっちはアポイントメントも取らずに勝手に侵入している後ろめたさもあり、下手に出て敬語を使うべきところだが、いきなり床に倒されたせいで、ついつい苛立ちが言葉に出てしまった。
「いや、それは僕じゃない。君を床に這いつくばらせているのは、僕の忠実な従者の『ミラ』だ」
暗闇の向こうから声が聞こえてきた。その声にはかすかに聞き覚えがあった。アコードに変身していたときの、ケイの声だ。
「コーイチ君、といったかな? 約束も取り次ぎもなく突然やってくるなんて、一体僕に何の用かな?」
若々しい声には気品があり、優雅でもある。流石は、いいトコのボンボンといったところか。だが、どこか辛そうで、時折声が掠れる。苦しさを必死に押し隠そうとしている風にも感じられる。
読んでくれてサンクス。