ヴェイロンから手を「貸して」貰えました。
誰かが俺の身体を激しく揺さぶった。揺さぶられて、俺の意識は急速に覚醒してゆく。声が聞こえる。揺さぶっている誰かが、しきりに俺の名を呼んでいる。
深い眠りから目を覚ますと、目の前にケイの顔があった。すごく心配そうな顔をして、横になっている俺の顔を覗き込んでいた。が、すぐにいつもの無感動で冷静な表情に戻った。
「コーイチ、無事だったのね」
相変わらず抑揚の薄い言い方だった。
「ああ、どうやらそうらしい」
無事という実感がなかった。だけど、痛みも苦しさもないので、きっと大丈夫なのだろう。少々身体にだるさがあり、まだ起き上がる気にはならないが、これはそれほど深刻なことでもないだろう。
辺りを見回して気がついた。ここは山荘のリビングだ。俺はソファーで横になっていて、首から毛布を掛けられている。
「君がここまで連れてきてくれたのか。大変だったろう?」
「えっ、自力で戻ってきたんじゃないの?」
「えっ……?」
どういうことだろう? 自力で戻ってきた記憶はない。俺はてっきりケイが魔法か何か使って俺をここまで運び込んでくれたのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。第三者が俺を運んでくれたのだろうか? 一角獣か? 一角獣が回復した俺を背に乗せて運んでくれたのか? でもどうやって? あいつ、手がないぞ。地面に横たわってる俺を、手を使わずに背に乗せるなんてことできるんだろうか? いや、ひょっとしたら魔法を使ったのかもしれない。というか、それ以外には考えにくい。俺が、実は知らない間に夢遊病を患っていて、『ジャイアン』よろしく意識も記憶も定かじゃないような、ほとんど眠っているような状態で山中を彷徨ったなんてことは考えたくない。だって気味が悪い。
きっと一角獣が俺をここまで連れてきてくれたのだろう。と、俺は無理矢理思い込み、納得することにした。
「あー、わかった。多分一角獣だ。一角獣が、俺をここまで連れてきてくれたんだと思う。魔法か何か使って」
「一角獣が……? それで、一角獣は今どこ?」
「あー、そのことについてなんだけど、一角獣は、もう倒さなくていいと思う」
「どういうこと?」
「いや、実はな、一角獣と話をしたんだ」
「一角獣と……!?」
常日頃クールなケイにしては珍しく、その双眸が大きく見開かれた。
俺は、一角獣と話したことの全てをケイに話した。彼女は黙って聞いてくれたが、彼女の薄い表情には、半信半疑の色が見え隠れしていた。
「嘘じゃないよ。本当の話だ」
一応念押しした。だが、それもあまり効果はなさそうだった。
「それで、コーイチは一角獣の話を信じるの?」
ケイの主人グレイスの話と、一角獣の話は食い違っている。彼女はそこを俺に問いたいのだろう。
「一角獣は瀕死の俺を助けてくれた。命の恩人の話は信じたい」
「でも、コーイチが怪我を負った、そのこと自体が一角獣の策略かもしれない。つがいの一角獣と双角獣が二匹して、コーイチをいいように使うために自作自演の一芝居を打った、そうは考えられない?」
「その可能性も無くは無いだろうな。でも、俺は一角獣の話を信じたい。一角獣の話が事実なら、誰も殺さずに済む。一番平和的な解決だと思わないか?」
ケイは目を閉じた。考え込んでいるようだった。一分ほど瞑目し、やがて目を開け、俺を見た。
「確かに、コーイチの言う通り、それが一番平和的な解決方法。だけど、一角獣の話を信じるなら、アコード様はグレイス様に嘘を吐いたことになる。一角獣と双角獣を見間違えるはずはないし、角を持ち帰ったならなおさら」
「夢で見たヴェイロンも同じことを言っていたよ」
「その歳でもおとぎ話の夢を見たりするのね」
ケイは、やや呆れたように俺を見た。真面目な話に水を差されたと思ったのかもしれない。別に水を差したつもりはないが、確かに、緊張感に欠ける話ではあったかもしれない。
「ま、夢なんてそんなもんだろ」
俺はお茶を濁した。俺にとってヴェイロンはおとぎ話の存在じゃないが、まぁ、その辺は、今話すことでもないだろう。
「ま、何はともあれ、一度アコードに直接会って、そのことを確かめてみようと思うんだけど、できるかな?」
「それは難しい。アコード様はあれ以来面会謝絶が続いてる。多分、グレイス様はお許しにならない」
「グレイスさんには内緒で、アコードに会いたいんだ」
「何故、グレイス様に内緒でなければならないの?」
「一角獣の話を信じるなら、アコードが一角獣に襲われたという話が、間違って俺たちに伝わっているわけだ。問題はどこで間違った話が作られたか、だ。アコードが嘘を吐いているのかもしれないし、ひょっとしたらグレイスさんが嘘を吐いたのかもしれない。もし、グレイスさんが嘘を吐いているなら、俺がアコードに会うことは許してもらえないだろうし、むしろ会わせないように妨害することだって考えられる」
「コーイチ、わが主が嘘を吐いてると言うの?」
ケイの声に、やや怒りの色がうかがえた。主人を嘘つき呼ばわりされれば、誰だって気分は良くない。
「いやいや、俺はグレイスさんが嘘を吐いているなんて断定はしてない。むしろ俺はグレイスさんを信じてる。彼女とはたった一度、ほんの少しの間会って話をした程度だから、人となりがわかったとは言えないけどさ、少なくとも第一印象では嘘を吐くような人とは思えなかった。けど、可能性がないとは言えないだろ? 君が一角獣を疑うのが道理なら、一角獣の話を信じる俺が、グレイスさんの話をほんのちょっぴり疑ってしまうのも、また道理じゃないか? そんなに深く考えないでくれ。俺はただ、グレイスさんの頼みを、平和的に解決したいだけなんだ」
俺はソファーから上体を起こし、他意のないことをケイに伝えた。上体を起こしたせいで、首元からかけてあった毛布が、腰元までハラリと落ちた。
ケイは毛布の落ちた俺の胸元辺りを見て、瞬間的に双眸を大きく見開いた。彼女は身を躍らせて瞬時に後退した。俺とケイの間に数メートルの距離ができた。
突然の、ケイの謎の行動に、俺は思考が止まってしまった。
「あなた、本当にコーイチ……?」
おかしな質問だったが、ケイの目は真剣そのものだった。しかも、そこには敵意すら感じられる。
突然向けられた敵意に、俺はかなり狼狽えてしまった。状況が飲み込めない。正直言って、わけわからん。
「その左腕は何……?」
俺の左腕が無いことと、その前の質問の関連性がよくわからない。ケイは今まで、左腕の有無で俺を判別していたのだろうか? いや、そんなことはないだろうけど、左腕を失ったせいで、こんなにも敵意を向けられるのは、いささかショックだ。失いたくて失ったわけじゃないのに、ましてや、彼女のご主人の頼みを聞いたせいだっていうのに。失礼しちゃうぜ全く。
「これは、双角獣にやられたんだよ……、ん……!?」
俺は右手で失った左腕の切断部を指差し、そしてこの目で初めて確かめてみた。
すると、そこには腕があった。
どす黒く、筋骨隆々、長く節くれ立ち、ワニ革のような厚くしなやかな質感を持ち、五本の指には太く鋭利な爪の生えた、爬虫類人間とでも言うような、奇妙な腕がそこにはあった。簡潔に言うなら、バケモンの腕がそこにはくっついていた。
「なんじゃあこりゃああッ!?」
俺は『ジーパンばかり穿くデカ』ばりに叫んでしまった。失った左腕の代わりにバケモンの腕がくっついていたら誰だってこうなると思う。
「それも双角獣の呪い?」
「いや、ちょっと待ってくれ、こんなの聞いてない! 俺にも何が何だか……」
落ち着くんだ多加賀幸一。そうだ素数を数えるんだ。素数は、見ず知らずの異世界にたった一人で訪れなければならなかった俺と同じくらい孤独な数字。俺に勇気を与えてくれる。一、三、五、七……、いや、待て、数えていたら、このおかしな左腕について何も考えられないぞ。ともかくも落ち着け俺。落ち着き、考えるんだ。左腕がこんなことになってしまった原因を探るんだ。
その時、突然、頭の中で夢の中の光景がフラッシュバックされた。フラシュなだけに、まさにピカーンってな感じに。関係ないけど、漫画やアニメなんかである、頭の傍で電球が点灯する表現を最初に考えた人は天才だと思う。
夢の中でヴェイロンは俺に言った。俺に『手を貸す』と。あれは助けるという意味じゃなくて、そのまんまの意味だったんじゃないだろうか。腕の形状はともかく、色合いなんかはヴェイロンによく似ているし。
あのバケモンが貸してくれる腕なのだから、普通の腕の訳がない。俺は自分のステータスを見てみた。すると、【現在装備】の項目に、それはあった。
【黒炎龍の義腕】
ヴェイロンの力を宿した義肢。見た目に違わず強大な力と魔力を備えている。なので、力加減には注意しよう。人間の頭部ぐらいなら、ミカンと同じくらい簡単に潰せてしまうぞ。しかし、それは解放状態での話。偽装状態では並程度の力しか発揮できないので、注意しよう。
偽装状態というのがあるらしい。いや、なければ困る。こんなバケモン腕を晒していては、外も歩けたもんじゃない。俺は頭の中で偽装状態への切り替えを念じた。
すると、巨大なバケモン腕がみるみるうちに縮んでゆく。あっと言う間に、元の人間サイズの腕になった。が、人間並みになったのはサイズだけで、色、質感、爪はバケモンのままだった。
まぁ、さっきよりはマシか。これくらいなら、服で隠すなり、手袋をつければどうにかなるさ。さっきみたいな『シオマネキ』や、『G第一形態』ばりにアンバランスな腕じゃ、日常生活もままならない。
ケイが訝しげに俺を見ていた。ただ訝しがるだけじゃなく、恐怖すら感じているようだった。バケモン腕の持ち主の俺でさえビビっているのだから、ケイがビビるのも無理はない。
「多分、こういうことだと思う……」
俺は夢の話をした。ケイに夢の話をするにあたって、ちょっと前にヴェイロンに会ったこともついでに話した。
終始訝しげに俺の話を聞いていたケイだったが、話しを終えると、彼女は数秒、考え込む素振りを見せ、その後小さく頷いた。
「にわかには信じられない」
「まぁ、そうだろうなぁ……」
夢の中で起こったことが現実に影響してるなんて、誰だってそう簡単に信じられる話じゃないよな。自分の身に起きたことじゃなかったら、俺だってきっと信じられないだろう。
「でも信じる」
「えっ、信じてくれるのか?」
「うん。双角獣に襲われたとき、コーイチは私を庇って助けてくれた。だから信じる。コーイチが一角獣を信じるように、私もコーイチを信じる」
嬉しい言葉だ。それでこそ、身を挺してケイを助けた甲斐があるってもんだ。一見、クールさが目立つケイだが、心根は、恩には信義で報いる情の厚い性質らしい。
「ありがとう。じゃ、中断されてた話の続きをしよう。事の真相を確かめたいから、グレイスさんには内緒でアコードに会いたいんだけど、協力してもらえないか?」
「わかった。でもその前に、その腕を隠さないと」
言って、ケイはリビングを出て、二階へ行った。五分経たずに、彼女は戻ってきた。様々な端切れを縫い合わせたのだろう、一枚のカラフルな布切れを俺に差し出した。
「とりあえず、これを腕に巻いて。そのままじゃ、色々と危ない」
「だな」
手渡されたカラフルな布切れを左腕に巻き付けた。お世辞にもかっこいいとは言えない仕上がりだが、この際贅沢は言ってられない。
「よし、じゃあ早速、アコードのところに案内してくれ」
「わかった」
いざ、アコードの元へ、と一歩足を踏み出した途端、ぐぅ~、と俺の腹が鳴った。ドデカイ音だった。そして、今気づいた。俺、かなりお腹減ってるわ。お腹と背中がくっつきそうなくらい。
「食事を先にする?」
「うん、そうしてもらおうかな」
言って、俺はソファーに座り込んだ。空腹を自覚すると、もう立つのも億劫だった。異性にドデカイ腹の音を聞かれた恥ずかしさも感じられないほど、腹が減りすぎていた。
腹が減っては戦はできぬ。何事も腹を満たしてからじゃないとダメだな。
台所に消えてゆくケイの姿を、俺は目の端でチラっと見た。ただ見ただけ。それから何を感じることも考えたりもできなかった。そうするには腹が減りすぎていた。
やがて食事が運ばれてきた。布を巻き付けたままでは左手が不自由なので、一旦取り去ろうかと思ったが、よくよく考えると、バケモンの腕は視覚的な食欲減退効果がありそうなので、そのままで食べることにした。左手は利き手じゃないので、布を巻いたままでも食事にそれほど苦労しなかった。食事を終えると、俺とケイは山荘を出た。
読んでくれてありがとぅ!




