結局なんだかんだで引き受けてしまうコーイチなのであった。
「許してもらえるまでは、顔を上げられません……」
「許すも何も、私は怒っていませんよ」
「えっ、あんな酷いことを言ったのに?」
「酷いも何も、私の方から『何でもする』と言いましたから、コーイチ様が私に何を仰せつけようとも、気に病む必要なんてありません。それに、私はもうとっくに覚悟できております。ケーディック家に残された唯一の希望が、あなた様だとわかったあの時から……」
ギシッとベッドが軋む音がした。
俺は顔を上げず、平伏したまま聞き耳だけ立てた。
ベッドの方から足音が近づいてくる。多分グレイスだ。ゆっくりと、とてもゆっくりと近づいてくる。
グレイスの裸足が俺の側を通り過ぎ、背後に回った。
背後に立たれ、俺は少し緊張した。
直後、何かが背中に覆いかぶさってきた!
状況からして、それはグレイス以外にありえないのだが、グレイスがまさか突然そんな事をしてくるとは思ってもいなかったから、一瞬判断がつかなかった。
グレイスが土下座する俺の背中に荒々しく抱きついてきた!
柔らかな双峰が目一杯背中に押し付けられる! 魅惑の弾力! それには、健全な思春期男子の正常な思考力を破壊してしまうほどの魔力が秘められている!
グレイスが欲しい。
そんな淫らな欲望が、俺の中で再び目覚め始めた。
これはヤバい。これは良くない。これは危険だ。
このままじゃ、欲望に負けてグレイスを抱いてしまう。それは非常に良くない。
グレイスは魅力的だ。男なら誰だって、こういう女性にクラッときてしまうはずだ。
しかし、だからと言って抱けるかと言えばそれは違う。抱くには重大な第一前提が必要だ。
それは『愛』だ。恋愛感情だ。それがなければ抱けないし、当然俺はグレイスに恋してはいない。
しかもグレイスは、あくまでも取引でそれを持ちかけているにすぎない。
もし俺が、男女の酸いも甘いも知り尽くした苦みばしった中年ならば、取引を利用して性欲を発散させるのもいいだろう。
だが、今の俺はあくまでも、そういった行為に及ぶには、互いに対等な立場にあり、愛し合っていることが大前提と考えている。
それに初めてくらいは、性欲に負けた結果ではなく、愛し合うが故の結果でありたい。
「ぐ、グレイスさん……!」
俺はグレイスを振り払おうともがいた。しかし全力は出せない。彼女は女性で、しかも足が悪く、その上素っ裸。手荒なことをすれば、せっかくの美しい身体に傷をつけかねない。小さな傷だけならともかく、怪我を負わせては大変だ。
しかし、もがけばもがくほど、グレイスの諸腕がきつく絡まってくる。それがまた、とても気持ち良いのが恐ろしい。彼女の脚も、いつの間にか俺の股の間に挟まれ、その温もりがまた、俺の情欲を掻き立てる。
ここまでされると、流石の俺も抗しきれなくなってくる。
「こ、こ、このままじゃ、俺――」
「いいんですよ。我慢しなくて」
グレイスの優しい声、温かな吐息が耳朶をくすぐった。
もうダメだ。さっきから男のシンボルが射撃体勢を取り、指揮官の号令あらば、いつでも戦闘できる状態だ。
グレイスから漂う甘い香り、密着する柔らかな身体、そこから伝わる体温。それら全てが理性を蕩けさせてしまう。
しかし、そこを耐えるのが男ってヤツだ……!
と、気合を入れてみるも、もはや限界は近かった。
後一押し誘惑されれば、それがダメ押しになりそうだった。
「コーイチ様の身体、凄く熱くなってる」
グレイスの手が俺をまさぐる。
ヤバい! 限界ギリギリだ!
「そ、それは生理的な作用であって、決して本心からくるものじゃなくてですね……」
「コーイチ様、正直になっていいのです。罪悪感なんて感じる必要はないのです。何故なら私は、あなた様が私を抱く旨の言う、言わないの如何に関わらず、あなた様に抱かれようと思っていました」
「え、ええぇッ!?」
「領主の嫡女と言っても、次期惣領は弟。家督のない子に、大した権力も財産もありません。故に、私があなた様に差し上げられる物といったら、私自身しかありません」
俺はハッとなった。
グレイスに抱いていた、ふしだらな欲望が急に萎え、冷えていった。
そうか、グレイスにはグレイス自身しかなかったんだ。
グレイスは弟を助けるために、自分に持てる唯一のものを俺に差し出そうとしているんだ。
だから、グレイスは俺に抱かれようと必死なんだ。俺が彼女を抱くことを拒否してしまえば、彼女にはもう、取引材料は残されていないのだ。
それでわかった。グレイスは決して、俺に抱かれたいわけではないということが。
取引材料がたった一つしかないから、グレイスはそれで取引せざるを得ない。抱かれることは決して本意じゃないだろう。手段がそれしかないから、彼女は仕方なくそうしているだけだろう。
その証拠にグレイスは、一度も『抱かれたい』とは言わなかった。抱いていいと抱かれたいでは意味合いが大きく違う。弟を助けるために仕方なく抱かれてもいいと思うのであって、本心は別のところにあるだろう。
なんていじらしく、可愛らしい人なんだろう。
そう思うと、グレイスを抱こうなんて気はますます起きない。
グレイスを、凄く愛しく思えた。性欲ではなく、庇護欲をそそられた。こんな弟思いの優しい人を抱こうなんて、さらさら思えなくなった。
「グレイスさん、俺はあなたを抱きません。というか、抱けません」
「ど、どうしてッ……!? 私はコーイチ様のお好みではありませんか? コーイチ様が抱きたいと思えるほど魅力的ではありませんか?」
「いいえ、グレイスさんは俺にはもったいないほど魅力的です。ですが、だからこそ抱けません。グレイスさんは魅力的過ぎるんです。そんな弟思いの優しい人を、どうして抱けます? 弟を思う一心で身を差し出す健気で高潔な女性を、欲望のままにどうこうしようなんて、俺にはできません。それに、お恥ずかしながら、俺はまだそういう経験ないんです。やっぱり初めては、こういう取引めいたものじゃなくて、自然に愛し合いたいじゃないですか」
「ですが、私がコーイチ様に差し上げられるものは私自身しかありません。それを受け取ってもらえないとなると――」
「心配には及びません。弟さんは俺が助けます」
「えっ、助けていただけるのですか!? でも、抱いていただけないとなると、どうやってお礼をすれば――」
「お礼は、弟さんからいただきますよ。助けられた本人が助けた人にお礼をする、それが筋でしょう?」
「……コーイチ様、ありがとうございます」
俺の身体にきつく絡まっていたグレイスの手足が緩んだ。足は完全に解け、手は俺の胸に滑り込んできた。後ろから抱きつかれるという形自体に変わりはないが、今度はとても優しい感触だった。煮えたぎるような性愛ではなく、暖かな親愛を感じる。
とても落ち着く。相変わらず背中にグレイスの膨らみを感じ、体温となめらかな感触があるのだが、不思議なことに今度のソレはただただ心が落ち着く。
まるで幼児が母に抱かれているような気持ちよさがある。
と同時に、少しばかり嫉妬も覚える。
この優しい温もりを持つ女性には、身体を差し出しても構わないと思えるほど愛する弟がいる。こんなに優しく健気で高潔な美人を姉に持つアコード・ケーディックが羨ましい。
「コーイチ様ってお優しいんですね」
耳元に、グレイスの声がちょっぴりくすぐったい。
「そうですか? 自分ではあんまりそうは思えませんけど」
優しいと言うより、お人好しのほうが正しい気がする。
「お優しすぎるくらいです。コーイチ様はどうしてそんなにお優しいのですか?」
「優しくなければ生きる甲斐もないですからね」
「ちょっと、かっこよすぎます……」
かっこよくて当然だろう。有名な小説の受け売りなんだから。
グレイスがさらに身体を寄せてくる。
幸せ過ぎる。これほどの美女に、しかも全裸で寄り添われて嬉しくないはずがない。性的な意味合いを抜きにしても、気持ち良いったらありゃしない。
俺は束の間、グレイスの温もりを楽しんだ。
読んでくれてありがとう!