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グレイス「何でもしてさしあげますから……!」 コーイチ「ん? 今、何でもするって……」

『何でもする』なんて、気軽に言っちゃダメだゾ。

 土下座なんてされたのは初めてだ。思っていたほど気分は良くない。俺にとってそれほど嬉しいものじゃなかった。

 土下座だけならともかく、『何でもするから』という文句が気になった。

 俺は『何でもするから』という言葉を信じない。そんな言葉は気軽に使われすぎていて、陳腐化してしまっている。それなりの覚悟をもって使うべき重い言葉を、簡単に吐くヤツは信用ならない。

 『一生に一度のお願い』、『命賭ける』、『何でもするから』、以上の三つは、もはや文面通りの重みを持っていない。あまりにも簡単に使われすぎた。もはやただの嘘吐きの、もしくは、甘えん坊の常套句になってしまった。


 しかし、それはあくまでも俺がいた世界での話。ひょっとしたらこっちの人間は、『何でもするから』の文面の重みを理解し、かつ覚悟して使っているのかも知れない。

 果たして本当に『何でもする』覚悟があるのか、俺はどうしてもそれを確かめたくなった。

 もし、グレイスの覚悟が偽りならば、すぐに家に帰ろう。嘘吐きに付き合って、危険な目に遭いたくはない。


 「今、何でもするとおっしゃいましたね?」


 俺は席を立ち、平伏するグレイスの前に立ち、見下ろした。

 ゾクゾクするような、くすぐったいような快楽が沸き起こってくる。最初土下座された時はむしろ不快に感じたはずなのに、今こうして見下ろすと、なぜか気持ちいい。

 ひょっとしたら、俺には『サドのケ』があるのかもしれない。あんまりこういう倒錯した癖は身に付けたくないものだけど……。


 「はい。もし私の願いを聞き入れてくださいますなら、私、何なりとあなた様の命に従います」


 グレイスの声には淀みがない。震えもない。堂々として明瞭だ。

 既に『覚悟完了』しているということなのか? それともただの強がりか? どちらかはすぐに判明する。こういう場合の決まり文句的なあのテのセリフを言えば、すぐにわかる。

 ただ、そのセリフは正直、俺にとってもかなりの勇気がいる。

 俺は内心の緊張を悟られないように、静かに深呼吸した。言うべきセリフを頭の中で何回も繰り返す。

 そのセリフはとても悪役じみていて、正直格好悪く、卑劣だ。それだけに俺にも勇気がいるし、相手の覚悟の程もわかる。

 俺はグレイスの後頭部を見下ろし、その髪の艶やかさに多少目を奪われながら、ついにそのセリフを言った。


 「だったら、今すぐ服を脱いでください」


 緊張のせいで、変に声が大きくなり、同時に声が少し震えた。

 言った直後、頬がかなり熱くなった。めちゃくちゃ恥ずかしかった。正直なところ、童貞の俺には似合わなさ過ぎるセリフだった。

 そんなことを思ったのも束の間、グレイスはサッと立ち上がると、一瞬で服を脱いでしまった。

 俺は瞠目した。まさか本当に脱ぐとは思わなかった。それも一瞬で鮮やかに。

 白く艷やかな肌が、薄暗い室内でも眩しすぎた。体の柔らかなラインが刺激的すぎた。自分でそうさせておきながら、俺はグレイスの裸体を直視できなかった。

 グレイスはあまりにも美しく堂々としすぎていた。


 対して俺は、矮小で滑稽過ぎた。

 俺とグレイスはあまりにも対照的だった。

 ギシッとベッドのきしむ音がした。チラリと横目で見ると、ベッドの上に依然裸のグレイスが横たわり、こちらを見ていた。グレイスはほんの少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 いつの間にかケイが、ベッド脇の台に、黒い陶器製の香炉に火を点じていた。

 香炉から薄い乳白色の煙が上り、あっという間に部屋中に立ち込めた。

 煙は甘ったるく、酔ってしまいそうな香りだった。

 乳白色の煙の向こうで、グレイスの肢体がゆらめいていた。瞳は濡れ、怪しく輝き、蕩け、俺を見ていた。


 「コーイチ様……」


 グレイスの声は甘く、切なそうだった。

 艷やかな唇の動き、合わせてかすかに動く肩や腰が蠱惑的だった。

 こんなのを見せられて我慢できる男がいるのだろうか? 否! 断じて否! 女に飢えた思春期丸出し童貞ボーイが、脱童貞のチャンスをみすみす逃すはずがない! 逃せるはずがない! 逃すだけの理由がない!

 俺は酩酊していた。この場の全てのものに酔わされていた。グレイスの待つベッドへとふらふらと引き寄せられてしまう。


 「用意はできております。さぁ……」


 グレイスは甘美な言葉を、甘美溢れる情感で発した。

 甘美なはずの言葉は、ただ甘美なだけではなかった。俺はそれに違和感を覚えた。

 直後、俺はハッとなった。


 用意はできている……? そうだ、確かに『用意』はできている。できすぎている。あまりにもできすぎているのだ。


 グレイスは俺が言うなり、一瞬で服を脱いだし、ケイは主人が裸になるなり、すぐに部屋に香を炊いた。

 一瞬で脱げる服なんてそうあるはずがない。グレイスは一瞬で脱げる服を予め『用意』していたと考えるべきだ。

 ケイの場合もそうだ。ケイは命令に忠実だとグレイスは言った。そのケイが主人の命令を待たず、香を炊いた。森蘭丸みたいなできた小姓のように忖度し、気を利かせて香を炊いたということも考えられるが、失礼ながらケイがそれほど気の利く人には見えない。これだけ長く話していれば、気の利く側仕えなら、茶の一つでも淹れるものだ。となれば考えられるのはただ一つ、ケイは予め主人に香を炊くように命令されていた。


 以上の二つから考えて、つまりグレイスは、俺と対面する前からこうなることを予測していたということになる。

 グレイスがこうなるように『仕向けた』わけじゃない。グレイスはあくまでも受け身だった。口火は俺が切ったのだ。


 完璧だ。完璧な予測だった。


 しかし何より凄いのは予測じゃなく、グレイスの覚悟だった。

 フツー、辱められると予測がついたら、それを回避するために何かしらの方策を練るもんだ。

 ところがグレイスは、あえて辱められることを覚悟した。

 それは偏に、弟を助けたい一心からだろう。

 見た目だけ美しい人間は少なくないが、中身も伴う人はそうはいない。少なくとも俺は、これほど内外ともに美しい人に出会ったことがない。


 それに比べて俺ときたら一体なんだ?


 グレイスの覚悟を試すためとはいえ、辱めるような酷いことを言い、しかも、試すだけのはずなのに、色香に惑わされてつい手を出しそうになるなんて、最低野郎にもほどがある。

 そう思うと、滅茶苦茶恥ずかしくなってきた。品格の差を存分に見せつけられてしまった。

 人の覚悟を疑ったはいいが、いざそれが想像を超えて素晴らしいものと証明されると、疑ったことそれ自体も恥ずかしくなってくる。

 あれほど高潔な覚悟を下衆の勘繰りで疑ったと思うと、超恥ずかしい。穴があったら入りたい。丸一日中入っていたい。『恥じ入る』ってそういうことだろう。


 俺は、サッと正座になり、そこから深々と頭を下げ、手をついた。土下座だ。さっきグレイスがしたことを丸々そっくりお返しした。


 「す、すいませんでした! グレイスさん! あなたが『何でもする』とおっしゃったものですから、流石に『何でもする』わけないだろう、と思い、調子に乗って変なことを言ってしまいました! 本当は、あなたを裸にしてどうこうしようなんてつもりは毛頭ございません! 馬鹿なことを言った俺を、どうかお許しください!」


 「お顔をお上げくださいコーイチ様」


 グレイスの優しい声音が胸にも響く。

 だが、まだ顔を上げられない。グレイスはまだ裸だろうし、菩薩のように清い彼女を、俺のような汚れきった下衆が直視してはいけない。そう思えるほど、まだまだ恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。

読んでくれてありがとー。

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