黒き火の贈り物。
怪物、その名はヴェイロン。
「俺の名はヴェイロン。この世界の守護者だ。コーイチ、よく覚えておけ。異世界人がここに来るのは構わん。だが、この世界を縦にすることは断じて許さん。この世界の唯一無二の絶対王、それが俺だ。俺が法であり、俺が秩序であり、俺が規則だ。この世界にあるものは、何であろうと俺に逆らうことは許されん。この世界を好きにでき、かつ好きにしていいのは俺だけなのだ。もし、お前が俺の意に反し、俺の逆鱗に触れた時は――」
ヴェイロンは顎を突き出し、顎の下を指でさすった。
「人間には永遠にも感じられる長い時間、死んだ方がマシだと思えるほど痛めつけ、最後には食ってやる。コーイチ、お前は人間のわりに賢そうな面をしている。よもや俺に逆らうような愚かなマネはすまいな?」
俺は激しく何度も頷いた。
「それでいい。コーイチ、俺はお前を気に入っているのだ。気に入ってなければ、どうして火の海からお前を助けるものか」
「た、助けていただき、あ、ありがとうございます!」
俺は九十度腰を折り、頭を下げた。
実のところ、この世界の礼儀作法がよくわかっていない。目上の人に対して、どのように謝意をあらわせばいいのかわからない。
だから俺は、故郷の伝統的スタイルで謝意を表した。いわゆるお辞儀ってやつだ。
「ほう、礼が言えるとは感心な奴。ますます気に入った。だが、礼には及ばん。俺が好きでやったことだ」
ヴェイロンは立ち上がり、右手をパッと開いた。開いた右手が凄まじい速度で俺に迫った。
逃げる間もなければ、逃げようと思う気すら起こらない。相手は俺より遥かに巨体。蟻と象。実力は見るまでもなく、雲泥の差だろう。なにせ相手は世界の王を自称していて、自称に劣らない威容を誇っている。
それに比べて俺は、吹けば飛ぶような、他人より運が良い以外はただの高校生だ。抵抗すればどうなるか、火を見るより明らかだ。『アヴドゥル』よりあっけなくやられてしまうだろう。
俺はヴェイロンの手に包まれた。頭だけひょっこり出ている形。
ヴェイロンの手は岩のように硬かったが、その見た目とは裏腹にソフトタッチなので、圧迫感は多少あるものの、それほど苦しくない。
ヴェイロンは俺を自らの顔の前まで持ち上げた。
かなりの高さがある。ほんの一瞬下を見て、すぐ見るのをやめた。見てしまうと、高所恐怖症になりかねない。ここから落とされたら間違いなく死ぬ。それもかなり酷い死に様になるのは間違いない。それほどの高さだ。
前を見れば、ヴェイロンの異相。見れば見るほど、畏怖の念が沸々起こる。
「お前は、昨今には珍しい人間だ。今の人間ときたら、小狡い利己主義者ばかりだ。実にくだらん。小才をもって小事を成すことしか考えておらん。古には見るべき人間もいた。力は俺に遠く及ばぬでも、己が命を投げ打ってまで、何かを成し遂げようという大器がいた。それが今はいない。小器用は掃いて捨てるほどいるが、世界の器となるべき大器がいない」
ヴェイロンは大きな溜め息をついた。とてもとても大きな溜め息。人間とは桁違いの巨躯から放たれる溜め息はやはり桁違いの威力だった。風速何十メートルという溜め息は、熱く、俺の冷えた顔面を暑いくらい温めた。
「だが、コーイチ、お前は違う。世の人間が、小器小才の小狡い利己主義者なら、お前は不器用ではあるが、大器の片鱗が見える。お前には見所がある」
「あ、ありがとうございます」
一応褒められている、ということはなんとなくわかるが、何を褒められているのかがわからない。見所があるなんて言われても、一体俺のどこを見たら、そんな風に思えるんだろうか。
「本当なら手元に置き、大器としてじっくり養成してやりたいのだが、そうもいかん。世界の王というのは、忙しいのだ。強大な俺の力を持ってしても、時間だけはどうにもならん。よって、代わりに力をやろう」
ヴェイロンは左手人差し指を立てた。
すると、その鋭い爪の先に、ポッと火が点いた。
不思議な色の火だ。その大部分は、一般的によく見る火と同じく、赤い色をしているが、中心部に太陽の黒点のように漆黒の火が揺らめいている。
俺は息を呑んだ。火は美しく、それでいてどことなく、ヴェイロンと同じように、威圧感のある畏怖を感じさせる。
ヴェイロンが指を俺に向けて倒すと、火が俺に向かってゆっくりと近づいてきた。
かなり熱い。さっきまでの寒さは完全に消え失せた。汗が吹き出し、滝のように流れる。
火はどんどん近づいてくる。
「あ、あの、ちょっと、いえ、滅茶苦茶熱いのですが……」
さすがに、命の危険を感じてきた。あまりの熱さにクラクラしてきた。
「大丈夫だ。じきにもっと熱くなる」
何が大丈夫なのか。ヴェイロンの言っている意味が全くわからない。
直後、火は急激に速度を増した。
あっ、と思ったときにはもう遅い。火は一瞬にして、俺の身体を包み込んだ。
「……!!!」
声の出ないほど、強烈な熱さが身を襲った。
死ぬほど熱い。
ってか死ぬんじゃないか!?
死なないわけないか!
火に包まれてるんだから!
いや、耐えろ俺!
世界一の幸運があるんだろ!?
だったら何とかなるだろ!
『心頭滅却すれば火もまた涼し』だ!
あ、ダメだ。それを言ったお坊さんは、焼死したんだった。
近頃は何度も死にかけてきたけれど、今度こそもうダメだ。運の尽きってやつだ。
「大げさに苦しむな。そろそろ慣れてきただろう」
おかしなことを言うヤツだ。火に焼かれるのに慣れるヤツがどこの世界にいる?
「慣れるって……、こんなの慣れるわけが……ん?」
あれ、おかしいぞ。火に焼かれているはずなのに、普通に喋れる。滅茶苦茶熱いのに、不思議とそれが苦じゃない。
「俺の力でもどうにもならんことがもう一つあった。それは運命だ。運命だけは誰にも動かせん。いかに大器の片鱗を見せようとも、花になる前に摘まれてはどうにもならん。本来なら大事に育てるべき種だが、俺には構ってやれるだけの余裕がない。しかし道具は貸してやれる。コーイチよ、大輪の花は、その種であるお前自身が育てるのだ」
身体を包んでいた火が、まるで俺の身体に吸い込まれるようにして消えた。
身体が芯から熱かった。火が俺の中でまだ疼いているようだ。
突然、眠気に襲われた。どうしようもないほど、耐え難い眠気だった。意識をつなぎとめることができない。抗いようがない。
「眠いか、コーイチ。よく眠れ。成長に休息は欠かせない。大器には特にな。『火剣の勇者コーイチ』。今のお前にそれは重すぎるかもしれない。しかし、運があるならそれに見合った、いや、それ以上の男になるだろう。お前にはそれだけの素質がある。身を犠牲にして犬を打ち払ったあの時の心を忘れるな。それこそが大器となるに必要不可欠なものなのだ。俺が貸し与えたものは、大器となるに、少しばかりの手助けになるだろう」
ヴェイロンの言っていることは、ほとんど聞き取れなかった。眠すぎて頭に入ってこなかった。もうダメだ。眠ってしまう。
「俺を裏切るなよ。そして、いずれ見せてもらおう。大輪の花となった、大器と完成したお前の姿を。その時こそ――」
俺の意識は、深い深淵へと沈んでいった。
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