演目は『コーイチとジュリエッタ』 貴族のプライドを賭けた八百長が、今始まる。
八百長も命がけ。
目を覚ました時、周りがやけに騒がしかった。
目を開けて身体を起こすと、劇場の方に沢山の人の姿が見える。
ありゃなんだ?
劇場で何か演るのかな?
まさか、俺とお嬢様の決闘だけでこんなに人が集まるとも思えないし。
というか、他に使われてるなら、決闘できないじゃないか。
いや、果たし状には劇場に来いと書かれてあっただけで、劇場を使って決闘をするとは書いてなかったはずだ。
なるほど、読めたぞ。劇場という人の集まるところのすぐ側で決闘することで、多くの人に決闘を見てもらうという寸法だな。
街中じゃ決闘をするには狭いし迷惑をかけるし、かといって、ただ、だだっ広い場所じゃ人に見てもらえない。
ただ決闘するだけでなく、その結果を人に見せつける、両方を満たすのに、街外れの劇場は打ってつけというわけだ。
劇場にあれだけ観客が集まっているということは、そろそろ約束の時刻だろう。
とりあえず、劇場へ行ってみよう。ついでに、少しくらい劇を観てもいいかもしれない。
こっちの世界は娯楽が少なすぎる。元いた世界じゃ演劇なんてほとんど観たことなかったけれど、劇を観てもいいと思うくらい、今の俺は娯楽に飢えている。
俺は枕代わりにしていた水筒を手に、劇場へと向かった。
劇場の入り口に、さっきはなかった立て札が立っていた。俺の身長と同じくらいの高さの立て札には、
『ジュリエッタ、コーイチのケットウ』
と書かれてあった。
劇の演目……、なわけないよな。最初に思った通り、やっぱり劇場で決闘するらしい。
ジュリエッタ、コーイチのケッコン、ならまだ素直に笑えたが、これは失笑ものだ。
こっちの世界の決闘は、劇場に人を集めて執り行うものなのか。
いや、それよりも、決闘に人がこんなに集まるのに驚きだ。
そういえば、『バガボンド』でも決闘に野次馬が沢山いたなぁ。
そうか、他に大した娯楽がないからだ。きっと決闘見物も、この世界では娯楽の一つなんだ。
生きるか死ぬかの瀬戸際が傍目には面白いのはわかるけど、当事者からすると、ちょっぴり複雑な気持ちだ。
劇場に入ると、観客席の半分以上が埋まっていた。
数える気は起きないが、数百人単位の多くの人で溢れている。
そして、ステージにはジュリエッタお嬢様がいた。
黒いタイツ、黒いワンピース、肘まである黒い手袋、濃紺のケープ。
かなり気合が入っているように見える。これがほんとの『勝負服』ってか。
その両隣に従士が二人侍っている。
お嬢様は椅子に座り、多くの人の注目を一身に浴びるその姿は、かなりイラついているように見える。
腕組みし、全身を揺すらせ、つま先が何度も石のステージを叩いている。こめかみに青筋が走っている。
どうやら俺は待たせすぎたらしい。『ロミオとジュリエット』ならぬ、『宮本武蔵と佐々木小次郎』だな。
しかし、これだけ注目されて、なおかつ遅刻してしまい、ジュリエッタお嬢様を怒らせてしまっているから、なんとも非常に出づらい状況だ。
俺は『スーパースターマン』と違って、あんまり目立ちたくない方だから、尻込みしてしまう。
それでも約束だから、ゆっくりではあるが、一歩ずつ階段を降り、怒りの形相のお嬢様の元へと向かう。
気が重いから足取りも重い。
そもそも、八百長だとはいえ、決闘すること自体嫌なことなのに、その上、火の玉を一発貰うという、恐ろしい目に遭うことが確定しているから、どうしたって気が進まない。
「お、コーイチが来たぞぉ!」
中段まで降りた時、すぐ側の席に座っていたおっさんが俺を見るなり立ち上がり、叫んだ。
俺はビックリした。俺はこのおっさんを知らない。会った覚えも、話した覚えもない。
どうして一介の、名も無き平民のことを知ってるんだ。
おっさんは、昼間からずいぶん酒が入っているらしく、真っ赤な日焼け顔から、かなり臭う。
劇全体が沸いた。劇場のどこを見ても、見た先の人と目が合う。
おっさんのおかげで、観客全員の注目の的だった。
今までこんな注目浴びたことないから、かなり恥ずかしい。
前にお嬢様とモメたときもそうだったが、今回はその時より強烈な注目を感じる。
恥ずかしくて顔が熱い。おっさんより赤くなってるかもしれない。
劇場全体の熱狂に押されるようにして、俺は何とかステージにたどり着いた。
ステージに上り、お嬢様を見た。お嬢様は椅子から立ち上がり、鋭い視線を浴びせてきた。
「逃げたかと思ったわ」
怒った口調だけど、額の青筋は消えていた。
俺が約束を守ったことがわかって、少しずつ怒りが収まりつつあるのかもしれない。
「決闘をするって、『約束』したからな。『約束』を破るのは良くない。そうだろ?」
約束を強調して言った。さりげない意思確認だ。
こっちが約束を守ったんだから、あっちにも守ってもらわないと。口頭の約束、口頭の意思確認でも、無いよりマシだ。
「私は由緒正しきハインライン家の嫡女よ。どんな些細なコトであれ、それを破るようなセコいマネはしないわ。そんなセコいことで家名に泥を塗りたくないもの」
「それを聞いて安心した」
マジでちょっとだけ安心した。本当に、心の底から安心できるのは、火の玉を食らった後だけど。
「準備しなさい」
と言われても、準備なんて無い。しいて言えば、水筒かな。
俺は手に持っていた水筒をテキトーに近くの床に置いた。
「準備できたよ」
お嬢様はサッと手を上げた。すると、従士の一人が、観客に向かって叫んだ。
「静まれ! 静まれぃ!」
従士の、絶叫にも似た大声に、場が静まり返った。
「これより高家貴族、ハインライン家嫡女、ジュリエッタ・ハインライン様とコーイチの決闘を執り行う!」
爆発する歓声。耳を塞ぎたいくらいうるさい。
「両者離れて!」
俺はステージから落ちそうなほど端に立った。お嬢様は反対側の端にいた。
俺たちはステージの両端から向かい合った。間に従士が立つ。
「両者よろしいか?」
従士が言った。劇場がうるさすぎたが、辛うじて聞き取れた。俺は頷いた。お嬢様も頷いていた。
従士が剣を抜き、剣先を前方斜め下へと向ける。
「それでは始める! 両者見合って……、はじめッ!」
掛け声と同時に、従士の剣が振り上げられた。それが合図だった。
開始と同時に、お嬢様が手をかざし、掌を俺に向けた。
その構えには見覚えがある。火の玉だ。早速撃ってくるつもりのようだ。
話が早くて助かる。こんなことはさっさと終わらせたいからな。
お嬢様の掌に光が溢れ、弾けた。瞬間、燃え上がった。火球が出現した。
それはこの前のより一回り大きかった。
おいおい、大きくないか? それってちょっとヤバいんじゃ――。
「『火炎弾!』」
詠唱。
気がつけば、火球が目の前に迫っていた。
次の瞬間には、強烈な衝撃が俺の胴体を襲った。思わず空気を吐き出した。視界が揺れ、霞んだ。一瞬気が遠くなった。
気がつけば、俺は派手にふっ飛ばされていた。
ステージから飛ばされ、前に火の玉を食らったときと同じ要領で、背中から地面に落ちた。
だが、今回は人間のクッションがないから、前より遥かに痛かった。
でも、死なずに済んだ。死なずに済んだということは、錆びた剣が魔法を吸い取ってくれた、という推理が正しかったことの証明だ。
火の玉を受けた身体の前面と、着地した背中が痛いが、ただ痛いだけだった。
深刻な痛みじゃない。多分打ち身程度。
熱狂的歓声が劇場内を包んでいた。決着がついた、ということだろう。
仰向けに倒れたまま、薄目を開けて空を見た。真っ青な空に、千切れた雲がいくつも流れていた。
再び目を閉じ、死んだふりを続けた。
身体の痛みと、周りがうるさい以外は平和なものだった。このまま眠ってしまってもいいくらいだ。
とりあえずは、八百長が上手くいってよかった。俺はホッと胸をなでおろした。
やれやれ、お嬢様のわがままに付き合うのは、まったく楽じゃないよ。
読んでくれてありがとう!