ババアァーッ! ボケッとしてんじゃあねーぞッ! どけェッ!! ってな具合にババアをかばったら死亡フラグが立った。
ババア…おめ…はよおー いつだっておれの足手まといだったぜ…
信号が赤だったので、俺ははからずも小休止することになった。
ここの信号は長い。結構な足止めになりそうだ。
額を伝う汗を手で拭った。
鞄からスマホを取り出し、時刻を確認する。
八時半。
ここからなら、歩いて五分。以外と余裕がある。
やればできるじゃないか、俺。
俺は小さく拳を握り、達成感を噛みしめた。
と、その時。
一人のおばあちゃんが、信号待ちをする俺の隣に立った。
今時珍しい和装。真っ白なお団子頭。
大きな風呂敷を背に担ぎ、両手は紙袋で塞がっている。
俺と同じく、急いでここまでやってきたのか、皺だらけの顔には汗が浮き、肩で息をしている。
おばあちゃん、あんまり無理するもんじゃないよ。俺は心の中でおばあちゃんに労りの言葉をかけた。
俺が心の内で労った直後、おばあちゃんは横断歩道に向かって一歩足を踏み出した。
いや、一歩で止まらなかった。
二歩、三歩とせかせか歩きだす。
俺はびっくり仰天。
なぜなら、信号はまだ赤だから。
制限速度時速六十キロメートルのデカイ国道を、おばあちゃんが信号無視している。
俺は一瞬呆気にとられた。
声を掛けようとしたが、早朝ランニングの疲れもあって、すぐには声が出なかった。
ゴクリとツバを飲み込み、喉を整えた。
「おばあちゃん! 赤信号! 轢かれちゃうよ! 早く戻って!」
俺は大声でおばあちゃんを制止した。
が、届かないのか、聴こえていないのか、聴こえているくせに無視しているのか、おばあちゃんは何の反応も示さない。信号無視続行中。
ヤバイ予感があった。
今、まだおばあちゃんは無事でいられているが、只今は通勤時間。
軽自動車から大型トラックまで、ビュンビュン行き交う時間帯。
この短い間に轢かれておらず、あまつさえ、一台の車も通らなかったのは奇跡だ。
おばあちゃんは俺と違って運が良い。
でも、その運の良さもいずれ尽きる。
奇跡はそう何度も起こらなければ、そう長くも続かないと相場が決まっている。
おばあちゃんは横断歩道のちょうど半分まで渡りきった。
が、そこで運が尽きた。
車は急に止まれないという言葉を象徴するような、大型トラックが猛スピードでやってきた。
制限速度六十キロの道なら、最低でも七十キロは出すのが、世の習いとなっているが、このトラックはそれ以上の速度が出ているように見えた。
配送業とは往々にして、時間と警察との戦いだ。
時間帯によっては、更に眠気とも戦わなければならない。
一瞬、フロントガラス越しに見えたトラックの運ちゃんは、それら全ての敵と戦っているように見えた。
眠気には、もう敗北しかかっているように見えた。うつらうつらしている。
見通しの良い道路なのに、おばあちゃんの存在に、まだ気が付いていないように見えた。
考えるより先に身体が動いていた。
気がつけば俺は鞄とスマホを放り出し、国道に踊り出、おばあちゃんに向かって全力疾走していた。
近づくおばあちゃんの背を見つめながら思った。
これは『悪手』だ、と。
俺はメチャクチャ運が悪い。その、運の悪い俺が、こんな危険なことに首突っ込むとどうなるかなんて、考えなくてもわかることだ。
コーラを飲んだら必ずゲップするくらい、わかりきったことだ。
俺、ついに終わったな。
おばあちゃんの背を突き飛ばしてやった。
おばあちゃんは歩道にぶっ飛んでいった。
多少怪我はしたかもしれない。
打ちどころが悪ければ死ぬかもしれない。
でもまぁ、人命救助のためだから、それも仕方のないことだろ。
どうせ放っといても轢かれるだけなんだから。
そんなことを思っていると、すぐ真横にトラックが迫っていた。
やけに明瞭に、繊細に、スローに見えた。
ヤバイ事故に遭う時はこんな風に見えるって、テレビかなんかで言ってたけど、マジなんだな。
運が悪い俺だけど、今まで車に轢かれたことはなかった。
初めてだ。初体験。轢かれバージン、もとい、轢かれ童貞卒業。
同時に、この世からも卒業。
車に轢かれるのは、これで最初で最後になりそうだ。
運ちゃんは、ようやく俺に気付いたらしく、眠気も月までぶっ飛んだように、目をカタツムリくらい飛び出させていた。
気付くのがおせーよ。
それこそカタツムリくらいおせーよ。
もう間に合わねーよ。
もう一メートルくらいしかないよ。
まだブレーキ踏んでないだろ?
今からじゃもう『F1』だって止まれないぞ。
これ何トンだ?
かなりデケーな。
十トンか?
十トンなら当たればグチャグチャだろうな。
まぁ、何トンだって当たれば死にそうだけど。
体重六十キロの俺じゃ、トラックにはどうあがいても勝てない。
トラックが目と鼻の先に近づいた。
俺は目を瞑った。
さすがに恐怖で見てられない。できれば耳も塞ぎたいが、そんな余裕はない。
俺は覚悟し、その時が来るのを静かに待った。
体感時間一分以上、俺は静かに待った。
待てども待てども、その時はやって来ない。待てば待つほど、恐怖が募る。
まだ待つ。が、まだ来ない。
これじゃ生殺しだ。ギロチン台に仰向けで固定され、刃が落ちてくるのを待ってるような状態じゃないか。
頭がおかしくなりそうだ。もう目を開けようかと思った。
でも、開けた瞬間、ドカン! ってなことになったらそれはそれで怖すぎる。
だが、もう目を閉じてもいられなくなった。ギュッと目を瞑るのも結構疲れるもんだ。
俺はゆっくりと、恐る恐る目を開けた。
トラックのボディが目の前にでかでかと広がっていた。ただ、それだけだった。
トラックは停止しているように見えた。いや、実際停止していた。
正しく言うなら、目に見える全ての物が停止しているように見えた。運ちゃんの顔も、目ン玉飛び出させたまま微動だにしない。
何が起こったのか、どういう原理なのか全くわからないが、きっと何もかもが停止しているんだ。
だって、俺の身体も動かせないのだから。
ただ、目だけが動く。まるで金縛りだ。
しんと静まり返った世界。
静止した時間。
一体何が起こっているのか?
その時だった。
頭上から淡い光が、まるで羽毛のようにふわふわと舞い降りてきた。
それと同時に、金縛りが解けた。
突然のことだったから、俺は思わず尻もちをついた。
ああ、確かに見たよ……主人公は確かにババアをかばったよ