海蛇神、降臨! デカい! 長い! 恐ろしい!
いい雰囲気ブチ壊されてからの……。
やつの姿を見て、ふと記憶が蘇った。頭の中に映画を見るように俺の敗北の瞬間が想起された。
怒りが湧き上がってくる。自分自身の敗北より、ゾエに対する仕打ちに、怒りが抑えきれない。
だけど、今ここでやつを攻撃する気はなかった。というより、そんな気は起こらなかった。
今この瞬間、俺の心の大部分を占めていたのは怒りではなく、やつへ対する恐怖だった。
正直に言う、俺は怯え、竦んでしまっている。
あのとき、あれだけ圧倒的な力の差を見せつけられれば、誰だってそうなってしまうだろう。
「お前は……! お前が、俺たちをここへ連れてきたのか!?」
怯えを隠し、俺は問う。
女は冷徹に笑った。見下すような目は氷の冷たさ。
ゾエがサッと俺の背後に隠れる。
「久しぶりに人間の生殖活動を観察するのもいいかもしれないが……、ひとまず後にしてもらう」
「そ、そんなことなんかしねーよ」
「ふんっ、なんでもいい。とにかく来てもらう」
錠が開けられた。女の指示に従って、俺たちは先導する女の後ろを付いて歩いた。
「ねぇ、あの大女なに?」
ゾエが小声で言う。その声も若干震えている。やつのその全身から立ち上る威圧感のせいか。
「ゾエ、少なくとも今はやつに逆らわないほうがいい」
言葉から俺の恐怖が伝わったのだろう、ゾエは息をのみ、不安そうに頷いた。
「安心しろ。お前だけはなんとか守ってみせる」
「コーイチ……」
ゾエが俺の手を握る。手が震えている。俺も握り返す。これぐらいしか、今の俺にできることはない。
俺たちは巨大な広間に通された。巨大な円形の広間。ドーム球場、いや、それ以上に大きい。だだっ広いだけで、何もない。がらんとしていて、殺風景極まりない。
と思ったのだが、上から差し込む光に誘われ、天井を見上げると、
「これは……!」
見て驚いた。天井に『海』があった。本物の『海』だ。いや、ひょっとしたら川か湖かもしれないが……。なんせそこには大小さまざまな魚が行ったり来たりしている。おそらく水族館にあるような透明の天井なのだろう、淀みの中天にある輝く丸はきっと太陽に違いない。
「なにこれ……」
ゾエは俺以上に驚いているようだった。その美しく幻想的な光景に恍惚となっているようにもみえる。それもそうだろう、俺がいた世界では水族館があったが、こっちの世界でそれに類するものは見たことがない。
「そこで止まれ」
女が言った。女は一人大広間の中心地に立つと、こっちへと振り向いた。かなり距離が空いた。百メートル近く離れたんじゃないだろうか。
突如、女の身体に淡い光が溢れ、その衣服、いや肉体ごと、氷が水になるように溶け出した。
いや、よく見れば溶け出しているんじゃない、水が肉体から噴水のように溢れ出し、やつの肉体はそれに同化しようとしている。
やがて女は巨大な水の一塊になった。お台場のガ○ダ○より大きい水の塊。それが弾けとび、大量の水が俺たちを襲った。巨大な波は俺たちの眼前で急に蒸発し、一瞬辺りに濃い霧が漂った。
霧が晴れたあと、眼前には、
「なッ……!?」
さっきまで水の塊があったそこには、巨大な蛇がいた。お台場のアレよりはるかに大きなそれはまさしく『怪物』。あの凶暴な爬虫類独特の睨みをきかせた目が、俺たちを高みから見下ろす。
ゾエが俺の腕に巻き付いてくる。その身体が震えている。その表情は蝋人形のように白く固まっている。
俺も同じだ。俺たちは蛇に睨まれたカエルも同然だ。あんな巨大な怪物を相手にして平常を保つこともできなければ、闘争心を奮い立たせることも難しい。
だが、見掛け倒しということもある。そこですかさず『オーラスキャン』。
『体力』 :ハンパない
『魔力』 :ハンパない
『物理攻撃力』 :岩をも砕く大馬力!
『物理耐性』 :トラックの衝突にも余裕で耐える。
『魔法攻撃力』 :超ヤバい。
『魔法耐性』 :か~な~り高い。
『器用さ(物理)』 :テクニシャン。
『器用さ(魔法)』 :パネェ。
『幸運』 :これだけはコーイチが勝ってる。後はぜ~んぶ負けてるけど。
あ、見た目通りでした。これはどうしようもないわ……。
無駄な抵抗はヤメだ。極力、争わない方向でいかないと。
蛇は口から二股の舌をチロチロ出し、巨体に似合わない小さなため息をついて、
「ふぅ~。人型って窮屈で身体が鈍るな」
喋った。蛇が喋った。
ちょっと驚いたが、よくよく考えたらこっちじゃ別に珍しいことでもなかった。一角獣も喋ったし、ヴェイロンだって見た目化物だけど喋った。こっちじゃいろんなものが喋る。
それよりも蛇の口ぶり、その声から察するに、蛇がそのままあの女の真の姿、ということのほうに驚いた。わりかし美女だったのに、正体がこんなのって……、ちょっぴりショックだ。つくづくファンタジーな世界って恐ろしい。
「うん? 反応が薄いな? ここはもっと感情を露骨にするところではないか? 海人どもは我の姿を見るだけでも涙を流したり、身体を震わせたり、ひれ伏したりするものだがな」
何が面白いのか、化物はククッと小さく笑った。
「それとも、驚きすぎて感情がトんだか? ではもっと驚かせてやろう、我は『海神クラリティ』、永きに渡る眠りから醒めた太古からの海の支配者である。どうだ? 驚いたか?」
得意げに言った。見た目は化物そのものだが、声が人間の女そのものだから、ギャップがすごい。
「く、クラリティ……!?」
ゾエがつぶやいた。どうやら知ってるらしい。
「お、知ってるのか?」
「おとぎ話に出てくる大海蛇……、ってなんでアンタは知らないのよ……」
「大海蛇なんて言い方はやめなさい。無礼よ。『海神様』とお呼び」
「は、はい、海神様……」
ゾエが慌てて頭を下げる。
「よろしい。まぁそんなことはどうでもいい。そこな人間のオス、お前に聞きたいことがある」
「は、はぁ?」
「お前のその力、ヴェイロンのものだろう? ヤツは何をしている? なにか企んでいるのか? お前はヴェイロンのなんなのだ?」
驚いた。どうしてかこの海神様は俺とヴェイロンとの関係に感づいている。見た目は怪物だが、流石に神様だ。下手なことは言わないほうがいい。正直に答えよう。そもそも隠すようなこともないが。
「ヴェイロンが今どこにいて何をしていて何を企んでいるかはしりません」
「あのヴェイロンが何も企んでいないはずはない。でなければお前のような人間のオスとヴェイロンがつるむはずないもの。さぁ正直に言いなさい。でなければ殺す」
ゾエが心配そうな目で俺を見る。俺は頷く。
「ヴェイロンは俺に強くなることを期待しているみたいです。それ以外のことは知らないしわかりません。嘘は言っていません。信じてください」
「そうだな……」
海神様が目を細めて俺を睨みつけた。蛇睨みだ。すると、
「――な、これはッ……!?」
突然、俺の足元に渦潮が起こった。俺の足元だけに、だ。隣のゾエも驚きと恐怖に目を見開いている。
渦潮は俺の身体を包み込んだ。身動きが取れない。荒れ狂う水流に手も足も出ない。
渦潮はかさを増し、細いタワー状になった。渦潮タワーはまるで竜巻が移動するように、海神様の元へと吸い寄せられた。
またまた水責め。




