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仮面外れて地固まる。

水責め後。

 遠くから何かが響いている。ぼやけた音、としか形容できない。それはだんだんと近づいてきた。やがてそれが耳の近くで鳴っていることに気付いた。それからまたしばらくすると、音がはっきりとしてきた。それは声だった。その数十秒後、それが俺を呼ぶ声だということがわかった。


 「コーイチ……、コーイチ……」


 ああ、うるさいな……、まだ寝ていたいんだ俺は……。


 「コーイチ、ねぇ、コーイチってば……」


 世界が揺れた。いや、俺の身体が揺すぶられたんだ。

 微睡んでいた意識が無理矢理起こされる。揺さぶりはどんどんエスカレートしてゆく。なんだか気分が悪くなってきた……。


 「うっ……」


 起床と同時に口から勝手にうめきが漏れた。

 世界がまだ揺れていた。視界の端にゾエがいる。ゾエの手が俺の上体を無理矢理起こし、激しく揺さぶっている。


 (なにやってんだこいつ……)


 ゾエが俺に馬乗りになっている。起き抜けに、いや、寝ているところを揺さぶられたせいで、頭が痛いし気分も悪い。胃から胸にかけて何かがせり上がってきた。


 「う……、おい、やめろよ……!」


 俺はゾエの手を掴んだ。ゾエの手が俺の身体から離れた。


 「コーイチ、大丈夫!?」


 ゾエが顔を寄せてくる。俺の目を覗き込むように。息が鼻にかかる距離だ。


 「大丈夫なわけないだろ。あんなに揺さぶって、赤ん坊なら病気になるぞ……」


 「な、なによッ! こっちは心配して上げてるのに!」


 「心配……?」


 「心配もするわよ! 青い顔して横になってるんだもん!」


 「ん……、そうだったのか……。なぁ、ところで……」


 辺りを見回すと、全く知らない景色が広がっていた。俺はこの殺風景で狭く、壁全体が濃紺のコンクリート状の部屋に全く見覚えがなかった。

 壁の一つに鉄格子状のドアが取り付けられている。まるで監獄だ。ドアには巨大な錠がはめられていて、外からでないと開けられないことは明白だった。


 「ここどこ?」


 「コーイチも知らないの?」


 「知るわけない。俺はてっきりまたお前がへんなことをしたのかと――」


 「また、って何よ! へんなことなんて一度もしたことないわよ!」


 「わ、わかったわかった、悪かったよ。だからそんな顔を近づけて怒鳴らないでくれ」


 ゾエははっとなって俺から顔を離し、それからそそくさとうしろにさがった。これで適切な距離になった。


 「俺もお前もわからない、か……、ということは……?」


 俺はまだ気分の優れない頭で考えた。そしてこの場合誰もがするように、こうなる以前の、眠ってしまう直前の記憶を思い出そうとした。

 が、そんな単純なはずのことがうまくできない。なぜか頭に思い出されるのは、島の小屋で起きるたびに横に眠るエキシージの半裸体ばかりだった。


 あの自ら惜しげもなく晒した素晴らしい肉体の曲線を瞼の裏に思い描いてしまうと、血流は頭にじゃなくて、ついつい下の方へと流れがち……あっ、


 そこではっとなった。俺も今起きたばかり、ということは、だ……。


 今気づいた。やっぱり俺の股間も『朝の目覚め』状態だった。さっき馬乗りになっていたゾエはこのことに気付いただろうか……? できれば気付いていてほしくないけど……。

 なんともいえない気恥ずかしさがあって、しばらくゾエの方を見れない。俺は少しうつむき加減になって現状をどうすべきか考えた。

 一分ほどじっくり考えて、すぐに力尽きた。頭も痛いし、気分も悪いし、集中できない。


 「う~ん、駄目だ。さっぱりわからん。ゾエ、そっちは何か思い出せる?」


 「大渦に巻き込まれて、船が転覆したところまでは思い出せるけど……」


 「えっ、そんなに前のことだけ? その後のことは? なんにも思い出せないのか? なんにも覚えてないのか?」


 「大渦にやられたあとは、気がつけばここよ」


 「あっ……」


 そうか、ゾエは仮面のことを覚えていないのか。やっぱりあの仮面はゾエを操り、その間はずっと意識を奪っていた、ということなんだろう。

 そうだ、ゾエは俺のせいで大渦に巻き込まれ、その挙げ句に海人に仮面で操られてしまい、その上わけのわからんところに閉じ込められている。俺のせいで、踏んだり蹴ったりの目に遭っている。ほんとに、俺のせいで……。


 「ごめんな、俺のせいで……」


 俺は深々と頭を下げた。せめて謝罪はしないと。


 「な、なによ急に」


 「急も何も、ゾエがこんなひどいめに遭ってるのは俺のせいだ」


 「アンタが大渦を起こしたわけじゃないし、別にいいわよ」


 「ゾエは気付いていないけど、その後にもゾエはひどいめに遭ってるんだ……」


 「ちょ、ちょっと! 何よそれ! ひょっとしてアンタ、首輪の力を使ってアタシの身体を――」


 「だ、誰がそんなことするか! 興味ないわ! そんなお子様体型!」


 「なんですって! この華奢可憐嫋やかなで慎ましく淑やかな肉体の、どこがお子様だっていうのよ!」


 「どこがって……、いや、俺が悪かった。お子様体型なんて言ってごめん」


 何をムキになってるんだ俺は。大事なのはそこじゃないのに。


 「なによ、今日はやけに素直じゃない」


 「いや、真面目に謝りたいんだ。だからゾエも真面目にきいて欲しい」


 「アタシはいつだって真面目だけど?」


 「そうか、ならよかった」


 「なんかトゲのある言い方ね」


 「いや、別にそんなつもりはないが。ま、とにかく聞いてくれ。大渦に巻き込まれたあと、俺はある島に漂流し、そこで助けられた。そこは海人がたびたび侵略しにやってきていた。俺は助けられた恩があったから、助けてくれた人たちを助けるために戦った。その戦場であったのがゾエ、きみだ」


 「えっ、どういうこと? 何の話? アタシたち、そんな出会い方してないわよ。アンタ、ひょっとして頭でも打ったんじゃないでしょうね?」


 ゾエがそっと近づいてきて、俺の頭を丁寧に撫で回す。

 俺はそれを振り払うようなことはしなかった。今回の件は俺に落ち度がある、そう思うから、邪険にはできない。


 「ゾエ、そのときのきみは、頭に仮面をつけていた。多分海人がきみ仮面を被せたんだと思う。仮面を被せられたきみは俺がいくら呼びかけても無反応だった。きっと操られていたに違いない……」


 「え、どういうこと? ちょ、ちょっとおどかさないでよ……」


 ゾエの顔がひきつっている。無理もない。こんな話、いくら事実とはいえ気味が悪い。いや、事実だからこそ余計に最悪だ。

 そしてその責任の一端は俺にある。


 「俺が言ったことは嘘じゃない。証拠になるかわからないけど、ほら、ゾエの首に首輪がないだろ? 多分海人が何らかの方法で取ったんだと思う」


 「あ、ホントだ……」


 ゾエは首を触って確認した。その顔どんどん不安そうになってゆく。ゾエの手が、そっと俺の手を握った。


 「アタシ、コーイチに変なことしなかった?」


 「変なこと?」


 「だって、コーイチは海人と戦ったんでしょう? それでアタシは海人に操られてたんでしょう?」


 「……いや、何もなかったよ」


 「ウソ、だってコーイチボロボロじゃない」


 「これは大渦に巻き込まれたときのだよ」


 「ホントに?」


 「本当だよ。俺は正直者で通ってるんだ。百円玉でも交番に届ける派さ。近所でも評判なのさ」


 「ヒャクエンダマ……?」


 「あ、いや、まぁ、とにかく君が謝るようなことはないってことさ。むしろ、謝らなきゃいけないのは俺の方だ」


 「ううん、コーイチは悪くないよ。それに、アタシがこうやって生きていられるのも、コーイチのおかげだしね」


 ゾエが微笑んだ。優しげで、たしかに可憐だ。彼女のこういう表情を初めてみた気がする。俺は思わず、ゾエに見とれてしまった。

 ゾエも俺から目を逸らさなかった。表情がだんだんと艶めいてきた。目が潤んでいる。ゾエの手が、そっと俺の手から俺の胸元へと移ってきた。


 「コーイチ、アタシね……」


 その時だった。鉄格子戸の外に気配を感じたのは。


 「ほほぅ、生殖活動か?」


 俺がそっちを見るのと、格子戸の外からの声をかけられたのはほとんど同時だった。


 そこにいたのは、あの女だった。水と氷を操り、俺を完膚なきまでに叩きのめしたあの……!

いい雰囲気は得てして邪魔されるものです。

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