かいじん、降臨。
火の海から……。
「ゾエ!?」
「コーイチ!? コレってアンタの仕業!?」
「半分はそうだけど、半分は違う」
俺は駆け寄り、左腕で仮面に触れた。火は不思議なほど熱くも痛くもない。【黒炎龍の義腕】は火に対する耐性があるらしい。
「じゃあ半分は誰なのよ!」
「知らん。とりあえず落ち着け。俺が剥がしてやるから」
焼けたせいか、それは【黒炎龍の義腕】で少し力を入れてやったらすぐに外れた。というより砕けた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよ! めちゃくちゃ顔熱かったんだから!」
「見せてみろ」
俺はゾエの頭を両手でがっちり固定して、その顔をまじまじと覗き込んだ。
見た感じ、火傷はしていない。きれいなもんだ。やがて、みるみるうちに紅潮しはじめた。興奮しているのだろう。無理もない、仮面の呪縛が解け正気に戻ったんだ。この状況、戦争の真っ只中にいるなんて、そう簡単に受け入れられることじゃない。
「ちょ、ちょっと、顔近いから……」
ゾエは目に涙を浮かべて、俺から視線を逸らす。
「あ、ああ、悪かった」
まじまじと見すぎた。いくらなんでも女の子の顔をそんなふうに見るのは失礼だった。
俺は周囲に目を向けた。周囲はいまだ焼け野原。阿鼻叫喚の地獄の風景はしばらく止まないだろう。
炎が容赦なく敵を包む様を見れば見るほど、激しく胸が痛む。『大いなる力には大いなる責任が伴う』、そんなセリフが映画であったけど、今それを激しく痛感している。
だが、今は立ちすくんでいる場合じゃない。とにもかくにも、ゾエを連れてここを脱出しなければならない。それが今の俺に課せられた責任の第一だ。
「ゾエ、逃げるぞ。ついてこい」
自らが起こしたこの火の包囲から、そして敵の軍勢の包囲から逃れるため、俺はゾエを連れて駆けだした。
わりかし浜に近く、燃えるような植物類は少ないというのに、炎はやけに強く燃え盛っている。
これが【黒炎龍の義腕】の力か……。
我ながら恐ろしい力を持ってしまった。今後はもう少し考えて使わないとな……。
そんなことを思いながら、俺とゾエは火の隙間を縫うように駆ける。
敵にかまってはいられない。というより構う必要がなかった。敵も敵で大混乱に陥っている。
炎の包囲は意外とすぐに抜けられそうだった。なんせこっちには【黒炎龍の義腕】がある。最悪の場合でもこの力を使えば地面ごと炎をぶっとばすこともできる。しかも【黒炎龍の義腕】は火によるダメージを全く受けない。まったく便利なもんだ。
とはいっても多用はできない。炎を吹き飛ばすために、毎度毎度ショベルカーのように地面をえぐるのは骨が折れる。めちゃくちゃ疲れる。ここぞというときだけにしとかないとすぐにバテる。
そうこうしているうちに、炎の包囲の終わりが見えてきた。あと数十メートルで包囲を抜けられる。
でもそこで終わりじゃない。今度は敵の包囲だ。だが、俺とゾエならなんとかなるだろう。
そう思った矢先だった。
急に辺りが暗くなった。あまりにも不自然だった。
目が自然と空に向いた。空中に『巨大な水の塊』が浮かんでいた。雲のように巨大な、上空一面を覆い尽くす『巨大な水の塊』。海がそのまま頭上に現れたかのようだ。
一瞬、俺はそれがなんなのかわからなかった。『巨大な水の塊』が空中に浮かぶなんてありえなさすぎて、目で見た現実が信じられなかった。
だけど、それが現実だった。
直後、それは俺たちに降り注いだ。いや、正確にはここら一帯に降り注いだ。
大量の水に俺たちどころか目に入る風景すべてが水浸しになった。俺が点けてしまった火は一瞬にして鎮火された。
「な、なんだこりゃ……!?」
「これもアンタがやったの?」
びしょびしょになったゾエが非難の目を向けてくる。
「なわけないだろ。俺にこんな大それたことできるわけないだろ」
「火の海にはできるのに?」
「……まぁ、それはまた違うんだよ。とにかく、さっさとここを離れよう。なんだか嫌な予感が――」
瞬間、目の端に何かきらめくものを見た。
それは空からやってきた。俺は気付いたが、気付いたときには既に遅かった。
鈍い音を立てて、いくつもの氷柱が俺とゾエの間を、二人を隔てるように突き刺さった。
上空に目を向ける、そこには新たに飛来する氷柱。『黒炎剣』を起動し、【黒炎龍の義腕】の力を使い、火力を高め、空へ向かって一振りし、迎撃する。
さすがに【黒炎龍の義腕】の火力は半端じゃない。一瞬にして氷柱を溶かした、
と思ったのもつかの間、わずかに残った水滴が、まるで風船に空気を入れるように一瞬にして膨れ上がり、また氷柱を形成した。
氷柱は俺とゾエの四囲へと突き刺さった。畳一畳分ほどの小さい空間に、俺とゾエは閉じ込められてしまった。
「『氷の部屋』というのも、結構いいものじゃない?」
突然、空から声がした。声の方を見ると女がいた。
その女は透明度の高い湖水のような水色の長い髪を風になびかせ、手でかきあげ、俺を見下していた。
女は長身豊満。身長に関してはおそらく百九十センチはあるだろう。女性の女性らしい部分がこれでもかと強調され、また衣服はそれを妨げないようなぴっちぴちの水着のようなものだった。
見た感じそれはまさしく水着のように伸縮性のあるものなのだろうが、こっちの世界でそんなのを見たのは初めてで、とても異質な印象を受ける。
水着のような衣服には宝石や指輪の類の装飾品が過剰なほど盛り付けられていて、衣服の機能性をかなりそこなっているように見える。
言ってしまえば水着に指輪や腕輪やネックレスやピアスなんてアンバランスにもほどがある。
「お前の仕業かッ!?」
「口の聞き方には気をつけなさい。お前は今、『海神』を前にしているのだぞ」
「かいじん……?」
かいじんって海人か……? それはさっきからいたるところで目にしてる。
だけどこいつはそんじょそこらのやつとは違う。なんとなくそんなオーラを感じる。ヤバイ感じがぷんぷん漂っている。
ヤバくても、やることは一つだ。障害は『黒炎剣』で切り払うのみだ。
俺は【黒炎龍の義腕】の力を開放し、『黒炎剣』を最大火力にした。
黒く燃え盛る刀身はさらに強く燃え盛り、俺を囲んでいた氷柱を瞬時に溶かすと、まさに食らいつく黒龍のようにヤツに向かって伸びる。
「ふぅん……」
ヤツが、ニヤッと笑った。目と口の端に嘲りが見えた。
「その程度、ね」
ヤツが手を、まるでハエでも追っ払うように打ち払うと、そこに水のカーテンが現れた。
それは大して分厚いようには見えない。『黒炎剣』なら容易く蒸発させられる、
だが、それは間違いだった。
『黒炎剣』の切っ先が水のカーテンに触れた。そこで、『黒炎剣』の伸長が止まった。
火力は全開、全ての力を『黒炎剣』に注いでいるはずなのに、薄い水のカーテン一枚突き破れない。
たしかに、炎は水を蒸発させている。しかしそれは同時に俺の炎も水に弱められている、ということだった。
あんな薄い水のカーテンに、俺の『黒炎剣』が負けている……!
「ヴェイロンの力って、その程度なの?」
「なッ……!?」
ヤツは、ヴェイロンの力のことを知っている……!?
「つまんないわね。もう少し楽しめると思ったのに」
ヤツは心底残念そうにため息をついた。
「終わらせるしかないわね。でもその前にお前の記憶に刻みなさい。この海神『クラリティ』の名を!」
水のカーテンが突然、『黒炎剣』をものともせず、こちらへ向かって突き進んでくる。
完全に力負けてしている……!
圧倒的な力の差を痛感したわずか一秒後、水のカーテンは俺の目の前に迫っていた。
はっ、と思ったときにはもうどうしようもなかった。手遅れだった。
水のカーテンは俺を包み込んだ。俺の自慢の『黒炎剣』は完全に沈黙した。
水のカーテンは地上にあって俺を完全に水没させた。水は容赦なく俺を責める。口も鼻も、今の俺の身体で水に浸かっていない部分はない。息ができない。俺は地上にいながら溺れさせられてしまっている。
パニックだ。地上にいながら溺れるなんてそんなわけのわからないことが許されてたまるか。俺は必死にあがいた。自ら抜け出そうと水の中を手で掻き、足で蹴った。無意味だった。この水はただの水じゃない。俺が何をしようが、水自体が意思を持つかのように、俺のやることを文字通り水に流してしまう。
だめ……だ……、もう息……が……。
苦しみと反比例するように全身の力が抜ける。やがて、苦しみすら遠くなり、世界が暗くなり、俺は考えることすらできなくなった。
そして意識を失った。
水責め。