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強烈なビンタ


 五


 いつの間にか俺は眠っていた。戦いの興奮が醒め、抜けきらない疲労感に一気に押しつぶされたように眠り込んでいた。


 そんなとき、不意に誰かに身体を引っ張られ、無理やり目覚めさせられた。

 爽やかな寝起きとは程遠い。真夜中に大地震で叩き起こされたような感覚だった。

 俺を起こしたのは山刀の女性だった。鬼の形相で俺の襟を掴んでいる。


 そして、寝起きでまだまだボケている俺の頬に一発、強烈な平手打ち。

 痛烈だった。俺はベッドに仰向けに倒れた。ヒリヒリと頬が痛い。頬に手をやると、頬が熱かった。

 おかげで完全に目が醒めた。醒めると、この突然で理不尽な仕打ちに怒りがメラメラと沸き起こってくる。


 「なにすんだ……!」


 寝起きで声がかすれた。


 「言ったはずだ! お前は下がってろ、と! それをお前はどうした? えぇッ? 答えてみろッ!」


 そうだ、俺はあのとき、こいつの命を助けた。翻ってこれはどうだ? お礼をされてもビンタされる筋合いはない。それを思うと余計にムカついてきた。


 「お前が危ないように見えたから、わざわざ助けにいったんだ。それのなにが悪い?」


 「余所者が勝手なことをするな! 戦は統率が第一だ! お前のような余所者が勝手なことをして、こっちがどれだけ迷惑したかわかるか? わかるまい! お前の素人考えの短慮な行動の結果がどうなったか教えてやる! お前について門を出た十人は全員死んだ! お前の行動で十人が命を落としたんだ!」


 死んだ……? 十人も……? なんてこった……。


 俺は何も言い返せなかった。戦争で人が死ぬのは当たり前、そんな言葉を目や耳にしたことはあるけど、それが自分の行動によってもたらされた結果だと……。


 「来い! これ以上余所者に勝手なことをされても困る!」


 俺は彼女に手を掴まれ、連行された。

 連れて行かれた先は小屋だった。畳十畳ほどの広さで、日用品や家具の類は揃っている。


 「私の許可あるまでお前はここにいろ! 外出はこの家の庭先までしか出てはいけない。便所はそこだ」


 山刀の女性はまくしたてるように言うと、足早に去っていった。

 彼女が去ると、急に静かになった。この小屋は住宅地の外れにあって、閑静そのものだった。

 叩き起こされ、怒鳴られ、譴責されてからの静寂。その温度差に、俺は立ちくらみすら感じた。

 脱力し、ベッドに座り込んだ。座ることすら億劫で、寝転がった。


 助けたのに、あそこまで言われるか……。


 命がけの人助けの結果がこのザマだ。しかも彼女の言うこともたしかに一理あるから、悲しさも虚しさもひとしおだ。


 なにやってんだ俺……。


 やる気もなにもない。あるのはただ頬の痛みと胸のもやもや。

 俺は目を閉じ、何も考えないようにした。虚無だ。虚無になるしかない。そして虚無になるには寝るしかない。今はそれしかない。頬の痛みと胸のもやもやをどうにかする術は、おそらくそれしかない。

 意外と早く寝付けたのが、今の俺にとっての唯一の慰めだった。


 ………………………

 ………………

 ………


 ノックの音に目が覚めた。窓を見るともう日が落ちて真っ暗になっていた。昼寝にしては長く寝すぎてしまった。中途半端な睡眠のせいか、頭が痛かった。とりあえず起きて、ドアを開けた。

 俺はぎょっとして少し身を引いた。目の前にいたのは俺の顔を二度も打ったあの山刀の女性だった。殴られたときのあの痛みが蘇ってきた。

 今はもう山刀を携えていなかった。武装はしておらず、服装も農村の村娘のような質素なスカート姿だった。その手にお盆を持ち、盆の上には水差し、コップ、パンと湯気を立てているスープ。


 女性は、俺がビビッて身を引いたのを、ウェルカムと解釈したらしい、つかつかと部屋に入ってきて、部屋のテーブルの上に盆を置いた。


 「ごめんなさい……」


 ふと、つぶやくように女性が言った。


 「えっ」


 「叩いてごめんなさい」


 「あ、ああ、そのことか」


 「それと、助けてくれてありがとう。あなたがいなかったら私は死んでいたわ」


 「どういたしまして……」


 なんだか昼間とは全然雰囲気が違うように見える。昼間は武装と相まって剽悍で精悍だったけど、今は言葉にトゲトゲしさもなく、物腰の柔らかい落ち着いた態度だ。

 一瞬別人かと思ったけど、話の内容から今目の前にいる女性が山刀の女性だということは間違いない。


 「早く食べなさい。冷めるわよ」


 「あ、ああ」


 言われるままに、椅子に座ってパンとスープを食べ始めた。

 女性はベッドに腰掛けた。俺と女性の間には微妙な距離があった。それが微妙な空気感を醸し出していた。

 飾り気のない質素なパンとスープだが、とても美味しい。空腹のせいかもしれない。誰かが言っていた、空腹こそが最高のスパイスだ、と。俺は夢中でスプーンを運ぶ。


 「自己紹介がまだだったわね。私はエキシージ。平時には畑を耕し、戦時にはこの島の守備隊長を務めているわ」


 俺は手を止め、水を飲んだ。


 「俺はコーイチ……」


 『火剣の勇者』だ、と言おうとしてやめた。知っていてくれたらいいが、知られてなかったら自称勇者だ。それは非常にカッコ悪い。


 「コーイチ、さっきは本当にごめんなさい。私は、一軍の隊長だから、部下の前では規律を毅然と示さなければならないの。わかってくれる?」


 「ああ、わかってる。だから何度も謝らなくていいよ」


 俺が勝手なことをしたのは事実だ。だからそのことについて別に怒りはしない。それにエキシージには、ここの住民は命の恩人だから、これくらいのことじゃ怒りようもない。


 「優しいのね、コーイチは。それでいて強い」


 「強くなければ生きられない、優しくなければ生きる価値がないからさ」


 俺は聞きかじりの名台詞をここぞとばかりに使った。


 「名言ね。私もそうありたいわ。ところでコーイチ、あなたは浜に打ち上げられていたんだけど、そのこと覚えている?」


 俺は首を振った。

 だが、エキシージの言葉に大事なことを思い出した。大事な連れのことを。


 「俺、カウルって村に行く途中に大渦に巻き込まれて船が難破しちゃったんだけど、他に救助された人はいなかったか?」


 今度はエキシージが首を振る番だった。


 ということはゾエは……。


 急にスープの味がしなくなったように感じた。俺のせいだ。俺のせいでゾエを巻き込んでしまった……、そう思うと、今まで美味しかったパンとスープが喉を通らなくなった。


 「そう気を落とさないほうがいいわ。ここにはコーイチだけだけど、他に流れ着いた可能性もあるし。というより、ここに流れ着くより、他に流れ着く可能性が高いわ。なんせここは訪れようと思ってもそう簡単に入り込める場所じゃないもの」


 「それはどういうことなんだ?」


 「それはまたおいおい話すわ。今日はお互いに疲れているだろうし、ここらで失礼させてもらうわ。それじゃまたね」


 エキシージは立ち上がった。なんだか急に俺に今日見失ったような感じ。いや、そうじゃない、なんとなくオレとエキシージの間には見えない壁があった。物理的距離以上の距離感がある。さっきから微妙なよそよそしさを感じる。


 「ああ、じゃあまた」


 「おやすみコーイチ、あなたがいつ頃帰れるか、交易船の連中にも聞いておくわ」


 「ありがとう。おやすみ」


 エキシージは出ていった。

 一人になると、エキシージの微妙な態度なんてどうでもよくなって、代わりにゾエのことが胸に痛んだ。


 「はぁ……」


 今更ながら俺はゾエの無事を祈らずにはいられなかった。責任は俺にある。魔法道具なんかで無理やり従わせて連れていったのは俺だ。俺が連れて行かなければ、ゾエがこんな目に遭うことはなかったはずだ。

 『支配者の指輪』さえ忌々しかった。指から『支配者の指輪』を抜き取り、投げ捨てた。自責の念、後悔と苛立ちが俺にそうさせた。壁に当たり、軽い音を立ててころがった。淡くか弱く青い光が指輪から煙のように立ち上った。指輪の効果が失われたのだろう。

 パンとスープを口に詰め込み、一杯の水で喉奥まで流し込んだ。通りは悪かったが、残すのも憚る。だから無理やり飲むしかなかった。


 その夜は悶々としたまま過ごさなければならなかった。

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