ピンチ(ある意味チャンス?)は風とともに去りぬ。
サービスサービス。
目を覚ますと、やけに膝の上が重かった。
そうだ、俺はたしか……、ベンチで寝ちゃったんだ。
膝の上に違和感を覚えつつ、まだ重い瞼をゆっくり開けると、眼前にグレイスの顔がドアップに迫っていた。
驚きすぎて声が出なかった。
グレイスが俺の膝の上、正確にはももの上に馬乗りになっていた。その両腕は俺の首に巻き付けられ、そのせいでその豊満な胸部が俺の胸に押し付けられていた。
そして、何故かグレイスも驚いていた。
俺たちは互いに驚愕の表情でしばし見つめ合った。
「ど、どうしたんですか……?」
率直に聞いてみた。
「あ~、え~っと、よくお休みでしたから……」
「それで……?」
「だからです……」
ちょっと意味がわからない。
いや、しかしあの聡明と思われるグレイスのことだ、きっと何らかの理由があってのことのはず。
だから、俺はしばらくこの状況のまま特にアクションを起こさず、グレイスの行動、発言を待った。
だが、時間とともに流れたのは気まず~い沈黙だった。
そこで、俺は大変なことに気づいてしまった。俺の『リトルコーイチ』が大変なことになってしまっていた。婉曲的に言えば『戦闘態勢』になっていた。多分、さっきの昼寝のせいだろう。
それに気づいてしまうと、今度はグレイスを意識してしまった。あまつさえ密着状態。俺の『硬い部分』はグレイスの『柔らかい部分』と、わずか布数枚を隔ててぴったりくっついてしまっている。
そこだけじゃない、胸だってそうだ。高まりつつある俺の心臓の鼓動がグレイスの心臓に伝わってしまいそうなほどだ。
まずい、まずいぞ! 落ち着け俺!
そう自分自身に、『リトルコーイチ』に命じれば命じるほど逆効果だった。生理現象は強い意志をもってしてもどうしようもない。
俺は恥ずかしさで顔が熱かった。だってグレイスは間違いなく気づいているはずだから。俺のアレがあんなことになっていることを。それを押し付けられているグレイス自身がよくわかっているはずだ。
「あの、グレイスさん、あの、いや、これはですね、せ、生理現象というヤツでして……」
しどろもどろに弁明した。てんぱってうまく舌が回らない。もう今ではグレイスの顔もまともに見れない。恥ずかしさの最高潮だ。
「コーイチ様……」
グレイスの両手が俺の両頬を捕まえた。その手に導かれて、俺はグレイスを正面に見据えなければならなかった。
「コーイチ様、私のことはお嫌いですか?」
「い、いえ、そんなことはありませんが……」
「では、好きですか?」
グレイスの目が怪しげに光った。表情は柔らかで優しげだが、目に凄味がある。俺はその目から目を逸らすことができなかった。
生ぬるい風が吹きはじめた。それは俺の周りを漂いはじめた。手足を揉み、背筋を撫で、唇に触れるような妖しげな風だ。
「す、好きです……」
言って、自分で驚いた。好きといえば好きかもしれないが、それを直接的に言ってしまうのははばかられる。俺は異世界人だ。元の世界に戻る定めだ。別れが辛くなるようなことは極力したくない。
なのに好きだと言ってしまった。どうしてだろう? なんだか頭がボーッとしてきた……。
「嬉しい……」
グレイスはおもむろに着衣をはだけた。グレイスの雪のような素肌が肩口からこぼれた。その下の深い谷間までも覗けてしまう。
「私が欲しくなりませんか?」
俺は口を噤んだ。ノーと言おうとしてその反対の言葉が口から飛び出すことを恐れた。
今の俺は何かがおかしかった。頭がボーッとする。そして、やけに暑い。グレイスが服をはだけるのも当然だ。暑いんだから。
「コーイチ様もお脱ぎになって」
俺は上着を脱ごうとした。それよりも早く、グレイスの手が俺の上着を剥ぎ取った。これは楽でいい。
薄汗のういた俺の胸にグレイスが頬を押し付けた。グレイスの頬も熱かった。暑いんだから仕方がない。いや、それにしても暑い。上はいいが、今度は下半身がやけに暑い。
だけど、さすがに下は脱げない。グレイスがいる。グレイスは女の子だ。すごく魅力的な女性だ。だから危ない……。
「コーイチ様、私が欲しくありませんか?」
欲しい。だが、それを言っちゃいけない。残った理性を総動員して俺は自分自身に命令する。これ以上は危険だ。今すぐグレイスから離れろ。
だが、意思とは逆に、俺の手はグレイスを抱き寄せていた。
「あっ……」
グレイスが小さな声を上げた。
俺は何も考えられなかった。暑いし、頭がボーッとするし、暑すぎる。そしてグレイスが欲しかった。理由もなく欲しかった。
グレイスを押し倒そうとしたその瞬間、グレイスの背後、遠くに人影が見えた。どんどんこっちに近づいてくる。
「あっ……!!!」
それはジュリエッタだった。あっ、と思った瞬間、俺は飛び上がるようにして素早くグレイスから離れた。
急に頭がはっきりしてきた。まるで夢から突然醒めたような感覚だった。今はもう暑くもない。上着がないぶん、逆に寒いくらいだった。
グレイスもジュリエッタに気付いた。そそくさと着衣の乱れを直した。俺も上着を急いで着た。ジュリエッタはもう俺たちの目の前だった。
「ずいぶん、仲がおよろしいみたいですね」
ジュリエッタが微笑んで言った。だが、その目は笑っていないように見える。
大変なところを見られてしまった俺は、羞恥のあまりジュリエッタの顔をろくに見れなかった。何度かチラっと見るだけで精一杯だった。
「もっと親睦を深めたかったのですが、ね、コーイチ様」
まだ上気を残した顔で、グレイスはジュリエッタに負けず劣らず微笑んで見せた。
「は、ははは……」
俺は笑うしかなかった。
「それではごきげんよう」
グレイスは杖を手に、ゆっくりと優雅に歩いて立ち去った。俺は取り残されたかたちだ。
「私はダメでグレイス様はいいんだ?」
ジュリエッタがニヤニヤ笑って言った。
「いや、そーゆーことではなくて……」
「わかってるわ」
「え?」
「だけど、グレイス様があんな手を使うとは思わなかったわ」
「え?」
「やっぱり気付いてないみたいね。グレイス様はね魔法を使ったのよ」
「魔法?」
「そう、あなたに恋の魔法をかけたのよ。グレイス様お得意の風魔法の応用よ」
言って、ジュリエッタはベンチに腰掛けた。自分の組んだ足の膝に肘をつき、その手の上に顎を乗せ、上目遣いに俺を見た。思わずドキッとするめちゃくちゃ可愛い仕草。俺はちょっと照れてしまった。
「グレイス様って色恋に興味がないんだと思ってたわ。あれだけの美女でモテないはずないのに、艶聞の一つも聞かなかったもの。でも間違いだったみたいね。色恋に興味がないんじゃなくて、今までは興味を持てる男がいなかっただけみたいね。ま、それは私も同じか」
「ふっ、モテる男は辛いぜ」
俺は茶化しながらジュリエッタの隣に座った。さっきの恥ずかしさの余韻がまだ去りやまず、それをごまかしたつもりだったが、あんまりうまいやり方じゃなかった。
「で、シたの?」
横目にジュリエッタが大変なことを聞いてきた。
「シたって……」
何を? と聞きかけて止めた。わざわざ聞くまでもないことだ。聞くだけ無粋ってやつだ。
「いや、何もシてないよ。多分」
「多分?」
「恋の魔法の効き目がすごくてね。ボーッとしてたからよくわからないんだ」
「……別に隠さなくていいのよ?」
「隠してないよ。本当のことだ」
「なーんだ。もしシてたら私にもシてもらおうと思ったのに」
「ば、バカなこと言うなよっ!」
「だって、コーイチの一番でいたいじゃない。だから、せめて同列には扱って欲しいもの」
「……よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるなぁ」
聞いてるこっちが恥ずかしい。嬉しいんだけど照れてしまう。
「私、好きな人には積極的にいく方なの。それに別に隠すこともないじゃない? 好きなら好きって言ったほうがわかりやすいし、牽制にもなるじゃない? それともコーイチは積極的な女は嫌い?」
「よくわかんないな。でも、ジュリエッタに関しては好きだ」
「えっ……」
「今思い出したんだけど、俺さっきグレイスさんに好きって言ってるんだよ。だからさ、対等じゃないとダメだろ?」
「急にどうしたの? まだ魔法が効いているんじゃないの?」
ジュリエッタが身体をくねらせて言った。顔が赤い。どうやら照れてるらしい。ま、言った俺も自分で言っておきながら照れてるんだけど。
自分でもわかるほど、今の俺はどこかおかしい。これは早々に退散したほうが良さそうだ。
「そうかもしれない。じゃ、俺は部屋に戻って頭冷やしてくるよ」
「そう、じゃあまたね」
俺は足早に駆け出した。ちょっと行ってから振り向いて、ジュリエッタに手を振った。ジュリエッタも手を振ってくれた。俺は足早に自室に戻った。
ジュリエッタの言うとおりだった。多分『恋の魔法』がまだ効いていた。なんだかジュリエッタといると胸がドキドキするし、視線が思わずジュリエッタの胸や腰の辺りをさまよってしまう。
まったく大変な魔法をかけてくれたもんだ、あのお嬢様は……。
俺はベッドに倒れ込んだ。大して昼寝しなかったのか、その後に疲れすぎたのか、すぐに眠気がやってきた。
寝る前になんとなくステータスを確認してみると新しいスキルが追加されていた。以前は薄くて見えなかったスキルが完全に見えるようになっていた。
【魔法習得術初級】
魔法を受けたり、見たり、使ってみることで魔法を頭と身体と心で理解することができるようになる。初級では、心持ち魔法が習得しやすくなったかな? 程度の効果でしかない。
多分これは、グレイスの恋の魔法を受け続けたせいだろう。感謝して良いのやら……、なんか複雑だ。
ま、なにはともあれ無いよりはマシだし、一応魔法が身につき始めているのは確かだ。この調子で強くなれればいいけど……。
ふかふかのベッドが気持ちよくて、俺はいつのまにか寝落ちしてしまっていた。




