誘う歌声。暖かい風。甘い囁き。
今回は短め。
長い長い食事会の後は、夕食までの間、一人の時間をもらった。昨日一日を牢屋で過ごした俺の疲労を気遣ってくれて、静かにしててくれるそうだ。こういうところは気の利くいいやつらなんだが、俺の内心の不安までは見抜けなかったようだ。
かといって気づいて欲しくてわざとらしい素振りをするのもどうかと思うし、直接的に不安を吐露するのもはばかられる。男である以上、そして一応『勇者』と讃えられている以上、俺にもプライドがある。そうそう弱音は吐きたくない。
しかしやせ我慢も身体に悪い。精神的にも悪い。といって解決策もない。行き詰まりだ。
行き詰まった俺は広大なケーディック邸内をうろちょろした。落ち着かない心がそうさせた。
歩きながら、頭の中をいろいろな思考が駆け巡った。アルファードとどのように戦うか、そこから移って、嫉妬と逆恨みで喧嘩を売ってきたアルファードへの悪態、やがて自分の運命を呪いだした。
運命まで呪いだしたら末期的だ。そんなことしてもどうにもならないし、非生産的にもほどがある。やめよう、余計気が滅入るだけだ。
特別眠くもないけど、気分転換に昼寝でもするか。
俺はグレイスが用意してくれた部屋へ戻ろうとした、そのとき、どこかから音楽が聞こえてきた。
耳を澄ますと、それは歌声だった。透き通った、まるで楽器のような歌声が、風にのって漂ってきた。
俺は誘われるように、歌声を辿った。
歌声の主は裏庭の木立の中のベンチに腰掛けていた。
グレイスだ。ケイを連れていない。傍らには杖が置かれてあった。不思議なことに彼女の周囲にだけそよ風が渦巻いていた。そよ風が、彼女の髪を、服の裾を、まつ毛を優しく震わせていた。
多分、風の魔法だ。前にグレイスが風の魔法を使うのを見たことがある。
グレイスはまだ俺に気づいていない。優しく美しい歌声を響かせている。邸からここまでは結構距離があるのに、歌声はそこまで大きくない。危機心地がいいせいと、声が通りやすい性質なんだろう。残念ながら歌詞は聞き取れなかった。俺の知ってる言語じゃなさそうだ。
グレイスは唐突に俺に気づいて、ハッとなって歌を止めた。風も止んだ。
「コーイチ様……」
「あ、すみません、おどかしちゃって……」
「いえ、こちらこそすみません、うるさくしてしまって」
「いえいえ、とんでもない! きれいな歌声だったんで、つい吸い寄せられてしまいました」
「あ、ありがとうございます」
グレイスは頬を少しだけ染めて言った。
「あの、体調がおよろしいなら、少しお話しませんか?」
「そうですね、じゃあお邪魔して……」
俺はグレイスの隣に座った。
お話しませんか、と言ったわりに、グレイスは何も言葉を発さなかった。俺たちは会話なく、ただ並んでベンチに腰掛けていた。
これも悪くない。ここは木陰で涼しく、隣には美女。これをつまらないなんて言えるほど俺の人生は充実していない。
俺はベンチの背もたれに背中を預けた。見上げると、青々と茂った木の葉に陽がキラキラしていた。
目を閉じた。優しく涼し気な風が吹いた。実にいい気持ちだ。
なんだか眠たくなってきた。暖かい日和、涼しい木陰、加えて全身を撫でるように吹く風。昼寝するには絶好の条件だ。
ダメだ、マジで眠い……。でも、寝ちゃダメだ。隣にグレイスがいるのに眠るのは失礼だろう。
だが眠気もなかなか強烈だ。抗いがたい。ゆめうつつになってきた。
そんなとき、ふと耳元で誰かが囁いた。
「いいのですよ、眠っても」
ささやき声が頭の中で揺れた。
誰の声だろう、すごく優しい声だ。いや、わかっているはずだ。隣りにいるのはグレイスなんだから、これはグレイスの声のはずだ。
「眠いなら、どうぞおやすみになってください」
ささやきを聞かされるたび、俺の意識は夢の中へと落ち込もうとする。
「さぁ、おやすみなってください。どうぞ……」
ささやきは甘く優し過ぎた。まるでASMR。こんなの眠らないわけにはいかないじゃないか、むしろ眠らないほうが失礼なんじゃないか、そう思った瞬間に意識がブラックアウトした。