コーイチとゾエ、ひとつ屋根の下。ま、牢屋なんですけどね。
俺の扱いは、あのクソ女よりはマシだった。俺は縄目も受けずに、ただ前後を固められて牢屋(留置場か?)へと連れてこられたが、あの女は袋に入れられ、そこから頭だけ出した状態で、まるで物のように扱われていた。
牢屋は俺たちの貸し切りだった。暗く狭い一面が鉄格子の牢屋に男女二人きり、と言えば、少しはロマンティックに聞こえるかもしれないが、現実はロマンティックとは程遠い。
俺とあのクソ女は一つ屋根の下だが別の部屋だった。あの女は俺の左隣の部屋だった。顔を見ないで済むため、この配慮はありがたい。今、あの面を見るのは精神衛生上非常によろしくない。ストレスは健康の敵だ。
といっても、こんな暗く、狭く、しかも一つの部屋内に仕切りなしでトイレ(おそらくはボットン)が存在する空間なんて、そもそも衛生的とは程遠い。犯罪者に人権はないらしい。そもそもこの世界で人権なんてものがあるとは思えないが。
見たところ、番兵らしき者はいない。番兵はここから外に繋がる唯一の扉の向こうにいる。俺の部屋からは扉は見えない。
牢屋に入れられたときには、わずかに差し込んでいた陽も、やがて消えて牢屋の中は真っ暗になった。
牢屋は静寂そのものだった。外の音もほとんど聞こえてこなかった。俺もあのクソ女も一言も言葉を発さなかった。ときどき、もぞもぞと動く音が隣から聞こえてくるぐらいだ。
日が暮れて暫く経つと、番兵が夕食と毛布を持ってきた。彼は俺に同情的だった。なんでも俺に助けられたことがあるらしい。聞けば、ジュリエッタとの決闘のときのことだそうな。本来毛布の支給はないらしいが、彼の好意によるものらしい。
その彼が小声で言うには、大多数が俺に同情的らしく、民意と権力者の意思がものを言う裁判において、俺の無罪は現時点でほぼ確定しているとのことだ。
その言葉を聞いて安心した。安心したせいか、小さな蝋燭の明かりの中で食べる粗末な夕食もなかなか楽しめた。
夕食を終えると、後はもう寝るだけだった。どうやら歯を磨いたり、風呂に入らせてはくれないようだし、睡眠以外にやることはもうない。
毛布にくるまり、いざ寝よう、
隣から声がしたのはその時だった。
あのクソ女が俺を呼んでいた。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇってば」
何度も何度も呼ぶ。
はじめは無視を決め込んで寝入ろうとしてたが、こうしつこく何度も呼ばれては眠ることもできない。仕方なく、俺は返事した。
「なんだよ」
沈黙。一体何なんだあいつは。
返事をしたのが馬鹿みたいだ。俺の方には別に用はないので、もう眠ることにする。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇってば」
寝入りばなに、また、だ。さすがにキレそうだ。
「なんだよ! さっきからうるせーなぁもう!」
「ご、ごめん……」
おや、意外と素直だ。まさかあいつから謝罪の言葉を聞くとは思わなかった。今まで敵対的だったから謝られると、それはそれでなんだかくすぐったい。
「……いや、別にいいけどさ。で、なんだ?」
「なんでアタシを助けてくれたの?」
正直答えづらい。というか、自分でも正確なことはわからない。少女の痛々しい姿を見て同情がわいたのかもしれないけど、あえて言うなら、
「なんとなく、かな」
「なんとなく!? そんなことってある? アタシはアンタを殺そうとしたのよ!」
「それだけじゃない。俺の友達も傷つけた」
「……そんなヤツをどうして助けたのよ」
「なんとなくだって言ってるだろ」
「そんなんじゃ納得できない!」
そんなこと言われてもな。別にこっちは納得してもらいたいわけでもないし。
「勇者だから、誰にでも優しいってわけ?」
「前に読んだ小説にこんなセリフがあった。『強くなければ生きられない。優しくなければ生きる価値がない』だったかな」
「アタシに生きる価値がないってこと!?」
「別にそうは言ってない。俺が言ったわけじゃないからな。でも、俺はセリフが正しいと思ってる。だからお前にもそうやって生きてもらいたいね。優しくなれば、もう誰かを襲おうなんて思わないだろうし」
「もうそんなことしないわよ。それと、お前って言うのはやめて。私はゾエ。最強の魔法使い、ゾエよ」
「最強か。立派だな」
思わず、鼻で笑ってしまった。皮肉が過ぎた。
「何よ! 馬鹿にしてるの!?」
やっぱりゾエは怒った。面倒だが、俺の自業自得だ。もうこの際だから言いたいことは正直に言ってしまおう。
「別に馬鹿にはしてない。けど、最強は言い過ぎだな」
「何よ私に勝てなかったくせに!」
「そんな最強のゾエも、今じゃ豚箱行きだ。最強って案外脆いんだな」
少し言い過ぎたかもしれない。俺は上体を起こして警戒した。ゾエが壁越しに魔法を撃ってくるかもしれない。
が、そんなことはなかった。
「アンタの言う通り、今はまだ最強じゃないかもしれない。最強の魔法使いになって、英雄になって、地位も名誉も勝ち取って何不自由無いバラ色の人生を送ってやるんだから! もう二度とあんなみじめな思いはしたくない! 絶対に……!」
ゾエは叫ぶように言った。その後急に泣き出した。情緒不安定だ。あのぐらいの歳の少女ではよくあることなのかもしれない。でもまぁ、牢屋に入れられれば誰だって多少は情緒も乱れてもおかしくはないか。
俺がこうやって落ち着いていられるのも、高確率で無罪になるということを知っているからでもあるし。
俺はただ黙っていた。ゾエが最強を求めるのは何か理由があるのだろうが、今のところ俺はそんなことには興味がなかった。
「……今のは忘れて」
ゾエが言った。涙が喉に絡んだような声だった。
「もう眠い。寝たら忘れるよ」
「そうね、じゃ、おやすみ」
またまた意外。まさかゾエから就寝のあいさつを聞くとは思わなかった。
「ああ、おやすみ。あ、そうだ。お前――」
「お前はやめて」
「ああ、そうだった。ゾエ、俺が寝たからって魔法を使って脱獄しようなんて思うなよ。これ以上罪を重ねるのはよせよ」
「何言ってんの? アンタ気付いてなかったの? ここじゃ魔法は使えないの。牢屋で魔法が使えたら牢屋の意味がないじゃない」
「……へぇ」
言われてみればそのとおりだ。どういう仕組みかはわからないが、きっとゾエの言う通りそうなっているんだろう。
「勇者なのに意外とヌけてるのね」
ゾエが笑った。露骨に、馬鹿にしたように、小鳥がさえずるように小さく。いつものゾエらしくなった。
俺の皮肉にやり返したつもりなのかもしれない。だけどその程度じゃ痛くも痒くもない。俺はゾエと違って『自称』じゃない。俺の勇者の称号は他人が勝手につけてるだけだ。俺様は勇者だ、なんて言うつもりは毛頭ないし、勇者だなんて自覚はほとんどない。
「勇者はもう疲れてるんだ。おやすみ」
「うん、おやすみ」
寝ようとして、俺は『この世界に来た本来の目的』を思い出した。『混沌の指環』だ。何一つ手がかりのないまま今日まで過ごしてきたから、期待はできないが一応ゾエにも聞いておくべきだろう。
「あ、そうだ、『混沌の指環』って知らないか?」
俺は毛布に包まり、身を横たえながら言った。
「それならアタシの師匠が持ってたような――」
「マジかッ!?」
俺は毛布を跳ね除け、飛び起きた。まさかここにきて唐突に有力な手がかりと出会うとは思わなかった。
今日までの俺の苦労も無駄じゃなかった、そう思うと思わずホロリと泣けてきた。
が、泣いている場合じゃない。
「ゾエの師匠って……」
言いかけて、思わず口を噤んだ。危ないところだった。俺が『混沌の指環』を喉から手が出るほど欲しがっていることをゾエに知られたら、あの女のことだ、きっとそこにつけ込んでくるに違いない。ゾエは油断ならない。断じて隙を見せてはいけない。
俺は咳払いをし、気を落ち着けた。平静を装い、興味のない風にみせかけて言葉を続けた。
「いや、俺の知り合いが指輪好きでね。趣味で指輪の資料を作ってるんだ。で、風のうわさで『混沌の指環』なるものが存在しているのを聞いたけど、実物を見たことがない。だからもしよかったら知り合いのためにも『混沌の指環』を見せてもらえないかと思ってさ。で、ゾエの師匠はどこにいるんだ?」
「一つ所に留まる人じゃないから……、魔法が使えれば探し出せるけどね」
「そうか……。ありがとな」
お預けを食らう結果だが、朗報には違いない。ようやく手がかりを得た、それだけでも充分な成果じゃないか。
「こんなときに知り合いの指輪を気にかけるなんて、ずいぶんと余裕あるのね」
「……いや、まぁ、思い出しちゃったから……ね?」
「ふぅ~ん……」
「じゃ、俺はもう寝るから。お前も寝ろよ」
「お前はやめて」
「そうだったな。ゾエも寝ろよ。じゃ、おやすみ」
俺はごまかすため会話をさっさと切り上げ、毛布に頭から包まり横になった。しばらくゾエの気配をうかがっていたが、やがて隣から小さな寝息が聞こえだした。どうやらゾエも眠ったらしい。
俺はホッとため息をついた。安心すると、途端に眠くなった。もう既に寝る準備は万端だ。俺はそのまま眠りに落ちた。