コーイチ、孤独の道を歩む。
真夜中、突然叩き起こされた。
俺を起こしたのはケイだった。
ケイは片手に火の灯った手燭を持っている。揺れる火が闇夜に彼女の顔を薄っすらと浮かび上がらせる。
明かりの加減のせいだろうか、何やら怒っているようにも見える。
「ケイか、どうしたんだこんな時間に」
「コーイチ、今すぐ外へ出て、林の中に行って」
「えっ、なんで?」
「詳しく話してる暇がない。だからこれを持って早く林の中に行って」
ケイが手燭を差し出す。
「林って、ベンチがあるあの林?」
俺は林の方を指さした。
「そう、その林。後で私たちも行くから。できるだけ急いで。無理しない程度でいいから走って。林に入ったらすぐに火を消して」
ケイの顔は真剣そのもので、いつになく恐い顔をしていた。有無を言わさない迫力があった。俺は黙って従った。
俺は着の身着のまま、靴だけは履いて、手燭を持って林の中へと向かった。
暖かい夜だった。空には雲一つなく、無数の星が輝き、その輝きのおかげで、手燭がいらないくらい明るい。
身体はずいぶんと快復していた。まだ本調子とはいえないが、軽く走る程度なら問題ない。
走って、走り続け、俺は林の中へと入った。林に入るとさすがに暗い。手燭がなければほとんど何も見えない。火を消せと言われたが、真っ暗闇はさすがに不安なので、火は消さなかった。
さて、とりあえずは林に入ったがこれでいいのだろうか?
ケイたちが後から来るとは言っていたが、広い林の中でどうやって落ち合うのだろう?
ちょっと考えたが、さっきのケイとの会話の中で、『ベンチ』を出したことを思い出した。きっとケイも覚えているだろう。
なら問題ないはず。きっとケイも覚えているはずだ。ベンチのところにいれば多分落ち合えるだろう。
手燭を頼りにベンチのある場所へと向かった。
日中、グレイスに連れられて一度きたきりだったが、ちゃんと辿り着けた。
俺はベンチに腰をおろし、ケイたちが来るのを待った。
ベンチに座って五分ほど経つと、ふと、ある疑問が頭をもたげてきた。
なんでこんな時間にこんな場所で待ち合わせなんだ?
やっぱり不可解だ。どう考えたって不可解だ。
こんな場所に何がある? こんな場所で何をする?
二人っきりの逢い引きならまだしも、ケイは『私たち』と言った。ということは、あと何人か来る予定のはずだ。こんな暗い場所で集団で何をしようというのか?
真夜中に皆ですることといえば、星を見ることくらいしか思い浮かばなかった。だけど、星を見るなら木々が鬱蒼と茂る林はないだろう。
思い返すと、起き抜けに見たケイの表情は、これから楽しいことをするときに見せるようなものじゃなかった。
嫌な予感がしてきた。俺はケイにハメられたんじゃないだろうか?
ケイが俺を騙してまでこんな場所に誘い出した理由は……。
俺はハッとなった。理由は一つしかない。
俺は手燭を見た。手燭の火はまだ保ちそうだ。
俺はベンチを立ち、一目散に来た道を戻った。手燭の火が消えないように慎重に走った。
林を抜け出ると、邸の方が明るかった。
夜は明けていない。空は未だ星の輝きが強い。
それなのに、邸からはオレンジの光がチラつく。
邸が燃えている!
そう直感した。
直感はおそらく正しい。なぜなら、俺はつい先日、まさにあの光の中にいたのだから。
やっぱりヤツだ、あのクソ女が来たんだ! クソ女が俺を狙ってケーディック邸までやってきたんだ!
だから、ケイは俺を逃してくれたんだ! 正直に言えば俺は絶対に逃げない、そう思ったからあんな嘘をついたんだ!
そんな嘘を見抜けなかった自分が情けなくなる。バカ正直に真夜中の林に入るなんて間抜け過ぎる。
何よりも『火剣の勇者』と謳われた俺が、女の子にいらない気遣いをさせてしまったことも情けない。
俺が邸に帰り着いたときには、全てが後の祭りだった。
戦闘は既に終結していた。火事も消し止められていた。出火した場所が焦げ跡になっていた。
手燭の火がいつの間にか消えていた。だが、もう必要ない。邸の周りは星明りだけで充分な明るさがある。
鎧を着た兵士が三人、邸の壁に背をもたせかけながら宙を仰いていた。よっぽど疲れているらしい。暗い中でも汗で顔が薄汚れているのがわかった。
俺は申し訳なさを感じながら、三人に声をかけた。
「グレイスさんはどこにいますか?」
邸の主の姉であるグレイスさんの場所さえわかれば、他の人ことも自ずとわかってくるだろう。
三人は一瞬イヤな顔をした。露骨に俺に対して嫌悪感を示した。が、すぐに取り繕って、
「多分部屋におられます」
と言った。
俺は礼を言ってその場を後にした。
彼らが俺に対して良い感情を持っていないのが痛いほどわかった。それはそうだ。俺がこの騒動を引き起こした張本人なんだから無理もない。
邸の中は騒々しかった。下女が忙しく廊下を走り回っていた。廊下は明かりが点き、昼のようにとはいかないまでもかなり明るかった。
真っ直ぐにグレイスの部屋を訪れた。
部屋のドアをノックした。
「コーイチです」
「コーイチ様? どうぞお入りになってください」
入ると、薄汚れ、ボロボロになってしまった衣服を纏ったグレイスがそこにいた。
「お早いお帰りですね」
グレイスが微笑んだ。いつもの可憐で清楚なだけの微笑みじゃなかった。そこには疲れが浮かんでいた。
「あの女が来たんですね?」
「ええ、そうです。残念ながら取り逃がしてしまいました。けれど、コーイチ様の分までたっぷりとお仕置きして差し上げました」
言って、グレイスは疲れた笑みを浮かべ、部屋の椅子にドスンと腰を下ろした。目を閉じ、背もたれに深々ともたれた。
邸が燃えたのも、兵やグレイスが疲れてるのも、全部俺のせいだ。まったく、自分が嫌になってくる。
「すみませんでした!」
俺は床に額を擦り付けんばかりに土下座した。
「すみません! 俺のせいで、皆に迷惑をかけてしまって……!」
「コーイチ様、私は迷惑だなんて思ってませんよ」
グレイスの声がすぐ側で聞こえた。
「お顔を上げて下さい」
そう言われても、顔は上げられない。自分が嫌になりすぎて、顔を見せたくなければ彼女の顔も見れない。
「あれは私の敵でもあります。あれはケーディック家の領内で問題を起こしたのですから。だから、コーイチ様がそこまで自分を責める必要はありませんよ」
グレイスの手が俺の頭に触れる。優しく、俺の頭を撫でてくれる。
「コーイチ様、私のことは気にしないでください。それより、早くジュリエッタさんとケイのところに行きましょう。お二人にもお礼を言わないといけないでしょう?」
俺はグレイスに手を引かれ、一階の奥にある一室へと連れて行かれた。
中に入ると、大きなベッドにジュリエッタとケイの二人が、投げ出されたように並んで横になっていた。
「これは、眠ってる……んですよね?」
「はい、何も心配することはありません。少々の怪我はしていましたが魔法で治療済みです。ただ、張り切りすぎて、今は魔力切れを起こして泥のように眠ってます。」
「そうですか……」
俺はホッと胸を撫で下ろした。
そして、二人のそばに寄って頭を深々と下げた。
「俺のせいでごめんな……」
「コーイチ様、二人が欲しいのはきっと感謝の言葉だと思いますよ。だって二人はコーイチ様のために頑張ったのですから」
グレイスを見ると、彼女は相変わらず微笑んでいた。優しい微笑みだ。微笑みに助けられ、少しばかり気が楽になった。
「そうですね……。ありがとう、ジュリエッタ、ケイ……」
俺は眠る二人に感謝した。それからまたグレイスの方を振り返って、
「グレイスさん、ありがとうございました」
もちろん、グレイスにも感謝した。
「いえいえ、どういたしまして」
グレイスが満面の笑みを浮かべた。
俺たちは部屋を出た。グレイスはこれから休むということなので、俺は一人部屋に戻った。
他にも謝罪したり礼を言うべき人がいるけれど――グレイスの弟アコードとかその従者ミラとか――今は都合がつかないらしく、今は諦めるしかなかった。
アコードやミラにもいずれは礼を言いたい。
けれど、それはしばらく先のことになりそうだ。
やはり俺の心内で大きいのは、感謝の気持ちよりも、申しわけなさの方だった。
俺がここにいれば、多くの人に迷惑をかけてしまう。これ以上迷惑はかけられない。
シーツを一枚拝借し、それを左腕に巻き付けた。それ以外は着の身着のままで、誰にも何も告げず邸を後にした。
行き先は未定。
目的は唯一つ。あのクソ女を倒す、それだけだ。
本来の目的である『混沌の指環』探しは一旦お預けだ。まずは身にかかる火の粉を払わなければならない。
山向こうの空が明るくなり始めた。夜明けだ。星空は始まる今日に負けて消えてゆく。
白みはじめた空の下、俺はただひたすらに歩く。




