甘えの代償
「あらら? どこいくつもり?」
ニヤリとクソ女は笑った。底意地の悪そうなイヤな笑い方だ。意外と可愛いツラをしているのが、余計に腹立たしい。
「さっきはちょっと驚いちゃった。だって私の『電撃弾』をくらっても死なないなんて、ちょっとした事件じゃん? まぁ、世間で勇者なんて言われてるくらいだから、一筋縄じゃいかないとは思ってたけどね」
『電撃弾』か、なるほど、どおりで痺れるわけだ。クソ女の口ぶりからすると、痺れるだけですんだのは多分左腕で受けたおかげだろう。感謝するぜヴェイロン。
「それにしてもその左腕、ちょっとエグくない? 明らかに不釣り合いなんですけど? ただの鍛えすぎ……じゃないよね? だって明らかにおかしいもんね」
クソ女の長口上の間に、俺は未だ意識を失ったままのエランをそっと地面に寝かせた。
クソ女からは逃げ切れない。ならば、戦うしかない。エランには悪いが、少しの間我慢してもらうしかない。
「お前をぶっ殺す前に一つ聞きたいことがある」
「いいわ、冥土の土産に答えてあげる」
「何故不意打ちせず姿を現した? 不意打ちはお家芸だろ?」
「あっは! それは簡単! アタシが絶対に勝つからよ! じゃあ、死んでね!?」
クソ女が杖をかざした。
それと同時に、俺はクソ女に突撃した。左手に持った『錆びた短剣』は未だ起動できない。だが、『黒炎剣』は使えなくとも、攻撃を受け止めることはできる。なんとか近づいて、あとは物理で殴りまくるしかない。それしか、勝ち筋はない。
クソ女の前にいくつもの光る玉が現れ浮かび上がった。
次の瞬間、それらは一斉に俺に向かって飛来した。
咄嗟に左腕でガードしつつ、体勢を低く取り、かわそうとする。
だが、かわせなかった。いくつもの光球が俺の左腕を撃った。ビリビリと痺れが走る。だが、まだやれる。
「ウッソでしょぉ……!」
クソ女の声が震えた。
チャンスだ。クソ女はビビってる。ビビったときが狙い目だ。
クソ女のとの距離はわずか数メートル。数歩踏み込み、左腕を振り上げる。
一発だ、一発で終わらせなければならない。左腕はボロボロだ。二発目は打てない。だが、一発で充分なはずだ。渾身の一撃は、あのクソ女にとって最初で最後の一撃になるはずだ。
必殺の一撃、果たしてそんなものを全力でぶつけていいんだろうか? 戦いの最中に、そんなことが頭をよぎってしまった。
殺さなければ殺される、そんな戦いの最中に、俺は相手の生命を案じてしまった。
甘えだった。愚かな過ちだった。俺は躊躇い、鈍ってしまった。
そんな隙をあのクソ女が逃すはずがなかった。
クソ女へと突き入れた拳が、凄まじいほどの痛みに襲われた。
左腕が感電している。灼けるような痛み。
だが、それでもクソ女に一撃カマさなければならない。できなければ、死あるのみだ。
左腕が壊れる覚悟で殴り抜けた。
クソ女は咄嗟に両腕で俺の左拳をガードした。だが、あんな細腕で防ぎきれるもんじゃない。クソ女の身体は派手に、面白いようにぶっ飛んだ。
クソ女をぶっ飛ばした後、俺は片膝をついた。正直、もう立てない。左腕を襲った電撃のダメージは全身に蓄積していた。
左腕はピクリとも動かない。もう完全に壊れてしまったのかも知れない。痛みすらないのが、却って怖くもあり、ありがたくもあった。
地面に横たわるクソ女を横目で眺めつつ、クソ女が立ち上がらないことを願った。
願いは届かなかった。クソ女はゆっくりと立ち上がった。その緩慢な動作からして、さっきの一撃がかなり効いていることは明白だ。
しかし、この勝負は俺の負けだ。俺はもう立てない。
クソ女は杖をつきながらこちらに歩み寄り、俺の目の前で立ち止まった。苦痛に歪んではいるが、確かに勝ち誇った顔で俺を見下ろした。
「まさか『電撃壁』を突き抜けてくるとは思わなかったわ。勇者の名は伊達じゃないってことね。でも、アタシの勝ち。わかる? アタシの勝ちなの」
クソ女は高らかに笑いだした。勝利の哄笑だ。
とことんムカつくクソ女だ。俺に殺す気があれば、今頃立場が逆転していたはずだ……、そんなことを考えても後の祭りでしかないが。
だが、ヤツの高笑いのおかげで、萎えかけていた闘志が湧いてきた。せめてもう一発カマさなければ気が済まない。
幸い、動かなくなってしまった左手には、『錆びた短剣』がしっかりと握られている。
こいつを投げつけてやる。大した効果はないだろうが、何もやらないよりはマシだ。後はどのタイミングで投げつけてやるか、だ。
「敗北を噛み締めてあの世に逝ってね? 大丈夫、楽に殺してあげるからっ」
クソ女は数メートル後ずさり、杖をかざした。杖の先で光球が生成される。『電撃弾』だ。しかも、今までのより二回りほど大きい、ソフトボールサイズだ。
トドメの一撃は当たれば必殺の一撃、というわけか。
俺に残された時間はもう無いも同然だ。
なら、最期の反撃は今この時をおいて他にない。
俺は右手で動かなくなった左手から、短剣をもぎ取った。
その時だった、ピリッと静電気に似た感覚が走ったかと思うと、それとはまた別の感覚が全身を駆け巡った。
心地よい感覚。まるで静電気がやわらぎ、静電気を取り込んで一体化するような温かな感覚。
一体化した瞬間、胸の奥で何かが閃いた。
俺は気づいた。これは、初めて『黒炎剣』が起動したときと同じ感覚。
いや、厳密には似て非なる感覚。つまり、『黒炎剣』ではない、新たな別の『剣』。
何故今になって『錆びた短剣』が起動するのか? なんてことは今は考えない。それは生き延びられたらじっくり考えるさ。
全身を駆け巡る感覚が、今一度俺の肉体に活力を与えてくれる。
きっと、この後俺は、電池が切れたように動かなくなるんだろうな、そんな予感があった。
だが、それでいい。クソ女に後一発カマせれば、それでいい。
俺は立ち上がった。やっぱりだ、もう少しだけ身体が動く。そして新しい『剣』も。
「まだ立つの? 元気ビンビンじゃん?」
クソ女お得意の嘲た調子。
「イキがいいのは好きよ。じゃ……、立ったまま昇天なさい! 地獄の果てまで!!」
『電撃弾』が撃ち出された。
俺は高速で迫りくる『電撃弾』に右手の『錆びた短剣』をかざした。そして、
「『紫光剣』」
俺の言葉とともに、『錆びた短剣』が紫電色の光り輝く刀身を帯びた。それはまるで、『ライトセイバー』か『ビームサーベル』のようだ。
『電撃弾』が刀身に触れると、紫電色の刀身に吸い込まれるようにして消滅した。
「えっ……!?」
クソ女の顔がみるみる曇る。
「ちょ、ちょっと待って! そ、そんなの聞いてない!!!」
恐怖に顔を醜く歪ませるクソ女。可哀想に、せっかくの可愛い顔が台無しだ。とても見ていられない。
だから俺が、すぐに終わらせてあげよう。
俺は『紫光剣』を携え、ゆっくりとクソ女の方へと進んだ。
恐怖に駆られたクソ女が『電撃弾』を乱発する。俺はそれを『紫光剣』で軽く受けてやる。
クソ女の顔がますます恐怖で引きつる。より激しく『電撃弾』を乱発するが、『紫光剣』の前ではもはや何の意味もなさない。
クソ女は諦めたのか、もしくは弾切れなのか、『電撃弾』を撃たなくなった。
俺は悠々と歩を進め、クソ女の前に立った。
「首か心臓、どっちがいい?」
俺はクソ女に問うた。
クソ女は目に涙を溜め、ガタガタと全身を震わせて言った。
「ご、ごめんなさい……、殺さないで……」
俺はそれを無視し、『紫光剣』を振り上げた。
「お願いしますッ! 殺さないでッ! あ、アタシ、アンタのオンナになるからっ、何でもするからっ、アタシのこと、好きにしていいからっ、だから殺さないで! ね? ねぇ、アタシの身体全部、何でもしていいんだよ?」
クソ女の言葉はもう耳に入らなかった。
俺は黙らせるため、クソ女の頭上に『紫光剣』を振り下ろそうとした、
が、剣を止めてしまった。
頭では殺すべき、とわかっている。けど、心がそれを拒否する。俺は殺したくない、心がそう叫んでる。
また、躊躇ってしまった。俺は一度の戦いで二度も過ちを犯してしまった。
クソ女はそれを見逃さなかった。
クソ女がニヤリと、あの厭らしい笑みを浮かべているのに気がついた。
「ス・ケ・ベ、なんだからぁ」
クソ女の杖が、俺の腹に触れた。
直後に、
「『電撃波!!』」
クソ女の一撃が俺を襲った。
凄まじいショック、まるでホームラン王のフルスイングを受けたような衝撃が俺の腹部を襲った。俺は膝を折って地面に倒れた。
もう、どうしようもなかった。
「オトコってバカね。いっつもサカってるんだから」
クソ女の嘲笑う声が聞こえた。それは深い海の底へと没入していくように遠ざかっていった。俺は意識を失った。