『黒炎剣』が起動しない!?
部屋のあらゆる部分が燃え、焦げ、煙を吹いていた。見慣れた部屋が、凄惨な地獄絵図と化していた。
火が烟る中、部屋の真ん中に見慣れない何かがあった。
狭い部屋だ。目を凝らさずとも、それが何だかすぐにわかった。
エランだ。エランが横たわっている。ぐったりしてピクリとも動かない。普段は隠しているけもの耳が晒されていた。
「エランっ!」
俺は彼女の元へ一歩踏み込んだ。
瞬間、嫌な予感がした。俺は足を止めた。今まで修羅場を何度も潜り抜け培われた勘が、危険を告げていた。
部屋の窓際に何かがいた。それが一瞬キラリと光った、と同時に、一筋の閃光が迸った。
咄嗟に、俺は『錆びた短剣』でそれを受けた。
衝撃。『錆びた短剣』を通して手に痛いほど伝わる。
幸いにも受けきれた、が、危うく『錆びた短剣』を取り落としそうになった。
「あら、噂通り、なかなかやるじゃない」
窓際から声が聞こえた。
そこにはシルエットがあるだけだった。火による空気のゆらめきと煙のせいで、姿形が判然としない。
俺はシルエットに向かって『錆びた短剣』の切っ先を向けた。
「お前は何だ!? お前がやったのか!?」
問いつつ、エランを助けるため、部屋の中央へと踏み込もうとした。
だが、できない。それは危険だ、と本能が告げる。培われた勘が拒否する。ジレンマに歯を食いしばるしかできない。
「そう、アタシがやったの。すごいでしょ?」
高い少女の声。場にそぐわない、楽しげで無邪気な声。元の世界にいた『バカなギャル』みたいな喋り方だ。
すごい、か。確かに、すごい。すごすぎて、ぶっ殺してやりたいくらいだ。
「アタシは『カウルのゾエ』。『火剣の勇者コーイチ』を殺しにきたの。覚悟はいーい?」
「な、何故俺を――」
「決まってるじゃない、名高いアナタを殺せば、今度はアタシの名が高まるもの」
ああ、こいつも脳筋バカの一人か……。ただ、今までの脳筋バカと違うところは、こいつはシャレにならないほど危険、そういう予感がひしひしとしてくるところだ。
「『オーラスキャン』」
ヤツには聞こえない小声で、『オーラスキャン』を使った。何にせよ、まずは戦力分析だ。
『体力』 :しょぼい
『魔力』 :やっべぇぞ!
『物理攻撃力』 :クソザコ
『物理耐性』 :木綿豆腐レベル
『魔法攻撃力』 :触れるな危険
『魔法耐性』 :カッチカチやぞ
『器用さ(物理)』 :針に糸通すことすらできない
『器用さ(魔法)』 :テクニシャン
『幸運』 :びみょ~
魔法が得意なのはわかった。おそらくはこの惨事も魔法によるものだろう。
物理は俺のほうが勝ってるが、だからといって俺にアドバンテージがあるとは思えない。
状況が状況だ。ここは狭い部屋の中。あのクソ女の魔法は、部屋を一瞬にしてぶっ壊すほどの火力がある。逃げも隠れもし難い部屋の中じゃ、まずもって俺が不利だろう。
俺が勝つには『黒炎剣』をブチ込むしかない。近づいてぶった斬るか、もしくは左腕の力を開放し、刀身を伸ばしてぶち当てるか、この二択だろう。
近づくには距離がある。近づく間に、クソ女の魔法の一回や二回は受けるはめになるだろう。それはかなりリスキーだ。火力からして、一発当たればかなりヤバいのは間違いない。
だったら後者しかない。左腕の力をフルに使って、『如意棒』や『ゴムゴムのピストル』のように『黒炎剣』を伸ばしてクソ女にぶち当ててやる。
俺は『錆びた短剣』を左腕に持ち替えた。
まずは左腕の力を開放する。左腕がもりもり巨大化し、グロテスクながら力強く変貌する。包んでいたグレイス手製のグローブがビリビリに裂け、散った。
緊急事態だから許してくれ、グレイスさん。俺は心の中で謝った。
切っ先をクソ女へと向けた。そして『黒炎剣』を起動した。
瞬間、ピリリッ、と静電気のような刺激が左腕を襲った。
それだけで、『錆びた短剣』はうんともすんとも言わなかった。
『黒炎剣』が、起動しない……!?
何度やってもダメだ。静電気のような刺激があるだけで、『黒炎剣』にはならない。試すたびに絶望感が募ってくる。
「あれ? どーしたの? 自慢の『黒炎剣』は使わないの? アタシをナメてるの?」
俺は返事をしなかった。気取られるわけにはいかない。
しかし、あの言い方からすると、『黒炎剣』が起動しないのはクソ女のせいじゃないようだ。
「お前さ、俺を殺したいんなら、わざわざこんなことまでする必要なかったんじゃないか? あんな小さな子を巻き込んで、恥ずかしいとは思わないのか?」
俺は話題を変えた。変えつつ、頭の中ではクソ女を倒すための方策を思案していた。これは時間稼ぎだ。今は一秒でも時間が欲しい。
「それは確かにアナタの言う通り。でもね、正攻法じゃ『火剣の勇者』に勝てないかもしれない、そう思ったの。『一角獣』を一撃で倒すほど強いんだから、不意打ちだって仕方ないじゃん? それに、使えるものは何でも使わないと、ね?」
「何でも……?」
「そこのコ、死んでないし、大した怪我もしてないわ。ただ気を失ってるだーけ。でも、煙に燻されたままだとどうなるかなぁ~?」
俺はハッとなった。そうだ、クソ女の言う通りだ。俺には時間稼ぎしている余裕なんてなかった。
俺はエランに向かって一目散に駆け出した。考えるより早く身体が動いていた。
「バッカ単純っ!!!」
クソ女が嘲る。待ってましたと言わんばかりに、幾条もの閃光がこちらに向かって打ち出される。
これには対処できない。耐えるしかない。
俺は『錆びた短剣』と左腕で閃光を受けた。
ビリビリと強烈な痺れが左腕全体を襲った。滅茶苦茶痛い、痛いが、死ぬほどじゃなかった。『双角獣』にボコられたことを思えば、全然マシだ。
「ウッソォ~!?」
クソ女が驚きの声を上げる。
それについては俺も同意見だ。俺もまさか、この程度で済むとは思わなかった。
だが、おかげで助かった。エランを救出するだけの余裕と時間ができた。
右腕一本でエランを抱える。日頃肉体労働で鍛えた成果がここで出た。
エランを抱えると一目散にドアめがけて部屋を出た。そのまま後ろを振り返らずにアパートを飛び出た。
幸い、背後からの攻撃はなかった。
しかし、アパートを出て、とりあえず現場を離れようと数十メートル走ったところで、突然目の前に、どこからともなく女性が舞い降りてきた。
頭を除く、全身をスッポリと覆う海老色のローブを着た女が立ちふさがった。癖のある薄桃色の髪をサイドアップにした髪型。手には水晶のようなものが先端にはめ込まれた杖。前髪を小さな白い手でかき上げ、その下で紫色の瞳が妖しく輝き、俺を睨めつける。身長はおれよりやや小さい。そのくせ、かなりの威圧感を覚える。
俺はすぐにそいつが、さっきのクソ女だと直感した。というかこのタイミングだと、それ以外考えられない。