5、従者で、恋人?な僕。
しばらくしてやっと僕の混乱と恐怖は治まってきた。尻尾からゆっくりと体を起こす。その際カザルスアに付けられた所有印を思い出し、悔しさと気持ち悪さにごしごしと擦った。僕の動きに気付いたアレキセー王子がその腕を掴む。視線を上げれた僕の天鵞絨から雫が落ちた。
「先程の奴に付けられたのか?」
アレキセー王子の問いに俯き頷く。合意では無くても始めての《所有印》を奪われた事がショックだった。
「僕、初めてだったから……」
「案ずるな。これは二度目だ」
「にどめ??」
擦って赤くなった場所をアレキセー王子の指がなぞる。思い出してみても僕にはこれより先に痕を残された記憶がない。戸惑い首を傾げると王子がトントンと左の鎖骨を指で軽く叩いた。
「昔、俺が付けた」
「え?」
「迷子で泣いている子犬がいてな。この尻尾が気に入ったのか握ったまま眠ってしまった。その子犬のここに、こうして付けたのだ」
告げてカザルスアの付けた痕に唇を落とされる。上書きされる様に強く吸い上げ付けられた《アレキセー王子の所有印》に僕は自分の顔が真っ赤に染まったのがわかった。
「嫌だったか?」と問われブンブンと首を振る。
「覚えて……いたのですか?」
「あぁ、ずっと探していた。お前に会った二月後くらいに、あの頃会った男児全てに声をかけたがその中にお前はいなかった」
「ッ! すみません。酷い歌を聞かせたと目通りを禁じられていました」
「酷い歌? 禁じられたとは誰に?」
「父とその時いらした護衛の方に……」
二月後となるとその頃にはもう「女の子になる!」宣言をしていた様に思う。それでは会わせられる筈がない。オルフェは苦笑いする。
「なる程。しかし俺はお前の声も歌も愛してやると言ったはずだがな」
「ッ!」
「勿論お前自身もな。目通りが叶ったという事は許可が出たのか?」
「は、はい!」
あの日言われた事と同じ事を言われて顔が赤くなる。ただ泣いていた僕を慰める為に言った言葉だと思っていた。しかしどうやら違うらしい。
本当にアレキセー王子は僕の事が好きなのだろうか? 僕の顔は逆上せたみたいに朱に染まった。
「では歌ってくれ。十六夜」
「ッ!!」
「名前も知らないお前をそう呼んでいた。私は気持ちを伝えたぞ?」
「アレキセー王子……」
「お前が好きだ。オルフェ」
漆黒の瞳の中に揺れる自分を見つけて「あっ!」と思った時にはもう唇が触れていた。
「ッ!!」
羽の様に軽く触れただけですぐに離れて行く唇。名残惜しさに視線が追う。乞われるままに僕は十六夜の月を歌った。
《十六夜
欠ける三日月 思う褥に 重ねる熱を乞い想う。 瞼の裏に浮かべた吐息よ 絡まる恋情 愛し恋しと溶けほどけ 求め願うは 満ち月の十六夜》
ゆっくりと紡がれるアルト。囁くような声に艶が宿り、浮かされたように熱が籠る。見詰めたままの黒い瞳はどこまでも愛おしい。僕の歌に一瞬驚きを乗せた目が案外可愛く見えて笑った。
この歌をアレキセー王子に向かって歌う事に後悔も躊躇いももう微塵も無い。歌詞に乗せる思いは僕の本心だからだ。
「僕も、貴方が好きです」
だから歌った後、そう素直に言えた。驚いた後破顔したアレキセー王子に、折れそうな程強い力で抱きしめられ「キャン!」と鳴いてしまったけれど、とてもとても嬉しかった。
「そろそろよろしいですか?」
「ッッ!!」
「もう終わったのか? 早かったな」
背後からかかった声にビクッっと体が跳ねる。アレキセー王子が声をかけた先にジグナーがやる気無く寄りかかっていた。
「報告しますね。まずあの後確認しましたらカザルスア・ピットブルは三階の屋根に引っかかって居りましたので、左足を折りました」
「え?」
「左だけか? 半殺しには足りないだろう」
「私が折ったのは左だけです。落ちた時既に肋骨が何本かと両腕と右足は折れていましたので。どうせなら四肢併せた方がよろしいかと思い左も綺麗に折ってさしあげましたよ。何か文句でも?」
「いや。十分だ」
うすら寒い物を感じてアレキセー王子が苦笑いしつつ答える。「本当なら殺してしまいたかったが……」とこぼしたアレキセー王子の声に僕は腕の中で怯えガタガタと震えていた。それ以上聞かせるのは酷だろうと考えたのか怪我の話はそこで終わった。
僕の尻尾は内側に丸まり、耳が完全に寝てしまっている。ギュッと目を閉じた僕にアレキセー王子が自身の尻尾を差し出した。涙に濡れた天鵞絨の目で「いいの?」と聞くとアレキセー王子の頷きが返った。僕は漆黒の尻尾におずおずと顔を埋めた。安定剤を確保してからジグナーに視線を向けその先を促した。
「その後ですが、カザルスアを引きずって寮監に突き出し、退学処分を終えた後、第三聖歌隊に引き渡しました」
「第三聖歌隊?」
その名に思わず尻尾から顔を上げる。第三聖歌隊には父と兄が所属している。
「ご家族が居る部隊の方が良く計らってくれるだろうと寮監が」
「第三聖歌隊には父と兄がいます」
「なるほどな」
「それから私と貴方の部屋を交換する事に決まりました。貴方は従者部屋にて一年間過ごして下さい。勿論従者部屋にいるのですからお茶や着替えくらいの仕事はして頂きます。王族に必要な諸々の手配等は今まで通り私がします。荷物の移動は明日なさい。よろしいですね?」
「は、はい! でも、ジグナーさんは……」
「私は数の関係でブライアム・シェパードと同室です」
「ブライアムと!」
「知り合いか?」
「隣の領なんです」
「変わりますか?」
ジグナーの言葉に慌てて首を振った。ブライアムとはそこまで仲が良い訳でもない。それに今安心していられるのはアレキセー王子が側に居るからだという事もわかっていた。
「部屋の使い方は王子に習って下さい。まぁ放って置いても着替えもお茶も一人で出来ますから楽にしていなさい。いいですね」
「は、はい!色々とありがとうございました」
「どういたしまして。ではまた明日。おやすみなさいませ」
就寝の挨拶を返してジグナーは下がっていった。
「取り敢えず、もう一度風呂に入って来い」そうアレキセー王子に言われ頷く。塗り替えては貰ったけれど、カザルスアの触れた場所を流したかったのだ。色んな事が一気に起こって心も体も疲れていたが、有難く風呂に入った。
ジグナーが部屋を交換してくれたのは強姦されかけた僕を気遣ってのことだろう。普通の部屋に風呂はついていない。そしてもう風呂に入れる時間は終わっている。今日を乗り切っても、もし部屋を交換してもらえなかったら毎日共同風呂に入らなければならないのだ。襲われかけた恐怖も薄らがぬうちに、他人の目に肌を晒すのは恐ろしかった。
「ジグナーさんにいつか恩返ししよう」
そう呟いて風呂から上がった。喉を潤し、寝る支度をする。寝間着はアレキセー王子物のを借りた。裾や袖を何回も折らなくてはならず、その様子にアレキセー王子は楽し気に笑っていた。
「一緒に寝るか?」
「ね、寝ません!」
「独り寝は寂かろう?」
アレキセー王子の誘いに勢い良く首を振って辞退する。
「怖いか?」
「アレキセー王子は、怖くないです。でも……困ります」
「何故?」
腕を取られベッドに腰かけさせられる。問いに答えられなくて「うう~」と唸ってしまった。
「すまない。虐め過ぎた。お休み」
「あの、助けてくれて有り難う御座いました」
「あぁ、いい夢を」
「はい、アレキセー王子も」
言い忘れていたお礼を告げて、従者部屋へ行く。ベッドにバフッと倒れ込むとため息をついた。
「僕、寝相悪いんだもん。アレキセー王子蹴るわけにいかないじゃん。うぅ~顔がにやける」
実った恋に興奮し眠れないかもと思ったけれど、体も心も自分で思うより疲れていたらしく、僕はあっという間に眠ってしまったのだった。