1、僕はの名前はオルフェ・ビーグル。オルフェアではない。
十四歳のある日、僕はアレキセー・ウルガ第三王子の遊び相手として連れてこられたお城の庭園で浮かない顔をしていた。
周りには同い年の少年少女が集められ、王子が来るのを待っている。「王子を待つ間歌を歌いましょう」と大人が言い、皆は喜んで歌いだした。僕は泣きたくなってその場をそっと離れた。
お城の庭は広くて迷ってしまい踞る。皆のところには戻りたくなかった。僕の声は汚いのだと、大人が言っていた。僕は歌が好きで好きで、でも僕の歌は貧相だと言われた。
心細くて、泣きながら歌う。声を張り上げて歌っても、僕の声量では遠くまで聞こえない。悲しくて、悔しくて、愛してほしくて、僕は泣きながら歌った。誰か好きだと言って欲しいと、誰か愛して欲しいと、そう歌詞に乗せて。
「俺はお前の声が好きだ。泣くな。お前もお前の声も歌も俺が愛してやる」
突然聞こえた声に振り向くと、凝った飾りを付けた上質なスーツを身に纏った小さな紳士がそこにいた。小さなステッキをついて、帽子を取るとその黒髪と黒い耳に目が行く。 今朝方教えられたアレキセー・ウルガ第三王子の特徴と一致した。
「もう泣くな。ほら尻尾でも触るか?」
漆黒のモフモフに涙を拭かれ、誘われるままにその尻尾に抱き付いた。艶やかな黒い尻尾がふかふかと不安を受け止めてくれる。とてつもない安心感を覚えて僕は笑った。
「ありがとう」
告げたお礼は言葉になっていたかどうか……眠くて眠くて僕は眠ってしまった。柔らかな黒い尻尾は優しく暖かく僕を包む様に愛してくれた。
その後父達に見つかり僕は眠ったまま家に帰った。アレキセー王子の側に居た護衛がアレキセー王子に僕が酷い歌を聞かせたと父に言った。僕は上手くなるまで父に目通りを禁止された。侯爵家のカントリーハウスで僕はひたすら練習した。会いたくて、会いたくて…けれど僕の声は中性的で父たちが良い声と呼ぶような地を這うような低い声もパワフルで叩きつける様な強い声量も手には入らなかった。
「どうして、僕の声はアルトなんだろう」
アレキセー王子に会いたかった。好きで好きでその好きが恋愛の好きに変わるのに時間はかからなかった。家族にアレキセー王子が好きだから会いたいと言ったら「お前は雄だから王子と結婚は出来ない」と言われて初めて自分の性別を恨んだ。泣いて泣いて考えた。
「女の子になれば僕はアレキセー王子に会えるのかな?そうだ、きっとそうだ!!僕、女の子になる!!」
家族を巻き込んだ女の子発言から半年。十五歳の誕生日に鏡を見て、僕は悲鳴を上げ倒れた。
「何これ、嘘でしょう?ほ、本気?まさか……乙女ゲームの悪役転生とかって……今更過ぎるでしょう?」
そう、思い出したのだ。鏡に映る鳶色に黒のシャギーが入った髪と天鵞絨色の瞳の可愛い美少女。中世の白とピンクの可愛らしいドレスをふわふわさせた悪役令嬢オルフェア・ビーグルがそこにいた。
脳内を流れゆく記憶を慌てて紙に書きとめる。攻略対象者とイベント内容は覚えていない。エンディングはアレキセー王子ルートしか覚えていない。ヒロインのハッピーエンドではヒロインは王子と結婚しオルフェは地方に飛ばされる。ノーマルエンディングだと共に城で働く。バットエンドだとヒロインは40歳過ぎの男と結婚し、王子はオルフェアと婚約する。
ゲーム内容はこれくらいしか思い出せない。
僕は立ち上がるとクローゼットを開けた。そこに入っているのは煌びやかなドレスが数点。そうドレスである。僕は男だ。僕の名前はオルフェ・ビーグル。オルフェアではない。僕はドレスを脱いでクローゼットの奥にしまってある男性用の白シャツを着て上から男性用の着物と袴を身に付けた。クローゼットにかかっているドレスを撫でる。僕は愛した王子と本気で添い遂げようと女になる決意をしていた。
少し前の僕は城に行けずどうせ周りもアレキセー王子も僕を覚えていないなら女として再登場し、アレキセー王子と結婚しようと考えたのだ。なぜか女の子になれば全て上手くいくと思い込んでいた。
声も背も顔も中性的な為、ドレスを着れば見事な令嬢にしか見えない。今家族は必死に僕を止めているけど、ゲームの中では僕の見事な女っぷりにこれは王子もコロッと行くのではと僕が王子と結婚した時のメリットに気持ちが傾いていくのだ。
ゲームでは結局僕はオルフェアとして日々を過ごす。そして17歳の時僕はオルフェア公爵令嬢として学園に行き、ヒロインとライバルになり王子を奪い合う。王子もオルフェアの不思議な魅力にふらふらして惑わされたりするが、オルフェアが男だとヒロインがばらし、王子は「真実の愛は偽りの愛に勝つものだ」といい、ヒロインと結ばれるのだ。
実はこの王子の台詞はヒロインのバッドエンドでも使われる。断罪イベント後のヒロインを迎えにくる相手のスチル画像を見るまで、ハッピーエンドかバッドエンドかわからないのだ。
ヒロインがハッピーエンドなら王子だし、バッドエンドなら不細工な中年男性が出てくる。しかも初対面だ。その後ハッピーエンドなら王子と婚約し、バッドエンドなら不細工中年と結婚する。
ヒロインがハッピーエンドの時、王子をハメようとしたとオルフェアは罪に問われるのだが、オルフェアがどんなに王子を愛していたか周りも王子も知っていたので、地方に飛ばされるだけですむ。
ヒロインがバットエンドの場合。王子は男と知ったうえで男のオルフェと婚約するのだ。
ノーマルエンドでは三角関係のまま城で二人が王子に仕えて終わりである。
乙女ゲームでありながらBL要素の入ったこのゲームは腐女子や腐男子に大いに受けていた。しかしこのゲームの春夏秋冬の祭りミニゲームやステータス上げがカラオケ採点だった為、クリアが難しくて本命しかしていなかったのだ。カラオケ採点は音程、リズム、抑揚、ロングトーン、歌詞に分かれていて、キャラごとに必要な項目の点数が違う。
例えばアレキセー王子は《音程90 リズム90 抑揚90 ロングトーン90 歌詞90 》で、これをあげる為にひたすら歌ってカラオケ点数を稼ぐのだ。この点数に苦しめられたのは覚えている。思い出した今でもオール90は鬼だと思っている。
「う~ん思い出せない。肝心なイベント全然覚えて無いし……何だっけ? エンディングなら少しは覚えているけど……歌メインでしか覚えて無いんだよなぁ。でも少しでも思い出せて良かった!!」
前世は女だった。アレキセー王子しか口説かなかったが王子は10回以上口説いたと思う……多分。何故ならこのゲームの王子役が前世で追っかけていたバンドのボーカルだったからだ。ゲーム中に流れる王子の歌聞きたさに頑張ったのだ。ハッピーエンドもバットエンドもノーマルエンドも歌が違う為それなりの回数をこなしたはずなのにイベントや他の攻略対象の事は全然覚えていない。
前世の記憶はおぼろげでとても少ない。名前とかどんな女性だったのかは全然思い出せなかった。
「まさか今世でも同じ人に惚れるとは……しかも僕男だし。それにアレキセー王子男でも僕を愛してくれるなら女の格好する事ないよね? やっぱり僕は僕のまま愛して欲しいし。……よし!もうドレスは要らない!!」
だってアレキセー王子はオルフェ・ビーグルを、僕自身を愛してくれたんだから。
「後は歌だけど……そっかぁこんな歌い方があったんだ。すごく綺麗だったし凄く切なかった。囁き語りかける様な歌い方は本当はヒロインの歌い方だけど、僕の声の方がこの歌い方に合うと思うんだ。よし!! 僕はこの歌い方を絶対にモノにする!! 取り敢えず覚えている事を紙にまとめよう!」
そうしてその日から僕の歌の練習は変わった。叩きつける様に歌うのではなく、静かに凪いだ海の様に深く染みるように、問いかけ懇願する様な歌い方に変わったのだ。
張り上げる歌い方に慣れているため、囁こうとしても声が強く出てしまい棒読みになってしまう。抑揚が本当に難しい。ただ小さな声を出すだけでは駄目で、表現力と抑揚と声が揺れない程よい張りが必要だった。脳内に流れる歌に少しずつ近づけていく。お手本が常に流れている状態での練習、そしてその歌は現代日本の詳細なカラオケ採点で95~100点の聞く人を引き込むような歌声だった。
「う~難しい。でも今までと全然違う。小さい声なのに響く。掠れがこんなに色っぽいなんて初めて知ったよ。愛の歌とかすごくすごく泣きそうになる。滑舌と抑揚かぁ……朗読しようかな」
ドレスを脱ぎ捨ててからの僕はやる事が沢山あった。歌と朗読と発声練習、滑舌の練習。ドレスを止めたら家族に泣いて喜ばれた。食事や喉のケアにも余念がない。
「日本の歌は日本語だから綺麗なんだと思う。この国の言葉には合わない。既存の歌を僕なりにアレンジしていこう。このアレンジに日本の歌の情緒を入れればいいんだ。シンプルに、語り掛けるように。この国の愛の歌は愛してるぞー!!!って事を前面に出して、さぁ受け入れろって感じなんだよね」
この世界の歌は秘めた情緒みたいなものがなくて、フルオープンな感じだ。艶やかさにも欠ける。
「ん~歌い方的にはゴスペルみたいなパワフルさだもん。でもそれを日本風にする。懇願するみたいに。柔らかく。《ねぇ愛してるよ、君を好きでいさせて》って感じ……あッ!!イイかも。ピアノ、ピアノ……あぁ、ピアノも習わないと。毎回あの音量のオーケストラで伴奏されたら僕の歌の良さが掻き消えちゃう」
ピアノを習い、独自の練習法にはじめは難色を示していた家族も、歌の練習を本格的にしだすとその歌声に真っ先に懐柔されていった。