サポートミュージシャン持田
pink motor poolはギター&ボーカルの木田悠とベースの前島弘介の2人からなるロックユニットである。
学生時代から2人は常に固定でpmpの名前を使っていたが、ドラムは入れ替わり立ち替わり、卒業後に本格的に音楽活動をする時もドラムは固定メンバーであったりサポート扱いであったりした。
ドラムが安定しない主な要因はドラマー自体がかけもちが多く忙しいことと、木田の情緒不安定と酒癖に付いてこれなくなることにある。
5年以上辛抱が持てば扱いもおおよそ分かってくるが、その5年が辛いということを6年耐えた相方の前島は理解していたので、絶対ドラムをバンドの正式メンバーとする気はなかった。
そしてそのまま、2人のユニットとして今の事務所にも登録したのだ。
そのため、レコーディングやライブの際にはサポートドラマーを呼ぶことになる。
事務所に入って活動をしてみると、案外気の合うドラマーにいきなり当たることになった。
それが今回のレコーディングにも参加している、持田千也だ。
持田はpmpとほぼ同期くらいの芸歴を持っているが年は2人よりも下であり、pmpに対しては雑な敬語で接していた。
人懐こい性格で木田がいじられる人間と分かればすぐに後輩としていじってくる立場に身を置き、時々木田にどつかれながらも2人に打ち解けた。
酔っ払った木田にもついていけるので、前島はもっと早くこいつと会えてれば良かったと悔やむこともあった。
「はい、俺のお仕事大体終了。お疲れ様で~す」
アルバム用のリズム録りが全曲終わり、一旦の2人のチェックも終わると持田は自分で言って手を叩いた。
「大体予定通りですね、お疲れ様です」
櫻井が労いの言葉と共に持田と握手を交わした。
「どうも~、あっ俺あしたは休みもらえるみたいなんで、お二人お借りしてよろしいです?」
「まぁ、木田が明日動ける程度になら」
「かしこまりました、木田さん前島さ~ん、というわけでこの後飲み行きましょ」
「おーいいよ」
笑顔をひきつらせる櫻井を尻目に、持田はお菓子を食べてくつろいでいる木田の隣に座りこんだ。
「……そんで気が付くと朝になってたしその子もいなくなっちゃってたし連絡先貰い損ねたんすよねぇ、惜しいことしちゃって」
「え、じゃあ少しも手付けてないの?」
「もうそれすら記憶にない!」
「それお前酔っ払いすぎなんだよ、そういうとき割と流れ考えたりして酒進まなくね?」
「流れって?」
「だから店出てホテルなり部屋なり連れてく流れ」
「あぁ~、まぁそうなんですけどねぇ、お酒も同じくらい惜しいから」
「ダメだこりゃ」
3人で安い居酒屋でビール瓶片手に下衆な話題に華を咲かせるのももう恒例となっており、今夜も汚い話題に汚い笑い付きで酒を進めていた。
「最近お二人は家も離れたんでしょ?いま結構好き放題なんじゃないんです」
「好き放題したいところだけど相手がね」
前島も酒が回っていい気分になっていたところ、持田の次の一言で少し酔いが醒めた。
「木田さんの方はどうなんです?最近ちょっと付き合い悪いし、そっちの方に割かれてる感じですか?」
木田も同じらしく、一瞬ギクッとしながら気の抜けた笑みを浮かべる持田の方を向いた。
「俺は……」
木田は少しひきつり気味にニヤリと笑った。
「……ぼちぼちだよ」
「え~~~~~~」
笑いながら木田の肩をバシバシと叩く持田を見て、事なきを得たと前島は胸を撫で下ろした。
言わずとも隠さない、というのもなかなか難しいものだ。
「どうしましょ、次の店でも行きますか?」
のれんをくぐると外の空気は少し冷たく、酔った頬には心地良かった。
「俺は、ちょっとこれで」
木田はジャケットに腕を通すとそのまま駅の方面へと足を向けた。
「ほ~ぉ、お疲れ様です。ダメそうだったら俺に紹介してくださいねー」
「あぁ?しねぇよ」
ほろ酔い程度で解放された木田はケラケラと笑いながら背中を向けて、手を振り歩いていった。
「俺も今日は帰るかなぁ」
「前島さんも?マジか~、あ~ビール買って帰ろ」
「ははは、俺は電車あっちだけど」
「あ、新居になったんですもんね。俺もそっちですよ、一緒に行きましょ」
帰り道へと歩を進めながら持田は思い出したように口を開いた。
「でも今日も教えてくれなかったなぁ木田さんの男のこと」
「はは……」
前島は笑いかけて止まった、頭の働きも一瞬止まった。
いつだったか、少し前にもこうした理解不能の文脈が急に飛びこんできたことがあったような。
「……おとこ?」
前島は恐る恐る持田が呟いた言葉を繰り返した。
その反応を待ってましたとばかりに、先を歩いていた持田が振りむいてニヤッと笑った。
「はい、男。なんでしょ?」
持田の悪戯小僧のような笑顔と言葉を見て、前島の頭では「言わずとも隠さない」の言葉が繰り返されぐるぐると回り、どうも悪酔いしてきた気分になった。
自分が言うべき言葉が見つからず、なんなら全力で駅まで逃げ込もうかとさえ思った時に、持田がアハハハと笑い声を上げた。
「いやいや、困らせちゃってすいません。前島さんももう知ってるのかなーって思って試しに言ってみただけなんで。でもそっかぁ、大体周りの人は知ってるんですかね」
「いや……ていうかさ……」
「お相手はむーろー」
「分かった!分かったからそれ以上言うなテメェ!」
相手の方まで割れてるのならもはや誤魔化しきれないと、前島は降参した。
「まぁ、俺たちの方でもね、その、ばれたら別に隠さないっていうことは言ってるんだけどさ」
「ほ~ぉ」
「あんまり大っぴらに言いふらしたりそのことであいつをからかうとか、そういうのは頼むからやめてくれな?」
「かしこまりました」
持田はわざわざ前島の正面に向いてお辞儀をしたが、顔はまたニヤリとしている。
「でもね~前島さん」
続く言葉を前島はなんだか聞きたくない気がしていた。
「俺だってねぇ諦めてたんですよ、木田さんは絶対ノンケだろうし誘っても無理だろうって」
「……は?」
ある程度の警戒を以てしても、持田の言葉はまたも前島の理解に追い付かないものであった。
「それがまさかコロッとその道に行っちゃうなんてねぇ、友達程度として割り切ってた俺としては不服じゃないですか」
「……」
「で、木田さん結構女癖も悪かったでしょ?それならだったら男癖の方もワンチャンあってもいいんじゃないかな~って」
「……いや何言ってんの?」
「あ~一応ちゃんと説明しとくと、野郎もイケるんすわ俺。木田さんちょっと好みだったんですよね~」
「……マジで?」
「大マジっす。まっそんなわけで、一発くらいはこぎつけてえなーって今は思ってるんですわ」
「おまえ、それは」
「木田さんにはくれぐれも内緒ってことで」
へへへへへ~と笑い声をあげながらズカズカと持田は歩いていく。
前島はそれをもう追うことが出来なかった。
ただ一つ、言わずにはいられない言葉をどうにか吐き出した。
「だからって何で俺にそれを話す……」
『ふぅ~ん……持田君がねぇ……』
持田とはぐれた前島はそのまま帰る気分にならず、飲み直すのに入ったバーでまずは櫻井に電話をかけた。
おおよその事情を説明され、櫻井の声のトーンは通常より数段下がっている。
「それでどうしてそれを俺にわざわざ言うかなんだよ!俺に言ったところでそんなんプラスにもなんにもなんないっていうか俺が木田にチクったらおしまいじゃん!頼むから俺の知らない所でやってほしかったよ!」
『落ち着け酔っ払い。……まぁ明日からお前の方は彼と付き合いにくくなるのは分かるよ。ただその話を木田にするっていうのは……』
「俺の方がリズムのことで関わる頻度高いんだよ!俺とは別にことを荒だてなくたっていいじゃん!」
『黙れや。とりあえず、今日は木田の方には何も起こってないんだよな?』
「……多分。持田ももう帰ってると思うし」
『それなら明日からは持田もそんなスタジオ来ないはずだし、しばらく会う機会も少なくなるだろ。ただ木田の方にプライベートで声かけられたら……まぁ様子には注意しとくよ。あちらさんのマネージャーにも一応それとなく探っておくから』
「あぁ、頼むわ」
『俺たちは木田に変に気取られないようにするしかないな。とにかくあいつに変な負荷与えるのは本当に面倒だから』
「分かってるよ、じゃあ、それだけだから、よろしく」
電話を切って前島は目の前のグラスを一気に空けると、「はあぁ~~っ」とため息をついてそのままテーブルに凭れかかった。
この日前島は終電を乗り逃がした。
次の日、寝坊した前島は櫻井の車を10分待たせて急ぎ玄関に飛び出した。
ガラス越しに櫻井に「すまん!」と叫び車に乗り込もうとした時、どうも櫻井の視線が寝坊を責めるそれよりもいくらか意味ありげなものに見えたのが少し気にかかった。
シートに着いてドアを閉め、前島は思わず「わっ」と声をあげた。
隣に座る木田が上半身を折り曲げて膝から上にぴったりとくっつけており、頭と腕をダラリと垂らす姿勢でいたからだ。
室井と行動が別の時は木田も櫻井の車に乗ってくるのだ。
「今日はいきなりどうした……」
前島はハッとなって櫻井に目配せしたが、櫻井は小さく首を振って肩をすくめた。
どうも持田のことは関係ないらしい。
「……昨日早めに帰ったのに、健嗣は朝まで飲んで帰ってきた」
木田はその姿勢のままボソボソト呟いた。
「……は?それだけ?」
「うっせ黙れヒゲ、まだ酒残ってて、あー……頭いてぇ」
「え、あの後飲んでたの?」
「家で飲んでた」
「へぇ……」
「今日は地方に飛んでて健嗣いないし」
「あーそう」
余計な心配をしたことで今日さっそくの疲れが始まった。
今日のレコーディングに持田が参加していないだけまだ心が休まる。
それでも木田の録音中は櫻井と2人でこっそり持田のことについて話していた。
「次の仕事からどうする?あいつ呼ぶ?」
「そこらへんも含めてあっちのマネージャーとは話したいと思ってるよ」
「健嗣さんの方には?」
「あぁー……あっち?事が起こるまであんまり話広げんのもどうかと思うし、そっち経由で木田に伝わるのが俺は不安だな」
「じゃあそこらへんの判断は任せるよ」
一日の作業自体はつつがなく終わり、前島も帰る頃にはあまりそのことを考えなくなっていた。
木田はといえば、レコーディング中は落ち着いていたが帰りの車に乗るときに行きと同じ姿勢になっていた。
「帰りたくない……」
「それくらいしょうがねえだろ、あっちの方が俺たちより忙しいだろうし」
「どっかで飲んでよっかな今日は……」
「お前今日も二日酔いで来たろ!明日もあんだぞお前は!」
櫻井に怒鳴られてシュンとはしているが、この調子だとどうせ飲みに行くだろうと前島は思っていた。
持田とさえ一緒に行かなければいいが。
それを心配しつつも、前島は先に家に着いて、木田を櫻井に任せた。
その後木田も降ろされるときに、櫻井は「いいか明日は潰れてくれるなよ」と釘を刺された。
木田は不服に思いつつも、櫻井の視線があるのですぐに飲み歩きには行かず一度玄関に入った。
玄関の中で立ち止まり、この家に室井の気配がないのを感じるとどうにもたまらず、櫻井の車がマンションから離れる頃合いを見計らってすぐに出ようと靴を履いたまま玄関に座り込んだ。
そうしてるとすぐ、携帯電話が尻ポケットの中で震えた。
取り出してみると、持田からの着信だった。
酒の誘いだろうか、タイミングの良さに気分が少し上向きになって、電話を取りながら笑顔になった。
「よお、どうした?」
『どうも~、昨日の子とはどうなりました?』
いきなりその話題を出されてすぐにムッとした顔に変わる。
「うっせえな、そもそも昨日はまっすぐ帰ってんだ」
『あはは~それはそれは。ご愁傷様です』
「うっせ、おい今日も行くぞ」
『ん、行くって酒です?俺はいいですけど』
「じゃあ新宿あたりで、俺今から行くから、適当に」
『はいはい了解です』
電話を切ると、1人酒では無くなったことで少々晴れた気持ちになり、すぐさま玄関を開けて出ていった。
幸か不幸か、少し玄関前で待機していた櫻井がもういいだろうと考え、出した車が曲がって行ったところだった。
木田はそのまま車が行った道とは反対方向の駅へ向かって歩いていった。
「だから昨日のはそんなんじゃねえって言ってんだろ!!」
店に着いて早々持田による昨晩の木田への追及が始まり、木田も瓶ビール一本で早くも顔を赤らめていた。
「だって昨日はそんな素振りで全然否定しなかったじゃないっすか。駄目だったんでしょ?」
「ちがっ……だからダメだったんじゃなくて……手違いだ手違い!」
「あ~はいはいはい、手違いね、はいはいはいはい」
「おっまえ……」
「まあまあ飲んでくださいな、ここにいるってことは今日もその子はどこへやらって感じですか?」
「あー!」
追加で入った瓶をラッパで口に付けると慣れた様子で喉にゴクゴクと流し込み、ものの10秒で空になった瓶の底をテーブルに叩きつけた。
「いいんだよ!どこまででも行って!でもぜってぇ俺が先に行くんだ!!」
「あはは。すいませーん瓶追加で」
支離滅裂なことを言いだした木田を尻目に持田はどんどん酒を追加していく。
「へぇ~でもその子気になるなぁ~写真とかないんですか写真とか」
「あぁ~もうあるあるそこらじゅうにある!探せ探せ!!」
「マジすか、携帯見せてくださいよ」
テーブルの上に置かれた木田の携帯電話を持田が取ろうとすると「触んなバカ!」と手を払われた。
大げさに痛そうな素振りをしながら、つくづく隠し事の出来ない人だと持田は面白がった。
「じゃ~どんな子かってくらい教えてくださいよ」
「あぁ?どんな子?」
つくねの串焼きにかじりつきながら持田に向けられた木田の目はだいぶ据わってきていた。
「すげぇよ、純粋。純粋だよ」
「ほぉ、純粋。にしては気まぐれな人に思えますけど」
「だーから思うままに生きてんだよ。だから芯もつえぇんだ。でも腕っぷしも強くて」
「木田さん大概ケンカ弱そうですけどそれでも男の木田さんより?」
「あ?」
言われて失言に気付いたようで一瞬口をつぐんだが、誤魔化すのも面倒なのか「あぁ」と言って否定はしなかった。
話を聞く間も持田は休みなく木田のコップに酒を注いでいて、木田も酒の量に対する意識がなくなってきたのか、コップにあればある量だけオートメーションのように口に運んでいる。
「おっかないっすね。……木田さんにはそれくらいの人がいいのかもしれないですけど」
ずっとにんまりとした笑顔を浮かべていた持田は少し表情を硬くした。
持田は室井の人となりもいくらか知っている、あれもあれでマイペースではあるが、木田の言う通り芯の強そうなところはある。
なるほど、ああいうのに腕っぷしで叱られるのも、甘えん坊でワガママで大酒飲みの大きな赤ん坊みたいなこの男には、嬉しいものなのかもしれない。
自分もどちらかと言えば甘えたいほうだ、だから年上を好む節はあるし、つつけばギャンギャン騒いで構ってくれる木田が気に入った。
だけれどそんな自分では、木田の価値観を根底から揺るがすには役者不足であったのだろう。
しかし。
「木田さんだいぶ酔ってきましたねぇ」
「あ~……?バァカ、いける、いけんだよぉ」
「……とりあえず一旦出ます?ね、風浴びましょ」
「いーや。のむ、もう1件だもおひっけん」
「えぇ?ろれつも回ってないのに。あー、じゃあ俺んち行きましょ。それなら潰れても全然余裕ですから」
「あー?うん、わかった、ん……」
「あーもう、捕まって」
持田は会計を済ませると木田の腕を肩に担いで、千鳥足の木田と一緒にヨロヨロと自分の家に帰る道へと歩き出した。
木田に男を愛させることは自分には出来なかった、だからなんだ。
一番大きな性別という障壁は取り払われてある、ならもう言い訳は効かない。
おこぼれくらいには預からせてもらおうじゃないか。
持田が木田と室井の交際を知ったのは昨日、最後のリズム録りを終える前のことだった。
録音の前に用を足しに行ったとき、個室が一つ閉まっていて中からボソボソと人の声が聞こえてきた。
便所を一つ占領して電話をする見知らぬ輩に少々不快感を覚えつつも用を足しながらその声を聞くと、どうも木田の声らしいように聞こえたので少し態度を改めた。
手を洗い出口まで足音をたてて歩き、トイレの入り口ドアを開けたがそのままトイレに残りドアを閉め、出ていった振りをして静かに聞き耳を立てていた。
木田の方も、急な来客が出ていったと思いこんでくれたようで、少し声の音量が上がったために発言は難なく聞き取れた。
「俺は、今日は帰るよ。……大丈夫、酒になっても朝までいない、うん。……だってさ、明日は健嗣がいないから」
ケンジ?
ケンジと聞いて持田は真っ先に室井健嗣の顔が思い浮かんだが、よくある名前だし確証はない。
第一彼は木田の事務所の先輩のはずだ、下の名前で呼び捨てなんて失礼なこともしないだろう。
それにしても、この電話の内容は……
「だから、そっちも早く帰ってきてほしい……できれば、よりは絶対、がいいけど……あぁ、こっちも、そうなったら連絡する」
帰る。帰るとはどこに?ケンジ?前島ではなく?そこの2人は最近部屋が分かれたんだったか?
「うん……うん、それじゃあ」
電話が終わりそうだったので、持田は音を立てないようにトイレのドアを開け今度こそ本当に出ていこうとした。
「あ!あと」
扉を閉めかけたが、少しだけ開いて中の声に意識を集中させた。
「いや……好きだ、って、それだけ」
持田の全身の毛がザワッと立った。
「うん……ありがとう。また」
持田は急いで、しかし閉じる時は音を立てないように神経を使って、ドアを閉めて足早にそこを去った。
動揺している自分を感じていた。少し血の気が引いて顔は冷たくなっているように感じるのに、妙に脈が速く鳴っている。
帰る。ケンジ。好きだ。木田が男に、好意を示している。あの木田が。
スタジオに下りる階段を駆け足で下りたところで、丁度入口からpmpのマネージャーの櫻井が出てきた。
「あっ……持田さん、木田は上にいました?」
「え……まぁ」
このとき持田の頭に一つ思い付きが生まれ、階段を指さしながら櫻井に言葉をつづけた。
「ケンジさんと電話してたようですけど」
「室井さんと?」
決まった。
そう思うと同時に鼓動は更に速くなって寒気までしてきた。
「えぇ……」
「便所長いと思ったら……何の用事か知らないけど」
そう言いながら櫻井は階段を駆け上がっていった。
後半言葉を付け足す前に、こちらの様子を少し窺っていたように見えた。
室井健嗣、確かに木田と交流があるのは知っていたが、まさかこんなことがあるとは思ってもみなかった。
その2人が、仕事中にまで愛を語り合うような仲になるなんて。
どうして。
突き付けられた現実にただ動揺するばかりだった持田の中に、ふつふつと怒りのこもった嫉妬心が芽生えた。
自分だって木田が好きだ。
ライブの後なんか、息を切らして細い身体を汗まみれにしているところなんかを見るたびに抱きたいと思っていた。
寂しがりのくせに恥ずかしがるから、人とうまくテンポが噛み合わず焦っているところなんか見るとついおかしくてからかってしまいたくなるような、ガサツだけど可愛い男だ。
だけれど、彼にとっては男は守備範囲ではないだろう。
それは元から諦めていた。生意気な年下として可愛がってもらうくらいがいい所だと思って、その位置で落ち着いていた。
それを急に、自分が手を伸ばさなかったところにまで早々に手を伸ばして持って行かれたのだから、横取りされたような気分になった。
一体どちらからだったとか、なんで木田を落とせたのかとか、そんなことを繰り返し答えが出ないまま考えていた。
「持田、持田?」
「おぉっ」
前島の声で我に帰り勢いで立ち上がってしまった。
「随分ボケっとしてたけど……調子悪いのか?」
「いや……ちょっとイメトレはまりすぎちゃいまして」
へへっと笑ってドラムスティックを握り、ブースに入った。
諦めて行動しなかった自分が悪かったんだ。だからおいしいところを取り逃した。
そうだ、だから今度は、行動してやろうじゃないか。
明日、健嗣はいないと電話で話していた。明日なら。
「着きましたよ、木田さん……って寝てますか」
「ん~……」
昨日のことを思い出しながら歩いていたら、木田が自分に寄りかかってほとんど頭は寝ているような状態で歩いていることも気付かなかった。
それにしても、昨日は前島に少し喋りすぎただろうか。
酒の時まで室井を気にして、すぐに帰ったりなんかして癪に障ったし、酒の勢いでつい明かしてしまった。
それでも構わないか、おそらく今日のことが終われば自分は干されるのだろうし、木田もきっと、自分を軽蔑して、今までのようなバカ騒ぎはもう2度と、出来なくなるんだ。
「もう今日はそのまま布団運んじゃいますよ」
アパートの鍵を取りだす前に木田の腕をしっかりと肩に背負い直した。
改めて木田の体の熱を感じていると、一瞬感じた葛藤が吹き飛んだ。
欲求というのはしばしば厄介だ、人生のスパンで見たらどう考えても一夜の過ちですまないことと分かっていても、目先の欲求を満たさずにはいられないこともある。
どうせなら好き放題やってやる、それくらいにはこっちもムシャクシャしてるんだ。
へその下の方が欲望でジンジンと熱くなってきている。あとは自分のご主人のお心のまま、と持田はアパートのドアを開いた。
まだまだ若手で決して稼ぎがいいわけではない持田の部屋は狭い、本人の使い方により綺麗にはなっていない。
玄関を開けるとダイニングとも廊下とも言いがたい3畳ほどの空間があり、玄関側の壁にトイレと風呂、反対側にキッチンがある。
そこを超えて磨りガラスのハマった引き戸を開けると6畳間程度の部屋になる。普段は窓際に練習用のデジタルドラムセットが組みたてられているが、今はそれが予め敷いておいた布団のために脇に追いやられている。
持田は木田の靴を脱がせた後に自分も靴を脱いで木田を部屋の中まで引きずった。
「はいっ、じゃ~もう寝ましょ~ね」
持田は1組だけ敷かれた布団の上に、担いで木田もろとも雪崩れ込んだ。
2人で横になって木田の顔をじっと見つめる。
木田は完全に眠っているようだが、こうして目を閉じると長い睫毛が良く映える。
少し長い髪が乱れて顔に無造作にかかるのを見つめて、持田は思わず喉を鳴らした。
「木田さん……」
持田は起き上がり、木田を仰向けにひっくり返して腹よりも少し下の位置に乗った。
「いつもはどーだか知りませんけど、生憎俺はいっつも『上』なもんで」
木田の瞼が少し動いたが、はっきり起きる様子はない。
「それじゃあ木田さん、脱ぎましょ」
木田のシャツのボタンに手をかけて、1つ1つ綺麗に外していく。
長い間憧れを持ち続けてきた木田が、こうして抵抗する様子もなく自分に脱がされるがままになっているのを見て、持田は幼い頃に感じていたようなワクワク感を抱いた。
まるでプレゼントボックスのリボンを紐解くような。
シャツをはだけで軽く木田の肌を撫でる。
鍛えてる様子はないがそれほど肉も付いておらず、腹筋の辺りは少し硬くなっていた。
持田はベルトのバックルに指をかけながら、自分の頭を木田の頭の方に下ろしていった。
口の中に舌を突っ込まれたらさすがに起きるだろうか、反射で噛み切られたりしないといいが。
そう考えながらも、その唇を奪うことが何よりの最優先事項だと疑わず、半開きの唇に唇を重ねようとしたとき。
「あ」
木田の瞼がピクッと動いたかと思うとゆっくりと瞳が現れた。
当然、その目は持田の目と、ごくごく至近距離で合わさる。
持田はその距離から動けないまま、このまま行こうか一度離れようかを考えていた。
すると木田が唸りながら目をギュッと閉じたかと思うと持田の肩に両手がかけられ――。
木田が持田の家に連れ込まれていた頃、櫻井の携帯に室井から連絡がかかってきた。
木田と室井の交際の件で集まった時に、何かの時のためにお互いのマネージャーにも連絡先を交換していたのだが、その何かと思うと櫻井はあまりいい気持ちがしなかった。
「……はい?」
『もしもし、櫻井さん今ギダユーと一緒にいる?』
「木田ですか?今日はもう家に送った後ですが」
『そっか、ギダユーはどうも出かけてるみたいだけど、電話にも出ないんだ』
「え?」
飲みに行くかもしれないというのは大方予想していた。
連絡が付かないとなるとどこかで酔いつぶれているのかもしれないし、それも木田にとっては珍しいことではないのだが、今は持田のことがあるので櫻井の動揺はいつもよりも大きかった。
「えーと、室井さん今どちらにおられます?木田の方から地方にいると伺ったのですが」
『俺は今帰ってきたところだよ。日帰りで帰れる日程だからタマちゃんに送ってもらったんだ』
「そうですか。木田はそのことは存じてますか?」
『ギダユーには朝言ったよ、ただ朝は少し塞いでたからもしかしたら聞こえていなかったかもしれない』
「あー、はい」
一緒に暮らす男のスケジュールくらいちゃんと聞いておけと内心悪態を付きたかったが当の本人に連絡が付かないので、櫻井は少々沈黙した。
「すいません、もしかしたら飲みに出た先で潰れてるかもしれないので、一緒に飲んでそうな人間のところ手当たり次第連絡してみます」
『櫻井さんにそこまでしてもらわなくても大丈夫だよ。俺は櫻井さんといるかどうか確認がしたかっただけだから』
「いえそう言われましても、明日の仕事もありますしこちらで管理しているアーティストですので」
『そうか、ギダユーも迷惑ばかりかけてるようじゃいけないな』
「まぁ、いつものことなんでね。失礼します」
櫻井は通話を切ると「あんたも昨日朝帰りしてたところだろ」とぼやきながら真っ先に持田の連絡先に電話をかけた。
1分経って留守番電話サービスに接続されると、舌打ちを打って壁際にかけたスーツを手に取った。
木田だって男だしそれなりの抵抗はできるだろうが、トラウマの一つも作られると長いこと引きずる男だ。
持田の家に行って木田がいなければそれでいい。櫻井はスーツに着替え急ぎ車を走らせた。
持田が済んでいるはずのアパートの前、櫻井は車を降りて手帳に控えたアパート名と建物の名前を照らし合わせ、部屋番号を確認してチャイムを押した。
20秒ほど待機して留守かと思った頃に玄関が開いた。
出てきた持田はいつもの飄々とした雰囲気はなく、ふてくされて疲れたような顔で出てきた。
「あー、こんばんは。木田さんですか」
櫻井が聞く前に持田の方から求めていたことを聞いてきた。
櫻井はバツが悪そうに頷きながらも、持田の奥にある部屋の様子をチラッと見た。
引き戸の向こうで足が見える。見える限りでは衣類も来ている。
「どーぞ、今は寝てます」
櫻井は持田に促されて部屋に入った。
「……おい木田!」
木田の全身が見えて櫻井は思わず駆け寄った。
下はデニムまで履いているものの、上はシャツのボタンが全部開けられ、右肩の方なんかはほとんど脱げている。
「ボタン外した以上のことは何もしてませんよ」
苛立ったような持田の声に反応して櫻井はキッとそちらを向いた。
「逆に俺が散々技かけられて締められました。満足したらすぐ寝ちゃったし、それだけです」
「…………」
櫻井は数秒持田を睨んでいたが、やがて木田を「おい、帰るぞ」と揺り起した。
「ん~……?」
眠そうな声をあげるだけで目を開けられない木田に「室井さんが家で待ってるから」と声をかけると薄く目を開いた。
「けんじ……?」
「そう、健嗣さん」
木田は何度かコクコクと頷いた後、櫻井の支えを借りてユラリと立ちあがった。
「帰ってきてんだ」
持田の呟いた言葉に櫻井も木田も特に反応は見せなかった。
櫻井は持田が家に上がらせる時にしたのを逆回しにするように自分から靴を履きその後木田に靴を履かせた。
木田を後部座席まで運び「ボタン閉めとけ」と声をかけ扉を閉めた。
木田は一応頷いたが、シートに凭れるとまたそのまますぐに眠りに就いた。
櫻井はすぐには車に乗らず、もう一度持田の部屋の前まで引き返した。
「あれ、あとなにか?」
少し段になっている玄関を上がったところで億劫そうに目を細めて、持田は櫻井を見下ろしている。
櫻井はその前でフーっと息を吐いたが、唐突に持田の胸ぐらをつかんで地面の方向に腕を引いた。
持田は抵抗する前にバランスを崩し、仰向けに倒れた。背中を床に押しつけるようにシャツの襟を掴まれた持田は、腰より上は床に、その下は玄関に投げ出される形で、しゃがみこんだ櫻井に見おろされた。
「あいつが覚えてなくても俺は今日のことは覚えてる」
櫻井は目を見開き、呼吸は荒々しく震えていた。
「2度と木田に近づくな……今度また何かあったら、どんな手使ってでもお前のことは潰す」
持田は無表情に櫻井のことを見据えていたが、体の震えは櫻井にも伝わっていた。
掴んでいた手を離し、ツカツカと櫻井は車に戻った。
櫻井が運転席に乗り込み扉を閉じるまで、持田は口も開かず、動きさえしなかった。
「木田」
「ん……」
「てめぇもいつもいつも潰れるまで飲むんじゃねえっつってんだろ!いい加減にしねえと24時間仕事からプライベートまで全部こっちで管理すんぞ!!」
「うおっ!?」
突然櫻井が怒鳴り始めて木田もパッチリと目を見開いた。
「お前は本当危なっかしいんだよ、今日も室井さんに心配かけてんだぞ」
「ん、ご、ごめん」
「家まで送るから、それまでに服ちゃんと着とけ」
「うん、うん」
櫻井は車を発車させて舌打ちをしながらも、いそいそとボタンを閉め始める木田の姿をバックミラー越しに眺め、無事な様子に笑顔を抑えきれなかった。
室井のマンション前まで行くと、玄関の前でスウェット姿の室井が待っていた。事前に櫻井が送る旨を連絡していたためだ。
「ギダユー、おかえり」
「けんじ~~、けんじー」
車から出てきた木田は千鳥足でも両腕を広げて室井に向かって歩き、崩れ込むように室井に抱きついた。
室井は片手で木田の背中をポンポンと叩きながら、顔は櫻井に向かって頭を下げた。
「櫻井さんもありがとう、わざわざギダユーの様子を見に行って送ってまでくれて」
「いえ、いいんですけど、あなたたち今外にいますからね……それちょっと……」
櫻井の言葉で室井は木田に離れるように促した。
「本当にヒヤヒヤさせられましたよ今回は」
「そんなに酷く潰れてたんだ?今はいつもの酔っ払いギダユーなのにね」
「そうですね。……いつも通りで、何よりです」
室井は櫻井の言葉の意味を計りかねた様子で櫻井を見つめたが、櫻井が少し微笑むと真面目な顔で頷いた。
「おやすみなさい、室井さん」
「おやすみなさい」
「おやすみー……」
櫻井は2人の姿を、入口の奥に見えるエレベーターの扉が閉まるまで見送った。