お化け屋敷の闇の中
夏だった。部活と言うことでクーラーもない狭い部屋で、友人とともに他の部員を待っているのだが。
「暑いよな」
「暑いな」
待てども来ない。日を間違えたか、と不安になって連絡を入れてみれば、どいつもこいつも来れないとのたまう。
「俺ら二人だけかよ」
「そうみたいだな」
「さぼるか」
「さぼろう」
すぐに意見は一致した。
「と言うわけでプールにでも行かないか?」
「男同士でかよ」
「いいだろ。ナンパすりゃいい」
「それもそうか」
とそんなわけで悪友に連れられプールのあるレジャーランドに。
プールに入り、ナンパするも見事に全滅。
やけになった俺たちは、お化け屋敷に入ることにした。
俺は知らなかったのだが、友人が言うには、ここのお化け屋敷にはとある噂で有名らしい。
「出るんだとさ」
「出るって何がだよ」
「本物の幽霊が、だよ」
友人は楽しそうに笑った。
「どこで知ったんだ? 俺らの学校じゃあんま来る奴居ないだろ?」
「今さっき。女から」
そういうわけで、見物しても良いだろうって話になったのだ。
受付で金を払うと、サービスとしてジュースと交換できるメダルを支給された。
「途中に休憩所がありますので、そこの自動販売機でのみ使えます」
受付の人はそう注意をした。使わなかった場合は出口で返却すればサービスチケットと引き替えるのだそうだ。
「なんか仕掛けでもあるんかね」
「あるんだろ。そうでなきゃこんな面倒なことするかよ?」
そんな風に話しながら友人と入る。
当然だが暗い。少しは斬新なお化け屋敷を見てみたいものだ。
雰囲気作りに病院の廃墟を模しているためか、壁はボロボロ。
最初は受付だった。
古ぼけたカウンター。先に進んだ人の悲鳴。
どこからか聞こえるおどろおどろしいBGMが雰囲気が恐怖をあおる。
「たく、何でテメェと何だろうな」
「俺のセリフだ」
悪態をつきながら順路に従って進んでいく。
ときおり驚かせる仕掛けや、人が飛び出てくる。病室の血痕が広がるベッドや、ボロボロの手術台。
診察室だろうか? その中にはカルテや注射器、薬品の瓶なんかが散乱していた
ある病室に、わざとらしく置かれた熊のぬいぐるみからは、子供の泣く声が響き、その隣の個室では老女のすすり泣く恨めしそうな声が不気味に流れる。
真ん中の辺りで瓦礫によって区切られているので、どうやら順路は上へ上り、それから下るようになっているらしい。
霊安室あたりが最期の大仕掛けなんだろう。
薄情なもので、2階の辺りで友人は俺をおいてさっさと行ってしまった。仕方なしに一人で進んでいく。
(たく、あの野郎。後でなんか奢らせるか。……て、お?)
暗い中、少女がうずくまっていた。あまりの怖さに進めなくなったのか。
高校生くらいだろう。なかなか可愛い女の子だ。て、あれは確か……
「どうした」
「あ、友達においていかれちゃって……」
「ありゃ、そりゃひどいな。どう、一緒に行かない?」
彼女は少し迷った素振りを見せ、一人で行くには勇気が起こらなかったらしく、肯いた。
「俺、山野太一ってんだ」
「私は佐倉美紀って言います」
歩きながら自己紹介。少しびくついているが、そばに人がいるおかげでだいぶ落ち着いたようだ。
それでもどこからか聞こえてくる気味の悪い呻きにびくびくしてる。
「あの、助かりました。ありがとうございます」
「いや、俺もおいてかれちまったクチだし、きにすんな」
「いえ、でも一人じゃやっぱり怖くて、進むのも戻るのも」
「あー、確かに。それにしてもお互い薄情な連れを持ったもんだ」
冗談めかしていった。
「そうですね」
彼女は少し困ったように笑った。友達だろうからな。悪く言ったのはちょっと失言だったか。
「ま、でもこの先で待っててくれてるかも知れないぜ?」
「そう、ですよね」
「俺の方は待ってなさそうだけどナー」
「あら」
楽しげに笑う彼女は可愛くて、魅力的だった。
これをきっかけに、なんて夢想してたり。
しばらく歩き、ようやく折り返しになる最上階に着いたとき。
「お化け屋敷って、不思議だよな」
「そうですか?」
山野さんが首をかしげた。
「こんだけ作り物がいるんだからさ、違うのが紛れ込んでても気づかなくね?」
大きく息を吐き、少し芝居がかった仕草で彼女は聞いてきた。
「違うのってなにかな?」
「なんだと思う?」
余計に怖くなるようなことを考えさせてどうすんだろ。俺。
「ここはお化け屋敷だよね」
彼女は少し先に進んで振り返る。
「本物が居ても誰も気づかないんじゃないかな? そういうこと、だよね」
彼女はほころぶように笑った。
俺もつられて笑った。
「でも」
彼女は少し怒ったように続けた。
「そんな怖いこと言っちゃやですよ?」
「ごめんなさい」
俺は素直に謝った。
「なんかあそこ明るいな」
「本当ですね。もしかしたら、あれが休憩所なんじゃないですか?」
たぶんなー、と言って入ってみれば彼女の言うとおりに休憩所だった。
診察室のような小さな部屋に、ベンチと自販機が置いてある。
「ここでコインを使うんですね」
「みたいだな。にしても短くすりゃ良いだろうに」
俺は文句をこぼしながらもコインを使い、ジュースを選び、スイッチを押した。
ごとん
取り出し口からジュースを取り出す。ぬるりとした感触がしたが、夏でもあるし水滴だろうと特に気にはしなかった。
が。
「うわっ!」
取り出したそれを、思わず放り投げてしまった。手にはまだぬらりとした感触が残っている。
横目に見れば、手は赤く染まっている。
血、だろうか。
投げ捨てたそれをもう一度見る。
それは、
「なに、これ」
どう見ても。
「人の、腕だな」
そう、肘から先、手首を切り落とされた女性の腕だった。それは真っ赤な血のりに塗れている。
手触りも本物そっくりで、紛らわしいことこの上ない。
仕掛けにしても悪趣味だった。
「にしても、よくやるよ……」
半ば呆れながらぼやいた。
休憩所を出て、順路をたどった。
思った通りに霊安室が最大の恐怖ポイントだった。あんまりにも怖くてそこだけ記憶が飛んでる。思い出したくない。
それ以降は特に大したこともなく出口にたどり着いた。
俺は出口にたどり着いた安堵でため息をついた。
「んじゃ、ここでお別れかな?」
俺は佐倉さんに振り向いた。
「お別れ?」
うつむいて、表情が分からない。だけど、笑っているようだった。
……違いますよ。
声を、出して、いない?
でも、彼女の声だろ。
なのになんで?
まるで響いてくるような……
そこで突然、ぎゅっと二の腕辺りを掴まれる。
とても女の子とは思えないほど強い力だった。
怖くて佐倉さんの顔を見ることが出来ない。
ねぇ?
見上げてくる彼女の顔は真っ暗で。
「どうか、しましたか」
目だけが浮かび上がるようで――――
「うわあああ!」
俺は彼女の腕を無理矢理振り払って外に逃げ出した。
明るい方に駆けだした。
どうして逃げるんですか?
「た、助けてくれ!」
外に出る。それでも俺は走り続けた。
そうしなければ彼女に追いつかれ、捕まってしまう。そんな気がして仕方なかったのだ。
走って走って、息が切れた。
何かに躓き、転んでしまう。
それでも張ってでも逃げようとして、ずりずりと前へ進んだ。
花壇にぶつかり、手をかけなんとか立ち上がる。
「おい」
そして突然、背後から肩を叩かれた。
心臓が止まりそうなほど驚き、振り向く。
そこにいた男の顔を見て心底ほっとした。そこにいたのははぐれた友人だった。
「驚かすなよ……」
俺は見知った顔を見つけ、ようやく気を抜くことが出来た。
「? どうかしたのかよ」
友人はその少し欠けた顔に笑みを浮かべた。
俺はさっきのことを話した。
「うお、まじかよ。こえー」
「だろ?」
俺たちは笑いあった。
ひとしきり笑った後、友人が口を開く。
「でもさ」
「何だよ?」
「幽霊が出るのってお化け屋敷だけじゃないよな」
「あー、そうだよな」
「だよな」
そういえば、今日は曇りだったっけか。やけに薄暗い。
その上蒸し暑いな。
蓋のような雲を疎ましく思いながら、俺は紫色の空を見上げた。
「あ?」
今頃気づいた。
そういえばずいぶん人気がない、つーか誰も居ない。
そう思うと、唐突とも言えるタイミングで熊のような黒ネズミが現れる。この遊園地のマスコットだ。
しかし、本当なら優しく笑みを浮かべるその口は、牙で閉ざされている。その手に持ったドクロマークの風船もこの上なくうさんくさい。
「……どうかしたのか?」
「いや、こいつおかしくね?」
黒ネズミは子供が見たら鳴き出しそうな雰囲気のまま、まるで監視するかのように突っ立っている。
「そうか?」
普通に聞こえる。でも、その声色にはどこか可笑しさがにじみ出ていた。
そういえば、こいつは確か俺の友人だったよな?
「……」
「おい、本当にどうしたんだよ」
怖くて、振り向くことが出来ない。
こんな所に一緒に来るくらいの。それなりに親しいはずだ、よな。
「黙ってないでなんとか言えよ」
じゃあ、何でこいつの名前が思い出せないんだ?
「……おまえ、だれだっけ」
「何言ってるんだ?」
彼はにこやかに笑っている。
「なんだ、あんまり怖くて記憶喪失か」
なんで、見えるんだ。あいつは俺の後ろにいるはずなのに。なんで笑った顔が見えるんだ?
「本当にどうかしたのか」
俺の前に浮かび上がる、骨張った、いや、骨そのものの顔。
「うわあああああああ!!」
俺はそいつから早く離れたくて、一目散に逃げ出した。
「待てよ……。なんで、逃げるんだよ……」
がしゃ、がしゃ………………
そんな音を立てて何かが追いかけてくる。
息が切れる。
目もくらんできた。意識も薄れてくる。
だが、止まるわけにはいかない。止まればあいつらに捕まる。
捕まったらダメだ!
「あれあれ。何か怖いことでもあるのかなあ?」
進む先にあの黒ネズミのマスコットがいた。
怖い。
突然影が隆起する。
ざわ……ざわ……
それは人の形をとって俺を取り囲もうとする。
なぜか、直感的にそれらもまずいと感じた。
だから、俺は逃げようとして手近な施設に逃げ込んだ。
そこで、意識を失った。
「……さん、…ちさん」
声。女の子の。
どこかで、聞いたことがあるような……。
「太一さん!」
「あれ……。ここは」
「よかった。気がついたんですね」
目の焦点が合ってくると、心配そうな顔をした佐倉さんの顔が飛び込んできた。
頭を軽く振りつつ起きあがると、自販機が目についた。真っ白な病院を思わせる壁。
俺はそこに置かれたベンチの上に寝かされていた。
「急に倒れちゃったの。ここに寝かせるだけでも苦労したんだから」
確かここは休憩室。お化け屋敷の中の。
つまり、未だにお化け屋敷の中だった。
確か一度抜けたはずなんだけどなあ。
「なあ、俺どれくらい寝てた?」
どこをどう走ったのかも分からない。
気づけば、お化け屋敷に戻ってしまっていた。
「そんなでもないですよ? せいぜい5分くらいですし」
「うっわ、恥ずっ」
彼女は笑っていた。仕方ない。彼女も倒れなかったのに、俺だけが気絶なんて情けなさ過ぎるからな。
「じゃ、もう少し休んでから行こうか」
「もう、平気なの?」
「ああ、佐倉さんのおかげ。そっちこそ疲れてない?」
「ん、大丈夫。疲れてないから、早くいこ?」
「そっか」
俺はベンチから起きあがる。
「じゃ、行こっか」
彼女は笑って肯いた。
出ようとしたとき、佐倉さんは俺の手を取った。
「その、怖いから」
少し、恥ずかしい。
だけど、手を放さずに俺たちはお化け屋敷の中を歩いていった。
駅の前。
そこに、尋ね人の張り紙があった。
尋ね人は高校生の少年。
名前は、山野太一。
あれからどれぐらい経っただろうか。
俺と佐倉さんは未だにお化け屋敷の中を彷徨い、いつまでも出口にたどり着けずにいた。
「ねぇ、太一さん。本当に出られるのかな?」
「さあね。いつか、でられるよ。きっと」
真っ暗な闇の中。
僕らははぐれないよう手を繋いだまま、いつまでも彷徨っていた。