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水蜘蛛  作者: 漆原康弘
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窮鼠が如く

芸術や学問の入り口に立つには猜疑心が必要と考えている。



日常生活を要求されて日々を送る人間。

学生であれば勉強をするし、社会人であれば仕事に汗を流す。

家に帰れば家庭単位で営み、暇があれば知人と時を共にする。

大人に"それはそういうモノだ"と教え込まれ、背けば直接的に何らかの罰が下る場合もあれば、間接的な罰、所謂、世間の目という抑止力が働き、自ら正しき姿を維持しようとする。

どこぞから湧き出た曖昧で脅迫じみた"正しき姿"に添う適合能力をイコール社会性と呼ぶかどうかは各々の理解に依るが、少なくとも私はそう思う。



示された社会性に対して純真無垢に従うよう健康的に育てば、きっと疑問と上手く向き合うのだろうが、ともかくどこかで疑問は必ず生まれる。

当たり前を当たり前と知らない内に、当たり前な人々と出会い、私は当たり前ではないと気付くタイミングはどこかで来る。

例えば勉強であったり家庭生活であったり、とにかく対象はなんだっていいが、面倒を避けたい願望や、他人より劣る能力を憂うエネルギーが疑問へ繋がる。


ここが芸術や学問への扉、分岐点であると考える。

健康的であれば、直ぐ様に脳内の消化すべきリストに新たに書き加え従うようになり、いつしか平常の行いとして消化し、世間の一部として平均化していく。


一方で疑問から疑問を見い出す人も居る。

何故、私は皆の当たり前を、当たり前に出来ないのか。

そもそも何故それは当たり前なのか。

理由は何なのか。

現実逃避が、考えるだけでは解決に至ることのない、摂理の迷宮に足を踏み入れさせる。



そうして悩み迷う中で出会う、心地好い寄り処こそが芸術や学問ではないだろうか。

かつて異文化に虐げられし人々が魂を解放すべく歌ったように、他人には見えざる景色を具現化すべく筆を取るように、独り木から林檎が落ちる様を熟慮したように、欠落した人がヒトのなんたるかを探求したように。

スタート地点はコンプレックスである方が強いと思いたい(私がそうであるからという私情込みでだが)。

ただなんとなく好きから始まった追及よりも、コンプレックスを補填すべく、または逃避すべく、猛烈に欲する陰のエネルギーの爆発力と推進力たるや凄まじい。

コンプレックスなんてものはそう簡単に陽側に転換できないのだから、その分だけ貪欲を貫き続けより深く掘り下げられるだろう。

また強烈な陰からそれを感じさせないくらいの陽に転じる際の、大きな振れ幅こそが魅力だと感じる私だからか、コンプレックスとは生涯通して愛すべき友だと思っている。



文学に憧れた若い頃、私こそ文学を志すべき人だと信じて疑わなかった。

コンプレックスが解釈させる万物が文脈であり、文脈が織り成す鬱くしき経験こそが物語であると。

文章を彩り胸を打つ情緒を私は既に持っていると確信した(とんでもない勘違いである)。

例えば此処に綴っているような解釈を物語に埋め込み演じさせればどうだろうか、といった具合に。

だが冷静に未来を想像するに、あまりに人として若く未熟で人生経験に乏しく生み出すに値しないとして、技術を磨くよう自らに働きかけることは無かった。

私にとって文脈を生み続けるということは、永遠に自らと世に対して苦悩し、苦悩を納得した上で美しくも荒々しく顕し続けなければならないような気がした。

コンプレックスを武器と出来ない当時の私からすれば、想像しただけで恐ろしく、結果として平凡な人に収まったわけだがこれはこれで骨が折れた。

なにせ欠如している人なのだから世間と関われば手前勝手にバンバン壁へとブチ当たり、疑問を生み続けるのだから。

どう転んでも苦心惨憺する日々を送るとは、なかなか皮肉な話である。




一定のジャンルの芸術に詳しいわけではないが、作者の本質に触れる作業が好きである。

邪推承知で当人がどんなコンプレックスから生まれた人なのかを読み取れると嬉しい。

決して弱味を見下し悦に入るような愚かな意味ではなく、真に言いたいことを汲み取れた気がして嬉しいのである。

勿論、コンプレックスから生み出す以外の性質の方も居られるので、それはそれとして違う楽しみ方をする。

そうして様々な手法で人々が発信し生活を営む中で、いざ私がどう在るべきかを考えるならどうだろう。

陰のエネルギーを持つ人々に魅せられ育ったのだから、場所はどうあれ私もそう在りたい。

人の不幸より自分自身の不幸の方が良質の蜜だもの。

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