受胎
中学時代の国語教諭は熱い人だった。
担任で、所属していた運動部顧問でもあった彼無しに今の私は有り得ない。
教科書を放棄し特別授業が敢行されることがままあった。
特別授業とは、視聴覚室の大スクリーンで、教諭がチョイスした、真の授業たる映像作品を観るのであるが、皆は一時間の授業がまるまる遊びに塗り替えられるとして楽しんでいるようだった。
私は真の授業のなんたるかを噛み締めるのが好きで、級友と仮初めの感想を共有しながらも、独り瞑想に耽る時間を私は愛したのである。
いつも教諭は映像を流す前にテーマを一言簡潔に述べる。
その日のテーマは"正義とはなんぞや"。
当時の私の大嫌いな言葉だ。
流された映像は皆が知る有名アニメだった。
決してリアルタイムでは見たことのない世代を隔てた作品ながらも、タイトルと雰囲気だけは我々子供の知識域に何故か刷り込まれているのだから有名と断言していいはずだ。
妖怪の男性と女性とそして少年が人間に憧れる中で葛藤し、苦悩する話である。
妖怪の少年主体で物語られる映像に私は奪り憑かれた。
人間に憧れる醜い少年と、人間を人間と疑わない生粋の人間との、種という磁場境界の挾間で妖怪少年は悶絶していた。
直接的な暴力と間接的な虐げが妖怪少年に向けられ、人間では無いからこそ、それらの在処を察知できる妖怪少年は強烈な排他感か孤独感に苛まられるのである。
ああ、私が今まさにそこに居る。
そう思った。
私は"普通のヒト"になりたかった。
欠如している私は普通という肩書きを、生きる資格を、貪欲に求めた。
まず、他人を知る為に友人と能動的に関わり、その人をよく掴もうとした。
"普通の申し子"である彼等と関わって他人を知るべく勉めたのだ。
次に、他人と私との比較から私を構成する成分を導き出そうとした。
他人の観察から私は確かに欠如していると実感できたが、そもそも私が何者であるかを全く理解できない。
だからまず他人というサンプルを多く知り、統計から自らを知るべきだと本能がそうさせたのだろう。
生きる本能とは上手くできているものだ。
しかし、如何に友人との交遊を深めども私が何者であるかを一向に見い出す事が出来なかった。
他人の仕組みを分析する内に理解不能な要素が次々と浮上し、結果、全く私とは違う種の生物であるかのように感じられ、確かにここにあるはずの私自身の精神はどこまでも曖昧で、形容し難い存在だったのである。
はやく人間になりたい。
妖怪達は人間に憧れた。
種を隔てた孤独と憧れに苦悩する妖怪達に対して私はシンパシーを感じずにはいられなかった。
私の、彼等の求める美しいはずの人間は、残酷だったのである。
友人との関わりの中で私に敵意を向けられなかったのは、弱い私が自然と学んだ保身の処世術、人当たりの恩恵ではあるが、それでも同年代の人々も、または大人もどこか残酷な生き物であった。
残酷な生き物が織り成す残酷な世間の中で、少し違う残酷さを備えた私は孤独だったのである。
誰しもが生涯通して抱えるであろう、ありふれたこの問題に固執し続ける人生が、この授業を以ていよいよ幕をあけた。
国語教諭の示したテーマ、正義とはなんぞや。
当時の私は、授業を終えても答えを導き出すことが出来ず、大きな疑問だけを膨らませるに留まった。
友人達は、妖怪達の方が物語に登場する人間よりも美しい心を持っているのだから正義は妖怪にある、悪は人間、という美しい回答を皆して、まるで讃美歌を詠唱するように謳っていたが、私は心から同調し得なかった。
私という妖怪は、人間の美しい答えにグロテスクを見い出し、恐怖した。
偽善である。




