第一章『始まりは丘の上』
第一章『始まりは丘の上』
暖かい春の日差しの中、小高い丘の上には気持ちの良い風が吹いていた。
その風を楽しむかのように一人の少年が丘の上に寝転がっている。
年の頃は十五歳ぐらい。空を思わせるような青い髪をしており、その髪が邪魔にならぬように黒いバンダナを頭に巻いていた。
風が少年の髪をゆっくりと靡かせる。
その風が気になったのか、少年はゆっくりとその眼を開く。すると、開かれたその瞳も深く鮮やかな海の色が映ったかのような綺麗な青色だった。
「(風、か……)」
思った通り、それは風の仕業だった。
そう解った少年は再び眼を閉じようとするが
「……ぁぁ」
「ん?」
少年の耳に近づいてくる声が聞こえた。少年が再び眼を開いて前を見と
「きゃあぁぁぁっ!!」
「げっ!!」
少年の体の真上、およそ二メートルの位置に突然少女が現われる。
「ちょっ!!」
回避する暇も無く
ドスゥゥン
「へぶぅっ!!」
クリティカルヒット、少女は少年に大ダメージを与えた。
少女の体は少年の体の上に着地し、少女のお尻が少年の腹部へとめり込んでいく。それは果たして悲鳴だったのか、とにもかくにも声にならない痛みが少年を襲う。
「あ痛たぁ……」
そんな少年を他所に、少女はそう声を上げる。
年齢は少年と同じぐらい。肩に掛かるぐらいの薄紅色の髪と瞳をしており、少し長めの髪を纏めるためのヘアバンドをしていた。容姿は美しいというより可愛い部類に入る方だろう。体型も同年代に比べれば若干幼く見えた。
「あれ、おかしいな。何であんな所に出ちゃうんだろ? 計算に誤差でもあったのかな……」
少女は不思議そうに頭を傾げて考えこむ。
「……あ、あのぉ、フェリア……さん」
「何、ラック?」
「そこ、早くどいてくれませんかね?」
そう、フェリアと呼ばれた少女は未だに少年、ラックの上に座っていたのだ。
「あ、あはは……。ごめんねー」
脂汗を流し、痛みを堪えながらそう述べるラックを見て、フェリアは苦笑しながら……正確には笑って誤魔化しながら上を立ち退く。
「まったく……」
それを確認し、ラックも腹部を擦りながら体を起こして立ちあがる。
「んー、本当はあの辺りに出るはずだったんだけどなぁ」
そう言ってフェリアは丘の麓、やや離れた位置にある平地を指差す。
「どこをどう計算間違えしたらそこまで座標が狂うんだよ」
「いやー、それが解ったら苦労しないって」
「その苦労の対象が俺になっている事にまず気付いてくれ……」
流石に腹部の痛みも引いてきたのか、ラックの発言量が徐々に増えてきた。
「大体、移動に呪法を使う方がどうかしてる。何時もギガおじさんが呪法は気軽に使うものじゃないって言っているだろ。特に座標転移系の呪法は危険度が高いし、今回だってもし座標が地面の中だったらどうす……」
「大丈夫よ、その辺りはちゃんと回避するように組んでるから。って言うかそもそもこの呪法のチャート考えたのはラックじゃない」
「確証が無いのに実行するなって言ってるんだよ」
「相変わらずラックは心配症ね」
フェリアはニコニコ笑いながらそう言ってくる。
「……はぁ」
そんなフェリアを見てラックは深い溜息をつく。
こうなってしまってはフェリアに何を言っても無駄な事は経験上解っているからだ。
説得が無駄であるのならば、これ以上の会話は無意味である。
「まったく、親の忠告は素直に聞くもんだぞ。……それで、何の用だ?」
よって、ラックは会話を次の段階に進める事にした。
「何言ってるの。迎えにきたのよ」
「迎えに?」
「昨日約束したでしょ。……まさか、忘れたとか言うつもり?」
そう問い掛けてくるフェリアに対し
「忘れた」
そう即答するラック。
「炎っ!!」
ラックの返事を聞くや否や、ラックの頭を指差し高らかにそう声を上げるフェリア。
その声に反応するかのように
シュボッ!!
「ぬぉぅ!!」
ラックの目前に炎が舞い上がる。いや、正確にはラックの頭があった位置にである。
フェリアの声が上がると同時にラックは身を捻り、その炎を回避したのだった。
「ま、待て、覚えてる。昼から裏山に行こうって約束だろ。ちゃんと覚えてるから」
だから追加攻撃は止めろと制止の声を上げるラック。
「最初からそう言えばいいのに」
ヒュッ……
フェリアがラックを指差していた手を横に振ると同時に、炎は音を立て消えてしまう。
「お前のその事ある度に呪法を使う癖はどうにかならんのか?」
「んー、難しいと思うよ」
まるで他人事のようである。
「……はぁ」
それを見て、ラックは再び大きく溜息をつくのであった。
「っていうか、まだ昼前だぞ。幾ら何でも気が早すぎないか?」
ラックはそう言いながら太陽を見上げる。
日の傾き具合から時刻がまだ昼前であり、約束の時間にはまだまだ早い事が読み取れた。
「そんなの私の勝手でしょ」
「やれやれ……」
最早反論するのも面倒だと言わんばかりに、ラックは三度目の溜息をつくのであった。
二人が丘を下りていくと、やがて村が見えてくる。
カラト村。人口は凡そ三百人程度、村人がほぼ全員顔見知りと言う実に小さな村である。
「じゃあ、丘の上でまた会いましょう」
「って言うかわざわざ呼びに来る必要あったのか? 昼飯食ってから行こうって話だっただろ」
「んー、そこは何て言うか……何となく、かな?」
こう言うのも何だが、フェリアは相当の気分屋だ。
彼女が何となくと言えば本当に何となくそうしたのであろう。その事をラックも知っているためそれ以上の追及はしなかった。
「解った解った。それじゃまた後でな」
「うん」
フェリアはそう言うと自分の家の方に向かって走り出す。
「さて、俺も帰るか」
そんなフェリアを見届けた後、ラックも自分の家に向い歩き始めるのであった。
「ただいまぁ」
家の扉を開け、自分が帰った事を告げるラック。
「あ、おかえりなさい。ラック」
その声に反応するかのようにエプロン姿の女性がそう返事をする。
ラックの母、ストア・ラグファースである。
息子であるラックの年齢を考えるならばすでにその年齢は三十路を越えているはずなのだが、その外見は二十代前半、下手をすれば十代の少女のように見えた。
「ただいま、母さん」
さて、ここで軽くこの物語の主人公、ラック・ラグファースの家庭事情を説明しておこう。
今現在、ラックは母のストアと二人暮らしをしている。何故そのような言い方をするのかと言うと、彼の父親、テラ・ラグファースが数年前に旅に出て以来行方不明となってしまったからだ。
通常であるならば「旅先で亡くなったのでは」と考えるべきなのだが、ラックもストアも楽観的と言うか、あの父親がそう簡単に死ぬ筈は無いと思って疑いもしていなかった。
そんな訳で今現在、ラックとストアは母子二人で暮らしていた。
「昼ご飯は……まだか」
エプロン姿の母を見る限り、目下作成中と言ったところのようだ。
「何か手伝おうか?」
母子二人暮らしであるのだからして、家事を協力分担するのは当たり前の事である。
「そうね、じゃあ薪を割ってきてちょうだい。予備が無くなっちゃったの」
「うん、解った」
そう返事をするとラックは自室に戻り一本の剣、バスタードソードを手に携え家の裏に向かう。
バスタードソード。それは片手半剣と呼ばれる片手でも両手でも使える剣の事である。
刀身は約百四十センチ。バスタードソードとしては長い部類に入り、その分扱いが難しいのだが、片手でも両手でも、切る事も突く事も出来る汎用性の高いその武器をラックは好んで愛用していた。
「よし、ちゃちゃっと片付けてご飯としますか」
鞘より剣を引き抜き、正眼に剣を構えるラック。
その目前には直径一メートル程の丸太が置かれていた。
「……よっ」
そんな軽い声と同時に
キンッ
何か、金属が触れ合うような音が辺りに響く。
気が付けば、ラックが構えていた剣は何時の間にか振り下ろされており、半瞬遅れて目の前の丸太は真っ二つに分かれる。
その切断面は恐ろしく滑らかで、木が裂けたのではなく文字通り切断された事を意味していた。
「ふむ……」
再び、ラックは剣を正眼に構え剣を振り上げる。
「……ふっ!!」
今度は先程とは違い気合いを入れながら剣を振るう。すると
キィンッ!!
再び金属が触れ合うような音が辺りに響くが、それは先程よりも更に高い音であった。
「……まぁ、こんなもんかな」
パカンッ……
ラックの声に反応するように、目前の二つに分かれていた丸太は音を立て数十本の木片、薪へと姿を変える。ラックはその薪を籠に入れ家の中へ持ち運ぶ。
「薪割り終わったよー」
「ごくろうさま、ご飯もちょうど出来たところよ」
家に入るとテーブルの上には料理が綺麗に並べられていた。
「さあっ、冷めないうちに食べなさい」
「はーい」
ラックが先程行った芸当は誰の目から見ても達人の域の技であった。
だが、彼にとってそれは日常の出来事であり、特筆すべき事がない出来事であったようだ。
昼食を食べ終わり、自室にて荷造りをするラック。
「……さて、そろそろ行くかな」
先程使用していた剣と動きの邪魔にならないサイズのバッグを背負い。家を出ようとすると
「あら、どこか行くの?」
ストアにそう呼び止められる。
「うん。ちょっとフェリアと一緒に裏山に行ってくる」
隠す事でもないため、ラックはそう素直に行き先を伝えた。すると
「……そう。気をつけてね」
少し間を空けた後、ストアはそう母親らしい言葉を述べる。
「うん、いってきまーす」
「いってらっしゃい」
ストアにそう延べ、ラックは家を後にする。
後から思えば、ストアがこの時どのような思いでその言葉を言ったのかをラックは知るべきだったのかもしれない。だが、その時の彼にそれを知る由は無かった。
家を出たラックがフェリアとの待ち合わせの場所である丘の上を目指す途中
「あ、兄ちゃん」
「どっか行くの?」
子供達からそう声を掛けられた。
年齢はまばらで六〜九歳ぐらい、男女二人ずつの四人組だった。
小さな村であるため子供の数もそう多くはない。ラックの年齢は現在十五歳、この地方では十六歳より成人とみなされるため、子供と言う枠で考えるならばラックも彼等と同じ扱いであり、当然子供達とは普段から付き合いがある。
「ああ、ちょっと裏山へ冒険しにな」
そんな訳で、ラックは子供達の質問に軽く答えを返す。
「えー、いいなぁ」
「俺達も連れてってよー」
ラックその答えを聞き、男の子二人がそう声を上げる。
「駄目だ。何度も言うが、裏山で遊びたいならせめて俺から一本取れるぐらいになってからだな」
小さな村においては大体の場合は年齢に比例して役割が分担される。
ラックは先程述べた通り大人としての役割をまだ与えてもらってはいないが、年長者として自発的に子供達に剣術を教えていた。
「そんなの絶対無理じゃん」
「そうだよー、兄ちゃん手加減してくんないしさ」
「手加減したらためにならないだろ」
「そんな事言って自分が負けるのが嫌なだけじゃんか」
「はは、かもな」
ラック本人に取っては片手間の遊びのようなものであったが、子供達からしてみればラックは剣術の先生であり、村の大人達以上に信頼出来る兄貴分でもあるのだ。
「なー、その冒険って姉ちゃんも一緒なの?」
「ん、ああ」
姉ちゃんとはこの場合フェリアの事を指している。
「何だ。二人でデートかよ」
「じゃあ邪魔しちゃ悪いか」
「馬鹿言ってんじゃない」
ゴツンッ
そう言いながらラックは二人の頭を小突く。
地味に痛かったのか二人は小さな悲鳴を上げ、頭を押さえて蹲る。
「でも、お兄ちゃんがお姉ちゃんの事好きだってみんな知ってるよ」
「うん、お姉ちゃんも知ってるよ」
今度は女の子二人がそんな事を述べた。
「今度の成人の儀に兄ちゃん告白すんだよな?」
「そしたら結婚式挙げるんでしょ?」
先程小突かれた男の子二人も加勢を得たためか、再びそう声を上げ始める。
「……そうなってくれたら嬉しいけどな」
そう述べるラックの内心は穏やかではなかった。
ラックとフェリアは生まれた時からの幼馴染である。同年代の異性はお互いしかおらず、人生の大半をこれまで共有して過ごしてきた。そこに恋心が生まれても不思議ではない。
少なくとも、ラックはフェリアに対して好意を抱いていた。このままフェリアと共にこの村で静かに平和に幸せに暮らしていたいと思っていた。
フェリアも同じ気持ちだ……と、ラックとしては思いたいが、相手が本当に自分と同じ思いを抱いているのかと問われると、答えられないのが現状だ。
何故なら、フェリアは外の世界へ興味を抱いている。
今日の裏山の一件にしても、その好奇心を少しでも静めるための行為に過ぎないのだろう。
この村は原則として成人するまでは村長の許可なく村の外に出る事を禁じられているが、成人の儀を済ませた者は自由に村の外へ、外の世界へ出ていくことが出来る。
フェリアが実際に外の世界へ行くかどうかはまだ本人に確認していないので解らないし、ラック自身もフェリアがそう言いだした場合どうするかを決めていない。
だが、どのような結末になったとしても、ラックはフェリアに自分の思いを伝える気でいた。
「俺達応援してるぜ」
「うん、絶対二人はお似合いだって」
「そうだよ」
「そしたら結婚式には絶対呼んでね」
自分もまだ子供ではあるが、自分より小さい子供達に恋愛の応援をされると言うのは実に複雑な気分だった。だが、同時に子供達の素直な応援が有り難くも思えたのだ。だから
「ああ。そう願っていてくれ」
ラックは笑顔でそう答える。彼自身の意志はすでに決まっていたからだ。
丘の上に続く坂道を上っていると、先程ラックが寝転がっていた付近に人影が見え始めた。
「遅かったね」
誰かと問う必要はないだろう。フェリアである。
「……俺が遅いんじゃなくて、お前が早いんだよ」
子供達に呼び止められたからだと言おうとしたが、先程の会話を思い出し、追及されるのも追及するのも今は面倒だと考え、あえて言わなかった。
「そうかな?」
「そうだよ。太陽がまだ傾き始めてないだろ」
そう言って太陽を指差すラック。
確かに、まだ太陽は傾きを始めてはいなかった。時間で言えば午後一時前と言った所だろう。
別段、時間を決めて待ち合わせをしていた訳ではないのだが、子供の頃からの二人にとって昼からと言えば大体一時ぐらいを指していた。
「んー、それにしたってやっぱり遅いような気がする。途中誰かと話し込んだりしなかった?」
これまた、昔からお互いの事を知り合っている二人だからこその指摘であった。
ラックは基本的に人を待たせるのも待たされるのも嫌いだ。そして、フェリアは待ち合わせをする際必ず三十分は早く現地に到着する癖がある。だから、ラックも三十分早く現地に到着する事を心掛けているのだ。
そんなラックが時間前とは言えフェリアよりやや遅れてきた。フェリアにしてみれば疑問に思わずにはいられない事だった。
つまり隠すだけ無駄、ラックは会話の内容を出来るだけ省き、子供達と話していた事を素直に白状する。
「やっぱりね」
予感的中とばかりにフェリアは得意気な表情を見せる。
「それで、何の話をしてたの?」
「明日の剣術稽古についてちょっとな」
「……本当に?」
「ああ」
フェリアの問いに真顔で嘘を答えるラック。
「……まぁいいわ」
昔ながらの付き合いを抜きにしても、フェリアの勘は鋭い事で有名だった。
特に一番親しい仲であるラックは嘘を見抜かれなかったことが殆ど無い。だから、今のフェリアの言葉はあえて追及しないで上げましょうと言う意味を持っている。
「時間が勿体無いし行きましょう」
それに今は他に目的があるとばかりにそう述べ、フェリアはまっすぐ裏山を目指し歩き始め、ラックもその後を追うのであった。
「なぁ、フェリア。今回の山登りの目的は何なんだ?」
裏山に入ってから三十分程して、ラックはようやく今回の目的を問う。
「あれ、言ってなかったっけ?」
そう言うと、フェリアは背負っているリュックからごそごそと一冊の古い本を取り出し始める。
「それは?」
「教えて欲しい?」
フェリアがにっこりと笑って聞いてくる。
明らかにこちらの反応を期待しているようだった。
「教えて欲しい」
ラックはフェリアと同じようににっこりと笑いながら同じ言葉で聞き返す。
「じゃあ教えてあげましょう。この本は御霊について書かれた本よ」
「御霊について?」
御霊。
伝承曰く、この世界を造った神は世界の安定と平和を願いその魂を御霊としてこの地に残したと言われている。だが、その御霊がどのような物体、形状、存在なのかについて記載された資料は殆どなく、伝説上の存在であると言われている。
実際には諸説云々様々な話があるのだが、御霊とはそれぐらい凄い代物であると言うのがラックの認識であった。
「うん、実はこの前家の書庫を整理してたらこの本が出てきてね」
「あの書庫を整理しようとしたのか……」
フェリアの言葉にラックはフェリアの家の書庫の惨状を思い出す。
フェリアの父、ギガ・カストゥールは呪法師である。
呪法。
それは文字や文章を構築し、呪いを介して世界の法則に干渉する技。
ギガはそんな呪法を操る優秀な呪法師であり、ラックとフェリアの師匠であり、この村の子供達みんなの先生であり、村長や村人全員の相談役でもあり、優秀な呪法師と言う肩書きだけでなく人望厚き優秀な人物でもある。
そんな実に優秀な人物であるギガだったが、彼は俗に言う片付けが出来ない人で、一度読んだ書物は大体の場合はそのまま書庫に放り込み放置してしまう。
こればかりは個人の性格であるため他者が何かを言う事も出来ず、誰かに迷惑を掛けている訳でもないので誰もその事を問題とはしなかった。……ただ一人、家族であるフェリアを除いては。
「大変だったろうに……」
「そりゃもう大変だったわよ……」
ラックの同情の言葉にフェリアはありがとうと言葉を返す。
先程も述べた通り、呪法師はその職業上で文字や文章、つまり本の類と無縁ではいられない。
それに加えてギガの本好きが高じ、フェリアの家の書庫の荒れようは大きな図書館に大地震が襲ったかのような惨状であった。
それを整理しようとしたフェリアの心境は察するに余りあった。
「まぁ、そんな訳で発掘されたのがこの本な訳」
発掘と述べるあたりに彼女の努力の程が見え隠れするようである。
「それで、その本には何が書かれているんだ?」
フェリアには悪いが、経緯はともかくとして今問題となっているのは本の内容である。
純粋な好奇心からラックがそう問うと
「えーと、簡単に言っちゃえば御霊の調査報告書みたいな物かな。内容自体はどこにでもあるような内容だったんだけど、本にこんな地図が挟まれてあったの」
フェリアが本の間から取り出した地図をラックは受け取り広げる。
「随分と大まかな地図だな」
世界地図とまでは言わないが、細かい地形を把握している地図ではなかった。所々に五つの赤い丸印が付けられており、その近くに文字が書き加えられている。
「大分古い地図みたいだけど、この丸は何だ?」
文字が書き加えられている事は解るのだが、地図自体が相当古い代物であるらしく、ぱっと見では文字がかすれて殆ど読めなかった。
「私が解読した限りじゃ御霊のある場所を示しているみたいなの」
「なるほど、要するに宝探しって事か」
その言葉を聞き、ラックはようやく今回の目的を察する事が出来た。
「御霊がこんな所にあるとは思えんがね」
現実的に考えて、そんな大層な代物が自分達の住んでいる村の裏山にあるとは思えなかった。
「まぁまぁ、無いなら無いで別に構わないわよ。あったらあったで面白い訳だし」
フェリアとしてもそれぐらいの気分であるようだ。
その言葉を聞き、ラックもそれならそれで散歩やピクニック気分で楽しもうと思えた。
それから更に奥に進むこと三時間。
その違和感に最初に気付いたのはラックの方だった。
裏山と言ってもそれ程広い訳ではない。子供の足でも四時間もあれば抜ける事が出来る程度の山だ。ラックも子供の頃から何度も足を踏み入れており、遊び慣れている山……のはずだった。
「(……何だ?)」
景色は何時もと変わらない。道も歩き慣れた道だ。それだと言うのに、急に村との距離感が解らなくなって来始めたのだ。
「(気のせい……じゃないよな)」
気のせいだと考えるのは簡単だった。現にラックは途中までそう考えていたのだが、足を進めるにつれ距離感の狂いが激しくなっていくのがはっきりと解った
「フェリア」
「ん、何?」
前を歩いていたフェリアがゆっくり振り向いて返事をする。
「さっきの地図、もう一度見せてもらえないか?」
「いいけど?」
そう言ってフェリアは先程の地図を再びラックに手渡す。
「(……え?)」
自分の距離感や方角の狂いを正す目的で地図を見ようとしたのだが、再び地図を見てラックは驚きの表情を隠せなかった。
「(地図が、変わってる!?)」
先程まではもっと大雑把な地形を示した地図だったはずなのに、今見ている地図はより詳細な地図へと変わっていたのだ。
「どうかしたの?」
不思議そうに、ラックを見つめるフェリア。
「これ、さっきの地図……だよな?」
「え、そうだけど?」
何かおかしな所でもあるのかと言わんばかりにそう述べるフェリア。
ラックが手に持っている地図を覗き込んでも、彼女は少しもおかしな表情を見せなかった。
「……」
あまりに不可解な状況だった。
フェリアはこの地図の変化に、異変に気付いていない。だが、自分はこの地図が変化していると思っている。この場合、考えられるパターンはそう多くない。自分がおかしいのか、フェリアがおかしいのか、それとも地図がおかしいのか。全てにおいておかしくなっているパターンも考えられるが
「……なぁ、フェリア」
とにかく何かがおかしい。
「もうすぐ日も暮れてくるし、そろそろ帰らないか?」
ラックはこのままこの裏山を進むことに危険を感じ、村に帰る事を提案する。
「そうね。そろそろ帰りましょうか」
特に反論を述べる理由も無く、フェリアはラックの意見に賛同し、二人は来た道を戻り始める。
来た道を戻るだけだ。
ここに来るまでほぼ一本道。迷う余地など何処にもない。
そのはずなのに、何時まで経っても村に着かず、それどころか先に進めば進む程更に奥に進んでいる感覚に囚われ始めたのだ。
「……ねぇ、ラック」
「何だ?」
「もしかして私達、道に迷ってる?」
ここに至り、フェリアもその事実に気付いたらしく、ラックに確認の言葉を求めてくる。
「……多分な」
迷っている事は既に確実なのだが、自分自身その事を認めたくなかったのか、思わずそんな返事をしてしまう。
「(まずいな。暗くなればそれだけ動き辛くなる。かと言って下手に行動を起こすのも危険だ)」
空はすでに赤く染まり始めている。時期に夜の暗闇が訪れるだろう。
その前にこの状況をどうにかして切り抜けなければと考えていると
「ラック、ちょっと休まない」
フェリアが休憩を求めてきた。
「……そうだな。無駄に歩き回っても仕方が無いし、少し休むか」
無理もない。もう何時間も歩きっぱなしだ。
二人は少し開けた場所を探し、大きな岩に腰を下ろして荷物を降ろす。
ようやく一息ついた頃には空が黒く染まり始めていた。
「仕方がない。今日はここで野宿をしましょう」
「……は?」
フェリアの言葉に遅れること三秒、ラックはそんな間の抜けた声を上げてしまう。
「もうすぐ日も沈むし、夜の暗闇の中を歩き回るのは危険よ。体力を無駄に消耗するだけだわ」
「いや、それはそうだが……」
フェリアが言っているのは正論だ。事実、ラック自身もそう考えていた。ただ、そう言う事は普通男が提言して女を説得するものではないだろうかとラックは内心で思う。
「……解った」
フェリアが突然何かを言い出す事は珍しい事ではない。
何より、今回は正当性があるのだから異論も反論もする気はなかった。
「そう決まったんなら俺は薪を集めてくる。ここを動くなよ」
ラックはすぐに思考を切り替え、今為すべき事を考え始める。
夜の山は気温が下がる。野生の獣達から身を守る意味も含めて火は熾しておいた方が良いだろう。そう考え、ラックは行動に移ろうとするが
「あっ、ちょっと待って」
フェリアはラックを呼び止め、降ろしていたリュックの中をガサゴソと探り始める。
「何やってるんだ?」
「決まってるじゃない。テントを探してるのよ」
「……は?」
一時沈黙。
「……えーと、何をやっているんだ?」
思わず笑顔で指を動かしながら再びそう聞くと
「いや、だからテントを引っ張りだそうとしているのよ。簡易テントだけど無いよりましでしょ」
返ってきた答えは先程と大して変わってはいなかった。
それを聞き、脳が一時停止したかのような錯覚に襲わる。
「ほら、ぼさっとしてないで手伝ってよ」
「あ、ああ……」
それから三十分程して簡易テントの組み立てが終わる。
簡易テントと言うだけあって、サイズ自体は大きくはなく一人用ではあるのだが
「……これ、どうやってその中に入ってたんだ?」
どう考えてもフェリアが背負っていたリュックの中に納まる大きさではない。
「リュックの中の空間を呪法で拡張してみました」
「またお前はそう言う事を……」
昼間言った言葉はやはり彼女には届いていなかったようだ。しかし、今回はそれが有意に働いたため何も言う事は出来ない。
さて、呪法でそこまでの事を遣って退ける事が出来るのであれば村まで呪法を使って帰れば良いのではと思われるかもしれないが、呪法には多くの制限が存在する。
昼間フェリアが使っていた空間転移系の呪法に関しても、まず自分の位置、座標が解らなければ使用出来ないと言う現状において最もネックになっている問題があるため使えないのだった。
「いや待て、中の空間を拡張したところで質量は変わらんだろ。重たくなかったのか?」
「うん、結構重たかった」
ラックの問いにさらっとそう述べるフェリア。
「何で俺に言わなかった」
「だって、言ったらラック持とうとしたでしょ」
「当たり前だ」
「だから言わなかったの」
どうやら、自分の荷物をラックに持ってもらうと言う行為が嫌であったようだ。
「……解った。もうその件に関しては追及しない。だが帰りは持たせて貰うぞ」
「はいはい」
知ってしまった以上、それを見過ごせないのがラックである。
フェリアもそれが解っているためあえて反論はしない。
「ついでに聞くが、食べ物とかは無いのか?」
「干し肉ぐらいしかないよ」
「あるのかよ……」
その答えを聞き、再び精神的ダメージを受けるラック。
流石に食べ物は入っていないだろうと思っての問いだったためだ。
「……まぁいい。おかげで食料調達の手間が省けた」
現実的に考えて有益な事なのだからこの際は良しとすべきである。
その後、薪を集めて火を熾し、近場にあった湧水より水を汲みフェリアが持ってきた干し肉を食べ終わる頃には夜はすっかり更けてしまっていた。
そんな状況で薪や湧水が確保出来たのは実に不幸中の幸いであったと言えよう。
「さてと、ご飯も食べ終わったし、明日に備えてそろそろ寝よっか」
「そうだな」
「毛布一枚しかないからちょっと狭いけど、別にいいよね」
「ああ」
フェリアの言葉に思わずそう相槌を打ってしまうが
「……は?」
一呼吸遅れてそう間の抜けた声を上げてしまう。
「枕は……どうしよう。流石に二人じゃ使えないし、うーん……」
「あ、いや、待ってくれフェリア。お前、さっきから一体何の話をしているんだ?」
「何って、一緒に寝るんじゃないの?」
ズガンッ!!
地面に頭を突き立てるラック。
どうやら彼の中で発生した何かしらの精神的な超重力が肉体に影響を与えてしまったようだ。
「……どうしたの?」
そんなラックを不思議そうに見つめるフェリア。
「お、お前な……」
先程も述べた通り、テントとは言え所詮は簡易テント。そのサイズは一人用だ。
年齢上でまだ子供とは言え、十五歳ともなれば大人の一歩手前、とても二人で寝られるスペースはない。もし寝ようとするならば、それこそ体と体を密着させる形となってしまうだろう。
「昔はよく一緒に寝たじゃない」
「何時の話だ何時の!!」
先程の地面へのヘッドバッドの影響か、頭を押さえながらそう述べるラック。
どうやら色々な意味で軽く頭痛が襲っているようだ。
「でも、夜の山は冷え込むよ。山で遭難した場合は体力を温存するために体温の低下は極力控えるべきじゃない? だったら一緒に寝た方がいいでしょ」
正論だ。極めて正論である。
だが、それは理屈や理論の上での正論であって、人の心までは計算に含まれていない。
「……なぁ、フェリア。こんな事はあまり言いたくないんだが、俺達もう十五歳だ。後半年もすれば十六歳になって成人の儀も迎える。何時までも子供のままじゃないんだ」
「うん?」
「だから、そう言う無防備な事はしないでくれ。俺だって男なんだ。そう言う事をされると……その、思い余ってフェリアを襲わないとも限らない」
自分自身で一体何を言っているんだと思わないでもないが、それがラックの本音だった。
一時の状況に流されてそんな事はしたくないからの思いで述べた言葉だったのだが
「いいじゃない。別に」
何だそんな事かと言わんばかりにそう述べるフェリア。
「はぁっ!?」
その一言にラックは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「な、何言ってるんだよお前はっ!!」
同時に怒りが込み上げてきた。
意を決して言った自分の言葉を否定されたからではない。フェリアがそう言う事をその程度にしか考えていないのかと言う事に対して怒りを感じたのだ。
「何って、ラックが私を襲うかもって話でしょ? 大丈夫よ、ラックはそんな事しないもの」
「どこにそんな保障がある!!」
こっちの気も知らないで、と口に出掛けるが、それを言ってしまえばそれこそ後に引けなくなってしまう。
「……んー、それじゃラックが絶対にその気にならない言葉を言ってあげましょう。効果は絶大、これを聞けばラックは私に手出し出来なくなるわ」
そんな言葉があるのかと聞き返そうとするラックだったが、途中でフェリアとの視線が合う。
「な、何だよ?」
見られる。
フェリアは真っ直ぐにラックの眼を見ている。ラックはフェリアのその視線から眼を逸らす事も出来ず、フェリアはラックの眼を見ながら言う。
「私は……ラックを信じてる」
「っ!!」
息を呑むラック。
フェリアの言った通り、効果は絶大だった。
「ラックは優しいから、こう言えば私を傷付ける事なんて出来ないでしょ」
「……はぁ」
ここに来て、ラックはようやくフェリアから視線を外す事が出来た。
何てことはない。先程のあれは見られていたのではなく、見透かされていたのだ。
元より長年付き添った幼馴染である。こちらの思考パターンなど彼女にとってはまさにお見通しなのだ。
「解ったよ。ったく、どうせ俺はフェリアには勝てないさ」
そう述べるラックはまるで拗ねた子供のようであった。
「解ったから早く寝ろよな」
このままでは立場が悪くなる一方だ。そう思い、フェリアに寝る事を進めるラックだったが
「一緒に寝ないの?」
「話を蒸し返すなよな……」
フェリアの一言にラックはややうんざりした表情を見せる。
「夜の山が危ないのはフェリアだって解ってるだろ。どちらにせよ火の見張りは必要だ」
「それもそうか」
どうやら今度は素直に納得してくれたらしい。
「じゃあ、途中で交代するから適当に起こして」
フェリアはそう言いながら一人テントの中へ入っていく。
「ああ」
フェリアのその言葉にそう返事をするラックであったが
「……ねぇ、ラック」
フェリアはテントの入り口から顔を出しラックの名を呼ぶ。
「そんな事言って、実は交代する気なんて無いでしょ」
「あるよ」
「嘘ばっかり、朝まで自分が見張りしとくから安心して寝ろって顔に書いてあるわよ」
「……」
図星であった。
どうにも、本日はラックにとって嘘がつけない日となっているようだ。
「たまには俺のやる事を黙って見過ごしてくれんかな?」
男として、格好をつけたい時もあるのだとラックは主張するが
「んー、時と場合によるかな」
フェリアの正論の前にあっさりと打ち破られてしまう。
「まぁ、ラックの言い分も解るし、今回はお任せしようかな」
「そうして貰えると有難い」
どうやら今回は譲歩してくれるらしく、フェリアはラックに見張りを任せるつもりのようだ。
「それじゃあ、そんな真面目で格好良いラックに一つ良い事を教えて上げましょう」
「ん、何だ?」
既に火の見張りに入っているラックがそう返事をすると
「成人の儀にラックが何か言ってくれる事、私、楽しみにしてるよ」
「っ!?」
そんな心臓に悪い言葉を笑顔で言い残し、フェリアはテントの中へと姿を消していった。
「……」
一人、焚き火の前で硬直し、沈黙するラック。
どれぐらいの時間そうしていたのかは定かではないが、とにかく更け行く夜の闇の中で
「(本当、見透かされているなぁ……)」
そう思い。ラックはただただ悩み続けるのであった。