第九章『賞金首』
第九章『賞金首』
現実を認識するのに一時間。
何をすればいいのかを考えるのに一時間。
今夜の野宿場所を決め食事をするのにまた一時間掛かり、ようやくまともに話せそうな雰囲気になる頃には空に大きな満月が浮かんでいた。
「おじさんが用意しておいてくれて助かったな」
「うん……」
焚き火を前に二人は話をしていた。
カラト村滅亡の少し後、ラックとフェリアは近くに大きなリュックがある事に気付いた。
フェリアが使っていたリュックだ。リュックの中には旅に必要な道具と数日分の食料、当面の資金、それと一通の手紙が入っていた。
手紙の内容は概ね今回の一件の全容に関する内容であり、字の滲み具合から大分前から用意してあったものである事が解った。
おそらく、事が起こる前は運命の干渉があり渡す事が出来なかったのだろう。
「こうなる事を見越して一緒に転送してくれたんだな」
とりあえず、ラックが知らなかった事実だけを説明しておこう。
ギガはガーゴイルが自爆する事を事前に知っており、その自爆により村が滅亡する事も知っていた。どうやってラックが生き延びる事となるのかは解らないが、本来であればその自爆によって生き残るのはラックだけだったそうだ。
では、何故フェリアが生き延びているのか。
ここで問題なのは結果と順序である。自爆がおき、村が滅亡し、村に居た皆が死ぬといった順序の中で、運命が重視しているのは自爆により村が滅亡すると言う結果のみ。村人が皆死ぬと言う結果は確かに運命の一部ではあるが、あくまで自爆による副産物でしかない。
それをギガは最後に行使した転送呪法によって回避しようとした。
だが、それでも村で死ぬ運命にあるものは運命による干渉によって転送呪法の対象外となるらしく、ラックによって運命が変わったフェリアのみが転送されると言う結果となったのだ。
つまり、ラックによって運命を変えてもらった者のみが転送呪法でガーゴイルの自爆から逃れ、生き延びる事が出来る。
運命にしてみれば、結果的にラックが生き延びれば運命通りと判断されるとの事だった。
加えて、ギガの手紙には新しい字で「おそらくレブルスの騎士達も転送されているはずだ」と書かれていた。ライトニングの影響により騎士達の運命も少なからず変わっており、今回の転送呪法によっておそらくはレブルスに転送されているはずだと言う事も書かれていた。
「奴も生きている……」
カラン……
焚き火に薪を放り込む力が思わず強くなる。
『……』
会話が途切れる。
こんな時、どんな会話をすればいいのか解らない。生まれた時から周りにいた人達がほんの一瞬で……死んでしまった。帰る場所が無くなってしまったのだ。
普通の少年少女とは言いがたいが、成人の儀を前にしているとは言え二人はまだ十五歳の少年少女だ。目の前の事実を辛うじて受け入れる事は出来ても
「これから……どうする?」
その後の答えを二人は決めかねていた。
フェリアの問いにラックは即答出来ない。
「……フェリアはどうしたい?」
挙句、そう問い返してしまう。
「私は……ラックに決めて欲しい」
「俺に?」
フェリアの言葉にラックは意外そうな表情を見せる。
「ラックが帰った後にお父さんが言ってたの。この世界はプログラムで出来ている。つまり、何者かの手によって作られた世界だ。その何者かが神様かどうかは解らないが、この世界は一つの物語の様に成り立っているって。ラックはその物語において主人公の役なんだって」
「主人公、俺が?」
途方も無い話だ。
世界が一つの物語でその主人公が自分だなどと、想像するだけで馬鹿馬鹿しくなってくる。
「ラック君の選択は物語を変えられる。こういった世界の核心に関わる話は本来物語の中盤でされるはずなんだが、私はあえてこの話を物語の始めにする事にした。そうする事でラック君の選択の幅が広がる事を期待している。だから、余計な事は考えず自分の一番したい事をしなさい。……そう、言ってた。お父さんはそれを最後に言うつもりだったみたいだけど、結局私が言う事になっちゃった」
「おじさんらしいな……」
先の事を考えるのは後にしろ、結果は経過に付いてくる。
それが師匠であり、先生であるギガ・カストゥールの教えだった。
だが、そう言いながらもギガは何時も先の事を考えていた。考えられる事は出来るだけ考えて、その上で結果を求めるのではなく自分の意思を大切にする。それこそがギガの真の教えだとラックは思っている。
「それにしても、俺が主人公ってのは幾らなんでも言い過ぎだ」
ラックが苦笑しながらそう述べていると
「……私はそうは思わない」
フェリアがそれを否定する。
「ラックは運命を変える事が出来る。きっと、ラックが決めた事がこれから先の未来を変える事になるんだと思う」
フェリアは真っ直ぐラックの眼を見つめる。
ラックの事を信じて疑わぬ、そんな一点の曇りも無い瞳だった。
「だから、これからどうするかはラックが決めて。責任を押し付けるとかそんなつもりはないよ。ただ、ラックに決めて欲しいの。その選択に……私はついていくから」
「フェリア……」
フェリアが自分に選択を託したいと言う意思は解った。
それがフェリアの望みというのであれば、それに答えたいとラック自身も思っている。だが
「俺には……そんな選択は出来ない」
「どうして?」
「助けられなかった」
目を閉じればあの光景が襲ってくる。
「目の前で子供達が殺された。俺は皆を助けたかったのに……助けられなかったんだ」
間違いなく、ラックは皆を助けたいと思っていた。
それなのに助けられなかった。
「そんな俺が、運命を変えるとか自分で未来を選ぶとか、そんな事を言う資格なんて……」
もしかしたら助けられたんじゃないのか、そんな後悔の念がラックの中を駆け巡っていた。
「ラック……」
フェリアはそんなラックの名を呟くとそっと立ち上がり、彼の近くに寄る。
「フェリア?」
そして、ラックの前に立ったフェリアは何の予備動作もなく
バキィッ!!
「はぶっ!!」
右の拳をラックの左頬に突き立てる。
ドサァ……
大きく後ろにバランスを崩し、その場に倒れるラック。
「……痛ぅ、何を……?」
ラックが「何をするんだ?」と問おうと体を起き上がらせると
バキィッ!!
今度はフェリアの左拳がラックの右頬に突き立つ。
「がっ!!」
ドサァ
再び、地面に倒れるラック。
「痛ぅ、くそっ!!」
ザッ!!
二度も殴られたせいか、今度はちゃんと立ち上がりフェリアの前に立つラック。
「いきなり何するんだよ!?」
訳も解らず殴られたせいか、ラックはやや怒鳴り声に近い声を上げる。
「何で……」
そんなラックに対し、顔を俯かせて喋るフェリア。
「何で私が殴れてるの?」
「え?」
微妙におかしな文法だった。
それを問う前にラックは気付く。
「何時ものラックだったら笑いながら避けれたはずだよ!!」
涙だ。
大粒の涙がフェリアの頬を伝って地面に落ちていた。顔を上げたフェリアは……泣いていた。
「フェリア……」
「何が選ぶ資格はないよ。そんなのラックが勝手に思ってるだけじゃない。助けられなかった? じゃあ私はどうなるの? 私はこうやってここに生きてラックと喋って生きているって言うのに、なのに……なんでラックは」
気付かなかった。
そうだ。色々あって混乱しているのは自分だけではない。フェリアだってそうではないか。
そのフェリアが泣いている。涙が地に落ち、肩が小さく震えている。
「(それなのに、俺は一体何をやっている……)」
変えられなかった事もあれば変えられた事だってある。
自分一人が何もかも背負い込んだ気になって、一番大事な事を忘れていた。
「今のラックはすっごく格好悪い。今のラックなんて……大っ嫌い!!」
「っ!?」
ズキンッ……
フェリアの一言が言葉の矢となってラックの心を貫く。
「(大嫌い……か)」
フェリアの口からは一番聞きたくない言葉だ。
それがフェリアの本心でなかったとしても聞きたくない言葉だ。だが、それは今のラックを最も言い表した言葉でもあった。
「ごめん、フェリア」
「……ラック?」
フェリアの肩に手を回し、慰めるように抱きしめる。
「俺が悪かったよ。落ち込んでる俺は……格好悪いよな」
「ラック……」
その言葉を聞き、フェリアの表情が明るくなる。
フェリアはラックの事を良く解っている。今のラックがどんな思いで自分を抱きしめてくれているのかがはっきりと解る。
「うん、私は……何時ものんびりしていてどこか自由で、やりたい事が見つかったらどんな事でも一生懸命やるラックが……好き」
「フェリ、ア……」
胸が高鳴る。
そのまま自分の思いを口に出来たらどれだけ良かっただろう。
「ラック、私は……」
「……ありがとう、フェリア」
だが、ラックはフェリアの言葉を遮るように言葉を発しフェリアから体を離す。
「でも、その言葉はもう少し待ってくれ」
「え……?」
「俺はまだ、俺が納得出来る俺になっていない。だから、もう少し待ってくれ。必ず、俺はフェリアの好きな俺になってみせるから」
「……うん」
ラックの言いたい事が解ったのか、今はその言葉だけで満足だと言わんばかりにフェリアは涙を拭って静かに頷きながらそう答える。
「それで、これからどうするの?」
ラックの意思を確認するように、再び初めの問いを問い掛ける。
「レブルスに行く」
「レブルスって、首都レブルス?」
「ああ」
首都レブルス。
レブルス国のほぼ中心に位置するレブルス国の首都。レブルス国は首都レブルスを囲むように北、南東、南西に三つの主要都市があり、それぞれが商業、産業、工業を司っている。それら全てを統括するのが首都レブルスであり、レブルスの中心にして中核の都市だ。
当然、レブルス城も首都レブルスにあり、レブルス騎士団の本部も首都レブルスにある。
「俺は運命であったとしてもウィル・ワームズが許せない」
頭では理解出来ていても感情はそうはいかない。
「レブルスに乗り込んで……殺すの?」
「いや、とりあえず……ぶん殴る!!」
ラックは腕を前に突き出し拳を握る。
「殺すとかそんなんじゃなくて、純粋にあいつを一発ぶん殴らないと気が済まない。そして、その上でカラト村の償いをさせる。後の事を考えるのはそれからだ」
頭では理解出来ているのだ。ならば、後必要なのはけじめだけだ。
やるべき事、なすべき事を全て終えてから、先の事を考えようとラックは言う。
「ふ、ふふふ……」
そんなラックを見てフェリアは笑う。
「うん、何時ものラックだ。今のラック、格好良いよ」
「夜が明けたら出発しよう。徒歩だとレブルスまで三日か四日は掛かるからな」
「うん」
ラックの言葉にフェリアは頷き、寝床の用意をしようとするが
「フェリア……」
「何?」
フェリアを呼び止めるラック。
「……俺、もっと強くなるよ」
「え?」
「俺は、フェリアが泣くところを見るのが嫌なんだ。昨日も今日も、俺はフェリアを何回も泣かせてしまった。俺は誰よりも強くなって、どんな事があっても負けないようになって、フェリアを守れるようになる。だから……誓わせてくれ」
意を決するように、ラックは誓う。
「俺はフェリアを守る。いいや、俺がフェリアを守る」
「ラック……」
ラックのその言葉に、フェリアは目を閉じ少し考えた後
「……うん、誓わせてあげる。ラック、どんな事があっても私を守ってね」
「ああ。任せとけ」
そう、答えを返すのであった。
互いの思いを確認しあった今の二人に迷いは無い。
こうして、長い長い運命の一日は終わりを告げた。
翌日、二人は首都レブルスの南西に位置するタンジェントの街の近くに居た。
二人と表現したが、今現在いるのはラック一人のみであり、彼は街のそばにある森に身を潜めていた。
「(……フェリアの奴、遅いな)」
そんな森の木の陰から街を見つめ、そう思うラック。
タンジェントは商業都市であり、他国からの品を始め様々な物や情報が集まる都市だった。当然レブルス国の都市であるのだから首都レブルスの情報が最も手に入り易い都市でもある。
「(ウィル・ワームズが生きているならば、再び御霊を手に入れようと考えるはずだ)」
それが彼に課せられた運命だとすればきっとそうなる。
「(だとすると、レブルス国の騎士団長と言う立場を使う可能性が考えられる)」
平たく言えば指名手配されている可能性があると言う事だ。
街に入ると同時に追い掛け回されては食糧や物資の調達すらままならない。そのため、まずはフェリアが単独で街の様子を見に行く算段となったのだが
「(まさかとは思うけどフェリアも……)」
フェリアの帰りが遅すぎるのだ。
かれこれ二時間は過ぎようとしている。確認したらすぐに帰って来ると言っていたのに二時間は長すぎる。昨日の今日でフェリアの姿が見えないと言う状況はラックにとって苦痛であった。待っている間に浮かぶことは嫌な想像ばかりである。
「(危険だが、行くしかない)」
ラックが意を決し、フェリアを探しに街に向かおうとすると
「あれ、どこか行くの?」
「フェリア」
フェリアが街の方から歩いてくるのが見えた。
「いや、フェリアの帰りが遅いからちょっとな……」
「ああ、心配してくれたんだ」
「……まぁな」
とりあえずフェリアが無事である事が解ってほっとするラック。
安心したら他の所に気が付いた。
「フェリア、その袋は?」
「え、ああ、これ?」
フェリアはリュックと別の大きな袋を背負って帰ってきていた。
「えへへー、ちょっとね」
問いに答えず、微笑み返すフェリア。
「……」
フェリアのそんな反応に、ラックは何故かは解らないが嫌な予感がした。
「あ、そうそう。はいこれ」
フェリアは袋の中から一枚の紙を取り出しラックに手渡す。
「……やっぱりか」
予想的中、手渡された紙は賞金首の知らせの紙だった。
そこには名前、年齢、特徴、おまけに似顔絵までが載せられていた。
「その似顔絵良く出来てるよね。騎士の誰かに絵心のある人でもいたのかな?」
似顔絵には寸分違わずラックの顔が描かれていた。
見知らぬ者でも、これを見れば間違いなくラックの事に気付くだろう。
「いや、ウィルや騎士達の反応を見る限りおそらく遺跡で写真か映像を撮られていたんだろう」
「写真? 映像?」
聞きなれぬ言葉にそう声を上げるフェリア。
「えーっと、見たままの風景をそのまま残す事が出来る機械があるんだ。多分そのデータを転用したんだろう」
「ふーん……」
どう言う理屈かは解らないが、そう言う物もあるのかといった反応をするフェリア。
「……ん?」
「どうかした?」
「これ、何か変じゃないか?」
紙の最後の方には注意書きが記されており、そこには『この者を捕らえ首都レブルスに連れて来た者に賞金を渡す。しかし、必ず生かして捕らえる事、傷付ける事も出来うる限り不可とする。尚この賞金は首都レブルスの外で捕らえた場合にのみ有効とする』と記されていた。
「罪状が書いてない。それに生かして捕らえろの部分は解るが、傷付けるなってのはおかしい」
ウィルの話が真実であるならば、御霊はラックが死ぬと同時にその姿を現すらしいので、他所で殺されては困るのは解る。だが、それならば生かして捕えろの一言に死ななければ何をしてもよいぐらいの事が書かれていてもいいはずだ。
それなのに傷付けるなと言うのは逆におかしな話に思えた。
「村ごと俺を殺そうとしたウィル・ワームズにしては生ぬるいやり方だ」
何か罠があるのか、それともレブルス騎士団の団長として体面を気にしているのか。
ラックがそう思案しているいると
「ラック、それあの人が発行した訳じゃないよ」
「え?」
「ほら、下の方に……」
フェリアの指差す方向を見る。
すると、紙の右下の方に『発行者、レブルス国国王代理ランク・クラウス』と記されていた。
「なっ!?」
思わず驚きの声を上げるラック。
「ねっ」
「ねっ、じゃない。くそ、何でランクの奴が俺に賞金を懸けてるんだ!?」
訳が解らずそう述べるラックだったが
「んー? ラック、このランクって人の事知ってるの?」
フェリアがそう疑問の声を上げる。
「国王代理って、要するに今レブルスで一番偉い人だよね?」
フェリアの問いに当初は沈黙していたものの、ラックは重い口を開く。
「……はぁ、フェリア、六年前に俺が父さんと一年半程旅に出た事……覚えてるか?」
「忘れる訳ないでしょ」
少し怒ったような表情でそう答えを返すフェリア。
「俺も詳しくは聞かされてないけど、父さんはレブルスで結構有名な人だったらしくてさ。旅の半分ぐらいはレブルスに居たんだ。その時にちょっと色々あって知り会いになったんだ」
「ふぅん、ラックってすごい人と知り合いなんだ」
なるほどと、一先ず納得するフェリア。
「……不本意ながらな」
ラックは歯切れの悪いそんな感想を述べる。
今ラックが言った事が全てだとはフェリアも思ってはいない。ただ、ラックが何やら喋りたがっていないように見えたのでそこで追求する事を止める。
「まぁ、とにかくだ。こいつが俺に賞金を懸けるはずは……いや、待てよ」
もう一度、賞金首の紙を良く見る。
「この条件、逆に考えれば安全にレブルスに行けるように仕向けられているようにも思える」
先にも述べた通り、ウィル・ワームズはカラト村ごとラックを殺そうとした男だ。
もし、先んじてウィルがラックに賞金を懸けていたならば、こんなもので済まなかっただろう。
「もしかしたらランクの奴、先手を打って俺を守ってくれたのか?」
生かして捕らえると言う条件ならば、ラックが賞金稼ぎに大人しく投降すればよいだけの話となる。その際に賞金稼ぎと交渉する事だって可能だろう。
「……いや、あいつに限ってそれだけって事はないな。何か他に考えが……ああ、なるほど」
何かを思い出したようにラックは頭を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
「あいつ、俺をレブルスに来させようとしているのか」
そうだ。賞金が懸けられたと言う事は、ラックは必然的にレブルスに向かわなくてはならない。
国外逃亡と言う手もあるが、先にも述べた通りラックはランクの事を知っている。
「ランクが俺に賞金を懸けている以上、ランクは俺が自分に会いに来ると思っているんだろう。どの道、レブルスに行かなくちゃならないって事か」
選択肢は違えども、結局レブルスに行かなくてはならなくなってしまった。
「それで、どうするの?」
ラックに選択を迫るフェリア。
「そうだな……やっぱり当初の予定通り俺達は俺達でレブルスに向かおう」
自分一人であるならば捕まって行った方が早く確実な方法だと思われるが、フェリアがいるとなると話は別だ。捕まれば当然拘束されるだろうし、そうなると何かあった場合にフェリアを守れなくなる。それだけは避けたい。
それに、自分達に非は無いと言うのに黙って捕まると言うのがラックの性分に合わなかった。
「了解」
異議なしとばかりにそう了承の声を上げるフェリア。
「あー、でもよかった。せっかく買ってきた道具が無駄になるかと思っちゃった」
同時にそんな声を上げる。
「道具?」
「うん。じゃーん、変装セットー」
フェリアはそう言うと背負っていた袋の中身をラックに見せる。
「ふむ、アイデアは良い」
賞金首として顔が知られている以上、素顔のまま歩き回るのは得策ではない。ならば変装をすると言うのは良いアイデアだ。
「まぁ、人間なんてちょいと髪の形や色を変えるだけで意外と誰か解らなくなったりするもんだし……ん?」
ラックはどのような変装しようかと袋の中身を確認するが、その中身はラックが予想していたものとはちょっと違っていた。
「あのー、フェリアさん?」
「はいはい?」
「何故スカートが入っているんでしょうか? それにこのやたら髪の長いカツラは一体? あら、おまけに化粧品までもが」
袋の中には女物の服しか入っておらず、カツラやその他諸々の小道具も女性の物しか用意されていなかった。
「まぁ、やるからには徹底的にやらなきゃね」
「……さーて」
「あれあれ、何で私に背を向けるのかなラックさん?」
「それは……逃げるために決まっているだろっ!!」
ダッ
脱兎の如く、ラックは逃げ出そうと地面を踏み込むが
スッ!!
文字通り一足早く、手を十字に交差させるフェリア。そして
「呪縛、スペルバインドッ!!」
力ある言葉が森に響き、その交差を解くと同時にフェリアの指から無数の光糸が現れる。
「ぐっ!!」
光糸はその一本一本が意思を持っているかのようにラックの体に絡みつき、その動きを封じる。
「やだなー、何で逃げるの?」
「フェリア、変装と女装は違う。そこまでする必要は無いと俺は思うんだ」
光糸によって雁字搦めになったまま、ラックはそう抗議の声を上げる。
「まぁまぁ、似たようなもんでしょ」
「違う。決定的に絶対的に相対的に違う」
「いいじゃんいいじゃん、そっちの方が面白そうでしょ」
「それが本音かぁぁぁ!!」
ラックは一生懸命体を動かし逃げようとするが、呪縛呪法の束縛力は強く思うように動けない。
余談ではあるが、スペルバインドには周囲に障害物があればあるほど光糸が増え束縛力が増すという特徴がある。そして今居る場所は森の中、周囲には木々や岩々が山のようにある。
流石のラックもこの状況は如何ともし難い。
「って言うかフェリア、お前化粧何て出来るのか?」
「うーん、やったことないなぁ。お試し期間って事で実験台になってよ」
「そう言うのは自分の体を使えよ」
「うーん、まずは髪かな」
「聞けよ人の話!!」
フェリアは袋の中からカツラを取り出すと、一つ一つラックの頭に被せては色を確かめる。
「やっぱり青い髪って目立つから色は少し地味にしないと駄目だよね。髪型も変えた方がいいかな。あー、でも長すぎると邪魔か。でもご安心を、少し長めの買ってきたから似合うようにカット出来ます」
「……解った、解ったからせめて良心の範囲内で頼む」
最早、ラックにはそう懇願する以外の手段は残されていなかった。
そんな訳で約二時間、ラックはフェリアの玩具と化した。
二時間後、街道を並んで歩く二人の少女の姿があった。
一人は言わずと知れたフェリア・カストゥール。
そして、もう一人は背に掛かるぐらいの綺麗な黒髪の少女だった。
やや大きめのフード付きマントを着込み、長めの髪が顔を少し隠しているため表情や青い瞳はかすかに見える程度であったが、美少女と称して差し支えないレベルの少女だった。
具体的に言うと、街道で旅人とすれ違うとほぼ全員が少女の方に振り返り、その顔を見ようとする程である。
「ぷ、ふふふ……」
旅人達が振り向く度に、横を歩くフェリアが笑いを堪える。
「笑うな……」
黒髪の少女はそんなフェリアの言動が余程気に入らないのか、不機嫌そうにややハスキーな声でそう述べる。
「だって、皆ラックの事を見てるんだもん。おかしくておかしくて」
駄目だ堪えきれないとばかりに声を上げて笑うフェリア。
「俺だって好き好んでこんな格好している訳じゃない……」
そんなフェリアに対し抗議の声を上げる黒髪の少女、ラック。
「ううん、とっても可愛いよ。ラックちゃん」
「勘弁してくれ……」
フェリアのその言葉にラックは涙を流していた。
結局あの後「スカートだけは勘弁してください」と泣いて頼み、服だけは以前と同じ服を着る事を許される事となった。
化粧の方に至ってはフェリアにその心得がなく、殆ど無駄骨となったのだが、カツラ等の最低限の変装項目はフェリアのコーディネイトとなったのだった。
そんな訳で今現在ラックに施されている変装はカツラと多少の髪型変更、それに大き目のマントを着込むだけの変装となったはずなのだが
「くそ、何で誰も俺が男だって気付かないんだよ」
道行く人々は皆ラックが女であると思っているようだった。
「んー、ラックってそんなに身長も高くないし、童顔で声も体付きも中性っぽいからじゃないかな? それこそ見た目一つで女の子に見えても仕方ないと思うよ」
「頼む、あまり俺をいじめないでくれ」
流れ出る涙が止まりそうにないとラックは言う。
「まぁまぁ、正体がばれないのはいいことじゃない。早くレブルスに行きましょう」
「はぁ、ここまでくればもう自棄だよ」
最早諦めると言うより開き直るしかないと自分で自分に言い聞かせるラックであった。
それから二日後、ラックは絶望の淵に居た。
「何故だ。何故、誰も気付かないんだ……」
街道の茶屋にて休憩しながらラックはそう唸っていた。
あれから二日、街道ですれ違った人の数はすでに三桁に達している。だと言うのに誰もラックが男である事に気付かず、果てには例の賞金首の紙を持った賞金稼ぎであろう男にまで声を掛けられたのだが、その男も最後までラックがその賞金首である事には気付かなかった。
「解らん。世界がおかしくなっているとしか思えん」
そうやって頭を抱えるラックに対し
「誰もラックが男だって気付いてないだけでしょ」
残酷な一言を放つフェリア。
「……いや、例えそうだとしてもだフェリア」
ズンッ……
ラックは背負っていた剣を手に持つ。
「こんな馬鹿でかい剣を持ち歩く女がどこの世界にいるよ」
自身の身長以上の剣を持ち歩く女性。
探せば世界の何処かに居るかもしれないが、どう見てもこれは不似合いなはずだ。
「そうは言っても実際今までばれてない訳だし」
「……」
見つかりたい訳ではないが、見つけて欲しい気持ちであった。
「ま、この調子ならレブルスまで問題なく行けそうね。後一日ぐらいなんでしょ?」
「ああ、このペースで行けば明日の昼には着くだろう」
「よーし、それじゃ出発しますか」
「はぁ……」
溜息を付きながら茶屋の主人に飲食代を支払うラック。
当然、その店の主人もラックの事を最後まで女の子であると思っているようだった。
茶屋を出て二時間後。
「それにしても徒歩だと結構掛かるのね」
すでに約三日を歩き通しており、初めは村の外の景色を楽しんでいたフェリアも道中の退屈を隠せなくなってきたようだった。
「馬車なりを雇えれば早かったんだがな」
馬の脚ならば急げば一日で着く事も可能だっただろうが、馬車を雇うのにもそれなりのルールがある。そのルールの一つに身分証明があり、今の二人にはそれが出来なかった。
「カラト村が無くなったって情報が出回るの早過ぎない?」
カラト村滅亡の翌日、タンジェントの街ではすでにその情報が広まっていた。
田舎の村とは言え村は村だ。タンジェントの街とは距離的にも近く話題となるのは頷けるのだが、問題はその情報の広まる速度だった。
時間軸から言えば僅かに一晩、その間にタンジェントの街に情報が伝わった事になる。
「ランクのせいだろうな。レブルスには遠くの土地と情報をやり取り出来る機械がある。おそらく騎士達から聞いた話をランクが賞金首の手配をすると同時に伝えたんだろう」
「そんな機械もあるんだ。機械って本当に便利なんだね」
先日からやたらと聞く機械と言う単語は、今やフェリアにとって便利な道具の総称になっているようだ。
「通常はそこまで機械が使用される事はないよ。その辺りはレブルスが特殊なんだ。レブルスは機械都市とも呼ばれ街全体が巨大な機械の上に出来ている。人間やっぱり慣れ親しみってものがあるからな、俺が知る限り世界で一番機械に詳しい国だ」
「ふーん」
そう説明するラックは何やら楽しそうにも見えたが、実物を目にしていない以上、フェリアにはそんな相槌の答えを返すしかなかった。
「ところでこの先にあるって言うキャンプ場はまだ遠いの?」
道中は所々に存在していた旅の宿を利用してきたのだが、ここから先はレブルスに着くまで宿が存在しなかった。
先程の茶屋からレブルスまでは急げば夜には付ける距離のため、多くの旅人は足を速めるのだが、二人はあえてキャンプ場で一晩休み明日の昼間に着く算段を取った。
レブルスに着いたら何が起こるか解らない。
仮にこれが運命の流れの一つだとすれば、レブルスの街に入った直後に何かが起こる可能性が、イベントが発生する可能性がある。
ならば万全の態勢で挑んだ方が肉体的にも精神的にも良いだろうと言う事で、二人は途中で一泊する事にしたのだった。
「後一時間って所かな。確かでかい湖を挟んで東西に二箇所キャンプ場があったはずだ」
「はずって、大分曖昧な情報ね」
「仕方ないだろ。何と言ってももう六年も前の話なんだ」
今から向かう場所はかつてテラと旅をした際に立ち寄った場所だとラックは説明する。
「急いでも仕方がないし近い方。湖の西側のキャンプ場で今日は休もう」
「了解」
異議なしとばかりにフェリアはそう了承の声を上げる。
一時間後、二人はキャンプ場に辿り着く。
「ふむ、先客は無しか」
キャンプ場を見回すが自分達以外に人の姿は見当たらなかった。
「まぁ、レブルスが近いってのにこんな所でキャンプする人も珍しいんでしょ」
「もう夕方だし、今日は俺達の貸し切りかな?」
概ね予想通りと言った所だったが、人が居ない事はラックにとって有難かった。
「ならこの変装ももう要らないな」
ズル……
カツラを取りマントを脱ぐラック。
「あれ、もう止めちゃうんだ」
「ここまで来たらばれてもばれなくても同じだ。っていうかそろそろ俺の男としての尊厳が損なわれるような気がしてならん」
「残念。良く似合ってたのに」
「勘弁してくれ……」
今までは仕方なくその格好をしてきたが、どうやら相当精神的ストレスを感じていたようだ。
「とりあえず日が落ちる前に水だけは確保しておこう。フェリアは飯の準備しといてくれ」
「了解」
野宿とキャンプの最大の差は安全性である。
キャンプ場には水汲み場と最低限の道具が揃えられており、普通に野宿をするよりは格段に快適な場が整っているが、その最大のメリットは何と言っても広域の呪法によって結界が張られ、場が守られていると言う事にある。
夜の街道には野生の獣は勿論、場所によっては魔獣が出没する可能性もある。
それらの不確定要素から旅人の身を守るために国が用意したのが、この広域呪法によって結界の張られているキャンプ場と言う訳だ。
「(しかし、何とも平和だな)」
水汲み場で水を汲みながらラックは考える。
「(この三日間、ウィルの追撃はおろか争い事の一つすらも起きてはいない。賞金稼ぎに追い掛けられる事がないだけでも正直有難い話だ)」
その件に関してはフェリアに御の字だった。
色々不平不満は述べてきたが、おそらくラック一人であれば変装を行う事なく様々な障害が立ち塞がっていたであろう。
「(……もしかしたら、本来であればそうだったのかもしれない)」
もしもフェリアが居なかったら。もし、あの時フェリアが死んでいたならばと想像すると、二重の意味で背筋が震えた。
「(だが、そう考えるなら運命と言うのは一つ変えるだけで様々な出来事が連鎖して変わっていくのではないだろうか)」
例えば今日、このキャンプ場で泊まらずにレブルスを目指していたら何があっただろう。
「(もしもとか、だったらとか、そんな事を考えても仕方がない……けど)」
可能性は考えておく必要がある。それがギガ・カストゥールの教えだ。
しかし、だからと言って一人で考えてもそうそう考えがまとまるはずもなく、ラックは水を汲んだバケツを両手に持ちフェリアの元へ戻るのであった。
「ただいまー」
「おかえりー」
キャンプ場に戻るとフェリアがすでに食事の用意を整えていた。
「それじゃ、ちゃちゃっと仕上げて食事としますか」
「ああ」
汲んで来た水でお湯を沸かし、スープや飲み物を用意して食事を始める二人。
旅をする上で食事は欠かす事の出来ない重要な要素の一つだ。旅をする上での健康面を維持するだけでなく、精神面にも大きな影響を及ぼす。旅の疲れを癒す一時、それが食事であると言っても過言ではない。
そう言う意味では二人は実に恵まれていた。ラックは子供の頃に旅をした経験があるため旅をする上でどのような食事が必要かを知っており自身も料理が出来る。フェリアに関しても父子家庭であるためか家事全般をこなせることが出来た。
お互い料理が出来るため旅の途中の食事は概ね良好であったのだ。
そんな訳で食事を進め、食後の一服とばかりに二人が紅茶を飲んでいると
「ねぇ、ラック。ウィル・ワームズをぶん殴るって言ってたけど、具体的な方法は考えてるの?」
フェリアがそう質問を投げ掛けてくる。
「あの人って騎士団長なんでしょ。行ってはいそうですかって殴れるとは思えないんだけど」
ご尤もなご意見だ。フェリアの懸念は当然である。
騎士団長と言えばレブルス国において幹部クラスの人間に相当する。その人間を殴るなどと言う行為は通常では実現不可能だ。
「そうだな。いきなりは無理だろうけど方法は考えてる」
「どんな?」
「まずはランクに会いに行く。そもそもあの賞金首の紙はそれが目的みたいだしな」
ランク・クラウス。
レブルス国の国王代理であり、現在ラックに指名手配を出している張本人。
「……んー、その辺り、いい加減話してくれない?」
ラックがランクと知り合いだと言う話は先日聞いたが、詳しい話はまだ聞いていない。
あの時はあえて追及しなかったがそろそろ聞かせてくれても良いんじゃないか、と言うのがフェリアの意見だった。
「レブルスに居た間、俺と父さんはとある家に居候させてもらってたんだ。そこで俺は年の近い二人の男の子と知り合いになった。向こうはどう思っているかは知らないが、まぁ、友達になったってやつだ。その内の一人がランク・クラウス」
「……え、ランクって人、私達と同い年なの?」
どうやらフェリアは先にそちらの方に関心が行ったようだ。
「いや。年下だ。今年で確か十一歳だったかな」
「ふぇー、じゃあ五歳下なのか。そんな年で良く国王代理なんて出来るね」
「まぁ、色々と優秀な奴だからな。それで、どういう訳かランクは俺の事が……その、随分気に入ったようでね」
露骨に言葉を濁すラック。
「とにかくランクは絶対に味方だって言い切れるんだ。あいつの所まで何とかして辿り着けば何かしらの手が打てるだろう」
「絶対に味方……か、随分と固い友情なのね」
「友情……とはまた違うかな」
「……もしかしてラックはランクって人が嫌いなの?」
「いや、嫌いじゃない。嫌いじゃないんだが、何と言うかその……苦手なんだよ」
「……ふーん」
ラックの言葉を聞き、少し考え込むフェリア。
「まぁ、まだ何か隠しているみたいだけどとりあえず要点は解ったわ。許してあげましょう」
「悪いな」
「ラックって言いたく無い事があると途端に言葉を濁す癖あるよね。言いたくないなら始めから言わなきゃいいのに」
「こればっかりは性分だ。どうも嘘をつくのが嫌いなんだよ」
その辺りはフェリアも知っている。
昔から彼は冗談は良く言うが、理由も無く嘘を付くと言う事をしない男だった。
「いいわよ。レブルスに着けば色々はっきり解りそうだし」
「ああ、その時にはちゃんと……」
説明すると答えようとした時
バサバサバサ……
突如、森の奥から鳥達が羽ばたく音が聞こえた。
『っ!?』
ザッ……
瞬時に立ち上がるラックとフェリア。
この地方に夜行性の鳥は殆ど居ない。居るのは日中に活動する昼行性の鳥ばかりだ。その鳥達が夜に飛ぶと言う異常な行動、それは森の奥で何かが起こった事を意味している。
チャキ……
立て掛けていた剣に手を伸ばし、剣を構えて何時でも反応出来るように体勢を整えるラック。
「(何だ……)」
ゾクッ……
背筋に冷たい何かが通り抜ける。
「(殺気、……いや、何かが違う)」
先日、ウィルと対峙した時に感じたあの感覚とはまた違った感覚を感じた。
殺意は感じている。だが、肌がざわざわして落ち着かない。
「ラック……」
「フェリア、気を付けろ……何かが来る」
フェリアもそれを感じているのか、見れば額に汗を流していた。
鳥が羽ばたいて逃げた方向から形容しがたい何かが来ようとしている。
バキバキバキ……
木々の折れる音が聞こえる。どうやら道などお構いなしに進ん出来ているようだ。
バキ……
音が一瞬だけ止まった次の瞬間
ゴゥッ!!
木々の間から黒い塊が飛んできた。
鉄球だ。
人の頭より大きな鉄の塊が、こちら目掛けて高速で飛んできている。
「はぁぁっ!!」
ギィンッ!!
堅い物同士がぶつかり合う音が周囲に響く。
反応出来る状態を取っていたのが幸いし、ラックは一歩踏み出しその鉄球を剣でなぎ払い弾道を逸らす。だが
「ぐっ!!」
腕が痺れる。
十分に体重と速度を乗せた振りであったにも関わらず、若干こちらが打ち負けてしまったのだ。
ズシャッ!!
鉄球は重い音を立てて地面にめり込む。
ヒュン……
鉄球には鎖がついており、何者かがその鎖を手繰り寄せたのか鉄球は再び森の中へ姿を消す。
「(凄まじい威力だ。今のは一体何だ!?)」
ラックが痺れる腕を必死に言い聞かせ、再び剣を構えると
バキィ!!
一番手前の木が折れ、それは姿を現した。
『っ!?』
それはまるで、人の形をした巨大な筋肉の塊のようだった。
身長大凡二メートル。頭髪は天を突くようなモヒカンをしており、その眼は血に飢える獣を思わせる真紅の瞳。何より特徴的だったのは不自然なまでに重力に反して反り返ったそのヒゲ、俗にカイゼルヒゲとも呼ばれる高貴の証であるそのヒゲはまるで異形の獣の牙であるかのようにも見えた。
「(……ヤバイ!!)」
それと眼が合った瞬間、全身が凍りつく。
「(ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ、……ヤバイ!!)」
あれは危険だ。あれと関わってはいけない。本能的な何かがそう警告を発し、身体が意思に反して怯えているのが解る。
「ぁ……」
後ろからフェリアが服を掴んでくる。
フェリアも感じているのだ、この恐怖を。
逃げろ。ラックのありとあらゆる思考回路が満場一致でその答えを出す。
「……フェリア、逃げるぞ」
ラックは小声でフェリアに話し掛ける。
「ど、どうやって……?」
返すフェリアの言葉が震えている。今にも泣き出しそうな声だった。
「ここから東に十キロ行った所に大きな湖がある。座標は適当でいい。すぐに転送の呪法が発動出来る状態にしておいてくれ」
返事は無いがフェリアは小さく頷き返し、呪法の準備をし始める。
「(問題は……)」
問題はその間、あの化け物が大人しくしていてくれるかどうかだった。
「(無理、だろうな……)」
奴の目が語っている。
先程から感じていた感覚の正体が解った。これは殺気ではなく……恐怖だ。
ラックは父と旅をしていた時に肉食動物に囲まれた時の事を思い出す。肉食動物たちの自分を狙うあの瞳、今目の前に居る化け物の瞳はそれと酷似していた。
奴は自分達を殺そうとしているのではなく……狩ろうとしているのだ。
獲物を黙って逃す狩人は居ない。
「(ならば、闘うしかないっ!!)」
自分一人であればその恐怖に心が折れていたかもしれない。
だが、自分の後ろにはフェリアが居る。
フェリアが居る以上、何があっても負ける訳にはいかないのだ。
ズッ……
奴の手が少し動いたと思った次の瞬間
ヒュンッ!!
鉄球が凄まじい速度でラックの顔面に飛んでくる。先程とは違い明確に的を絞った攻撃だった。
「だぁぁっ!!」
なぎ払うように剣を振るうラック。
ガキィィィンッ!!
剣と鉄球が火花を散らす。先程と同じように鉄球の弾道を逸らそうとしたのだが
ググッ……
「(何っ!!)」
押される。
先程は弾く事が出来た鉄球が今度は弾けずに押し戻されようとしてしまう。
「(くっ!!)」
ギィン!!
間一髪、自身の体を捻り自分を鉄球の弾道から外し鉄球を回避するラック。
そうしなければ確実に押し負け鉄球を食らっていた。
「(パワーが違う。力比べじゃ話にならない。とにかくこの間合いはまずい。どうにかしてフェリアから遠ざけないと!!)」
こちらの目的はフェリアが転送呪法を使うまで時間を稼ぐ事だ。
ダッ!!
力は負けていても速度は負けてはいない。
ラックは地面を大きく踏み込み、奴が鉄球を引き戻す前に間合いを詰める。
「はぁっ!!」
そのまま剣を水平に構え、突きの体勢で突っ込む。
回避は不可能、体重の乗った剣が奴の胸に刺さった……と思えたが
ズッ……
「(えっ!?)」
確かに刺さった。だがそれは切っ先の僅かな部分だけで、剣はそれ以上先には進まなかった。
「(そんなっ!?)」
奴の鎖を持っていない方の手が動く、ラックはそれを受け止めようと剣の腹を盾にするが
ガコォォォンッ!!
「がっ!!」
衝撃が響く。
そこで爆発が起きたかのように、大きな衝撃が剣を伝ってラックを襲う。
ズザァァ……
そのまま、ラックの体は数メートルの距離を吹き飛ばされる。
「(う、嘘だろ……)」
ガーゴイルとの闘いであってもラックはここまで苦戦はしなかった。
「(ほ、本当に人間なのかよあれは……)」
目の前の人間の形をしたその存在はガーゴイルの全てを凌駕している。いや、常識を逸脱したその戦闘能力は人のそれを遥かに凌駕しているようにも思えた。
ラックがそんな感想を抱いている間に
ヒュンッ!!
鉄球が宙を舞い飛んでくる。
「くそぉ!!」
ラックは地面を大きく蹴り、木の枝へと飛び上がる。
「(駄目、生半可な事じゃ奴からは逃げられない……)」
幸い、先程吹き飛ばされた事によりフェリアからある程度の距離を離れる事が出来た。
「(やるしかない!!)
ヒュ、ボンッ!!
繰り出される鉄球がラックの足元の枝を粉砕する。
その前にラックは地面に降り立ち、剣を構えて神経を集中させる。
「(強くなるって決めたんだ。だから、こんな所で負けられないっ!!)」
地面や岩や木の線が、うっすらと見えてくる。
「(まずは……)」
ヒュンッ!!
鉄球はラック目掛けて一直線に飛んでくる。
「(武器を封じるっ!!)」
如何に高速に動こうとも、飛んでくる鉄球の軌道自体は単純である。そうでなければこうも立て続けに回避は出来なかった。
そして、全神経を集中させている今のラックにとって、高速で飛んでくるだけの鉄球などただの鉄の塊と変わりはない。
キィン……
一閃、高い音が辺りに響き鉄球は真っ二つに分断される。
「(よし、次は……!!)」
奴の体を断つ。
そう思い、奴の体を見るが
「(え……)」
線が見えなかった。
周囲の線は確かに見えているのに、何故か奴の体にだけは線が一本も見当たらなかったのだ。
「(そんな馬鹿な!?)」
こんな事は今まで無かった。
例え線が見えなくてもぼやけた何かぐらいは見えていた。だと言うのに、奴の身体にはその反応すらなかったのだ。
そんな一瞬の迷いが隙を生んだのか、ラックは奴の接近を許してしまい。
メキィッ!!
「ごふっ!!」
拳が深々と胴に突き刺さる。
先程食べた物が逆流してくる。幸い、骨は折れずに済んだようだが
ダン、ダンダン……
ラックの体は大きく後ろに吹き飛ばされ、地面をバウンドする。
「(何故、だ……)」
立ち上がり、剣を構えて自問するラック。
「(何故、こんな時に真眼が発動しない……)」
母の話が本当であれば、真眼は極限の集中下や危機的状況の時に発動するはずだ。
この状況、発動条件は十分満たしていると思われた。
「ラック!!」
フェリアの声が聞こえる、どうやら呪法の準備が出来たようだ。
「(不本意だが今は……!!)」
ダッ!!
地面を蹴り、奴に近づくラック。
このままフェリアの所に行けば奴も着いてきて一緒に転送されてしまう可能性がある。それでは意味が無い。そう思い、ラックは危険を冒してまで奴の懐に飛び込む。
ブゥンッ!!
奴の拳が唸り、ラックはそれを間一髪で回避する。
この時程ラックは奴より反応速度が速い事を感謝した事は無かった。そして
バキッ!!
奴の顔面に拳を叩きつける。
拳によるダメージを狙ったものではない。ラックの狙いはその次にあった。
「雷光っ!!」
カッ!!
力ある言葉と共に、ラックの拳は目が眩む程の強烈な光を発する。
拳を奴の顔面に叩き付けたのはこの呪法をより効果的に奴に見せ付けるためだった。
放たれた光によって奴の視力は一時的に奪われ、叫び声を上げながら目を押さえる。
ダッ!!
「フェリア!!」
ラックはその隙を逃すまいとフェリアの所へと移動する。
「転移っ!!」
すでに準備が出来ていたフェリアがそう言葉を発すると同時に景色が揺らぐ。次の瞬間、二人の視界には別の景色が飛び込んでいた。
同時に浮遊感が身体を襲う。
ラックの言った通り細かい座標を設定する暇がなく、二人の体は空中へと転移されていたのだ。
そして、真下には湖が見えた。
ザパァァン!!
そのまま湖へと落ちる二人。
その後、岸へと辿り着きずぶ濡れの姿をお互い見合った時
『は、ははは……』
笑えた。
何故だか解らないけど、本当に助かったんだという気持ちになったのだ。
カラト村の時とは違い、自分達の力で危機を乗り越えたと言う事実が二人にそんな気持ちを抱かせていた。