プロローグ
十六年前。
とある国のとある城のとある謁見の間にて、二人の男性が向かい合っていた。
一人は威厳と風格のある老人、玉座に座っている事から彼がこの国の王である事が伺える。
もう一人は空を思わせるような青い髪と深く鮮やかな海のような青い瞳を持つ青年。
青年は玉座に座る王に対し跪いており、その様子からこの二人が主従関係である事が伺えた。
謁見の間には二人だけではなく、騎士や兵士、召使たちまでが一堂に集まり整列している。
「テラ・ラグファースよ。そなたはこの国の英雄、この国の誇りだ」
国王は玉座に座りながら目の前の青年、テラに話し掛ける。
その声は威圧するものではなく、不思議と歓喜に満ちていた。
「ありがとうございます」
テラは礼儀正しく返事をする。
「民達も皆そなたを英雄として、いや、一人の人間と信頼している」
同意の声は無いものの、王が話している言葉が真実である事はその場に集まっている者達の表情を見れば一目瞭然であった。
「長く玉座に座り続けてきたが、そろそろ私もこの玉座を誰かに譲ろうと考えている。そこでこの国の王として、いや一人の人間として頼みがある。どうだろう、この国の王になってはもらえないだろうか?」
極めて重大かつ重要な話のはずなのだが、その場の雰囲気は不思議と和んでいた。
寧ろ、その場にいる皆がその青年が王になる事を望んでいるようだった。
皆がテラの次の言葉を期待する。だが
「……お断りします」
『っ!!』
王を含めその場にいる全員が愕然とした表情を見せる。
何故ならば、この場に集まった時点ですでに皆が皆、テラが王に着くであろう事を確信していたからだ。だと言うのに、テラは王となる事を拒否した。
「王よ。あなたにはご子息がおられますし、もうじき孫もお生まれになるのでしょう。私などがこの国の王となるのは筋違いです」
テラが順序良く、まるで説明するように話していく。
確かに彼が述べている事は正論であったが、この場、この国においてはその理論は通じない。
「だ、だがなぁテラよ。物事には流れってものがあるだろ。それをお前……」
それを聞いた老人は反論の声を上げる。そこには先程までの威厳ある王の雰囲気はなかった。
「……はぁ、アベル。せめて臣下の前では王らしくしろよな。折角こっちが片っ苦しい言葉遣いまでして付き合ってやってるのに」
そんな王、アベルの姿を見て呆れたとばかりにテラの態度も一変する。
おそらくそれが本来の彼の姿なのであろう。先程までの礼儀正しい青年の雰囲気よりも、今の雰囲気の方が彼に合っているように思えた。
「それとこれとは話が別だ。お前、親友である俺の頼みが聞けないって言うのか!?」
「あーもう、だーかーらー」
テラは頭を掻いてアベルに話し掛ける。
「俺は王様に何かなりたくないんだよ。堅苦しいし面倒くさいし、はっきり言って嫌なんだ」
そんなテラの言葉を聞き周囲の者達は顎が外れんばかりに口を開いて呆然とする。
それもそうだろう。王に面と向かって王様になるのが嫌だなどと言う者はまずいない。
「大体、お前が王様やって俺がその部下になるってのが約束のはずだろうが」
「いや、そうは言っても民はお前が王になるのを望んでいるんだ。他の国ならいざ知らずこの国じゃこのまま俺が玉座に座り続ける訳には如何だろ。それをお前……」
「……うーん、まぁ、そう言われるとちょっと困るんだよなぁ」
個人同士の会話であるならばまだしも、それが他の者達、国全体に関わる出来事となれば、テラも少し言葉に困る様子を見せる。
「でも、悪いが俺には王になれない理由があるんだよ」
「何?」
「おーい、入って来いよ」
テラがそう声を上げると一人の若い女性が謁見の間に足を踏み入れる。
その女性の姿にその場に居合わせた誰もが一瞬目を奪われる。
その女性は清らかという言葉が相応しい実に美しい女性だったからだ。
「む、貴方は……」
その女性を見てアベルの表情も変わる。
「お久しぶりです、陛下」
「ストア殿ではないか」
どうやら顔見知りであったらしく、お互いに挨拶を交わす。
「大神殿お付きの巫女である貴方が何故このような所に?」
当然の疑問であり、王として当然の質問であった。
「あー、えーっとな。アベル」
テラはばつが悪そうに述べる。
「実は俺達、今度結婚するんだ」
『っ!!』
またしても、その場にいる全員は顎が外れんばかりに口を開いて驚く。
「お、お前っ!!」
これには流石のアベルも驚きの表情を隠せずにいた。
「だ、大神殿の、それも巫女に手を出したのか!?」
とても王とは思えない実に解りやすいストレートな表現である。
「ああ」
その言葉をさらりと肯定するテラ。
どうやら彼にとっては手を出したと言う事実を誰かに指摘されるよりも、結婚すると言う事を誰かに伝える事の方に抵抗があったようだ。
「お前、それがどういう事か……」
「立派な重罪だな」
アベルの言葉を先取りするようにテラは自分の立場をそう述べる。
「あの、付け加えますと私はすでにテラ様のお子を身篭っています」
「医者が言うには妊娠三ヶ月目だそうだ」
『っ!!』
最早、その場にいる人間で口が閉じている者は存在しなかった。
「お、お前は……」
アベルもとうとう頭に手を当て何やら苦悩し始める。
「はっはっはっ、まぁ仕方がないって、惚れた奴が悪いって事だよ」
「……はぁ、お前は昔っからちっとも変わらんなぁ」
「変わらないってのもある種の才能だろ」
テラはけらけらと笑いながら大きく胸を張って威張る。
そんなテラを見て、アベルもどうやら諦めの境地に至ってしまったらしい。
「まったく、毎度毎度振り回されるこっちの身にもなってみろ」
「そう言うのが嫌だから王になりたくないんだよ。……けど、こっちの方が面白そうだろ」
テラがニッと笑いながらそう言うと
「……ふ、ふふふ。違いない」
そう延べ、二人は驚き沈黙する周囲の目を気にせず笑い始める。その笑いが数分続いた後
「それで、これからどうするつもりだ?」
「そうだな。この国を離れる訳には行かないし、しばらくは山奥で隠居でもしとくつもりさ」
「それもいいだろう。お前ならどこに行っても食うには困らないだろうしな」
アベルはそう言うともう諦めたと言う風に王座に深く腰を沈める。
「じゃあ、俺達はもう行くぜ」
「そうしろそうしろ。今頃大神殿の連中も大騒ぎしている事だろう」
「はは、後始末よろしくな」
テラはそう言うとストアの手を引いて謁見の間から出て行こうとする。
その場にいる誰もが二人を止めようとしなかった。どうやらアベルを除いてまだショックから立ち直れていないようだ。
「ああ、そうそう」
テラは部屋から出る前に一度だけアベルの方を振り返る。
「俺は王になる気なんてないけど、俺の子供を王にするっていうのはありなんじゃないか。何と言っても……俺の子供だからな」
「……なるほど、すごい説得力があるな」
「数年経ったら一度顔見せに来る。またその時にでも考えてくれ」
テラはそう言うと今度こそ謁見の間から姿を消した。
「あいつの子供……か」
テラが出て行くと同時にアベルは少し考え込むように呟く。
「これも運命、と言う奴なのかな……」
一見して落ち込んでいるようにも見えたが、その顔はこれから起こる事を想像してか、少し笑っているようにも見えたと言う。