18話 その薬は
「俺に仕事押し付けやがって……」
やっとの思いで駐屯地に帰って来たが、あんな大男を運んできたものだから足も肩もガクガクだ。部屋に戻ったら直ぐに寝よう。
そう思って、皆が集まっているであろう会議室の扉を開けた。
「スゥただいま戻りました」
だが、予想に反してそこには団長と副団長そして見知らぬ人が居り、他の団員はこの部屋には居ないようだった。
「おお!お疲れさん!無事に任務を遂行したようだな」
俺に気づいたルヴィウス団長が笑顔で振り返る。俺のことを置いてった癖に調子が良さそうなのがイラっと来るが、流石に口には出せない。
「他の団員は皆、仕事を終えて各自室へと戻りましたよ」
副団長は何かの資料をパラパラとめくりながら、俺へ軽く声を掛けた。
先に戻っているだと?……ロビンやオルメルなら未だしもラヴェルは許せない。俺だって早く帰って早く寝たいのに……あームカついてきた。
イライラしながらも視線を横に移す。副団長の隣には、同じように資料に目を通している知らない女性がいた。褐色の肌に肩で切り揃えられた淡い新緑の髪とエルフ特有の尖った耳、そして顳顬から顎にかけて斜めに走ったひどい切り傷。見た目の迫力に圧倒され、先程の怒りを忘れ無意識に見つめていると、急に背後から背中を叩かれた。
「そうだったそうだった!まだスゥには紹介していなかったな」
背中が地味に痛い。叩く必要あったか?疲労困憊の身体に何てことをするんだ。これでも団長なのが信じられない。部下の健康に気を遣うぐらいはできるだろうに。
団長は俺の肩に手を乗せ、視線をそのエルフへと投げかける。彼女は団長の視線に耳をピクリと動かして反応した。
「彼女はリリアーネ。今日、研究所の襲撃の件でも手伝ってくれたな。魔法も得意だが、薬学や医学にも精通している。主に第4騎士団へ派遣されていてね、そこで行われている研究や実験を調査、監視してもらっている。あと、一応テテの相棒でもあるな」
団長が紹介すると顔を上げ挨拶するようにリリアーネは手を軽く上げた。
「話は聞いているよ、スゥくん。これからよろしく」
「こちらこそよろしく」
彼女は特にこちらを気にしていないようで、直ぐに資料へと視線を戻してしまった。淡泊な反応で驚いた、もっと気が強いのかと思ったが。切り傷のインパクトが強すぎたからだろうか、人は見た目じゃないな。
「団長……あのー……」
彼女のことを細かく教えてくれて有り難いが、一つ聞いておきたいことがあった。恐る恐る団長へ耳打ちする。
「……彼女は元死刑囚なんですか……?」
重要なことだ、俺が平静に過ごす為の。元死刑囚だらけの生活は辛いぞー
「え?……っははは!違う違う!彼女は普通の団員さ」
少し間を置いて団長は俺の問いを笑い飛ばす。が、その目が笑ってはいなかったのを俺は見逃さなかった。
——『普通』ね。ここで過ごし始めてから随分と時が経ったが、既にこの騎士団は普通ではないことは分かって来ている。おちこぼれ騎士団が国家の汚れ仕事を負っていると知ってからは異常こそがここの『普通』なのだと思うようになったし、ルヴィウス団長も例外ではない。何を考えているかは知らないが、きっと知らない方がいいのだろう。そんな気がする。
「団長、話があるんだけど」
リリアーネは俺たちの話に興味が無いようで、何もなかったかのように話し始めた。
「回収してきた獣人の死体を調べた結果、どうやら例の薬を服用していたことが分かったよ」
一瞬にして団長は目を見開き、副団長は静かに目を瞑った。反応から予想がついていたようだ。噛み締める様に顔を歪め、何かに耐える姿は怒り、悲しみ、苦しみ……様々な感情が入り混じっているようだった。
「……やはり、そうか」
驚いた。ルヴィウス団長がこんなにも複雑な表情を浮かべているのは見たことが無い。そこには団長としての重荷だけでなく、彼の人生における起点があるのではないかと思える程のものがあった。到底、俺では計り知れないだろう程の……。
——ところで、
「……例の薬ってなんですか?」
……まるでここにいる全員が状況を理解しているような雰囲気だが、全然分からない。本当に何?深刻な空気を破るようで悪いが、俺だけが置いて行かれても困る。
「そうでしたね、スゥ君にはまだ教えていませんでしたね。すみません」
頓狂な質問に副団長は気が抜けたのか、微笑を浮かべた。
ていうか、俺って知らないことばかりあるな。これでラヴェルが全て知っていたら今度こそキレそう。
副団長の説明によるとどうやらリリアーネが第4騎士団へ派遣されていた時に、研究室で、ある薬を開発しているのを発見したという。調べると、身体能力の向上を図る薬であったそうだ。発見時には既に人体での実験へと移行しており、多くの獣人奴隷が檻の向こうで呻いていたらしい。
「なるほど、その薬が研究室から密かに反帝国派の手へと渡ったということですか……でも何故?」
「研究所内に内通者がいると考えて良さそうですね」
帝国の研究所から研究中の薬が流出するとは許されざることだし、すぐにでも阻止しなければならない事案だが、彼らの反応はそれ以上になにかありそうだ。
「死体を調べていた時に、未使用の薬が出てきました。これが実物です」
リリアーネはガーゼの包みをゆっくりと開き、俺たちへとその薬を見せた。
中に深緑色のドロドロとした液体が入った小さな小瓶が現れた。
その瞬間、懐かしい匂いが鼻を掠め、光の速さで俺の記憶が次々と蘇る。あのツンとした特徴的な匂いが、微かにその柔らかな布で優しく包まれた残酷な薬から香っていた。
——あぁ、ここに居たのか、俺の希望は。こんなにも酷薄で、残忍な姿へと成り果てていたなんて……
悔しいなあ……こんな皮肉なことがあるだろうか。未来を思った俺の行動の先がこれだったとは……。
「自業自得、か……」
腹の底でどろどろとしたものが蜷局を巻く。
「うん?何か言ったか?」
「いや……なんでも、ないです」
団長は首を傾げ、眉を上げ不思議そうな表情で俺を見る。怪訝そうな視線から逃げるように俺は窓へと目を遣った。見ると窓越しに大きな満月が夜空に浮かんでいた。
今夜はやはり月が明るい。俺を覗き込むその白い月は、冷々とした心に染み入る鋭い光を差し込ませていた。思えば、この月が全ての始まりで全ての因果だったな。親近感と同時に憎しみも覚えるこの月は、幾年月、俺を見守ってきた。
今夜の月は白く輝いている。白銀といっていい。あの時とは大違いに美しく、儚げだ。
そして……この月を見ているとあの人を思い出す。純白の髪に柔和な微笑み、だけど俺が悪事を働けば天地をひっくり返したかのように怒るあの人。
——懐かしいな、今頃は何処を旅しているのだろうか。
師匠……
……俺はどうしたら良いでしょうか。此処まで来て、騎士団に入ってまで迷うなんておかしな話ですが、やはり先生のような人格者に俺がなれるのか分かりません。だって、だってあんまりじゃないか、こんな結末を見たくなんてなかった。こんな希望の成れの果てを許せるはず無いじゃないか。……ああ、それでも先生は否定するんでしょう?俺のこの気持ちを。……悔しい、悔しいけれど先生はいつだって正しい。だから今はこの気持ちに蓋をしよう、きっとそれが正しいから。
「……月が綺麗だ」
窓辺の月は耳飾りをその白い月光で闇色に煌めかせていた。




