初恋の人 ※ヒューゴside
物心ついたときから、私にとって女性というのは恐ろしいものだった。
いつも集団で群れては、遠くからヒソヒソと私を笑っていた。近づけば怖いだなんだといって、していないことをしたと喚いて大人に泣きついて、私を叱らせる。そういった悪意を持った者だった。
姉上が幼少期から彼女達に慕われたのもあったのだろう。姉上と比べれば気遣いも、騎士としての素質もない私は彼女達からすれば「図体ばかりがデカい落ちこぼれ」でしかなかったのだ。
そういった経緯もあり、物心つく前に両親――病死した父とその後を追うように亡くなった母――を失った私にとって信頼できる女性は姉と領民だけだった。
ある日、姉上に同行して王都にあるコーデル家に向かうことになった。
コーデル侯爵は良いお方だ。亡き父と親友であり、忘れ形見である私たちを守護するために姉上と自身のご子息デイヴィッド様との間に婚約を結んでくれた、お優しいお方だ。
その日はデイヴィッド様の妹君、ライラ様の誕生日であった。
しかしコーデル家長男の容体が急変したことにより、一家は病院に向かい、パーティーの主役であるライラ様だけが館に残り客の相手をしていた。
自分と同じ八歳、周囲から祝われるはずだった日に毅然と頭を下げて客人に接している。いかにも貴族らしい振る舞いのライラ様の姿は、同年代のあの意地悪な女児と同じ生き物かと疑う程だった。
彼女に尊敬の念を抱くと同時に、喜ばせてあげたいという想いが子供ながらに湧き上がって来た。
夜の帳のような黒髪は星明りが宿っているように艶やかに輝き、長い睫毛に縁どられた瞳は澄み切った緑。私にはそれがまるで若葉のように思えた。
『お誕生日おめでとうございます』
私は、気づけばそう言ってプレゼントを渡していた。女児なら誰でも好む赤い薔薇を模したマジパンだ。
『これ、あなたに笑顔になって欲しくて作りました! 今はとてもつらくて大変でしょうけど、どうか、元気を無くさないで!』
そういってプレゼントの包みを渡した。
最初は目を見開いて立ち止まったが、その後瞬きを数回して、クスっと笑った。
他の女性とは違う、優美で、それでいて眩い笑顔だった。
瞬間、胸が熱くドクンと高鳴った。
あれがきっと恋だったのだろう。
あれから九年。
私は領地の改良に努めてきた。
ガタイの良さから警備隊や武官になったほうが、といった意見を言うものもいたが、争いを好まない性格である私にはこちらが天職だった。
『デイヴィッドは私と結婚する気はないようだ。両家の結婚はお前とライラ嬢が相応しいだろう』
姉上にそう言われた時はどれほど嬉しかったか。
どうやらデイヴィッド様と姉上は性格的にどうも合わないらしく、両社ともに暗黙の了解で婚約を互いの弟妹に譲るつもりらしい。
未来の夫としてライラ様を幸福にするべく、私は更に領主の任に努めた。
教会で虐げられていた聖女、ミミ様が王太子殿下の手で救われ、デイヴィッド様が彼女と恋仲になったという噂が流れた頃。
難しい顔をした手紙を睨む姉上を見た。
『ただ好いた女性が出来ただけなら良いものを……あの馬鹿……っ』
私が訳を尋ねると、姉上は現在のコーデル家の事情を話してくれた。
姉上はコーデル家次期当主でありデイヴィッド様、ライラ様の姉君であるロザムンデ・コーデルとは、互いの父のように親友関係であった。
聖女様に治療されてもなお予後観察のために療養中のコーデル家当主、そして王家直属の弁護士として国交の場に駆り出されて多忙なロザムンデ様に代わり、姉上はコーデル家の使用人たちとやり取りをしていた。
そこで問題が起きていたようだ。
曰く、身寄りのない恋人のミミ様を可愛がるあまりライラ様に対する態度が冷めているとのことだ。
自分を引き取った修道女たちから虐げられ女性恐怖症な聖女の為に彼女につきっきりになるのはまだわかる。しかしデイヴィッド様のそれはあまりにも度を越している。
自由に使えるコーデル家の資金は全てミミ様に貢いでいた。その資金にはライラ様のものも含まれていた。そのうえ実の妹であるライラ様を気遣うどころか、ミミ様を引き合いにして貶めるような真似をしてきた。基本的にはライラ様自身の経済的圧迫と言葉の暴力のみであるが、時折机を叩く、わざと肩をぶつけるなど、男女の力の差を考えれば相手が恐れを抱くであろうことをしていたのだ。
「これは、立派な家庭内暴力ではありませんか!」
「落ち着け、ヒューゴ。私とてそれは理解している。しかし、彼女らの証言だけでは足らん。そもそも外の家の人間がコーデル家の事情を知っているというのも、
アレは口だけは達者だし、なにせ王太子殿下と親しい男だ。それに侯爵家にとってミミは大の恩人であり、その側仕えのデイヴィッドには誰も強く出れん。
奴もそれがわかっていて証拠が残らぬような真似ばかりしているのだろう」
「しかし、それではライラ様が……」
「言い方を考えずに言えば、アレは聖女様に首ったけだ。王太子殿下、並びに騎士団の者と一緒にな。だからこそ、邪魔者さえいなければ文句も言うまいよ」
つまるところ、婚約者の変更とライラ様への花嫁教育を理由にベミリオン家で引き取ることにしたのだ。
私はすぐさま姉上の案に賛成した。そういった旨の手紙を送ろうとした、その矢先だ。デイヴィッド様からライラ様をベミリオン家に寄越したいと言われたのは。
「……こちらにとっては願ってもない話だ。向こうが頼んだ手前、返せと言いにくくなる。万が一にもな。ヒューゴ、お前はただ、ライラ嬢の心を癒すことに専念しろ」
「は、はい」
「ライラ嬢は甘いものが好きなようだし、好き嫌いせずになんでもお食べになるそうだ。存分に腕を振るってやれ」
笑ってそう肩を掴む姉上に、ただただ頷いた。
一番大事なのはライラ様だ。
実の兄からつらい仕打ちを受け続けたライラ様に、幸せに過ごしてもらおう。
そうはいったが、結果は散々だ。
あれだけ張り切って用意したというのに、ライラ様を前にした途端言葉が出ない。
だって、仕方ないだろう。
この九年の間で、ライラ様は本当に美しく成長された。私の想像など遥かに超える程に。
そんな彼女を前にまともに喋れるなど無理な話だ。
ああ……後で姉上に叱られるだろう。
いいや。ダメだ、このままでは。しっかりと、信頼できる男として努めなければ。
あの日恋した、ずっと耐え忍んできたライラ様の為に。
そう思いたって馬車に乗る時、手を差し伸べた。
そこに、私の掌に乗せられたライラ様の御手の小ささ、そこに確かに感じる命の存在に、私は立ち止まってしまった。
まるで飛ぶことを覚えたばかりの小鳥が乗っているようだ。
そんなことを口に出していってしまった。
呆れられると思った。それでも嘘は吐けなかった。
しばらくすると、ライラ様は笑った。
嘲っているわけではない。本当に、温かく、優しい笑顔を私に向けてくれた。
「ずっと……ヒューゴ様は、本当にお優しい人なんですね」
それは、あの誕生日パーティーの時の笑顔を思い出させた。
彼女はあの時の事を覚えていて下さったんだ。
ライラ様。
私も同じ気持ちです。
あなたは眩いほどに美しく、お優しいお方です。
このヒューゴは、そんなあなたを妻としてお守りしたいのです。




