こんにちは、お婿様
今日、通信教育用の水晶鏡をいただき、先生方と学友たちに別れの挨拶を済ませた。本当は父様のお見舞いもしたかったけど、保養所と王都は離れているし、あの人が許さないだろう。
つまりはこの、生まれ育ったコーデル家の館とはしばしの別れとなる。
婚約者としての行儀見習い、謂わば実質的な嫁入りであるのに、コーデル家の実質的な当主となった兄様はいない。
噂によれば、遊園地に来ているサーカスへと向かったそうだ。いつもの面々と一緒に。
私を送るメイドたちは、みな不安そうな顔をしていた。
「もう、よろしいのですか? ライラお嬢様」
「いいわよ。また兄様に挨拶なんてしたら、散々嫌みを言われるだけだし。それなら可愛い『我が家のお姫様』を相手にしたいでしょうしね」
きっとあの人は夜になるまで帰ってこないだろう。
どうせ聖女様を庇いながら「まだここにいたのか」「月にこれだけの金を送って、育ててやった恩を返せ」などと言われるのがオチだ。
特急馬車に荷物を積み終え思い残すことは無いと確認すると、シーナたち、お世話になった使用人の方へ向き直る。
「それじゃ、行ってくるわ。今までありがとう。シーナ。みんな」
そこから馬車の中に入り、手を振りながら別れを告げた。
王都の門を出ると、馬車はスピードを増していく。通常の五倍の速度でバフをかけられているのに一切揺れない魔術師の技術に感心する。
この速度で行けば四十、五十分ほどでベミリオン領へ到着する予定だろう。
予定通りの時間に停車した場には、大勢の男性たちが一列に並んでいた。皆、どの男性も兄様よりも背が高く、顔を見ようとすると首が痛くなってしまいそうだ。彼らの胸には自国の紋章が刺繍されていた。この辺りを守護している、国境警備隊の者だろう。
彼らは口を真一文字に結び、私を睨んでいた。
――そうよね。クロエ嬢は我が国と帝国の国境を守る警備隊の隊長。私はそんなクロエ嬢の顔に泥を塗った無礼な男の妹。歓迎されないに決まってるわね。はっ。もしかしたら兄様が自分をよく見せるために「ライラが無理矢理自分が代わりにべミリオン家に嫁ぐと言った」なんて嘘をついたかも……ありえるわ……だとしたら私は嫌われてるわよね……どうしよ。
そう思いつつ、目を伏せると凛とよく通る女性の声が響いた。
「者ども、休め。というより、もっと温和に迎えろ。ライラ嬢が怯えていらっしゃる」
軽やかな足音と疾風と共に、彼女は私の前に現れた。
しなやかな筋肉を感じさせるスラリと伸びた手足、女性にしては大柄な背丈の銀髪の女性、クロエ・ベミリオンその人だ。氷柱のような睫毛の間から覗く澄み切った薄いブルーの瞳が、気まずそうに私を見つめていた。
彼女はサラリとしたショートヘアを下げ、謝罪の言葉をくれた。
屈強な兵士たちは、彼女の言葉に申し訳無さげに頭を下げる。
「すいません、隊長……若い令嬢をどうやって迎えてよいのかわからず……」
「全く……ようこそライラ嬢。強面ばかりで怖がらせてすまないね」
「クロエ様……っ、お久しぶりです」
彼女の姿を見ると、懐かしい気持ちになって心が晴れていく。
兵士たちも悪意があったわけではないみたい。よかった。
幼いころから決められた兄様の婚約者であるクロエ様とは何度もお会いしたことがある。いつでもクロエ様は私を温かく、それこそ本当の妹のように接してくれた。
長女であるロザムンデ姉様とご親友という事もあり、血縁関係のある兄様よりも親しみやすく家族と呼べる関係だった。
それに人望厚い辺境伯の忘れ形見の長女という立場に甘えず常に努め、結果として文武両道に長け、実力で国境警備隊隊長の座を得た実力者でもある。
いい意味で女性的ではない、それでいて誰かのような刺々しい威圧感もない、素晴らしい人物だ。
クロエ様は私の手を取り、連れて来たメイドたちに荷物を運ばせた。
「挨拶は後にして、さ、中へ」
優しく手を引くその姿は宛ら絵本の中の麗しの貴公子のようだった。
私はしばらくの間無縁だった温もりを感じながら、ベミリオン家の館の中に入っていった。
広間に着くと、まず私は兄の件を謝罪した。
「クロエ様、あの、改めて申し上げますが、デイヴィッド兄様が申し訳ありませんでした」
「いいんだよ。どうせ奴は『この変更は両者にとって得だ。感謝されるべきだからさっさと行って来い』とでも言ったんだろ? 恩着せがましくな」
「え? は、はい。そんな事を言っていました」
本当はもっとひどいことも言われたけど、クロエ様に不快な思いをさせたくないし言わないでおこう。
私の言葉に、クロエ様は頭を抱えながら深い溜め息をつく。
「だと思った。私の元にもそういった文が届いたからね。というより私も破棄になって幸いだと思っているんだ。アレとは絶対に気が合わないと思っていたしね。
食事一つにしても。やれおかずの品は朝昼夜で五品ずつだせ、同じ品を出してはならないとかああだこうだ、この食事を乗せる皿はこの色でこの形だ、茶をいれる時の腕の向きはこうしろ、だのといちいちうるさくてね。
それに加えて! 奴は勝手にうちのバックヤードまで入ったりしたからなあ。台所に入っては具材の切り方が雑だとかなんとか、洗濯場に行けばやり方がなってないとか、あーだこーだと文句ばかり言ってきてな。
『いつデイヴィッド様から文句を言われるかと思うと怖くて仕事になりません!』……そう何度メイド達に泣き付かれたことか。
奴に問いただしてみたらなんといったと思う?
『結婚相手の使用人は俺の使用人でもある。ソレを監視するのは当然のこと』、だと!
はぁ……そんなことがあってからはアレと一つ屋根の下で暮らすなんてぞっとしていたさ」
「……お察しします」
兄様、ベミリオン家の方々にもそんなことしてたのね……
わかります。わかりますともクロエ様。
シーナや他のみんなも、父様の入院以来兄様からのいびりのせいで目の下に隈を作ってますから。
「いやいや、それはこっちの台詞だよ、ライラ。アレを兄に持ったんだからね。生まれた時からあんな神経質な小姑男と暮らしてきた君の苦労は、想像を絶するものだったろう。本当にお疲れ様」
「ありがとうございます」
そんな優しい言葉を貰ったのは、初めてだ。
思えば、王都では私の周りで私に寄り添ってくれる人はいなかったな。
弁の立つロザムンデ姉様は違うけど、両親は今はああなってしまったけど昔は病弱でつきっきりで看病していた兄様に強く出れない。使用人たちは言わずもがな。
学校にいる人たちだって、王太子殿下の親友である兄様には強く言えない。そもそも口だけは上手いし、並の人だったら威圧的だから言い返されてしまうし。
だからこそ、クロエ様の言葉を聞いて、心がふわりと柔らかいもので包まれていくような心地になった。
それがこそばゆくて、ただ礼を述べる事しか出来なかった。
「……にしてもっ、アイツは何をやってるんだ? せっかく花嫁が来たっていうのに!」
アイツ、というのは彼女の弟であり私の結婚相手のことだろう。
眉間に皺を寄せて辺りを見渡していると、パタンと広間のドアが開く。
そこには先程門の前で待っていた男達より背丈が頭一つ分大きい大男がいた。
彼が両手で持った皿の上には、その顔を隠すほどにうず高く盛られた円形のシューの山があった。シューには頂上から底辺にいたるまで、黄金色の糸が巻き付いてキラキラと光を放っている。
巨大なクロカンブッシュに視界を塞がれ、私の姿が見えないであろう大男はクロエ様に明るく声をかける。
「見て下さい姉上! やっと完成したぞ! これでライラ様も喜ぶはずだ!」
「ヒューゴ……」
「さあ、もうすぐライラ様が来る頃でしょう。そろそろ紅茶や他の料理も用意しましょう。それを終えたら着替えて――」
「ヒューゴ! 今すぐそれをテーブルに置いて、私の前を見ろ!」
凛としたお声でクロエ様に叱られたその殿方は、崩れないように慎重にクロカンブッシュをテーブルの上に置いた。
言いつけ通りクロエ様の前、つまり私の方を向く。
瞬間、彼は湯気が出そうなほど顔を真っ赤にした。
「ぁ……あ……ライラ、さ、ま」
ツンツンと毛先の立った、霜のような白銀の髪。
クロエ様と同じ澄み切ったアイスブルーの、彼女よりも優し気な眼差し。
シャツの下から圧迫する、筋骨隆々で長身な体躯。
私は彼に向かって、立ち上がりカーテシーをして挨拶する。
「今日からよろしくお願いします。ヒューゴ様」
彼が私の婚約者となった、ヒューゴ・ベミリオン。
クロエ様の弟君だ。




