友達になれたかもしれないあの子のために
朝ご飯の前にメイドの方が上機嫌で見せてくれた新聞にはとんでもない事が書いてありました。
『悪魔に蝕まれた聖女、王太子の騎士団を食らう』
『全てを暴いたのは彼女に国を追われた悲劇の公爵令嬢。そして皇太子殿下』
様々な騒動が起こった王都。そこの王宮で行われた外交パーティー。
そこでは私がよく知る人たちが、王太子殿下、そして聖女様に対して告発を行ったようです。
次期皇帝であるアンタレス・ドゥ・ファース皇太子殿下。そして彼の妻となったサブリナ様。
彼ら側の弁護人としてロザムンデ姉様、そして証人としてクロエ様が。
ビクター王太子、そして兄様、アーチー様、ニゲラ様による証拠捏造と脅迫。それによるサブリナ様を含む無実の人間を放逐するなどをした犯罪。
その証拠には私のタリスマンもあったのだろう。
国王陛下は王太子殿下を含む主犯格の人間の廃嫡、そして彼らを唆した聖女は悪魔憑きとして国教の総本山である教皇殿で悪魔祓いを受ける事となった。
修道院嫌いである彼女には恐怖しかないだろうし、王家の責任転嫁ともいえる。だが情報を見れば彼女自身も騎士団の不正に多々関与していた。
一瞬、兄様の隣から私を見たミミ様の目を思い出す。
怯えたように振る舞っていても、頬を緩ませねっとりとした優越感に満ちた目。
あれは、人を嘲笑う目だ。
「幼い頃に虐げられていく内に、悪魔に巣食われてしまったのだろうね。保護される以前は、自分の僅かなご飯を他の孤児に与えたり優しくあやしたりしたそうだから」
朝食を終えたあたりで王都から戻ったクロエ様は、ふう、と溜め息を吐いてそう言った。
「では兄様が、騎士団の方たちが保護する前に悪魔に……」
「そうなるね。捕縛されている時も大騒ぎだったよ。
皇太子殿下とサブリナ嬢に向かって『なんでアンタが隠しキャラと!?』『スパダリすぎてつまんないし、みんなとの逆ハー展開消えちゃうからアンタレスは狙わなかっただけで、アンタなんかに相応しくないわ!』などと意味の分からないことを言って迫る姿は……今まで見たどの魔獣よりも悍ましかったよ。
でも、更生の余地があるだけに極刑にならなかったのは良かったとも言えるかもね」
ところで、と言ってクロエ様は話題を変える。
「あの馬鹿、デイヴィッドに真実を突きつけた時の君の姉上はとても誇らしそうだったぞ」
「そう、ですか……あの、クロエ様。兄様は――」
「当然、王太子殿下、いや、ビクター殿らと同じ罰を受ける事となる。つまりはコーデル家からその名を消されるわけだ。もうこれからこちらから望まなければ会うこともないだろう。
……ライラ。君は何も気にかける必要はない。アイツが君にした仕打ちを思えば当然だし、最初に君の家族という立場を捨てたのはデイヴィッドだ」
私の手を握り、クロエ様はそう仰った。
兄について伺ってはいたが、そう言われても心が動くことはなかった。
デイヴィッド兄様。
幼い時はずっと病弱で、両親たちはみんなあの人に付きっきりだった。彼が大変だから私は寂しくても、ワガママを言わずにしっかりしないと無理をしていた。
体調が回復すると、兄様は弱かったご自分を否定する為に居丈高になった。
父様や跡取りである姉様には表立って噛み付くことは無かったけど、使用人や私、つまるところ『絶対に逆らわない、自分より立場の弱い人間』に対しては暴君のように振る舞った。
そして自分の望み通りに自分を褒め称えてくれる聖女ミミが現れると、彼女を持ち上げる為に私を蔑み貶めた。
もしかしたら、あの人はそうしないと他人を褒められなかったのだろう。
デイヴィッド兄様という人間について考えれば考えるほど、私の心は凪いでいく。
昔は兄の事を考える度に怒りや悲しみに襲われたが、今はもう、何も感じないのです。例えば、そう、歴史書で外国の暴君について書かれているページを読んでいる時のような感じです。
自分にとってそれは全く関係のない、遠い存在だというような。
肉親にとって思う事ではないけれど、今、私にとって肉親と呼べるのは両親とロザムンデ姉様だけだった。
そうか。もうあの人は兄じゃないのか。
思うことはそれだけだった。
「さて、そろそろ可愛いお嫁様を弟に返さないとな」
そう言って立ち上がると私の肩に手を添えて、くるりと後ろを向かせた。
扉の前に気まずそうな様子でヒューゴ様が立っていた。彼は私と目が合うといつものはにかんだ甘い笑みを見せた。
それを見た瞬間、乾いて凪いでいた心に温かな日差しが差し込み花が咲き乱れるような心地になる。
彼の手を握り中庭を二人で歩く。
「……良かったですね。王都のこと」
「ええ……もう何も心配することもないですから」
ヒューゴ様は遠回しに私が兄様から解放されたことを喜んでくれているのだろう。
私自身、もうあの人のことは何とも思っていないけれど、私の事を私以上に考えてくれるヒューゴ様の優しさが嬉しかった。
そんな彼だからこそ、私は自分のワガママをいう事が出来た。
「……ヒューゴ様。お願いがあるんです」
「はい、なんです?」
「以前作った、ビーツのカップケーキありますよね?」
ビーツとは最近帝国から輸入された野菜だ。
鮮やかな紅色をしており、帝国の北部ではスープに入れたりするそうだ。癖のない酸味のある味は使える幅が広く、ケーキの生地に混ぜて使う事もあるそうだ。
爽やかな酸味を持った見栄えのいい赤色のケーキは帝国でも評判で、身分問わずに大勢の人に好かれている。
先日、私たちはヒューゴ様のキッチンで、小型の型に入れてビーツを使ったカップケーキを作った。
舌の肥えた料理人にも試食をして貰い、とても好評だったし、私自身も好みの味だった。
蜂蜜を加えたクリームチーズを乗せるといくらでも口に入れてしまえるほどの美味だ。
「あのケーキに、名前を付けてもいいですか?」
「それは、構いませんが……何という名前に?」
「……『ミミ』」
瞬間、ヒューゴ様は目を見開いた。
「どうして、その名前を?」
「あの子の、心象を変えてあげたくて」
「心象?」
「……あの子は、ミミ様はずっと一人でした。虐げられ、心の傷に悪魔が入り込み、名誉も尊厳も傷つけられてしまいました。もしも、ミミ様が悪魔に憑りつかれることなくコーデル家に来たらと思うと……もしかしたら私たちは姉妹のようになれたかもしれないと……」
このままではあまりにも彼女が哀れだ。
『所詮は卑しい身分の癖に聖女の力を賜った身の程知らずだ。悪魔に魅入られるなど』などと、ずっと嗤われてしまうことになる。
だからこそ彼女に対してのイメージを良いものにしたい。
虐げられながらも、確かに優しさを持っていたミミという少女を、少しでも多くの人間に知って欲しかった。
「優しいお方ですね。ライラ様は……」
「そんな世界があると、って思うと、放っておけなくて」
「では今度の品評会で『ミミ』として発表しましょう。きっと皆も受け入れて下さりますよ」
彼はそういうと優しく背中を撫でてくれた。
温かく、心の奥にあった不安や葛藤が消えていった。
その後、彼の言う通り『ミミ』は評判のいい菓子として世間に広まった。それに乗じ、ミミも悲劇の女性として語られるようになった。本人は未だ外に出る事は出来ないものの、彼女の名誉は回復しつつあった。
更に数年後。
両親に見守られながら、『ミミ』を頬張る菓子好きの少年の姿がベミリオン領にあった。
少年はほの明るい、茶色い巻き毛であった。




