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第2話 『わがままなキツネ』と『やさしいヒーロー』

 


 今日は、八月十三日の土曜日 いよいよ夏祭り当日――


 朝から、教室のグループチャットはやけに活発だった。普段は連絡事項が流れるだけの無機質な空間なのに、この日に限って「何時に集合?」「屋台どこから攻める?」「花火の場所取りは誰がやる?」と、矢継ぎ早に吹き出しが飛び交う。


 読み進めていると、私も心のどこかがわくわくしていく。だけどそのわくわくの裏で、ずっと気になっていることがあった。


(……やっぱり日ノ原が、返事してない)


 メッセージアプリ内の参加の聞き取りアンケートの欄も、彼だけが空白。みんなが参加の欄に「〇」と勢いよく書き込んだ中、彼の欄だけがぽっかり取り残されていた。


 別に、来なくたっていい。むしろ、来なければ落ち着いて楽しめるはず――そう言い聞かせながらも、悶々と考え込んでいた。


 クラス委員としてそして生徒会委員として、クラスで一人だけ不参加になるかもしれない彼のことが気にかかったから。


 ――そう、きっとそれだけ。


「……クラス委員として、一応確認するだけ。そうよ灯花(とうか)。」


 自分にそう言い訳しつつ、私は浴衣を広げる前に、ベッドに腰を下ろしてスマホを見つめた。


 連絡すべきか、やめるべきか。個別メッセージの入力欄に「今日の夏祭り来ないの?」と打ち込んでは消し、送信ボタンの前で何度も躊躇(とまど)う。


 そのとき――


「わんっ」


 足元でじゃれついていたシーズーのミルクが、ぴょんと跳び上がって私の手に鼻先を押し当てた。


「あっ」


 誤って画面をタップしてしまい、次の瞬間――通話の発信音。

 メッセージなら送れるだろうと思っていた所を、まさかの通話ボタン。


「えぇぇ!?」


 パニックになっているうちに、早々にスマホから声が聞こえてきた。



『もしもし? ……月野? こんな早い時間にどうした』


 心臓が跳ね上がった。慌てて口を開く。


「ち、違うの! じゃなくて、その……えっと、ほら! 日ノ原は今日の夏祭りに、来るのかなって……」

『祭り? あー。今グルチャ盛り上がってるもんな』


 電話の向こうで、少し間が空いた。


『……微妙なんだよな。妹が風邪ひいて熱出してんだ』

「えっ」


 思わず声が漏れる。


『話したことないと思うけど、父さん単身赴任でいないし、母さんも夜まで仕事だから。放っていけねぇんだよな』


「……そっか」


 彼の声はいつもより落ち着いていて、ふざけた調子は一切なかった。


『普段から俺が夕飯作ったり宿題見てやったりしてるからな。……ま、そんなわけで、みんなにはよろしくな』


「……大変なのに、ごめんね」


 日ノ原に『ごめん』なんて言えたのは初めてだった。


(なんでだろう。電話で顔が見えないから話しやすいのかも)


『お前が謝るなんて珍しいな。気にすんなって。楽しんでこいよ』


 軽い調子で言いながらも、その裏に隠された苦労が想像できて、胸の奥がじんわりと熱くなった。


 電話を切ったあと、私は鏡の前に立ち尽くした。


 その後、母に手伝ってもらいながら浴衣を着付け、髪をまとめていると、気持ちがざわざわして落ち着かない。



 * * *



 夏祭りの会場は、まるで人の海だった。


 色とりどりの浴衣や甚平、提灯の列。金魚すくいの水面がきらきら光り、鉄板からはソースの匂いが漂う。


「見て見て灯花! 可愛い綿あめ!」


 友達に腕を引かれ、私は屋台をひとつひとつ回った。写真を撮ったり、かき氷を分け合ったり、景品の射的に笑ったり。


「日ノ原くん、来ないのかな」


 と誰かが口にしたとき、私は反射的に「さぁ、忙しいんじゃないかな」と返した。でも、その声が少しだけ硬かったのは、私自身が一番わかっている。


 花火開始まであと一時間。


 花火会場へ向かう人混みがさらに増え、一瞬気を抜いた私はクラスのグループから引き離されてしまった。

「あ、ちょっと待って!」


 声を張っても、もう届かない。

 押し寄せる人波の中で、私はひとり、路地へと押しやられていた。


(うそ……はぐれた!?)


 焦って走り出した瞬間、下駄の鼻緒がずれて転んでしまう。


「いった……」


 右足首に鈍い痛み。さらに掌が擦れて、赤くにじんでいた。


 スマホを取り出すと、無情にもバッテリー切れの黒い画面が映るだけ。


「あちゃー。いつもよりカメラとメッセージアプリ使ってたからなぁ。充電しとくんだった」


 人波から逃げて小さな階段に座り込み、私は小さく肩を震わせた。


(せっかくの祭りなのに。みんなと合流できないし、足まで怪我して……)



 * * *



 ――そのころ。


 俺、日ノ原 陽介(ひのはら ようすけ)は、妹の布団の傍らにいた。


「お兄ちゃん、ごめんね。お祭り行きたかったでしょ」

「気にすんな。お前が元気になるのが一番だ」


 俺が額の汗を拭っていると、玄関の扉が開き、母が息を切らして帰ってきた。


「母さん! 随分早いな!」


 母は息を切らしながら帰ってきた。どうやら仕事を早めに切り上げて買い物も済ましてきたようだ。


「もう大丈夫。ごはんもあるし、(ひかり)は私が看るから。……まだ間に合うでしょ、行ってきなさい!」

「でも……」

「はいはい、行ってらっしゃい!」


 強く背中を押され、お小遣いを握らされて玄関の外に出された。


「じゃあ、まぁ、いくか……ん?」


 ポケットの中のスマホが震える。クラスチャットには「月野がはぐれて迷子らしい」との書き込み。


「まじかよ、あいつ」


 俺は迷わず、クラスとの合流ではなく『月野 灯花(つきの とうか)を探す』ことを選んだ。



 * * *


 私は石段の上で顔を突っ伏していた。

 雑踏が通り過ぎる音が耳に響く中、一つの足音がこちらに近づいてくる。


 そして――


「ひょっとして……月野(つきの)……か?」


 聞き慣れた声に顔を上げると、息を切らした日ノ原 陽介が立っていた。


「な、なんであんたが!」


「母さんが早く帰ってきてくれた。そんで、グループチャットでお前がはぐれたって見て」


 日ノ原は息を整えながら話していた。どうしてそんなに慌ててきたのか。


「うん。私のスマホ、充電切れちゃって……」

「ったく、他人にはしっかりしてるくせに。自分のこととなるとてんでダメ人間だな」


 呆れたように言いながら、彼の視線が私の掌に落ちた。


「余計なお世話よ!」


 やっぱり面と向かうと素直な言葉が出てこない。


「おい。おまえ、手、すりむいてるじゃねーか」

「あ、さっき転んで……」


 彼はポケットから小さな絆創膏を取り出した。


「ほら手、出せ」

「え……うん」


 彼の太陽のように温かい指が一瞬だけ触れる。


「なんでそんなの持ってるの?」

「妹がよく転ぶからさ、いつも持ち歩いてんだ」


 彼の声は優しくて、胸がきゅうっと締めつけられた。


 その直後――。


『……ぐぅ』


 気が緩んだからか、私のお腹の音が盛大に響いた。

「……聞こえた?」

「ったく。待ってろ」


 私が顔を赤くしていると彼は人混みに消え、数分後にはたこ焼きとお茶を抱えて戻ってきた。


「ほら。冷める前に食え」

「ありがと……」


 熱々のたこ焼きを頬張ると、涙が出そうになるほど美味しかった。食べ終えると彼がスマホのグループのやり取りを見ながら提案する。


「さ、もう少しで花火が始まるし、早いとこ俺達もみんなと合流しようぜ」


 私は「うん」と返事をして立ち上がろうとしたが右足が痛くてふらつく。


「おいおい。足、引きずってんじゃねーか」

「う……だいじょ――」

「強がんな。流石にそんなんじゃ花火は無理だろ」

「えっ、絶対いや! 花火は見たいの!」

「ったく……」


 彼は背中を私に向けるとこう言った。


「じゃあ乗れ! 少しくらいは歩けるんだろ? みんなの近くまで行ったらお前を降ろして、ちょっと歩いて合流すればいい」

「それもいや! だってもしかしたら移動中にだれか学校の人に見られるかもだし! そんなことになったら恥ずかしい!」

「なんてわがままなヤツ! わかった待ってろ!」


 彼は再び屋台に走り、戻ってきたときには二つのお面を持っていた。


「これをつけてりゃ、クラスのやつらに見られても平気だろ?」


 差し出されたのは天狐(てんこ)のお面と特撮ヒーローのお面。


 彼は特撮ヒーローの仮面をかぶる。

 その様子がおかしくて私は思わず盛大に吹き出した。


「……似合うじゃん日ノ原、でも、そんな真面目にかぶる人なかなかいないよ」

「うるせぇ。……お前もかぶんだよ! で、ほら、早く乗れ」


 お面越しに見える彼の目が、やけに真剣で。私は観念して背中に身を預けた。


 彼の肩越しに、祭りの光が揺れる。


(……心臓の音、伝わってないよね)


 不安と高鳴りが、夜の喧騒に紛れていった。

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