お医者様?
入浴を終えると、ヘレンが言っていた通り、お医者様がやってきた。
「医者なんて俺には必要ないよ。帰ってもらってくれ」
「なりません、お嬢様。昨日の高熱の件もあります。後遺症が無いかも含めて、きちんと診ていただかないと」
ヘレンが強引に、俺を応接室へと運ぶ。
今回もまたお姫様抱っこだ。
子供みたいで恥ずかしいんだが、向こうもお嬢様の健康が掛かっているので引き下がらない。
俺は仕方なく、本当に仕方なく、抱っこで医者の前まで運ばれた。
応接室で待っていたのは、エルシーの記憶の中にある、いつもの白ひげ爺さんではない。
白衣を纏った若い女性だ。
「初めまして、エルシー嬢。私はカーラ・ミル。ドクターの代わりに往診に来た」
カーラは立ち上がって一礼する。
彼女はこちらの顔色を確認するかのように、真剣な眼差しでジッと見つめる。
「ふむ⋯⋯? インキュバスに襲われたと聞いたが、やつれてはいないな」
「当然だ。そもそも襲われてないからな。そういうの、全部誤解なんだ」
「⋯⋯誤解か。なるほど。⋯⋯すまないが、暫くエルシー嬢と二人きりにしてくれないか?
治療の成功に関わることだから、私が呼ぶまで絶対に中には入らないでくれ」
カーラがメイドのヘレンに言う。
ヘレンは、「やはりお嬢様には治療の必要が⋯⋯」と心配そうにこちらを見てきた。
こんな時、誠に遺憾と言うんだっけか。
ヘレンはエルシーに一礼してから、部屋を出ていく。
室内に、俺とカーラだけが残された。
カーラは席を移動して、俺の座っているソファのほうへとやってきた。
先程よりも近い距離で、俺の顔を見つめてくる。
「さあ、これでここには私しかいない。この屋敷には防音の魔法が施されているから、会話が聞かれることもない」
カーラは俺の肩に手を回し、内緒話をするように耳元へ口を近づけてきた。
「君、エルシーでは無いだろう? 彼女の体に憑依しているだけの別人。⋯⋯違うかい?」
俺は瞳を瞬かせる。さすがはお医者様、わかるもんなんだな。
厳密には、転生者だから同一人物ではあるんだけど、俺自身の感覚としては憑依でも間違ってはいない。
「そうだ。俺はエルシーじゃない。異世界から来た『色川誘志』だ」
俺はカーラを見つめ返す。
カーラの瞳が楽しげに笑った。
「異世界か。なるほど、それは確かに英雄的だ。英傑は異境より来る。神の住むとされる国から、人の国へと。
しかし、君が新たな神として信仰を奪い取らぬよう、聖女の体へ押し込めたのか」
カーラはまるで何かの専門書を読み上げるかのように、スラスラと言葉を紡いでいく。
難しい話はあまり聞きたく無いのだが⋯⋯。
ひとまず、エルシーの気が狂ってトンチキな与太話をしているワケでは無いとわかってもらえてるようだ。
「見たところ、君は男性のようだな。それが女性の体に入っているとは⋯⋯、ふふふ、実に面白い⋯⋯」
カーラが俺の頬に手を添えてくる。
彼女はそのまま、微笑みながら俺の顔を覗き込んだ。香水のもったりとした匂いが俺に押し寄せる。
あれ? なんか、診察って雰囲気じゃなくなってきたな⋯⋯?
カーラの瞳が、やけに輝いて見える。
瞳の中に、魔法陣みたいなのが浮かんでるような⋯⋯。
「ユウジ、いや、聖女エルシー。君に興味が湧いてきたよ」
甘い声が耳元で囁く。
カーラの指先が、流れるように自然な動きで俺の体を押し倒した。
ソファの座面に、エルシーの綺麗な金髪が散らばる。
変だな⋯⋯。体が、上手く動かない⋯⋯。
頭の中がボーッとしてきて、カーラの瞳から目が離せない。
俺の頭の中にある、エルシーの知識が警告を発した。
──魅了魔法だ。
気づいたところで、対抗策は、何も無い。
戦闘も逃走も選べない。
俺はただ、カーラの笑みを見つめていた。
「エルシー。聖女なんて辞めて、魔王軍のスパイにならないか?
救世主サマの手伝いよりも、欲望のままに遊び回れる魔王軍に与するほうが、ずっと自由で、楽しいぞ」
悪魔が甘い言葉を囁く。
元々、救世主の手伝いなんてやる気が無かった俺には、拒みようが無い提案。
俺はごくりと喉を鳴らした。
「自由に、遊べる⋯⋯?」
「そうだ。お前が望んだことは、何だって出来る。これまでお前を縛りつけてきた、退屈で身勝手な決まりなんぞ、どこにもない」
「何でも⋯⋯? カワイコちゃんたちも?」
「もちろん。何もかも、お前の思うがままだ。
さあ、エルシー。理想通りの生活を手に入れるため、私との契約を望むんだ」
「契約を⋯⋯」
「そうだ。願え、エルシー。私との契約をすると言え」
魅了でドロドロに溶けていた俺の脳みそは、迷うことなく答えを出した。
「する⋯⋯、契約する⋯⋯♡ 俺、聖女なんか辞めて、魔王軍で楽しく暮らすぅ⋯⋯♡」
目の前の悪魔が、くすりと笑う。
「ふふふ。契約成立だ。これから君は、私の配下。共にあの生意気な勇者アレックスを打ち倒し、自由な暮らしを手に入れよう」
「はい、カーラ様♡ 俺、頑張って立派なインキュバスになります♡」
元から、婚約者のことは嫌いだった。
エルシーとして生きていた頃から、デリカシーの無い振る舞いにも腹が立っていた。
俺の人格が蘇るまで、エルシーはずっと我慢してたんだ。
──神に選ばれた聖女だから、無理して我慢してたんだ。
だけど、もうそんなこと考えなくてもいい。
俺はイケメンのインキュバスとして、可愛い人外娘しかいない最強ハーレムの主になるんだ。
俺の言葉に、カーラは微笑みながら返した。
「それはダメだよ。エルシーは女の子なんだから」
「⋯⋯え?」
「こんなに可愛い女の子なんだから、インキュバスになりたいなんて、言っちゃダメだよ」
カーラが優しくエルシーの頭を撫でてくる。
あまりのショックで、俺に掛けられていた魅了魔法がガラガラと崩壊していった。
「う、嘘つき⋯⋯! 何でも思うがままって言ってたじゃん!」
「それとこれとは話が別だよ。君は女の子なんだから」
「男だよ! 俺の種族リロードがあれば、肉体の性別はどうとでもなるの!!」
「こんなに可愛いのに、捨てるだなんて勿体ない! 君はこのまま、魂の性別も女の子になるべきだ⋯⋯!
大丈夫、私が手取り足取り、女の子らしい言葉遣いを教えてあげるよ⋯⋯!!」
カーラが息を荒くしながらエルシーの体にのしかかってくる。
端から見れば、完全に事件だ。俺は完全にパニクってしまった。
魔法で室外のヘレンに助けを求めればいいのに、そんなことすら思いつかない。
「こ、この契約は無かったことに!」
「なるわけないだろう? 君は私の可愛い部下として、昼も夜も働くんだよ?」
「お、横暴だ! パワハラ! セクハラ! 最低の上司~!!」
「ああ、いいねぇ⋯⋯! そういう反抗的な態度、興奮するよ⋯⋯! 強がってるのに 涙目で⋯⋯!
私の洗脳スキルでメロメロにして、しっかりと堕落させてあげるから、好きなだけ泣き喚くといいよ!!」
「へ、変態だー!!」
え~ん! オタクくん、助けて~!!
無理なのはわかってるけど助けて~!
このままじゃ俺、どうなっちゃうかわかんないよ~!!
え? それはお前が人外娘に対してやろうとしてたのと同じ?
被害者側の気持ちをこれで思い知れ?
待って、俺の脳内フレンドのオタクくん!
この悪魔、マジでヤバそうだから!
ガチ洗脳で「カーラ様の部下になれて幸せですぅ♡♡♡」とか言う羽目になる自信あるから!
だから助けて! 何もお礼はしないけど助けて!
前にオタクくんがメリバってやつの話をした時に「嫌いとか意味わかんねー、最終的に本人がハッピーだって思うなら良くない?」って言ったのも謝るから!
え? ダメ? ガッツリ痛い目みて反省しろ?
ダメかぁ~、そっか~⋯⋯。
それじゃあ仕方ないなぁ~⋯⋯。
わかった、俺も腹を括るぜ!
次回、愚か者の末路! 俺からの報告をお楽しみにぃ~!!