バスタイム
ミルクの香りの石鹸が、メイドの手によって泡立てられている。
ここはエルシーの家の浴室。
ヘレンにお姫様抱っこで連れてこられてしまった俺は、着ていた服をひっぺがされて、バスチェアに座らされていた。
目の前に置いてある鏡に、エルシーの裸身が映り込んでいる。
いかにもお嬢様らしい、白くキメ細やかな肌。
プロポーションも抜群で、オタクくんが見たら鼻血を吹いて倒れそうだ。
俺にはエルシーとして生きてきた記憶がしっかりあるので、イチイチ興奮なんかしないが。
「大丈夫ですよ、お嬢様! インキュバスに触られたところは、私がしっかりと洗ってさしあげますからね!」
メイドのヘレンが、俺の背中を洗い始める。
普段なら、お風呂はエルシー一人で入っているのだが⋯⋯。
エルシーとしての知識が、仮説を紡ぎ出す。
敢えて素手で触れてやることで、記憶の上書きを狙ったり、「貴方は穢れていないよ」と伝えようとしたりしているのだろう。
ヘレンの手のひらが、優しく石鹸の泡を擦りつけていく。
実際のところ、インキュバスのほうの体とは、手を繋ぐ以上のことは何もしていない。
しかし、ヘレン目線だと「ショックで寝込んでしまったのだから、それなりに酷いことをされたのだ」と思えてしまって仕方ないようだ。
俺は改めて、彼女への説明を試みた。
「あのな、ヘレン? 俺は別に、あのインキュバスには何もされていないんだ」
「⋯⋯お、お嬢様⋯⋯?」
「全部、誤解なんだよ。そもそもあのインキュバスは、俺が作ったゴーレムなんだ。
悪魔なんていなかったんだよ」
「それは⋯⋯。ああ⋯⋯、お嬢様はそのように、お思いなのですね⋯⋯」
鏡越しに見えていたヘレンの顔に、憐れみが浮かんだ。
あー、これ、マズイな。
あまりにもショックが大き過ぎたお嬢様は、何もなかったと思い込もうとしてるんだ、って誤解が重なってしまったっぽい。
⋯⋯まあ、後で実際に、ゴーレム作りを目の前で見せればわかってくれるかな?
悪魔と戦ってるこの国で、悪魔そっくりのゴーレムをお嬢様が作るってのは、ヘレンには受け入れがたいことかもしれないが。
流石に、インキュバスに襲われたせいで邪教に目覚めた、とまでは言わないだろう。うん。
信じてるからな、ヘレン。
ヘレンは丁寧にエルシーの体を洗い上げ、桶に汲んだお湯で泡を流す。
鏡の中に再び現れた素肌は、以前と変わらず美しかった。
「ほら、お嬢様。お嬢様の聖女の刻印も消えてはいません。お嬢様のことは、どんな悪魔でも穢すことは出来ないのですよ」
ヘレンが、エルシーの体に刻まれた紋章を優しく撫でる。
エルシーが生まれた時から付いていた、聖なる証。
神意の代行者であることを示す、聖花を象った紋章だ。
「救世主の刻印を持つアレックス様も、お嬢様のことを穢れたなどとは言いませんよ」
だってお二人は、この国を救う勇者なのですから。
ヘレンはそう言って、にっこりと笑った。
「⋯⋯だから、穢れとかそもそも無いって。襲われてないって言っただろ、ヘレン⋯⋯」
「それは⋯⋯。いえ、今はとにかく、湯に浸かりましょう。上がる頃には、お医者様もいらしてるはずです」
ヘレンが強引にエルシーの体を抱え上げる。
俺はそのまま、浄化のハーブがたっぷりと浮かんだ浴槽に、有無を言わさず入れられてしまった。
うーん⋯⋯。この誤解、なかなか厄介かもしれないなぁ⋯⋯。
早いとこ、ヘレンにゴーレム作りの様子を見せて、俺のことをわかってもらわないと。
俺はハーブ湯に浸かりながら、溜め息を吐いた。