前世の夢
これは夢だ。
だって、目の前にオタクくんがいる。
場所も、前に通ってた中学校の教室だし。どう考えても夢だろう。
オタクくんが楽しげにノートを開く。
いま大人気らしい漫画のあらすじをメモしたノートだ。ところどころに、下手くそな模写の絵が並んでいる。
俺は家の決まりでアニメとかそういうの全部見れなかったから、オタクくん経由で二次元の世界を見せて貰ってた。
塾に行かなくてもいい、水曜日。
頭良いやつと学校の図書室で勉強してるって嘘ついて、オタクくんがノートに写した漫画を読んだ。
⋯⋯懐かしいな。
ノートには、赤い髪の主人公が描かれている。本物には及ばないだろう、ボールペンでの雑な塗りだ。
「色川くんの名前って、ちょっと漫画っぽいよね。字の書き方が」
「だって漫画から取ってるもん。俺は読んだこと無いんだけど、じいちゃんが好きだったとかでさ。ウチの家、子供の名前はじいちゃんがつけるって決まってるんだ」
ああ、この会話も懐かしい。
オタクくんは羨ましそうな顔をして、俺のこと見るんだ。
「え、そうなの? なんて漫画?」
「知らない。でも母さんはダサいとか売れてないとか言うから、あんま有名じゃないんじゃないかな。じいちゃんに頼まなきゃ良かったって、俺の名前を見るたび言ってるよ」
「えぇ、何それ。格好良いのに⋯⋯」
そんなこと言ってくれたの、オタクくんだけだよ。ホント変わってる。
初めて喋った時から、ずっと彼は変な人だった。
オタクくんは覚えてんのかな。
修学旅行で、テレビ局の見学に行った時のこと。
一階にアニメのガチャガチャがあって、オタクくんは真剣な顔で百円玉を入れていた。
「色川くん、ちょっとコレ代わりに回してくれない?」
「いいけど、なんで俺?」
「こういうの、自分で回さないほうが『出る』んだよ。お願い!」
俺は頼まれるままに、ガチャガチャを回した。
もしも欲しいのが出なかったら、運が悪いのは俺のほうで、役立たずって罵倒されんのかな⋯⋯とか考えながら。
結果は『はずれ』だったようだが、オタクくんは「でも、これもまた思い出ってやつだよね!」と笑ってお礼を言ってくれた。
オタクくんと仲良くなったのは、それからだ。
修学旅行のバスの中で、俺んちのルールを聞いて目を丸くしていた。
オタクくんはアレコレと流行りの漫画の話をしてくれて、あまりにも必死で、全力で、楽しそうに話すから、俺もなんだか楽しかった。
「生まれ変わったら、俺も友野くんみたいにアニメとかいっぱい見たいなぁ」
「何だよそれ。そんなの生まれ変わらなくても、大人になれば出来るじゃん。せっかく生まれ変わるんだったら、もっとスゲーことしようぜ!」
「スゲーって、例えば?」
「例えば⋯⋯。このアニメみたいに、チートスキルでモテモテになるとか! 異世界で大冒険する勇者になって、悪い魔王をやっつけるとか!」
オタクくんがノートを捲って、さっきの漫画と似たような顔の主人公の絵を指差す。
俺は「異世界転生とかあるわけないだろ、アニメの見すぎだよ!」とゲラゲラ笑った。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去って、俺は一人で家に帰る。
晩飯の用意をしていた母さんが、すぐに声をかけてきた。
「おかえり。今日も学校で勉強してきたの?」
「⋯⋯うん」
「受験なんてすぐなんだからね。絶対に受かるよう、勉強ちゃんとしておくのよ。
アンタが前に言ってた、友野くんなんかとは絶対に関わっちゃダメよ。アニメなんて見てる子はみんなバカなんだから」
「⋯⋯オタクくんはバカじゃないから、大丈夫だよ」
「わかってるわよ、念のためよ。その小滝くんってのは学年一位なんでしょ? アンタも負けずに頑張りなさいよ」
「⋯⋯うん」
母さんは、いつもこんな感じだ。嫌なこと まで思い出しちゃったな。
せっかく夢を見てるんだから、それこそ異世界みたいなフリーダムでハッピーな夢を見てればいいのに。
俺は自室のベッドに寝転んで目を閉じる。
本当に異世界に来るなんて、この頃は思ってもみなかった。